FC2ブログ

「大同類聚方」探索「病から古代を解く」

こんにちは
目次のページへ
途中で中断しております。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています



書感:
「大同類聚方」探索「病から古代を解く」 槇佐知子著 新泉社 1992/8 初版、2000/6改訂版発行(201703up)
病から古代を解く

「大同類聚方」とは、平安のはじめ、全国の神社や豪族などに伝わる医薬と処方を、勅命によって集大成された全100巻の日本最古の医学書だそうです。
明治(1912年)になり、偽書と断定され、歴史の闇に封印されてしまいました。
槇佐知子氏による「全訳精解大同類聚方」が1985年に平凡社より刊行され、その後1992年に普及版が全5巻(各巻5000円)で刊行されたがいずれも絶版になっています。
原本の内容の一部は国会図書館へのインターネットで確認できましたが、著者の解説本がないと原本の漢文を解読することは私には不可能でした。
そんな状況で図書館に本著者の関連した本の存在(保存庫)を知りました。本書は、「大同類聚方」から読み取った彼女の解読本の一つですが、おおよその内容から当時の様子が伺えます。

「漢方薬」という名称は広く知れ渡っていますが、古代日本において「和方薬」ともいうべき処方があったが、消し去られていたことを知りました。漢方から伝わったものという考えがあったように見受けられます。

なぜ、「大同類聚方」に、興味をもったかというと、ホツマツタヱの記述の中に、オオナムチ(大己貴命)とスクナヒコナ(少彦名命)が出会い、日本全国を巡り、薬草の記述が出てくる個所があります。
ホツマツタヱの記述には、ありとあらゆる分野の記述が織り込まれているので、専門分野や得意な分野の事であれば、おおよその解釈はできますが、それ以外のことについては思い込みで的外れの解釈をしてチンプンカンプンです。
全てを知り尽くしている人はいないと思います。そこで、解らないなりに解釈するために、先人者の解釈を良しとしてそのまま引用したりしています。100人いたら100通りの解釈があると言われるのも頷けます。

今回、本著者の解読書の中から、興味ある内容が伺えました。
病気の症状、草木や鉱物の薬効や薬名などの他に、多くの処方された人の名前などを読み解いていくと、新たな発見が見えてきます。
大陸から伝えられたものがあったにせよ、漢方とは違う日本古来のものがあったと解釈できるのではないかと思えます。
ホツマツタヱを解読するのに、この分野の記述を確かなものにすべき非常に貴重な本であると思いました。





多岐にわたるため、いくつかの記述のみ取り上げてみました。

1. 花鎮(はなしずめ)薬 
(花鎮祭) 桜の花が散るとき、疫病の気が四方に飛び散って流行すると考えた古代の人々が、これを鎮めるために、桜の花と桃の樹皮を用いた。
これは、大神(おおみわ)神社に伝わっている薬方で、ここの御祭神はオオナムチ(大己貴命)とスクナヒコナ(少彦名命)で、我が国の医業の鼻祖として広く知れ渡っている。

2. イザナギが亡くなったイザナミを追い求めて黄泉の国へ行ったくだりで霊薬が出ている。タケノコは渇きの病の薬、気力をつけ体内のすい液のめぐりをよくする食べ物だがたくさん食べることは禁じられている。ブドウやタケノコを死神の使いの黄泉醜女(よもつしこめ)が追うのを忘れて食べたという設定は、病勢が弱まった状態を示している。

3. 桃の実(桃子・とうし)は薬用と同時に呪術的な力があると考えられていた。
桃は中国原産と言われていますが、ホツマツタヱ24綾の記述の中に、ウケステメ(後のニシノハハ神・西王母)が2回来日して、ミネコシ(峰でも使える輿)を寄贈されたお礼に桃を土産に持たせています。これが国に帰ってから貴重なものとして広まったことが原産地になってしまったと思われます。

4. 硫黄を使った薬 酔い止め 精神安定剤 美肌薬などの効用と作り方などの記述。

5. 阿可利薬(アカリヤク)は、 身痛くて、ほてり、たわごとを言うものに用いる
 やまごぼう・葛根・朴皮・はじかみ・セッコク(ラン科)を配合する。

6. カザホロシヤミは、現在で言う、 風疹・ハシカやチフス、ツツガムシ、ジンマシンのように皮膚に発疹が出る病気、帯状疱疹を示していると思われる。
カハヤナギ(ネコヤナギ:解熱剤・下痢)・ツチタカラ(独活:解熱・鎮痛・発汗)・ハチスノミ・ヤマセリ・カラスクハヒ(滋養を与え虚寒の症状を正常に)の薬草を配合する。

古代の人が抱えていた病や、当時の薬草の名前やその処方の仕方から、当時の生活様式の一端が伺い知ることができました。

なお、著者は平安・鎌倉時代にかけての「医心方」全30巻の翻訳もされております。
「自然に医力あり」(スギ花粉症の治療法と杉の文化史・自然の癒し・医心方の世界・夏から秋にかけての健康法・古代人の健康法に学んで等々)や、「野菜の効用」(医心方4千年の知恵から)なども刊行している。 
以上

ジョンレノ・ホツマ

高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。初めての方は5~10分早めに来ていただければ幸いです。
参加費は500円(テキスト代込み)です。
スポンサーサイト



古代の朱 


こんにちは
目次のページへ
途中で中断しております。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています




書感 古代の朱 松田壽男著 筑摩書房  2005年1月発行(201502up)
古代の朱

著者は1903~82 東洋史家、独自の歴史地理学方法を駆逐した内陸アジア史、東西交渉史研究の第一人者であり、本書は1987年「松田壽男著作集」第6巻「人間と風土」からの抜粋とあります。

本書を数年前に読んだことがあり、その中で奈良の大仏を建立するとき、金と同時に水銀を必要としていたことを思い出ました。
金の原鉱石といっても混じり物が大半、その精錬に水銀が使われ、金アマルガム法で本体の銅にメッキされていたということです。
工程は水銀5に対し錬金(こながね)1の割合でアマルガムを作りこれを仏体の表面に塗る。その後で、炭火で水銀を蒸発させてしまうと、純金が銅の肌に食い込むように付着する。とあります。
大仏建立に、黄金があっても、もし水銀がなければ、金メッキが施された仏身はできなかったことになります。

みちのくの水銀文化についても触れられており、平泉地方は古代の水銀産地でもあった。古い陸奥の産金とも関連を持つ。金の原鉱石を破砕し、粉末にして水銀を加えれば、水銀は金だけを吸い取ってアマルガムという方法で黄金の精錬をしていた。

「みちのくの黄金文化」は水銀文化とも言えることを認識し、水銀が金と切っても切れない関係であったことを新たにしました。

砂金と朱砂とはそれぞれきれいな金色と赤色で、色合いの対比は見事なものになっている。
朱砂は辰砂(しんしゃ)とか丹砂(たんしゃ)とか書かれ、水銀と硫黄との化合物(HgS)であって、じつに美しい赤色をかもしだしている。元々は、朱は純粋な赤色。アカ色の総称のことである。
殷の甲骨文字で「朱」の字体は「牛」の真ん中に一本の横棒を加えた形、すなわち牛を胴切りにした形で、切った時に吹き出す血の色でアカという色を示している。

血田(ちだ)、血原などという「ち」と言う字のついた地名は水銀産地で、母岩がまっ赤に野を染めて朱砂が露頭していたところでもあった。以前はこの地名を人間が殺し合って血が流れた所と捉えていたのは間違いであったことに気が付きました。
その他にも、日本のあちこちに水銀の鉱山があったことを知り、ニウ・ニフ 丹生 壬生 仁宇などは、古代の朱(水銀鉱山)の産地であることも再確認いたしました。




古代のアカについて

原始日本人が使ったアカ色は二種類。
一は水銀系のアカ、硫化水銀(HgS) 純粋のアカ色
一は鉄系のアカ、酸化第二鉄(Fe2O3) 俗にベンガラといいやや黒ずんで紫色に近い

後(天平時代以降)に鉛系のアカ、四酸化鉛(Pb3O4) 一般に鉛丹(黄丹)
赤と黄色の中間色 俗にミカン色
この鉛丹が朱の代用品になってしまい、朱に対する日本人の感覚が変わってしまった。
朱と言えば黄色味の強い赤色、つまり鉛丹色とする観念はそこから出ている。

私自身、朱(朱色)と言えば黄色がかった赤だと思っていました。

さらに、水銀の原鉱石である朱砂の利用法として、鏡を明るくすること、すなわち、青銅鏡を朱砂で磨いて鏡面を光らせることに使われていたことも知りました。この用途からも非常に重要な金属であったことが窺えます。

本書は私のホツマツタヱの解読に目から鱗が落ちた一冊でした。
古代の朱 ホツマ解読 うろこ落ち

奈良の大仏に使った水銀も、江戸時代、伊勢白粉(おしろい)も伊勢の水銀を原料としていることから、昔から伊勢が水銀の産地であったことが理解できます。
本書により、水銀も金と同様重要な宝物(山の宝・やまた)であったことがわかり、謎とされていた邪馬台国の候補として伊勢が最後に浮かび上がってきました。

以上
ジョンレノ・ホツマ
高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。



「雷を呼ぶ男」とは 

ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは  24綾(20141213up)
こんにちは
目次のページへ
途中で中断しております。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています


ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは  24綾(20141213up)

ホツマツタヱの記述の中に、天孫ニニキネは天照神から「わけいかづち」の名前を賜いますが、「いかづち」(雷)を、「かぐつち」という火の神と「みずはめ」という水の神を生んだという解釈が定説のようです。

最初に解釈された方が「わけ」という言葉に「別」という漢字を当てはめたために、漢字の持つ明確な意味に限定されてしまったような気がします。賀茂別雷(かもわけいかづち)神社のように「別」と書いて「わけ」と呼ばれています。

昭和の時代になりますが、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」という映画がありました。天孫ニニキネのことを「わけいかづち」と崇められていた称え名を、今風に言えば「雷を呼ぶ男」と呼んでも相応しいのではないかと思うに至りました。

何故、雷(イカヅチ)の名前が天孫ニニキネにつけられたのか?
何故、人々は雷を必要としていたのか?
何故、雷のイナズマを稲妻という漢字で表現しているのか?
何故、神が鳴ると書かれるのか?
何故、雷という漢字は上が雨で下が田なのか?
という疑問がホツマツタヱを読んでいるうちに自然に解けてきました。

当時の人は当たり前に知っていたことが文明の発達とともに、雷の効用である自然の恵みに気が付かなくなって、現代人の多くの人は忘れ去っていることに気が付いたからです。

昔から、雷の多い年は、豊作だと言われてきましたが、最近では、自然農法はごく僅かで大半は化学肥料や有機肥料によって田畑は管理されているため、雷の及ぼす恩恵については忘れられた存在のように思います。
当時は農薬とか化学肥料を施さなかった自然農法であったからこそ、雷の効用を経験的に知っていたと思うからです。

雷についてインターネットで検索して見ると、雷のイナズマによって、空気中の8割を占めている窒素がイオン化され、それが地上にふりそそぎ、自然の窒素肥料が田畑に降り注ぐため、稲の発育になくてはならないものであったことが分かっています。
一回の落雷で5トンもの窒素肥料に相当するという試案もあるようです。カミナリ様様です。

ホツマツタヱの24綾の後半に



なるかみを わけてしつむる
かぐつちと みつはめをうむ
あをいばと かつらにいせの
みことのり あめはふりてり
まつたきは いかつちわけて
かみをうむ これとこたちの
さらのゐづ わけいかつちの
あまきみと をしてたまわる


とあります。

私の解釈は、「はら親王(天孫ニニキネ)」に、鳴る神(雷)を発生させて(沸けて・沸き上げて)、田畑が乾ききっているのを鎮めて下さい。そして、「かぐつち」(香しく肥やされた土の神)と「みつはめ」(満面と蓄える水の神)を生んでくださいと乞いているように捉えました。

雷(稲妻)によって生まれた「かぐつち」とは、田んぼの土を香しく肥し、稲に刺激を与え生き返らせて瑞穂を香しくすることを言っています。
痩せた土から窒素肥料を一杯含んだ肥えた土に湧き上がらせたことが分かります。

「みずはめ」とは、日照りによって稲穂が枯れかかったときに雷雨によって、満面と蓄えた水を田んぼに填め込むようなイメージが浮かびます。

天からの陽ざしが照りすぎるとき、日照りで困っているときには、滝のような雨を待っていたからです。雷雲とともに雷(稲妻と雷雨)が沸き上がる神が生まれるようにと願います。雨降って、地固まるのとおり、イナヅマ(稲の妻)で土が肥え、雷雨で水が満面と蓄えられること願っていたことが分かります。

「わけいかづち」の「わけ」を漢字で表せば、「沸け・湧け」つまり、雷よ、沸き上がって(湧き上がって)ください!雷を呼んでください!と解釈できると思います。

天孫ニニキネを「雷を呼ぶ男」と崇めたと言うには、切っても切れない雷との繋がりがあったからです。

この背景には21綾に、天孫ニニキネが筑波の新治の宮でわだまし(新築祝い)をしているときに、突然雷雲が掻き曇り、雷が激しく轟き、垣(掻)破りって、このまつりごとを台無しにしてしまった経緯があります。
それ以来、いつも雷と隣り合わせにいる人、雷男と呼ばれていたと考えられるからです。その後、各地で実地に水田開発をしながら、水不足や発育不良を経験しながら雷の有難さを実感されていったものと考えます。

今でも、雨男という言葉があります。毎月のホツマツタヱ勉強会の日はいつも雨です。一体誰がと思う程です。 
           ジョンレノ・ホツマ



高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回9月10日(火)
10月10日(木)
11月12日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。初めての方は5~10分早めに来ていただければ幸いです。
参加費は500円(テキスト代込み)です。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

3つの雲  

3つの雲                 
2010.9.9
ジョンレノ・ホツマ

今日は9月9日、古代5節句の菊栗の節句の日です。やっと暑さから解放されほっとしています。

さて、3つの全く違ったジャンルでの「くも」(雲・クラウド)という言葉が「キーワード」として、突如自分の前に現われました。
全く次元も内容も関係ないのに、偶然「雲」にとりつかれたかのようでした。1つは今カタカナで世間を賑わせているので皆さんもご存じだと思います。

後の二つはほとんどの方がまだご存じでないことだと思います。
そして、展開によっては世間を騒がせるものになる可能性が出てきます。
どちらが先に公に認知されるか、利害関係が存在する以上、その権力者が権力を維持している間は難しいとは思いますが、首を長くして見守っています。

一つ目の「雲」
インターネット新時代とも言える、コンピュータ世界の中で、一気に開花し始めたように見える「クラウド・コンピュータ」のことです。
昨年10月にパソコンが動かなくなり、買い換えたときいろいろ調べ、この流れがあることは分かっていたが、この時点では時期尚早と思っていました。

これは、世間で話題になっているので、専門外の私が説明することもないと思いますが、まさに「雲の上のネットワーク・コンピュータ」と言ったところでしょうか。
どこにあるか分からなくとも、雲の上の大容量のコンピュータに簡単に接続できるようになると、端末である自分のコンピュータは格安の最小限の容量のもので全てまかなえるようになるという流れです。
電子書籍として売り出された「iPad」や「キンドル」といったものがまさにこれです。今後急速な展開が予想されるとのことだそうですが、今後の展開に振り回されないよう、自分のスタンスというか基準軸をしっかり持っている必要があるなと感じています。


二つ目の「雲」
今、地球温暖化で賑わせている温室効果について、いろいろな分野からの調査報告を詳しく調べ上げた結果、炭酸ガスが主要因ではないことが明らかになってきています。この「雲」が最終的に影響していることが分かってきたことです。

日本では炭酸ガス排出を減らす「エコ商品」なるものが一人歩きしていますが、本当の事を知らされ、いきなり梯子を外されたらどうなるだろうと考えてしまいます。

都合のよい一部のデータのみが取り上げられ、いつの間にか、炭酸ガス温暖化説が絶対視されてしまい、政治的に取り上げられてしまったため、後へ引けなくなっています。
私が学生であった頃、まだ先進国、後進国という言葉が使われていたときですが、先進国がわが身を守るため、工業化を目指す後進国が追い上げてくるのを何とか阻止、ブレーキをかけるため、負担を強いるのに炭酸ガス排出規制ほど要求に合うものはなかったからであると聞いた記憶があります。

今後、どういう動きを見せていくのか興味あるところです。

かって、限られた都合のよいデータから炭酸ガス説が誕生し認可されてしまった。
しかし、そんな単純なものではなく、最新のコンピュータと調査によって刻々と変化する雲の面積と気候の関連がより明確にできるようになった。そして、この雲の面積と気温が明らかに一致していることが分かってきたからです。雲は刻々と動き変化するため今まではコンピュータで正確に読み取ることが出来ていなかったことも知りました。

さらに、その雲をつくるきっかけになるのがミューオンと呼ばれる電子ということも突き止められました。その中でCLOUDという実験をされて、本質を見極めたと私には思えます。(Cosmics Leaving Outdoor Dropletes:雲が形成し始める時の機構の実験名)
2次宇宙線の98%を占め、地球気候の変動に最も影響を及ぼす宇宙線で、寒冷化させる低い雲の形成に影響を及ぼすそうです。
このミューオンの40%が太陽の磁気活動の変動により変化するということまで突き止められ、地球の気候変動には、太陽活動の変動が影響しているという。

中学か高校の頃、太陽の黒点活動が地球の気候に影響を及ぼしているということを習ったような気がします。まさに、現在太陽の活動が影響を与えていることをしり納得しました。

詳しくは「不機嫌な太陽:気候変動のもう一つのシナリオ、H.スベンマルク/N.コールダー著 桜井邦明監修 青山洋訳 恒星社厚生閣発行 2010年3月発行 原題:The Chilling Stars: A New Theory of Climate Change」を参照願えたらと思います。
著者のH.スベンマルクはデンマークの国立宇宙センターの太陽・気候研究センター所長で、N.コールダーはサイエンスライターです。
本著は、地球の気候変動の原因について、いろいろな分野からの調査報告を実に詳しく調べ上げ、丁寧に述べています。研究を通じて得られた事実に基づいて、主観や感情を一切交えず「事実に語らしめよ」という姿勢に、多少難解でしたが、読んで心地良さを感じた一冊でした。
なお、最近、この種の本が出版されているようですがまだ読んでおりません。


3つ目の「雲」

は、八雲立つ 出雲の・・・・に出ている「雲」です。

「ほつまつたえ」の記述のなかに、この「やくもたつ ・・・・」で始まる歌の所を読んでいて、これは漢字が渡来した時、「八雲」という漢字を当てはめてしまったために、元の意味はもっと別にあったという気になりました。
他の記述からも、当時、既にたたら製鉄は行なわれていたことが十分考えられることから、この「やくも」は「たたら製鉄」のときに、焼いている煙が、もくもくと立ち登っているさまを表現していると理解しました。
藻草、すなわち炭と砂鉄が混ざり合ったものを焼くことを言っていると考えます。その時の煙がもくもくと立っていることを表現したものだと思います。
既に製鉄方法も確立していて、鉄とは言わなかったが、当時も「鉄は国家なり」で、製鉄所の煙(雲)は、まさに国の誉(ほまれ)であったことが納得できます。

出雲の国の誉の掛け言葉にぴったりであったと思います。「出雲」の漢字化はまさに「雲」が「出る」所ということを的確に示していると思います。どなたか、先人の方が既に述べておられるかも知れませんが、私の眼には触れなかったので紹介したいと思いました。

「ほつまつたえ」の記述からだけでは此処までたどり着けませんでしたが、紀元前2000年には中東のヒッタイトで製鉄がなされていたことが判明していることや、古代製鉄に関して、江戸時代にまとめられた「鉄山必要記事」や、柴田弘武氏、吉野裕氏、山内登喜夫氏らの著書から併せもって読んでいくと、疑いもなく、既に国内でたたら製鉄が行なわれていたと考えられます。

更に、たたら製鉄が行なわれていたことを前提に
「ほつまつたえ」を読み直してみると、いろいろな事実関係が浮かび上がってきます。
例えば、箸塚古墳が卑弥呼か?などと言われていますが、なぜ箸塚なのか、なぜ「ももそ姫」は御陰を箸で突いて自害したかなどの真相も明らかになります。
追って整理して、「ほつまつたえ」にある製鉄関係を見てみたいと思っています。

いつの事になるのか?「ほつまつたえ」が公に認められるようになるには!
以上

箱根の語源 その2 箱の意味 

ホツマ・エッセイ 箱根の語源 その2 箱の意味 6綾(201501up)


前回、箱根の語源となった箱根神について述べさせていただきましたが、もう一つの重大な背景を忘れていることに気が付きました。

箱根神となられた「オシホミミ・オシホミ命」(天忍穂耳尊)は生まれながらにして、身体が弱く・・・と、あり、外へはあまり出ず、常に部屋の中に居られたから、その思いから自分は箱の中の根っことなって、二人の子供・皇子を下から支えているから、大きく育って羽ばたいてくれという願望だと考えていました。

しかし、生まれた背景、日嗣皇子になられた経緯を見直すと、底知れぬ陰湿な陰謀・恨みから、命を狙われている危険があったことに気が付いたからです。

ホツマツタヱ6綾から、天照神の子供は五男三女で、生まれた順番は
1.長男「ホヒノ命・タナヒト」(マス姫・モチコの子)
2.長女「タケコ・オキツシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.次女「タキコ・エツノシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.三女「タナコ・イチキシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
3.次男「オシホミ命・オシヒト」(サクナタリ・セオリツホノコの子)
4.三男「タダギネ・アマツヒコネ」(ハヤアキツアキコの子)
5.四男「バラギネ・イキツヒコネ」(オオミヤミチコの子)
6.五男「ヌカタダ・クマノクズヒ」(トヨ姫の子)

となり、本来は「マスヒメ・モチコ」が生んだ「アメノホヒ・タナヒト」が日嗣皇子であったわけです。

しかし、その後中宮に入られた「サクナダリ・セオリツ姫・ホノコ」(通称ムカツ姫)が、「オシホミ命・オシヒト」という男の子を生みます。天照神の2番目の皇子になります。この2番目に生まれた「オシホミ命」が今で言う皇位継承の皇子になったわけです。

「タナヒト」が皇位継承者として、皇子を生んだ母親も、母親の出身地の豪族たちも喜んでいたわけですが、突然、皇位継承を棚上げされてしまったわけです。この仕打ちに恨みを持つようになり、後に「おろち」と化(か)する発端がここにあったと思われます。

ホツマツタヱ12綾に「オシホミミ」のご成婚の記述があり、天児(あまがつ)といって、災難が降りかからないように身代わりになってくれる人形のことがでてきます。
以前、此処だけを単独で読んだ時には気が付かなかったのですが、妬みを持った何者かに命を狙われていた形跡があったからです。出かけるときは身代わりの人形を用意し、廻りをガードされていたことが窺えます。
この、命を狙っていた背景については記されていませんが、前後関係から自ずとわかり、「オシホミ命」本人から見れば自由度がなく常に箱の中に閉じ込められていた心境であったと思われます。

よって、この「オシホミ命」は常に箱の中で生活されてきたし、死後も箱の中に留まってという意味合いであったように理解いたしました。

本来であれば、自分が亡くなる前に、次の日嗣皇子を決めなければならなかったのに、どちらとも決めず、二人に仲良くやれと託したのは、自分のように狙われないように、危険分散して、自由に生きて欲しいという願いが強かったからだと思いました。
プロフィール

jhonreno

Author:jhonreno
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード