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37-25~26 闘鶏を見ていて「かまはだ」が絶世の美人と知る

11. 闘鶏を見ていて「かまはだ」が絶世の美人と知る(37-25~26)

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かもつみが にひとのまえに(37-25)
とりけあふ きみたのしめば


「かもづみ」(「おおたたねこ」の孫の「くらもの」)が、あたらしい殿(新殿)の前で闘鶏をやっていました。それを見て、きみ(垂仁天皇)は楽しみました。

わらんべが いろよきとりを(37-26)
ほめいわく いよかまはだよ
きみとけず まてにとふいま(37-26)
わらんべが かまはだはなに


そのとき、子供たちが、美しい鳥を褒めて
「いよーっ!かまはだよーっ!」と、声をかけました。
しかし、きみ(垂仁天皇)は、何のことだかわからず、両側にいた臣たちに問いました。今、子供が言った「かまはだ」って、何のことを言っているのだろう。

いわくこれ はやりうたなり(37-27)
おほくにが むすめかまはだ
うつくしく あめにかゝやく
かれなづく


答えていわく、今の流行語(はやりうた)です。「おおくに」の娘の「かまはだ」が大変美しく、天に届くほど知れ渡っている絶世の美人だと聞いて、うなずきました。


「かまはだ」考
「釜膚」という言葉が、茶の湯の釜の文様について、山内登喜夫著 「和鋼風土記」に出ています。どこかで繋がっているように思えます。茶の湯の釜は、もっと後世になってからなので直接の関連はないかも知れませんが、釜膚が美しいものという意味合いがあるように思えます。
人間国宝長野垤志氏の茶の湯釜を見るとまさに茶褐色に輝いた表面の釜膚はこの鶏の鮮やかな茶褐色に見えてくるから不思議です。


ジョンレノ・ホツマ
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37-23~25 垂仁天皇は「みおや神」と「わけいかづちの神」に「みてぐら」を納める

10. 垂仁天皇は「みおや神」と「わけいかづちの神」に「みてぐら」を納める(37-23~25)

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やよひはひ やそともそろえ(37-23)
みやこでゝ たまみづやどり(37-24)


たまき宮三十四年三月一日、垂仁天皇は八十神を引き連れて、都(たまき宮)を出て、「たまみづ」に一泊しました。「たまみづ」は「たまはべとべ」祀る神社、奈良街道にある。

ふかかあひ みてくらおさむ(37-24)
みおやかみ


二日目、河合(高瀬川と賀茂川が合流する所)で、「みおや神」に「みてくら」を納めました。

 やましろふちが(37-24)
みあえなす


次に、「やましろふち」が歓迎の宴会(みあえ)をしました。

 みかきぶねより(37-24)
かもにゆき わけいかつちの(37-25)
おほかみに みてぐらおさめ


三日、貴船から上賀茂に行き、「わけいかつち」の大御神(天孫ニニキネ)に「みてぐら」を納めました。

ジョンレノ・ホツマ

37-22~23「みおや神」と「わけいかづちの神」の「わだまし」を「おおたたねこ」が勅使(さおしか)に

9. 「みおや神」と「わけいかづちの神」の「わだまし」を
「おおたたねこ」が勅使(さおしか)に(37-22~23)


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ねつきもち みおやわたまし(37-22)
あすそむか わけいかつちの
みやうつし おゝたゝねこを
さおしかの にぎておさむる


たまき宮三十三年十一月十五日、下賀茂神社で「みおや神」の渡御(わたまし:建て替え工事のため神様の御霊を仮屋へお移しする)がありました。
明くる十六日には、上賀茂神社の「わけいかづちの神」の渡御(宮を移す)しました。
「おおたたねこ」を天皇の勅使(さおしか)として、神祭りのにぎてを納めました。

つぎのとし かもにみゆきの(37-23)
みちつくり さらにうちはし
つくりきの きづはかりはし


翌年の三十四年、垂仁天皇が賀茂に御幸されるための道を作りました。そして、新しく宇治橋を作り、木の集積所であった木津には仮橋を架けました。

ジョンレノ・ホツマ

37-21 「おおたたねこ」の孫を賀茂宮の「いわい主」に


8. 「おおたたねこ」の孫を賀茂宮の「いわい主」に(37-21)

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 きみきこしめし(37-21)
たゝねこが まこくらまろを
いわいぬし なもおゝかもと
かもやしろ さらにつくらせ


君(垂仁天皇)は、それを聞きて、「おおたたねこ」の孫の「くらまろ」を「いわい主」(神だけを祀る専任の神職)にして、名前を「おおかも」と賜いました。そして、賀茂の社に向かい、さらに(新しく、改めて)修復させました。

ジョンレノ・ホツマ

37-19~21 天皇に賀茂の宮が荒れていることを報告

7. 天皇に賀茂の宮が荒れていることを報告(37-19~21)

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たゝねこが かえりもふさく(37-19)
(たゝねこは しるしさゝげて)
小笠原写本

「おおたたねこ」が「たまき宮」に帰って天皇に申し上げました。

かものみや あるゝをふして(37-20)
おもみれば かもといせとは
みおやなり


賀茂の宮に行って見たところ、大変荒れていました。心を伏して(神を崇めて謙虚に)重んじて考えて見ると、賀茂と伊勢とは「みおや」神であります。

 すでにやぶれて(37-20)
いづほそし まもりほそきは
おとろひか(37-21)


しかし、賀茂の宮は既に壊れていて、神の意向(いづ)が細くなっているので、神を守ること、尊ぶ心が細くなり、今の天皇の御世が衰えるのではないかと憂います。(国が乱れることを憂いたので、神の重さを再認識させました。)

ジョンレノ・ホツマ

37-17~19 「たたねこ」は貴船神社・上賀茂神社へ行く


6. 「たたねこ」は貴船神社・上賀茂神社へ行く(37-17~19)

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ゆくきぶね(37-17)

その後、「おおたたねこ」は貴船に向かいました。

 たゝねこがうた(37-17)

あわうみの あづみのかみと
すみのゑも ともにきぶねの
(37-18)
まもりかみかな

そして、貴船神社の尊厳を称えて歌を詠みました。

「あわうみの」近江の「あづみのかみと」安曇の神と「すみのえも」住吉の神も「ともにきぶねの」共に貴船の神の「まもりかみかな」守り神です。と歌を奉納しました。

かもにゆき わけいかつちの(37-18)
かみもまた にぎてとわかと


その後、上賀茂神社へ行き、「わけいかづち」の神にも、「にぎて」と歌を奉納しました。
「わけいかづち」の神:天孫ニニキネが天照大神から賜った神の名前、あちこちに水田用の池を作り、雷(いかづち)を水と光に別けた事によります。


ひとくさを わけいかつちの(37-19)
まもるゆえ みよはおさまる
かものかんかぜ


国民(ひとくさ)を「わけいかづち」の神が守っているので、今の天皇の代(みよ)は平和に治まっています。上賀茂神社(かも)の神風(意向)のお陰です。

ジョンレノ・ホツマ

37-12~17「たたねこ」が「さらず」に娘の嫁ぎ相手の相談を受け下賀茂神社へ

5. 「たたねこ」が「さらず」に娘の嫁ぎ相手の相談を受け、下賀茂神社へ(37-12~17)
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みそみとし みわのたゝねこ(37-12)
やましろが たちにいたれば
さらずとふ むすめひとりを(37-13)
みやにこふ たれにやりても
ふはうらむ これさしたまえ


たまき宮三十三年、「三輪のおおたたねこ」(このホツマツタヱの人の部の著者)が、「やましろのたち」に行ったとき、「おおくにのさらず」(兄)がこう問いました。
(弟は「やましろきち」といいます。)
私に一人娘がいるが、宮に来て欲しい(嫁に欲しい)と豪族(三人)から言われている。三人の内の誰に娘をやっても、あとの二人は恨みますので、如何したら良いか指図して(決めて)くださいと「おおたたねこ」に相談しました

こたえいふ あすかもかみの(37-13)
みまえにて これさだめんと(37-14)
ともにゆく


「おおたたねこ」が答えて言うには、明日、下賀茂神社に行くので、下賀茂神社の神前で決めましょうと言って、一緒に行きました。


 みおやのかみに(37-14)
にぎてなし たてまつるわか


「おおたたねこ」は「みおやの神」(先祖神:宇宙神:下賀茂神社の御祭神)に、にぎてを成しました。そして、歌を奉りました。

あめつちの みよのさかえを
いわはるゝ めおのみおやの(37-15)
かみぞたふとき


「あめつちの」天地の「みよのさかえ」天皇の御世のご時世が栄えるよう「いわはるる」祝い(けがれをとる)平和が来るように「めおのみおやのかみぞ」雌雄の先祖神・宇宙神の神は「たふとき」尊いものです。と神を称えました。

「めおのみおや」は「たまより姫(後に神武天皇を生む」と「うがやふきあわせず」の二神を示しています。

ときにかみ つげのみうたに(37-15)

そうしたら、神から歌で返事がありました。

よのなかに ものをもふひとの
ありといふは われをたのまぬ(37-16)

ひとにぞありける

世の中に、物思う人がいるのは、「われをたのまぬ」その人は自分を信じることが出来ない(可哀想な)「ひとぞありける」人であろう。

(この歌は、娘を誰に嫁がせるか迷っている、「おおくにのさらず」の相談の答えになっています。)

かみうたを きゝてたゝねこ(37-16)
いわくこれ まよふゆえなり
いまよりぞ もゝかもふでゝ(37-17)
きたりませ われはからんと


神のこの返しの歌を聞いて、「おおたたねこ」が、心の迷いがあるからであると言いました。
今日から、100日の行をして、迷いを払ってから来なさい。そうすれば、決めてあげます。と、「おおたたねこ」が「おおくにのさらず」に申しました。

でも、この結果は垂仁天皇のお妃になってしまいます。三人の豪族にとっては、トンビに油揚げをさらわれたよう!

ジョンレノ・ホツマ

37-7~12 ひはず姫の葬儀-「はにわ」の始まり

4. ひはず姫の葬儀-「はにわ」の始まり(37-7~12)

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 みそふほふづき(37-7)
むかまつる きさきひはづの
みをくりは もろとみめして
みことのり(37-8


たまき宮三十二年七月六日、中宮の「ひはず姫」がお亡くなりになりました。(「たにはみちうち」の五人娘の長女)
葬儀(見送り)について、諸臣を集めて詔を申されました。

 さきのをひかれ(37-8)
よからねば このおこなひは
いかにせん


今までの追い枯れ(殉死すること)は良くないことなので、今度の葬儀は殉死に代えてどのようにしようかと相談されました。

 のみのすくねが(37-8)
もふさくは いけるをうづむ
ためしとは あにゐからんや(37-9)


「のみのすくね」が申し上げるには、生きたまま埋めるという「ためし」(お手本・見本・試すこと・前例に従うこと)は絶対にやめましょう。

はからんと いつものはしべ(37-9)
もゝねして はにでこおよび
くさくさの かたちつくりて
たてまつる(37-9)


考えて(図らん)見ましょうと言って、出雲の土師部(はしべ)多数に、埴でこ(土人形)及びいろいろ(くさぐさ)な形のもの(馬・舟・建物など)を作ってお納めしました。(奉りました)

 いまよりのちは(37-10)
はしものを いけるにかえて
みさゝきに うえてためしと
なすべしや


今後は、「はしもの」(土で作ったもの・「は」は「はに」、埴)を、生きた人間に代えて陵に「はにわ」を植えて(建てて)納めることを今後の「ためし」(お手本)にいたします。

 きみよろこびて(37-10)
みことのり なんじがはかり(37-11)
わがこゝろ よしとはにわの
たてものを のちのためしと
さたまりて


君(垂仁天皇)は大層喜ばれ、詔をいたしました。
汝(のみのすくね)が計画したものは、私の思う心と同じで(良しと決定する)あるので、今後は「はにわ」で作った建物(殉死に置き換わる造形)を後世へのお手本にするよう定めまることとする。

 のみのすくねを(37-11)
あつくほめ かたしところを(37-12)
たまわりて はしのつかさぞ


「のみのすくね」を大変誉めて、「かたしところ」という称号を賜りました。そして、土師部(はしべ)という役職(司:司る)に出世しました。

「かたしどころ」の解釈について、
一つは「かたづける場所」「かたす所」から推測して作業場のある土地を示しており、良い土の取れる土地を賜ったと考えられます。
もう一つの解釈としては、「のみのすくね」がすもうをしたことより、勝負のかたをつける場所、(後世の土俵につながる)であったのではないかと思われます。

垂仁天皇の代のときに、「はにわ」が始まった理由や経緯がこの記述でよくわかります。

ジョンレノ・ホツマ

37-5~7 垂仁天皇は二人の皇子に望みを聞く

3. 垂仁天皇は二人の皇子に望みを聞く(37-5~7

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 みそほはつむか(37-5)
みことのり みこゐそぎねと
たりひこと のそむところを
もふすべし(37-6)


たまき宮三十年一月六日に垂仁天皇の詔がありました。
皇子の「いそぎね(兄)」(にしきいりひこ)と「たりひこ(弟)」(やまとおしろわけ:後の景行天皇)に何が望みか皇子の「いそぎね(兄)」(にしきいりひこ)に何が望みか申し述べなさいとおっしゃいました。

 ゐそぎねいわく(37-6)
ゆみやゑん たりひこいわく
くらいゑん


兄の「いそぎね」は弓が欲しいと言いました。
弟の「たりひこ」は位が欲しいと言いました。

 きみふたみこの(37-6)
のぞむまゝ ゆみやたまわる
あにのみや おとはくらいを(37-7)
つぐべしと


君(垂仁天皇)は、二人の皇子の望みを聞いて、その望みどおり叶えて差し上げました。
兄の宮(いそぎね)には、弓矢を賜りました。そして、弟の「たりひこ」には位(天皇の位)を継ぐようにと申されました。

ジョンレノ・ホツマ

37-2~5 垂仁天皇の兄の死で、殉死(追い枯れ)を廃止

2. 垂仁天皇の兄の死で、殉死(追い枯れ)を廃止(37-2~5)

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 ふそやほかんな(37-2)
ゐかまかる あにやまとひこ(37-3)
ねつきふか おもむろおくる
つきさかに


たまき宮28年十月(かんな:神々が並びいる月)五日、垂仁天皇の兄の「やまとひこ」が亡くなられました。(「やまとひこ」は崇神(すじん)天皇と「めくうし姫」との間に生まれた皇子。)
十一月二日に葬儀(おもむろ:死体を送る)が行なわれました。「つきさか」(地名:柏原の北側)に埋葬されました。
死体を1ヶ月近く風化させてから埋葬したことがわかります。

 はべるひとらを(37-3)
いきながら うづめばさけび
ついにかる いぬとりはむを(37-4)
きこしめし あわれにおぼす


天皇を埋葬する時、「はべる」(部下・従ってきた人々)を、生き埋めにして殉死させました。
苦しがって泣き叫び続けてついには死に至りました。野犬や鳥が食いついているのを見、突付くのが聞こえきて、哀れに思いました。
(かる:枯れる:当時は人間が死ぬことも枯れるという表現をしていた。
追い枯れ:殉死、折れ枯れ:事故死、早枯れ:早死
からす:死体を埋葬するまで守って風化させる、死体処理すること、忌み嫌われる鳥になる)
神武天皇の時は部下たちは自ら進んで殉死したが、後世になって殉死するのが風習となって義務化されていたようである。

みことのり いきをめぐまで(37-4)
からするは いたましひかな


そこで、垂仁天皇が詔を発しました。生きたまま(息をしている、生きている人を恵んでまでして)死に至らせるのは痛ましい限りである。

ふるのりも よからぬみちは(37-5)
やむべしぞ


古い法典であっても、悪い教えは止めるべしと申されました。


この後、垂仁天皇の命により「はにわ」が作られることになりますが、しばし、おまちを!

ジョンレノ・ホツマ

37-1~2 初めていくさうつわ(武器)を神殿に祀る


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37綾に戻ります。

1. 初めていくさうつわ(武器)を神殿に祀る(37-1~2)

たまきみや ふそなほはつき(37-1)
なかおみと いくさうつわを
みてぐらに うらとえばよし


垂仁天皇の代、たまき宮二十七年八月「なか」(中旬)、「ほつま暦」の「おみと」に、武器(いくさうつわ:弓・矢・刀など)を神殿に捧げものとして占ったところ(ふとまに:今のおみくじの基になったもの)、「良し」と出ました。

ゆみやたち もろのやしろに(37-2)
おさめしむ かんべさだめて
よりよりに うつわにまつる
はじめなり


弓・矢・刀を沢山の社(やしろ)に納めさせました。「かんべ」神部(神社に属して、租・庸・調や雑役を神社に納めた民戸)を定めて(現在の住民票の始まり)、「よりより」(寄り合いの度ごと、季節の節々)に「いくさうつわ」(武器)を神器として祀る始めとなりました。

ジョンレノ・ホツマ
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