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38-8~13景行天皇 美濃に行き八坂入姫をお妃に

5. 景行天皇 美濃に行き八坂入姫をお妃に(38-8~13)

よほ。きさら。もち(38-8)
みのにゆく とみらもふさく
よきめあり(38-9)


纒向の日代四年の二月十五日に景行天皇は、大臣たちが良い娘がいますというのを聞いて、美濃に行きました。

 やさか。たかより(38-9)
こゝな。きり うゑて。たのしむ
こゝりみや


菊桐(ここり)の宮では、八坂高頼が菊の花と桐を植えて楽しんでいました。

 かれ。これゑんと(38-9)
みゆきして みのたかぎたの
たかよりの こゝりのみやに(38-10)
かりいます


しかるが故に、この娘を得ようと御幸して美濃の高北の高頼の菊桐(ここり)の宮に仮住まいすることにしました。


 いけすのそめば(38-10)
さしのぞく おとひめとめて
きみめしつ ひめ。おもえらく
いせのみち かよえるのりも(38-11)
つや。ならず きみに。もふさく 
やつかれは とつぎ。このまず


(とつぎのぞまず:小笠原写本
みあらかに めすも。よからず


景行天皇が生け簀(いけす)を覗いていたら、向こう側からも覗いている弟の姫(二人の姫がいて妹の方)と目が合いました。
君(景行天皇)はこちらにいらっしゃいとお誘いしたら、この姫は深く考えて断りました。
自分は男女(いせ)の道(エッチする)には魅力(つや)がありません。君(天皇)に申し上げます。自分は皇后に成ることは望みません。宮中に召し上がることも好みません。


あねがなお やさかいりひめ(38-12)
すがたよく きさいのみやに
めさるとも みさほならんか


その代わり、姉を推薦します。姉は八坂入姫といいます。姿、器量良く妃の宮(きさい)に召されても操を立てて良き妃になるでしょう。

きみゆるし あねひめをめす(38-12)
ねしも。はひ まきむきひしろ(38-13)
にいみやに かえりいります


君(景行天皇)は承諾して姉姫をお妃に召されました。十一月(ねし)一日に纒向の日代に帰ってこられ、新築した宮にお入りになりました。

二月中旬に美濃に行って、十一月初めに帰ってきたということなので、八ヵ月半の間、美濃で仮住まいしていたことになります。


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続く
ジョンレノホツマ
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(38-6~8)即位三年目 紀州への御幸取りやめる

即位三年目 紀州への御幸取りやめ

別のはなしになります。

みほのはる きさらぎはつひ(38-6)
きのくにゝ かみまつらんと
うらなえは ゆくはよからす(38-7)
みゆきやめ


纒向の日代三年(みほ)の春、二月初めに紀州に神を祭ろうと占ったところ、行くことは凶と出たので御幸はやめました。

 おしまことのこ(38-7)
うましたけ ゐこゝろ。やりて
まつらしむ あび。かしはらに
ことせすむ(38-8)


そのかわり、忍信人王の子の「うましたけ」の「いごころ」を遣わして祭らせました。そして、天の日の柏原(大阪府柏原市)に九年間住みました。

4. 「たけうち」についての記載がここに記載されています


 きのうぢまろが(38-8)
やまとかげ めとりてうむこ
たけうちぞ 


その「うましたけ」の「いごころ」が柏原で、紀の国の「うぢまろ」の娘の「やまとかげ姫」を娶って産んだ子が武内(武内宿禰是)です。(うぢ=うち、武内:たけうぢ)

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ジョンレノホツマ

38-3~6「おいらつ姫」が双子を生む

即位二年目 「おいらつ姫」が双子を生む(38-3~6) 
 ヤマトタケルの誕生です


ふほ。やよい きびつひこがめ(38-3)
たつ。きさき はりまのいなひ(38-4)
おいらつめ うちめのときに
こぞうづき はらみてうまず


即位二年目(纒向の日代二年)三月に吉備津彦(岡山県出身)の娘を妃(中宮)にたてました。名前は播磨の稲日(いなひ)おいらつ姫と言い、昨年(こぞ)の四月、「うちめ」の時に孕みましたが生まれませんでした。想像妊娠であったと思われます。
「うちめ」とはお妃の位付けで「すけ」妃(中宮)に次いで2番目の位です。


ふそひつき へて。しわす。もち(38-4)
うすはたに もちはな。なして(38-5)
ふたごうむ


そのおいらつ姫が、二十一(ふそひ)ヶ月経て、師走12月のもち(15日のこと、小正月)の時に、臼で餅を作っていたときのことです。臼のそばで餅花を作っていたとき、突然産気づいて双子を生みました。

 ゑのな。もちひと(38-5) 
おうすみこ とのな。はなひこ
こうすみこ ともにいさみて
ひとなりは みのたけ。ひとせ(38-6)
ゑはよわく とは。ふそちから


生まれてきた、兄貴(ゑ)の名は「もちひと」、「おうす皇子」とつけました。
弟(と)の名は、「はなひこ」、「こうす皇子」とつけました。
二人とも元気で身長は一丈にもなりました。
兄は軟弱でしたが、弟は二十人力でした。

餅花(もちはな)まつりの時に生まれたから、兄の方には「もち」をとり、弟の方には「はな」をとり、そして、兄の方には「もちひと」という「ひと」がつき、弟の方には「はなひこ」という「ひこ」が付いている。
「ひと」は「ひ」(一)から「と」(十)まで全て具わった完全な人を意味し、「ひこ」は「ひ」(一)から「こ」(九)までで少し位を下げている。

また、餅つきの臼のそばで産気づいたから「うす」の頭に「お」(大)をつけて「おうす」、「こうす」は「こ」「小」をつけた。いたって簡単明瞭な名付け方であったことが分かります。

この弟の「こうす皇子」が後のヤマトタケルになります。

乞う、次回


ps:本文後の(38-xx)はホツマツタヱの38綾(章)のページ番号です。

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ジョンレノホツマ

38-1~3「おしろわけ」すべらぎに

「おしろわけ」 すべらぎに即位
 後世の景行天皇という諡号(おくりな)(
38-1~3)


ときあすゞ なもやそやほの(38-1) 
ふつぎそひ あまつひつぎを 
うけつぎて いむな。たりひこ 
おしろわけ あめすべらぎの(38-2) 
としやそひ 


神武天皇の即位からの時はあすず暦の七百八十八年の七月(ふつぎ=文月の略)十一日に立太子になられる儀式を引き継ぎました。実名(いむな)が「たりひこ」おしろわけ(景行)天皇(すべらぎ)の年は八十一歳でした。

ここで即位した時の年令が八十一というのは正確には誰も分からなくて何かを誇張したのではないか?と推測しています。
例えば、景行天皇の子供が総勢八十一人だったから同じ語呂合わせで八十一歳と記載したか?
編纂時に歳と子供の数の写し違いをしたまま気が付かなかったのか?

後述の箇所から長寿が実際にあり得たかも知れない内容もあり、一方では、当時の年の数え方は新年が二回あったと考えると、実年令は1/2で納得できます。
この年の件については、ひとまず記述どおりとして、先に進みたい。将来、ほつま暦で書かれている所を解析して行けば何かヒントがでてくることを期待して・・・・。


みぐさ。たからの(38-2)
あまおしか やとよのみはた
たかみくら いと。おごそかに
あまつかみ むべ。くだります(38-3)


三種(みぐさ)の神器を授ける天の使いの方から八色(やとよ)の旗を受け取り、高見倉に御立ちになり、大変厳かに即位の礼がとり行われました。神に認めてもらう儀式です。天と地との儀式で天神は下って来られました。

みかざりを たみにおがませ(38-3)
わかみやの はつこよみなる


その後、神に認めてもらった御飾りを一般民衆に拝ませました。そして、暦が改まり、新たにすべらぎ(天皇)になられた日代の宮おしろわけ元年になりました。
 
新しくすべらぎ(天皇)になられた「おしろわけたりひこ」は後世になって漢字が渡来して、景行天皇という諡号(おくりな)がつけられました。現在の一般的な呼び名になっていますので、現代訳には景行天皇と表します。


乞う、次回

ps:本文後の(38-xx)はホツマツタヱの38綾(章)のページ番号です。

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