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古代の日本で見られた「赤いオーロラ」(赤気)を ホツマツタヱは、取り上げていたでしょうか

古代の日本で見られた「赤いオーロラ」(赤気)を
ホツマツタヱは、取り上げていたでしょうか!?
もし、取り上げていたら、どう表現していたでしょう!?
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オーロラ-ブログ用

 上図の「赤いオーロラ」の絵は
「オーロラの日本史 古典籍・古文書にみる記録
 岩崎清美 片岡龍峰 著 平凡社2019年3月発行」の表紙写真と文中写真からのものです。

このオーロラをみて、北極地で天空に雄大に動くオーロラとは違い、日没後に地平線や山の稜線から立ちのぼる「赤気」(せっき)と呼ばれてきたオーロラの存在を知りました。

 黒みがかった赤色で幾筋にも白い光が現れ、遠くの火事のように見えたと言うことです。
 赤気は強烈な印象を与え、表現としては、「火柱のような気」、「布を引くように立つ」、「鯣(するめ)の鎗の形」、「天の赤色は扇の骨のように筋立ち」、「扇の地紙のごとく赤く、骨のごとく白き筋うち交じり」と言った記述が数多く残っています。

 江戸時代にも各地で赤気というオーロラが見られ、特に明和7年(1770年)7月28日のオーロラは日本各地で見られており、詳細な絵が描かれていました。

  秋田県の方で、赤いオーロラを見た方がいるということを聞き、昭和33年(1958年)2月に東北各地で目視されていたことを知りました。
 現在では、この赤く見えるオーロラのことを「低緯度オーロラ」と呼ぶようです。
 古代の日本人もこの赤いオーロラを見て感動し、ホツマツタヱの中に赤いオーロラのことをどこかに示しているはずと思ったからです。

ホツマツタヱの中から、二つの可能性を見つけました。

一つは、「ちつるぎを あかはだかとも なをつけて」 という記述です。
 
 前回(2019/7)の勉強会のときに、「乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源について触れましたが、その中で、「ニシキイリヒコ」(イソギネ・垂仁天皇の長男)が10の専門集団の頭となり、その一つに身投げをした「タケノ姫」を「はつかし」として祀ったとありました。


みそこほめづき(和仁估37-32~35)
ゐそぎねは うちみてつくる ちつるぎを あかはだかとも
なをつけて おしさかにおく 

 この「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は景行天皇のお兄さんでもあり、ため池を作り、稲の収穫が増え、民の生活を豊かにしました。
 更に千本の剣を作って奉納しています。(37綾)そして、この「千剣(ちつるぎ)」のことを「あかはだとも」と名付けたとあります。

 天空に浮かんだ「赤いオーロラ」が、剣を千本並べたような壮大さをイメージし、「あかはだかとも」の表現に隠されているような気がしました。

 「イソギネ」(「ニシキイリヒコ」で後の景行天皇のお兄さんにあたる)は、宇治の川上(「うちみ」の「み」は、かみの宮の「み」)で、千本(ち)の剣を作りました。

 この剣のことを「あかはだかとも」(「あ」は天地の天、「か」は光、善悪の善を表す、「はだか」は、「かまはだとべ」のように天にも届く絶世の美人から、「とも」は剣を携えることから)という名前をつけて、「おしさか」(榛原、昔、神武天皇が苦戦した場所)にこの剣を奉納しました。
別の解釈では
「はだか」は、何も余計なものを付けない純粋なもの
「あか」は、もしこの剣に銅が含まれていたら表面は銅色に赤く輝いていた可能性がある。(新品の10円玉のように)

 「ちつるぎ」を、千本の剣と解釈していましたが、荒神谷遺跡で発見された銅剣358本よりかなり多く、実数ではなく誇張していたのかも知れないと思いました。
読み返しているうちに、もう一つ別の意味を掛け言葉として隠し持っていたような気がしました。「ちつるぎ」の「ち」は血の色を表現していた可能性が見えました。
 朱・辰砂(しんしゃ)・丹砂(たんさ)という硫化水銀(赤チン)の色を施していたのではないかと思い至りました。古代、神社の鳥居に施されていたものになります。
 現在は朱ではなく多くのところでベンガラが代用されているようです。

ひおうぎぬばたま


 もう一つは、1、4、5綾に出ている「ぬばたま」の花、「ひあふぎ」(檜扇)という言葉も、この赤色のオーロラに関連していたのではないかと感じました。

 そのおしくさは 
ぬばたまの はなはほのぼ からすばの あかきはひので
ひあふぎの いたもてつくる あふぎして くにもりおさむ
おしえくさ からすあふぎは そふはなり ひあふきのはは
みなはらふ あわのよそやぞ またみそふ みちなわすれぞ
(和1-30~32)(小1-16~17)



 その「おしくさ」(ごまの葉草)の「ぬばたま」(黒色)の花は、暗闇から太陽のが昇るように「からすば」(からす扇)の赤い部分は、日の出のように見えました。
 正に天から、檜扇(檜の板で作られた)で扇ぐように国を守り治めました。からす扇は十二葉(羽)からなっています。檜扇の葉(扇)は、全てのけがれ、災いをはらいます。
 「あわ」(天地)の四十八神です。さらに、三十二神の道も忘れてないけません







 ゑをはらひ やはりわかやぎ よみがえる ぞろにみのりて
ぬばたまの よのかてをうる おんたから よろこびかえす
(和1-21)(小1-11)

けがれ(邪魔・稲虫)を払い、再び若返って(元通りに)甦って、稲穂が豊作になりました。
夜の暗闇の中に赤く輝く「ぬばたま」の神の力で、食料を得ることが出来て喜びにあふれました。

あかたまの わかひるのるは あをきたま くれひのみたま
ぬばたまなりき
ひさかたの ひかりあれます ういなめえ あゆきわすきに
つげまつり
(和4-38~39)(小4-20)

 真っ赤に昇る新年の日の出と共に誕生された若き日の御霊は、澄んだ青空のように、青い珠のようで、日暮れになっても、太陽が「ぬばたま」(檜扇の実)のようにまっ黒になって輝き続けています。
 久方の朝日とともに降誕された天照神の「ういなめ」(新嘗祭)がとり行われました。
「あゆき」(天ゆきの宮、悠紀殿)と「わすき」(主基殿、すきでん)にそれぞれ神を祭りました。

あしひきの まくらことばは うたのたね あしひきはやま
ほのほのは あけぬばたまは よるのたね しまつとりのう
おきつとり かもとふねなり このあちを ぬばたまのよの
うたまくら さめてあかるき まえことば 

(和5-28~30)(小5-15~16)

 「葦引きの」という、枕詞は、歌の種として伝えられました。
「あしひきの」(足、葦)は、「山(峰)」にかかり、「ほのぼの」は、「明け、明るくなる」にかかり、「ぬばたま」(檜扇の黒い実)は、「夜」にかかる枕詞です。
「島津鳥」(島に住む鳥)は「鵜」に、「沖つ鳥」は「鴨」と「舟」にかかります。
 この味(意味)を知ることによって、「ぬばたまの夜」という、歌枕は明るい夜明け、暁、日の出を迎えるという前言葉になります。(今までの感覚ではこの解釈であったが、「さめてあかるき」とは、赤いオーロラが現れたことを言っていたのではないかと思えました)

「ひあふぎ」を漢字で「檜扇」と書かれていますが、この「ひのき」とは、檜の樹皮の色、模様が、赤色のオーロラの模様に似ているように思われ、「ひのき」と名付けられたように思えました。

高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は次回11月12日(火)、12月10日(火)になります。
16綾に入ります。

 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。
会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。初めての方は5~10分早めに来ていただければ幸いです。
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大國魂(大国主命)の生い立ちをホツマツタヱから読み解く 追記

大國魂(大国主命)の生い立ちをホツマツタヱから読み解く

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⑩ 「オホナムチ」は「カルキミ」として宮中に昇殿

  仙台の多賀の国府におられた「オシホミミ」は「タクハタチチ姫」と結ばれ、伊勢に居られる天照大神は、息子「オシホミミ」の婚礼の報告を受けて、お祝いの「みことのり」を「ワカヒコ」(カスガマロ・アメノコヤネ)に届けるよう託しました。
 「ワカヒコ」は天照神の「みことのり」を伊勢から仙台まで携えて行きます。
婚礼後の暑いある日、お酒を賜わる暑気払いの席が設けられます。この席に「オホナムチ」も列席します。

かるきみも みたれゆるせは
たれうちぞ みやにのぼれば
うちつみや(小笠原13-8)



「カルキミ」(津軽公、オオナムチ)も、乱れ(罪・世を乱したこと、出雲が発展し宮中より立派に派手な振る舞いをしたと判断されたこと)が許されて「垂れ内」(垂れ帳の内宮、天照神と同等の待遇)が許されるようになりました。宮中に昇殿できるようになったので「うちつみや」(中宮)と呼ばれるまでになりました。

 ときにかるきみ
すゝみいふ なんぞとがむや
わがたから ひとたゝゆるぞ
このこたゑ ひとのさいわひ
わがまよひ まかりくるしむ
(小笠原13-15)


この話が終わると同時に、「カルキミ公」が前に進み出て言いました。何で、私の財宝が皆から咎められなければならないのですか。人は皆、私の財宝を褒め称えています。
 「カルキミ公」の申し立てを「カスガ」が正しました。
他人の幸いは我が迷い。他人の幸い(財宝)を見て自分は迷います。羨みを持つかも知れません。嫉みを持つかも知れません。人間は生きている間は幸せであっても、あの世に行ってから、神から死の苦しみを受けます。
  

またいわく たのしくをらは

かすがまた ういをしれるや
あめにうけ あめにかえるぞ
かすがまた きみにてもほし
たみはなお(小笠原13-16)

「カルキミ」(津軽君)翁が気軽に言いました。楽しければ良いではないですか。
 「カスガ」が再び威儀を正して「カルキミ」に言いました。
「ウイ」(「ウイ」のひと吹き・生命の根元)をご存知ないのでしょうか。我々は天から命を授かり、この世で最善を尽くして生き、そして再び、天に帰るのです。

 民の規範となるべき上の位のものが、財に物を言わせて、欲望や快楽に走れば、下の位の者はなおさら満たされぬ欲望が強く渦巻きます。

 すゝかのふみを
みざるかや おきなうなつき
くしひこが いさめのすゞか
いまとけり(小笠原13-16)


 「カスガ」は「カルキミ」翁に、貴方は「スズカ」の御文(おんふみ)をまだご覧になっていないのですか。と尋ねました。
 翁「カルキミ」は、思い当たる節があるかのように大きくうなずきました。
息子の「クシヒコ」(コトシロヌシ・えびすさん)が、私を諌めて(誤りを忠告する)言った「スズカ」の教えの真の意味が今やっと解けました。

 古代出雲本殿跡で発掘された建物の基本部分は高さが48mあったと推測されており、本殿には階段を昇りつめて行くような想像図を見たことがあります。北極星(北緯37°)の向こうに神が居られると見ていたので階段の傾斜も37°であったと推定しています。
 出雲での巨大な建物は、すでに葦原中国の本拠地より大きく、華やかになっていたため、本拠地からみて決して許されることではなかった。そのため、出雲(カシマ)を糺すため、説得に何人も派遣されたが効果なく、出雲(カシマ)を断つことになった経緯がありました。


以上

高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

次回11月12日(火)、12月10日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。
会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。初めての方は5~10分早めに来ていただければ幸いです。
参加費は500円(テキスト代込み)です。

大國魂(大国主命)の生い立ちを ホツマツタヱから読み解く③

大國魂(大国主命)の生い立ちを
ホツマツタヱから読み解く③

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目次

 ① 古代、ネの国(ネ=北)は、サホコ(サホコチタル)から、イツモ(出雲)へと国の名前が変わります。
 ② クシキネ(=オホナムチ)が誕生
 ③ オホナムチは稲作を教える。
 ④ 出雲は国が豊かになり、「ことわり」(道理)が隠れたと判断された。
 ⑤ 葦原中国で、出雲に筋を通すように糺すに行く人を決める。
 ⑥ 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」がカシマダチ(出雲征伐)に向かう。

⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す。
⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。
⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に



⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す

おほなむち こたゑとわんと みほさきの つりえきゝすの
いなせはぎ あめのこたえを とふときに

 ことしろぬしが ゑみすがほ  われすずかにて
たらちねに ほろゝなけとも ちのたゐぞ さかなときるも
おろかなり
 たかまはたみの ゑみすたゐ ゐとかけまくぞ
みことのり わがちゝさらば もろともの かえことなせば
(10-27~30)

 「オホナムチ」は、宮中から帰国している息子の「クシヒコ」(コトシロ主)が、「みほさき」(三保神社)で、鯛釣りをしている所に「いなせはぎ」を急使(きぎす)として走らせ、天照神の考えが如何なものかを問いに行かせました。


 「コトシロヌシ」が「えみす顔」(えびす顔)でおっしゃいました。 「えびす様」の語源

我は「すずか」(鈴明)にて、清く正しいです。父にお伝えください。此処に及んでは、「ほろろ」と鳴いても、(わめいても)もはや、「ち」(地)の鯛(まな板の上の鯉)も同然です。
魚として切られ料理されるのも愚かなことです。

高天(たかま、宮中)は、民が「えみす鯛」つまり、民が鯛を釣り上げて喜べる姿にこそ存在します。
 高天が葦原中国と出雲の二つ存在することは許されないという意味のようです。

「コトシロヌシ」が詔をしました。我が父がこの出雲を去るのであれば、私も一緒に国を去ります。この息子の返事が届けられると父「オホナムチ」は、二神(「タケミカヅチ」と「フツヌシ」)に向かって告げました。

息子の「コトシロヌシ」は宮中で大物主(右大臣)という立場におり、既に宮中では、出雲での行いが目に余っていたことを知っていた。
 一方父親の「オホナムチ」は、ただ、出雲を良くすることを良かれと思ってやってきたが、他から嫉まれていたとは全く気が付かなかった。

とえはことふる おほなむち そのこのまゝを
ふたかみえ  わがこさりにき われもさる いまわれさらは
たれかまた あえてなれなん ものあらし

 わがくさなぎの このほこに ならしたまえと いひてさる
(10-33~35)

 「タケミカヅチ」は、「オホナムチ」に、この息子の誓約を携えて決断を迫りました。

「オホナムチ」は、子供の言うままに、二神(タケミカヅチとフツヌシ)に、全面降伏しました。

 我が子は出雲を去ったので、私も去ります。
今、私が出雲を去るにあたり、誰かまた、力ずくで叛(そむ)く者が出てこないとは限らない。

 降伏の証として、我が「くさなぎ」の矛(ほこ)を用いて国をならして(国を均(なら)して)くださいと言って去って行きました。

⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。

 ときにまつらふ おほなむち もゝやそかみを
ひきゐきて まめもひかげの なんだあり
 たかみむすびの たゝしゑた ことのりあれは みことのり
たまふあそべの あかるみや あふゆをうくる

(10-37~39)





 既に宮中の命令に従っていた「オホナムチ」は、配下の百八十神を引き連れて忠誠を誓いました。この誓いに至るまでには陰で涙することもありました。



 「タカミムスビ」が「オホナムチ」に、今までの経緯を問い糺した返事には誠意があり理にかなっていたので詔をしました。

 「タカミムスビ」は、津軽の「あそべ」(阿曽部)の「あかる宮」(岩手山神社)を「あふゆ」(天の恵み、天恩)によって賜わりました。

おほなむち あかるあそへの うもとみや  つくるちひろの
かけはしや もゝやそぬゐの しらたてに うつしくにだま

おほなむち つかるうもとの かみとなる (10-39~40)

 「オホナムチ」は津軽の「あかる・あそへ宮」の「うもと宮」(天日隅・阿曽部岳の大元宮)の建立を進めました。

壮大な宮はかけ橋の長さが千尋(ひろ)もあり、百八十もの「ぬい」のある白楯が備わり「うつくしたま」(顕国玉神)と称えられました。

そして、「オホナムチ」は「つかる・うもとの神」(東日隅第元神)となり、神上がりました。

⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に

ほひのみことを もとまつり(10-40~41)

 
 天照神は「ほひの命」を元の杵築宮の初代祭司に定めて久しく祭らせました。

 すなわち、「ほひの命」は、初代の出雲大社を治めることになります。

 「ほひの命」とは、天照神と十二妃の一人「ますひめもちこ」(北のすけ妃、「いさなぎ」の弟の「くらきね」の娘)との間に生まれた子ども。「あめのほひ」と言い、実名「たなひと」から「たなきね」と呼ばれます。

天照神にとっては最初の皇子であるにも関わらず、日嗣ぎ皇子は、後から「せおりつ姫」が生んだ「おしほみみ」実名「おしひと」になります。

追記
砂の器地図

「砂の器 松本清張著 新潮社 昭和48年3月発行」に出雲と津軽が同じ言葉使いであることが、この推理小説のポイントになっていました。ホツマツタヱの存在を知らない時に読んだ記憶が今でも残っています。 
 以下、砂の器からの抜粋です。
 東北弁を使うところはほかにもあった。しかも、東北地方とは全然逆の中国地方の北側である。
 『出雲国奥地における方言の研究』というのだった。
 「出雲は越後並びに東北地方と同じように、ズーズー弁が使われている。世にこれを『出雲弁』と出雲誂りあるいはズーズー弁と称えられて・・・・・
      
東北と同じ言葉が出雲の奥地に使われている--。
それは、東条操編『日本方言地図』というのだった。

 以上


高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)、12月10日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。

大國魂(大国主命)の生い立ちを ホツマツタヱから読み解く②

大國魂(大国主命)の生い立ちを
ホツマツタヱから読み解く②
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大國魂神(大国主命)について
初代大物主
実名: クシキネ 称名: オホナムチ
   ヤシマシノミ(八洲一の紳士)と称えられる
通称: 大国主神
父: ソサノオ
母: イナダ姫
子供: クシヒコ・コトシロヌシ


オホナムチが出雲から津軽へ国替え後の名
ツカル・ウモトの神 東日隅大元神 津軽の君 ヒスミ君




目次

 ① 古代、ネの国(ネ=北)は、サホコ(サホコチタル)から、イツモ(出雲)へと国の名前が変わります。
 ② クシキネ(=オホナムチ)が誕生
 ③ オホナムチは稲作を教える。

④ 出雲は国が豊かになり、「ことわり」(道理)が隠れたと判断された。
⑤ 葦原中国で、出雲に筋を通すように糺すに行く人を決める。
⑥ 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」がカシマダチ(出雲征伐)に向かう。

 ⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す。
 ⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。
 ⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に



ホツマツタヱ本文末尾の(X-X~X)は、和仁估安聰釋本の綾―頁


④ 出雲は国が豊かになり、「ことわり」(道理)が隠れたと判断された。
 ふそゐすゝ こそみゑとしの さあゑなつ かぐゑしぼみて
ふとまにの しちりはやもり はげしくて つねすみのくに
みせしむる

よこべかえりて もふさくは いつもやゑがき
おほなむち みつれはかくる ことはりか

 ぬかをたまがき  うちみやと これこゝにゑに
くらぶなり(10-1~3)


 葦原中国で、二十五すず歴九十三枝の年の「さあゑ」の夏に、橘の木の枝が枯れてしまいました。
 「ふとまに」で占うと「しちり」歌の大凶の卦が出ました。 「はやもり」(羽矢が漏れる、こぼれ落ちる、謀反がある)が、「つ」(西)「ね」(北)「すみ」(隅)の国、(出雲にあたる)が原因と分かり調べさせることにしました。


 「よこべ」(検察官)が調査して戻って報告するには、出雲八重垣の臣の「オホナムチ」(クシキネ)は、国が満ち満ちているため、「ことわり」(筋を通す、条理、道理)が隠れてしまっています。

 「ぬか」(ひたい、額表、額ずくこと、礼拝)する場所を「たまがき・うちみや」(玉垣内宮)にしており、天照神の住まれている皇室に匹敵する豪華な造りの大宮殿(九重の大宮)を築いております。と、報告いたしました。

⑤ 葦原中国で、出雲に筋を通すように糺す人を決める


 たかみむすびの
かみはかり いづもたゝすは たれよけん ほひのみことゝ
みないえは ほひのみことに むけしむる

 しかれとほひは くにかみに へつらいこびて
みとせまて かえことあらて (10-4~6)


「七代目タカミムスビ」は、新しくなった今宮(野洲)で「かみはかり」(神議)をいたしました。
 出雲を糺(ただ)すのは誰が良いかと問いかけたら全員一致で「ホヒノミコト」が良いと言い、「ホヒノミコト」を派遣することに決めました。
 
 「ホヒノミコト」(アメノホヒ)は、「天照神」と「モチコ」との間に生まれた最初の子供、母親の「モチコ」は、「イサナギ」の弟の「クラキネ」の娘で、出身地はこの地方の近く。

 「ホヒ」(ホヒノミコト)は出雲の国神にへつらい媚びて(機嫌を取ることに終始)しまい、三年経っても復命しませんでした。

 おゝせいゝ みくまのやれば(ど)
ちゝがまゝ かえらねはまた
(10-6)

よって、息子の「オオセイイ・ミクマノ」を派遣しました。しかしながら、息子も父の言いなりになって、帰ってきませんでした。

かみはかり つかはすひとは あまくにの あめわかひこと
きわまりて たかみむすびが かごゆみと はゝやたまひて
むけしむる

 このかみもまた まめならす たかてるひめを
めとりつゝ あしはらくにを のらんとて やとせふるまて
かえらねは(10-7~9)

 再び、「かみはかり」(神議)をし、派遣する人は「アマクニ」の「アメワカヒコ」以外にはないと決めました。
 そして、「タカミムスビ」が「かご弓」と「羽羽矢」を賜い、出雲へと向けさせました。

 今度こそと思い派遣したが、任務に忠実でなく、こともあろうに、「オホナムチ」の娘「タカテル姫」を娶ってしまい、挙句の果てに、派遣元であった葦原中国を乗っ取ろうと野心を持ち、八年経っても帰って来ませんでした。


その後、出雲に送った隠密(雉)は、相手に気が付かれ、矢で射られてしまいます。
 血で染まったその羽羽矢を見て「タカミムスビ」は自分が「アメワカヒコ」に賜ったものと知り
咎めの返し矢を放ちました。返し矢は「わかひこ」の胸に命中して、あえなく死んでしまいました。

⑥ 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」がカシマダチ(出雲征伐)に向かう

このたびは たかみむすびの とみかれを のぞくかどでの
かしまたち
 わにすきまつる かみはかり (10-24)


 今般は「タカミムスビ」の決断で、「とみかれ」(臣を枯らす=役職を剥奪)しに行く門出のため、「かしまたち」が行われました。

「か」=右大臣(オオナムチ)、「しま」=国、「たつ」=絶つ・断つ)の宴がとり行われました。
 「かしまたち」とは、今風に言えば、独立採算であった県知事の権限を全て剥奪する。あるいは、国そのものを没収するといった意味合いだと思います。
なお、「かしま」は、後に、漢字化されて「鹿島・鹿嶋」となっているため、鹿嶋を出発したとようにも取られています。
 
宮の境内には主基(すき)の宮を新たに建立し「わにすき」地の神祭りをとり行い神議が始まりました。
  ふつぬしよしと
みないえは たけみかつちが すゝみいで あにたゞひとり
ふつぬしが まさりてわれは まさらんや

 たかきいさみの みかつちや ふつぬしそえて
かしまだち(10-24~26)


出雲征伐に「フツヌシ」(香取神宮祭神)が良いと意見が一致しました。
 そのとき、「タケミカヅチ」(鹿島神宮祭神)が前に進み出て、なぜ、「フツヌシ」一人が勝っているのですか、私は勝ってはおらぬのでしょうか。と申し出ました。

 高い心意気を持った「タケミカヅチ」と「フツヌシ」の二神が出雲征伐「かしまたち」へと向かうことになりました。

いづもきつきに
かふつちの つるきをうえて うつくまり なちりとふなり
 みほこりて あさむくみちを ならさんと われらつかふぞ
そのこゝろ まゝやいなやゝ (10-26~27)


 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」は、きつき宮(出雲杵築宮・出雲大社)に着くや、宮の前で「かふづち」(頭椎)の剣を大地に刺して、うずくまり(膝を折り立て腰を落として座り込む)威圧的に問いました。

 自ら誇って国を欺く行為を、抜き出ることなく他と同じように均されるようにと、我ら二神は遣わされて来た。
 おぬしの心は従うのか、従わないのかどっちなんだ。

以下、続く                                 


高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)、12月10日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。

以上

大國魂(大国主命)の生い立ちを ホツマツタヱから読み解く

大國魂(大国主命)の生い立ちを
ホツマツタヱから読み解く
2019年(令和1年)8月10日
こんにちは
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途中で中断しております。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています



大國魂(大国主)の生い立ちブログ用


大國魂神(大国主命)について
初代大物主
実名: クシキネ 称名: オホナムチ
   ヤシマシノミ(八洲一の紳士)と称えられる
通称: 大国主神
父: ソサノオ
母: イナダ姫
子供: クシヒコ・コトシロヌシ


2代目大物主
実名: クシヒコ
称名: コトシロヌシ
通称: エミス神
父: オホナムチ
母: タケコ・おきつしま姫

オホナムチが出雲から津軽へ国替え後の名
ツカル・ウモトの神 東日隅大元神 津軽の君 ヒスミ君

 ホツマツタヱ本文に、クシキネ・オホナムチが活躍していた年代には、 オオクニヌシ・オオクニタマという名称は出てきません。
 ずーっと後世になってオオクニヌシを祀るという記述などが出てきます。前後関係から、生前のオホナムチのことを言っていることがわかります。


 「ほつまつたゑ」は、日本書紀・古事記(七~八世紀)が出来る前に既に存在していた古代日本の歴史書のひとつです。オシデ文字という文字で記されています。1綾から40綾まであります。
 1綾~28綾は紀元前660年頃、天祖神からウガヤフキアワセズまでを、紀元241年頃、神武天皇から景行天皇まで29綾~40綾にまとめられたものです。
 今回の大国魂(大国主命)の内容は6綾~10綾からです。紀元前660年以前の出来事になります。
 仏教伝来で大黒様が日本に伝わり、神仏習合により大国主命と同一とみなされてきたと考えられ、さらに大黒様が肩にかついでいる宝は米俵です。お米は田んぼから採れるので、「田から」採れる⇒たから⇒宝の語源になったと考えられます。

目次

① 古代、ネの国(ネ=北)は、サホコ(サホコチタル)から、イツモ(出雲)へと国の名前が変わります。
② クシキネ(=オホナムチ)が誕生
③ オホナムチは稲作を教える。

 ④ 出雲は国が豊かになり、「ことわり」(道理)が隠れたと判断された。
 ⑤ 葦原中国で、出雲に筋を通すように糺すに行く人を決める。
 ⑥ 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」がカシマダチ(出雲征伐)に向かう。
 ⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す。
 ⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。
 ⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に



ホツマツタヱ本文末尾の(X-X~X)は、和仁估安聰釋本の綾―頁


① 古代、ネの国(ネ=北)は、サホコ(サホコチタル)から、イツモ(出雲)へと国の名前が変わります。

 幼少のハナキネ(後のソサノオ)は、親(イザナギ・イザナミ)から、ネの国サホコに行って自分が支配者であることを知らせなさい。と言われていたが、熊野(和歌山)に居たままであった。(6-30)


 ソサノオは、いろいろと不都合な経緯があり、乱れていました。 (経緯は省略)

その結果、高天(宮中)では、諸神による神議(かみばかり)が行われていました。

 たかまにはかり
そさのおの とがはちくらの みきだがれ かみぬきひとつ
つめもぬき まだとゝかねば ころすとき むかつひめより
さおしかに うけものゐのり よみかえす はなごのよもさ
つくのえは さがをあかせよ 

そさのおが しわざはしむの むしなれど さがなくつつが
なからんやわや

ことのりを もろがはかりて あめもとる おもきもしむの
なかはへり ましわりさると(7-40~43)


「そさのお」の罪状が言い渡され、罪状は千科もありました。三百六十科が死罪なのに、三倍も残忍な、三段死(みきだがれ)という惨い死刑を言い渡しました。刑が執行され、髪の毛は抜かれ、爪も剥ぎとられようと、まさに殺そうとしていた時です。

 死刑執行の最中に、「ムカツ姫」(中宮、セオリツ姫)の申し出が勅使より告げられました。
 「うけもの」(うけみたま)に祈ったので「はなこ」の御霊は無事天国へお送りしました。よって「はなこ」殺しの四百科は償われましたので、罪を白紙に戻すようお願いします。

「そさのお」の性格は生まれつきの遺伝です。ですから、罪の無い人を牢獄から出してやれないものでしょうか。

「ことのり」(情状酌量を願う減刑要請)を諸神が審議、天の理に背く重罪ではあるが、身内の好しみにより、罪を半減して、「まじわりさる」(追放刑)に決まりました。今で言う恩赦になります。


 その後、さすらお(流離雄・流浪)になり下がり、「ネの国」に潜んでいました。ある時、オロチ(本来の意味は別途)に狙われていた「イナダ姫」を救け「イナダ姫」と結ばれるが下民のままでした。
 
 この頃、「ネの国」は国が乱れ、ハタレ(機織れず・規則に従えない者・不法者)や益人供(諸悪の根源であった代官たち)が蔓延って、民を苦しめていました。

 「ネ」の国の乱れを糺し、鎮圧するために、イブキド主(天照神の弟・ツキヨミの息子)が派遣されてきます。イブキド主は流離雄になり下がっていたソサノオを見つけ、声をかけます。

そこで、ソサノオは自分の償いを歌にします。

あもにふる あがみのかさゆ しむのみき みちひはさまで
あらふるおそれ (9-19~20)

「あ」(天・宮中)から「も」(下)に落ちてしまいました。
「あが」(吾・我)は「みのかさ」(蓑笠姿)になってしまいました。
「しむ」(身内)の男女のもつれから間違いを犯してしまいました。
「みちひ」(三千日)もの間(はざま)、国を乱れさせたことを畏れ多くお詫びいたします。
 


 イブキド主は、身内同士のよりを戻して、忠義を尽くして、手柄を立てれば、天照神も心が晴れ、認めてくれると説得します。二人の力で不法者たちを鎮圧することができました。
「サダノ宮」(佐太神社)で「のり」(法典・規範)を定めました。(9-22~23)



たまふおしては
ひかはかみ はたれねをうつ いさおしや そこにもとゐを
ひらくべし 
 ふたゝびのぼる
あめはれて うやまいもふす

くしひより すがはにきつく みやのなも くしいなたなり

さほこくに かえていつもの くにはこれ(9-29~31)


天照神は「ソサノオ」に「ヒカワ神」の神名を賜いました。更に、「はたれ」の「ね」(根こそぎ)を討ち取った功績を称え、そこに本居(もとい、本拠)を開きなさい


 「ソサノオ」は、天下晴れて再び宮中に昇ることが許され、感謝の気持ちを敬い申し上げました。

 「くしひ」(霊妙なこと)があって、「すが」(清々しい、清浄である)「はに」(地)に築いた宮の名前を「クシイナダ」宮と名付けました。(現出雲大社・杵築大社)になります。

このとき、「さほこ国」の名前を「いつも国」に変えました。




② クシキネ(=オホナムチ)が誕生

みやならぬまに いなたひめ はらめはうたに

やくもたつ いつもやゑかき つまこめに やゑがきつくる
そのやゑかきを

うむこのいみな くしきねは ことにやさしく
おさむれは なかれをくめる もろがなも やしましのみの
おほなむち(9-32~35)

 
新しい宮(クシイナダ宮)が完成する前に「イナダ姫」は孕み(身籠り)喜びを歌にしました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごめ)に 八重垣造る その八重垣を

「イナダ姫」が生んだ実名「クシキネ」は、殊に(琴の音のように)に優しく、国民を治めましたので、「ながれ」(動き、物事の移り変わり、道理)を推し量る、思い遣ることのできる人であったので、諸人達は「ヤシマシノミ」(八洲一の紳士)の「オホナムチ」と称えました。


 きみくしぎねを ものぬしに たけこをつまと
おほなむちには くしひこを おゝものぬしの
かわりとて ことしろぬしと つかゑしめ
 おのはいつもに おしゆるに(9-36~45)

天照神は「クシキネ」を「ものぬし」(大物主)にとり立てました。
 「クシキネ」は称名「オホナムチ」と言い初代の大物主になります。(右大臣)

「クシキネ」は「タケコ」を妻にしました。
「タケコ」は天照神とコマス姫ハヤコの間に生まれた3姉妹の1人。

大物主であった「オホナムチ」は、自分に代わって子どもの「クシヒコ」を大物主にしました。そして、「コトシロ主」という名前を与え仕えさせました。

己(クシキネ・自ら)は、「いづも」に戻り、水田の作り方、川から水の引き方など稲作の方法を教えました。

③ オホナムチは稲作を教える

 ひふみむもやそ
ふたわらの ひもろげかぞえ たねふくろ つちはつちかふ
おんたから うゑたすかても くらにみつ

あめかせひでり みのらねと あたゝらくばり
うゑさせず(9-45~46)

お陰で豊作を迎えられ、十二万三千六百八十人もの民に、二俵づつ米俵を配ることが出来ました。
更に備蓄のために「たねふくろ」(籾米)も蔵に満ちていました。土は稲を培う(養う・育てる)お宝です。

雨、風、日照りで稲が充分に育たず不作のときには、民が飢えに苦しまないように「あたたら」(援助米)を配りました。

 すくなひこなは これといふ くしきねあつく
めくむのち ともにつとめて うつしくに

 やめるをいやし とりけもの ほおむしはらひ ふゆをなす

おほなむち ひとりめぐりて たみのかて けしゝゆるせは
こゑつのり みなはやかれや

そはほむし くしぎねはせて これをとふ 
したてるひめの おしえくさ ならいかえりて
おしくさに あふげはほおの むしさりて やはりわかやぎ
みのるゆえ

「オホナムチ」(クシキネ)が稲作を教え歩いているとき「スクナヒコナ」と出会い手厚く迎い入れました。
 一緒になって国中を教え歩き務めて、美しい国(豊かな国)になりました。

 薬草の栽培もし、病めるものを癒しました。鳥や獣が田畑を荒らすことを防ぎ、「ほおむし」(イナゴ)を払い、稲を稔らせて、民の糧を守り豊かにしました。

 「スクナヒコナ」が神あがりの後、「オホナムチ」は一人で全国を教え歩きました。

 国民が食べる食料について、獣肉(けしし・四足動物)を食べると栄養がつき過ぎて肥えて高じてしまい、皆、早枯れ(早死に)してしまいます。
お米を食べなさいと言っています。稲作の奨励をして、水田開拓をしています。

 「クシギネ」は穂虫払いを「下照姫」から習い、虫も飛び去り、再び稲も実を結んで若々しくなりました

病めるものを癒し、薬草の栽培などし、鳥や獣が田畑を荒らすことを防ぎ、「ほおむし」(イナゴ)を払(虫払い)って、稲を稔らせて民の糧を守り豊かにしました。


以降、次回投稿いたします。

高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)、12月10日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。
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