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37綾 目次

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ホツマツタヱ 37綾 目次

とりあわせたちばなのあや

闘鶏と橘の綾


1. 初めていくさうつわ(武器)を神殿に祀る(37-1~2)
2. 垂仁天皇の兄の死で、殉死(追い枯れ)を廃止(37-2~5)
3. 垂仁天皇は二人の皇子に望みを聞く(37-5~7)
4. ひはず姫の葬儀ー「はにわ」の始まり(37-7~12)
5. 「たたねこ」が「さらず」に娘の嫁ぎ相手の相談を受け、下賀茂神社へ(37-12~17)

6. 「たたねこ」は貴船神社・上賀茂神社へ行く(37-17~19)
7. 天皇に賀茂の宮が荒れていることを報告(37-19~21)
8. 「おおたたねこ」の孫を賀茂宮の「いわい主」に(37-21)
9. 「みおやかみ」と「わけいかづちのかみ」の「わだまし」を「おおたたねこ」が勅使(37-22~23)
10. 垂仁天皇は「みおやかみ」と「わけいかづちのかみ」に「みてぐら」を納める(37-23~25)

11. 闘鶏を見ていて「かまはだ」が絶世の美人と知る(37-25~26)
12. 宇治に行く途中「かまはだ」を想い、亀を突いたら大石に(37-27~28)
13. 垂仁天皇は「かまはだとべ」を妃にする(37-29~30)
14. 「いそぎね」はため池を掘り、稲の収穫が増える(37-30~31)

15. 「たりひこ」(後の景行天皇)は世継ぎ皇子に(37-32)
16. 「いそぎね」(にしきみこ)は千本の剣を作り、司に(37-32~35)
17. 稲熱病を吹き払い豊作に(37-35~37)
18. 十種の御宝を「にしきみこ」から「おなか姫」に(37-37~39)
19. 十種の御宝を「おなか姫」は「ものへとちね」に(37-39~40)

20. 「たにはちみちうし」は勾玉を「いその神」に納める(37-40~41)

21. 垂仁天皇が「ひぼこ」の土産を見たく勅使を出す(37-41~43)
22. 「きよひこ」(「ひぼこ」の曾孫)は出石小刀は隠し持ったが見つかってしまう(37-43~46)
23. その後、出石小刀は自らの落着き先を見つける(37-46~48)
24. 「たじまもり」に常世国へ橘を求めに行くように詔り(37-48~49)
25. 垂仁天皇は崩御される(37-49~50)
26. 「たじまもり」が常世の国より帰ってくる(37-51~54)
27. 「たじまもり」は天皇の後を追って死んでしまう(37-54~55)
28. 「たじまもり」の遺言を見て「はなたちばな」を呼び寄せ「おしやま」と再婚させる(37-55~57)
29. 「はなたちばな」の子供を「おとたちばな」と命名(37-57-58)





ジョンレノ・ホツマ
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37-57-58. 「はなたちばな」の子供を「おとたちばな」と命名

29. 「はなたちばな」の子供を「おとたちばな」と命名(37-57-58)

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 はなたちばなが(37-57)
さつきまつ よはにうむこに
みことのり


「はなたちばな姫」が五月末の夜中に生んだ子供に皇子(後の景行天皇)が詔をしました。

 むかしのひとの(37-57)
おをとゝむ おとたちばなと
なをたまひ(37-58)


昔の人(亡くなった「たじまもり」の御霊)の緒を留めているので、生まれた子供に「おとたちばな」(緒・留・たちばな)の名前を賜りました。

 にたるすがたの(37-58)
おしやまに とつぐはゝこも
おんめぐみ ふかきゆかりの
ためしなるかな


生まれた「おとたちばな」は姿かたち(おもかげ・人柄)が「おしやますくね」に似ているので、母親の「はなたちばな姫」と再婚させました。
これも、皇子(後の景行天皇)の御心(めぐみ)です。深いゆかり(エミシ)の前例(ためし)となりました。エミシも元を辿れば同じ先祖から分かれているが今は敵国になっている。

橘(たちばな)とは、現在の「みかん」のことを言っています。
富士山の麓は昔からみかんの産地として有名です。
これは、ホツマツタヱでは、昔「くにとこたち」が、美しい富士山の麓に「かぐの木」を植えて「とこよ」の国を開いたのがはじまりであると記るされています。

その後、「いさなぎ」「いさなみ」の時代に各地に「かぐ(みかん)の木」を移しています。よって、みかんの産地は古代に都があったことを示しています。九州の大分・日向・紀伊半島「とこよの里」に開いています。

今でも、紀州はみかんの産地として有名です。この紀州のことを「きしい里」と呼んでいます。これは「いさなみ」「いさなぎ」が「いよ」(伊予・阿波の国)から、舟で上陸した時、「き」来て、「し」静かにしていた里、つまり、「いさなみ」が懐妊されていたからです。そこで生まれた皇子が後の「スサノウ」になります。

徐福が紀州に上陸したという伝説は、ホツマツタヱの記述に基づけば、「とこよの国」があったということから、伝説ではなく事実であったということも理解できます。

「おとたちばな姫」はその後「やまとたけ」の3番目のお妃になり、7人の子供をもうけます。「やまとたけ」東征のとき、厚木の小野で再開した後同行します。船で上総へ行く途中、嵐になり波を鎮めるため、「やまとたけ」の身代わりとなり海に身を投げてしまいます。(39~40綾参照)

これにて、37綾完了
ジョンレノ・ホツマ

37-55~57. 「たじまもり」の遺言を見て「はなたちばな」を呼び寄せ「おしやま」と再婚させる

28. 「たじまもり」の遺言を見て「はなたちばな」を呼び寄せ「おしやま」と再婚させる(37-55~57)

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のこしふみ みこみたまひて(37-55)
かぐきみが はなたちばなは
かれがつま(37-55


「のこしふみ「(遺言)を皇子(後の景行天皇)がご覧になって、「たちばなもとひこ」の娘の「はなたちばな」は、「たじまもり」の現地の妻であることを知りました。
(当時、此処(常世の国、相模の小野)は「えみし」(反やまと)と大和朝廷の狭間にあったことが伺えます。よって、「たじまもり」が常世の国に行った裏の理由は隠密の役目もあったと思われます。)

 おしやまやりて(37-56)
よばしむる ちゝもとひこと
のぼりくる


皇子(後の景行天皇)は、「おしやますくね」に、呼び寄せる(連れて来る)ように言いました。「はなたちばな姫」は父「たちばなもとひこ」と一緒に上京しました。

 みこよろこびて(37-56)
もとひこに ゆるしはたまひ
もをつとむ(37-57)


皇子(後の景行天皇)は喜ばれて、「たちばなもとひこ」に、貴族としての待遇を許す官位の御衣を賜い、「たじまもり」の葬儀の喪主を務めました。

ジョンレノ・ホツマ

37-54~55. 「たじまもり」は天皇の後を追って死んでしまう

27. 「たじまもり」は天皇の後を追って死んでしまう(37-54~55)


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とみいきて なにかせんとて(37-54)
おひまかる


「たじまもり」は君(垂仁天皇)がいなくてどうして生きていくすべがあるのでしょうかと言って泣きながら天皇の後を追い死んでしまいました。

 もろもなんだで(37-54)
かぐよもと とのまえにうゑ(37-55)
かぶよもと すがはらにうゆ


諸臣たちも皆もらい泣き(涙)しました。

かぐ(橘樹)の木、四本を殿の前(倍塚、垂仁天皇の陵の傍)に植え、かぐ(橘樹)の株を四本、「すがはら」(すがらふしみ、垂仁天皇の陵)に植えました。

ここのみかんは今でも皇室への献上品になっているそうです。

ジョンレノ・ホツマ

37-51~54. 「たじまもり」が常世の国より帰ってくる

26. 「たじまもり」が常世の国より帰ってくる(37-51~54)

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あくるはる やよひにかえる(37-51)
たしまもり


垂仁天皇が亡くなられた明くる年の春三月に「たじまもり」が帰ってきました。

 ときしくかぐつ(37-51)
ふそよかご かくのきよさほ
かぶよさほ もちきたるまに
きみまかる(37-52)


「とき」(時間)を「しく」(しきる、おさめる)、(常世の国:未来永劫までの意味)かぐ(橘樹)の実を二十四籠、かぐ(橘樹)の木を四本(棹)、かぐ(橘樹)の株(根)を四本(棹)持って来ましたが、君(垂仁天皇)は既にお亡くなりになっていました。

 みやげなかばを(37-52)
わかみやえ なかばをきみの
みさゝきに さゝげもふさく


「たじまもり」は持ち帰ったかぐ(橘樹)の土産の半分を若宮(景行天皇、まきむき日代の宮)へ捧げ、半分を君(垂仁天皇)の陵(みささぎ)に捧げて申し上げました。




これゑんと はるかにゆきし(37-52)
とこよとは かみのかくれの(37-53)
およびなき


これ(かぐ、橘樹)を求めるために、はるか遠くまで行って来ました。
常世とは神の住む秘境(神仙)で比べものがありません(およびなき)でした。

 ふりをなじむの(37-53)
ととせぶり


その土地の風習に馴染むのに十年かかりました。

 あにをもひきや(37-53)
しのぎゑて さらかえるとは
すべらぎの くしひによりて(37-54)
かえるいま すでにさります


「あに」(どうして)辛い思いをしのぎながら(乗り越えて)、やっとの思いで帰って来ました。
重い木を携えてきた(引いてきた)ことも言っている。
「すべらぎ」(垂仁天皇)の「くしひ」(ご意向、奇霊)に守られて帰ってきましたが、既にお亡くなりになってこの世でもうお会いすることが出来ません。


ジョンレノ・ホツマ

37-49~50 垂仁天皇は崩御される

25. 垂仁天皇は崩御される(37-49~50)

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 こそこほさしゑ(37-49)
あふみはひ きみまかるとし
もゝみそな


たまき宮九十九年(ほつま暦さしえ)「あふみ」(七月、胎児が妊婦のお腹の中で足を踏み始める月)一日、君(垂仁天皇)は崩御されました。百三十七歳でした。

 みこのもはいり(37-49)
よそやよる はにたてものと(37-50)
しはすそか すがらふしみに(37-50)
みをくりの たびもかゝやく
かみのみゆきぞ


皇太子は喪に服して、四十八日目の夜、喪が明けました。
陵に「はに」(埴輪)を建てて、十二月十日、「すがわらふしみ」(垂仁天皇の陵)で、葬送の儀が行なわれ、「たび」(「た」は「手」、「び」は「火」を表し、松明のこと)で明るく照らして、神送りいたしました。天の御柱が天国へお帰りになる儀式。

ジョンレノ・ホツマ

37-48~49. 「たじまもり」に常世国へ橘を求めに行くように詔り

24. 「たじまもり」に常世国へ橘を求めに行くように詔り(37-48~49)

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ここから、別の話になります。

 こそほきさらぎ(37-48)
みことのり かぐをもとめに
たじまもり とこよにゆけよ


たまき宮九十年二月一日、垂仁天皇の詔がありました。
橘樹(たちばな)を求めに、「たじまもり」に常世国に行って来るようにと言われました。
「たじまもり」は、来日した新羅の皇子「ひぼこ」の曾孫「きよひこ」の子供にあたる(35-14)

わがおもふ くにとこたちの(37-49)
みよのはな


我が思うには、「くにとこたち」が「とこよ」の宮前に橘樹(たちばな、みかんの木)を植えて国を開いたという御世の花である。
垂仁天皇は自分の寿命を察していて、死ぬ前に一度、御世の花(橘の花)を見ておきたいと願われたと考えられます。

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37-46~48. その後、出石小刀は自らの落着き先を見つける

23. その後、出石小刀は自らの落着き先を見つける(37-46~48)

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 のちにひらけば(37-46)
これうせぬ


後日、神蔵を開いてみると、この「いつしこがたな」(出石小刀)が消え失せていました。

 きよひこめして(37-46)
もしゆくや こたえもふさく
さきのくれ こたちみつから(37-47)
きたれとも そのあすのひに
またうせぬ


君(垂仁天皇)は、再び「きよひこ」を召して上京させました。
もしかして、あの小刀の行方を知らないだろうかと問いただしました。そうすると「きよひこ」が答えて言うには、昨年の暮れ、小刀が自ら帰って来ましたが、明くる日、又、消え失せてしまいました。

 きみかしこみて(37-47)
またとわず


君(垂仁天皇)は、かしこみて(衣を正して、恐縮して)二度とこの件には触れませんでした。
この小刀は「あめのひぼこ」の御霊そのもの、神ではないかと恐れられたものと思われます。



 おのづといたる(37-47)
あはぢしま かみとまつりて(37-48)
やしろたつ


「いつしこがたな」(出石小刀)は、自然に自らの落着き先を求めて淡路島に至りました。そして、神(「あめのひぼこ」のひぼ刀)として祭られ社が建てられました。淡路島は、昔「あめのひぼこ」が来日した時、滞在していた所。

私の感覚でも「小刀」が一人歩きするわけはないので、そう信じたのか、そう信じることにして、深追いしなかった。あるいは、これ以上深追い出来ないなにか事情があったのかもしれないと思いました。


ジョンレノ・ホツマ

37-43~46「きよひこ」(「ひぼこ」の曾孫)は出石小刀は隠し持ったが見つかってしまう

22. 「きよひこ」(「ひぼこ」の曾孫)は出石小刀は隠し持ったが見つかってしまう(37-43~46)

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やつのうち いづしこがたな(37-43)
のこしおき そでにかくして
はきいづる(37-44)


「きよひこ」はこの八つの内、「いつしこがたな」(出石小刀)だけ残し、袖に隠し持って、何食わぬ顔で太刀を自ら佩いて昇殿しました。

 すべらぎこれを(37-44)
しろさずて みきたまはれば
のむときに はだよりおちて
あらわるゝ


すべらぎ(垂仁天皇)はこのことに気がつかなくて、お神酒を賜り、「きよひこ」が飲もうとした時、肌身につけていた小刀が落ちて、見つかってしまいました。

 きみみていわく(37-44)
それなんぞ こゝにきよひこ(37-45)
かくしゑず さゝぐたからの
たぐいなり


君(垂仁天皇)は、落ちたものを見て、「それは何ぞや」と聞きました。
そうしたら、もう「きよひこ」は隠し切れないと悟り、「献上すべき宝の一つです」と答えました。


 きみまたいわく(37-45)
そのたから あにはなれさる
たぐひかと(37-46)


君(垂仁天皇)が、再び言うには、
その宝はそんなに離し難い物なのですかと問いました。

 よつてさゝげて(37-46)
おさめおく


このような経緯があって、「いつしこがたな」(出石小刀)は結局捧げられ、宮中の神蔵に納められました。

ジョンレノ・ホツマ

37-41~43 垂仁天皇が「ひぼこ」の土産を見たく勅使を出す

21. 垂仁天皇が「ひぼこ」の土産を見たく勅使を出す(37-41~43


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ここから話しが変わります。

 やそやふみそか(37-41)
みことにり

たまき宮の八十八年六月十日、垂仁天皇の詔がありました。

 われきくむかし(37-41)
しらぎみこ ひぼこがつとの
たからもの たじまにあるを


私(垂仁天皇)が聞いた所によると、昔、新羅の皇子の「ひぼこ」が土産に持参した「つと」(包むもの、納豆づと都など)に入った宝物が但馬にあるという事です。

いまみんと ひぼこかひまご(37-42)
きよひこに さおしかやれば
たてまつる

今、その宝物を見たいので、「ひぼこ」の曾孫の「きよひこ」に勅使(さおしか)を使わそうと申されました。
そして、君の詔を受けて以下のものを献上いたしました。


 はぼそあしたか(37-42)
うかがたま いつしこがたな
いづしほこ ひかがみくまの(37-43)
ひもろげず いてあさのたち


① 「はぼそ」(葉細玉)一個、
② 「あしたか」(足高玉)一個、
③ 「うがたま」(鵜鹿玉)一個、
④ 「いつしこがたな」(出石小刀)一口
⑤ 「いづしほこ」(出石矛)一枚、
⑥ 「ひかがみ」(日像鏡)一面、
⑦ 「くまのひもろげず」(熊神籬)一式、(熊は虎のことを言っているかも知れない)
⑧ 「いてあさのたち」(出浅の太刀)一振、
の八品、が昔、新羅の皇子の「ひぼこ」が持参したものでした。

ジョンレノ・ホツマ

37-39~4 0十種の御宝を「おなか姫」は「ものへとちね」に


19. 十種の御宝を「おなか姫」は「ものへとちね」に(37-39~40)


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おなかひめ ものべとちねに(37-39)
またさづく(37-40


「いその宮」の「おなか姫」は、「にしきみこ」から受け継いだこの十種(トクサ)の御宝を、更に「ものべとちね」に譲りました。(さづける)後世になって、物部氏が勢力を拡大させるきっかけであったと思われます。


20. 「たにはちみちうし」は勾玉を「いその神」に納める(37-40~41)

 たにはみかそが(37-40)
いゑのいぬ なはあしゆきが
くひころす むじなのはらに
やさかにの たまありをさむ
いそのかみ(37-41)


「たにはちみちうし」の家の犬が、名前は「あしゆき」と言いますが、食い殺したタヌキ(むじな)の腹から「やさかに」の勾玉(まがたま)が出てきたので、「いその神」に納めました。


ジョンレノ・ホツマ

37-37~39 十種の御宝を「にしきみこ」から「おなか姫」に

18. 十種の御宝を「にしきみこ」から「おなか姫」に(37-37~39)


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やそなほの きさらぎゐかに(37-37)
にしきみこ ゐもとにいわく(37-38)
われおひぬ みたからもれよ


たまき宮八十七年二月五日に、「にしきみこ」(いそぎね・景行天皇のお兄さん)が、妹の「おなか姫」に、私はもう老いたので十種(トクサ)の御宝を、私に代わって守ってくれ。と申しました。

おなかひめ いなみていわく(37-38)
たをやめの ほこらたかくて


「おなか姫」が辞退して(いなみて)言うには、私はかよわくて(手弱女、たおやめ)、ほこらが高い(責任が重過ぎます)ので、とてもお引き受けできません。

またいわく たかければこそ(37-39)
わかつくる


そうすると、再び「にしきみこ」が言うには、ほこらが高いからこそ、私が作ったものだからこそ尊いものなのだ。

 かみのほこらも(37-39)
かけはしの まゝとうたえば


「かみのほこらも かけはしのまま」と歌いました。つまり、迷うことなく、神の意向のままに任せなさい。天と地を結ぶかけはしを守って下さい。と歌いました。

ジョンレノ・ホツマ

37-35~37稲熱病を吹き払い豊作に

17. 稲熱病を吹き払い豊作に(37-35~37)

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ここで、話が二十五年とびます。

むそよとし さみたれよそか(37-35)
ふりつゞき いなだみもちに(37-36)
いたみかる


たまき宮六十四年、五月雨が四十日間降り続きました。稲が稲熱(いもち)病になって、傷んで死んでしまいました。

 きみにもふせば(37-36)
みづからに かせふのまつり
なしませば やはりわかやぎ
みづほなる(37-37)


君(垂仁天皇)に申し上げたら、天皇が自ら「かせふ」(しなとべの神に祈って、雨雲を吹き掃う)の祀りをしたら(為す)、再び(やはり)稲穂が若返って、水穂(稲穂)が出来ました。

 かえりもふての(37-37)
ほづみおも みつからまつり
たまふゆえ くにゆたかなり


「かえりもうで」(お礼参り)の穂積(初穂)も、自ら奉納して祀り(旧暦の八月一日に)賜りましたので国が再び豊かになりました。

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37-32~35「いそぎね」(にしきみこ)は千本の剣を作り、司に

16. 「いそぎね」(にしきみこ)は千本の剣を作り、司に(37-32~35)

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 みそこほめづき(37-32)
ゐそぎねは うちみてつくる
ちつるぎを(37-33


たまき宮三十九年十月に「いそぎね」(「にしきいりひこ」で後の景行天皇のお兄さんにあたる)は、宇治の川上(「うちみ」の「み」は、かみの宮の「み」)で、千本(ち)の剣を作りました。この千本の剣を作った所を日置部といい、日置神社は滋賀県高島郡にあります。

 あかはだかとも(37-33)
なをつけて おしさかにおく


この剣のことを「あかはだとも」(「あ」は天地の天、「か」は光、善悪の善を表す、「はだか」は、「かまはだとべ」のように天にも届く絶世の美人から、「とも」は剣を携えることから)という名前をつけて、「おしさか」(榛原、昔、神武天皇が苦戦した場所)にこの剣を奉納しました。


このときに しとりべたてべ(37-33)
おほあなし ゆみやはつかし
たまべかみ あまのおさかべ(37-34)
ちのへきべ たちはかせべの
としなへを あはせたまわる


このとき、「にしきみこ」(「いそぎね」(「にしきいりひこ」のこと)は、
① 「しとりべ」(「しとり」は古代布、麻木綿の古代の織物を言い、「べ」は専門職の位を言う)
② 「たてべ」(楯をつくる専門職、木を縫い合わせて楯を作った)
③ 「おおあなし」(すもう神社、つわもの主、後の兵頭神社)専門職
④ 「ゆみ」(弓つくり部、「ゆげ」と呼んでいた、弓を作る専門職)
⑤ 「や」(矢を作る専門職)
⑥ 「はずかし」(「たけの姫」(「たにはちみちうし」の五人娘の一人だけ宮中に上がれず帰されたことを恥ずかしく思い投身自殺した)を神祀りした)
⑦ 「たまべ」(たまを作る専門職)
⑧ 「あまのおさかべ」(天に逆らうもの、刑法を取り扱う専門職)
⑨ 「へきべ」(千本の剣を置いて守る部門、「へく:置く」日置神社:剣大明神
⑩ 「たちはかせべ」(太刀を佩(は)かせる専門職)
以上の十部をあわせて、「にしきみこ」が、これらの専門職集団(べ、部)の頂点を司りました。


にしきみこ ちつるぎうつす(37-34)
いそのかみ かみがかすがの(37-35)
いちかわに つげをさめしむ
にしきみこ つかさとなせる


「にしきみこ」が、この千本の剣を「おしざか」から「いそのかみ」に移しました。天の告示があって、「にしみこ」から、春日の「いちかわ」に移しました。春日がこの千本の剣を守る直接の担当になりました。
「にしきみこ」は出世して、司になりました。

ジョンレノ・ホツマ

37-32「たりひこ」(後の景行天皇)は世継ぎ皇子に

15. 「たりひこ」(後の景行天皇)は世継ぎ皇子に(37-32)


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 みそなほはつひ(37-32)
おみえたつ たりひこはそや
よつぎみこ

たまき宮三十七年元旦に「たりひこ」は皇太子になられました。「たりひこ」は十八歳で、世継ぎ皇子になりました。
「たりひこ」は後の景行天皇になります

ジョンレノ・ホツマ

37-30~31「いそぎね」はため池を掘り、稲の収穫が増える


14. 「いそぎね」(景行天皇のお兄さん)はため池を掘り、稲の収穫が増える(37-30~31)

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みそゐほの なづきゐそぎね(37-30)
たかいしと ちぬのいけほる(37-31)


たまき宮三十五年の九月に、「いそぎね」(「にしきいりひこ」で後の景行天皇(たりひこ)のお兄さんにあたる)は、河内の「たかいし:高石」と「ちぬ:茅沼」のため池を掘りました。

めづきほる さきとあとみと(37-31)
もろくにゝ やおのいけみぞ
つくしらしむ



十月(陰月:めづき、女性は妊娠十ヶ月で生まれてくると考えられていた)には、「さきいけ:挟城池」と「あとみいけ:迹見池」か(先池・後池)を掘りました。あちこちの県(あがた:国)に、八百ものため池を作らせました。

なお、みづかき宮(崇神天皇の代)六十二年(四十一年前)にも、三つの池(よざみ・かりさか・かえおり)を掘っているところから、以前に掘った池と、今新たに掘った池を区別していることかも知れません。(参照 34-62)

 なりわひふえて(37-31)
たみとめる


お陰で、稲の収穫が増えて、民の生活が豊かになりました。

ジョンレノ・ホツマ

37-29~30 垂仁天皇は「かまはだとべ」を妃にする

13. 垂仁天皇は「かまはだとべ」を妃にする(37-29~30)

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かえるのち さらずがむすめ(37-29)
よびのぼせ かまはだとべを
きさきとし いわつくわけの
みこをうむ いむなとりひこ


都へ帰った後、「おおくにさらず」の娘の「かまはだとべ」を呼んで上京させました。そして、この「かまはだとべ」を妃としました。
その後、「いわつくわけ」という皇子を生みました。(岩を突付く:三尾神社) 実名は「とりひこ」と言います。


ふちがめの かりはたとべも(37-30)
みおやわけ ゐいしたりひこ
ゐたけわけ みたりうむなり


「ふちがめ」の娘「かりはたとべ」も宮に入り、「みおやわけ」、「いいしたりひこ」と「いたけわけ」の三人を皇子を生みました。「ふちがめ」は「おおくにさらず」の弟になる。

ジョンレノ・ホツマ

37-27~28 垂仁天皇は宇治に行く途中「かまはだ」を想い、亀を突いたら大石に

12. 垂仁天皇は宇治に行く途中「かまはだ」を想い、亀を突いたら大石に(37-27~28)

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12. 垂仁天皇は宇治に行く途中「かまはだ」を想い、亀を突いたら大石に(37-27~28

 よかうぢにゆく(37-27)
みちすがら よきひとえんは(37-28)
しるしあれ ほことりいのり


四日目は宇治に行きました。道すがら、この良き美人「かまはだ」を自分のものにしたいと願い、しるしあれと、矛を取り出して、天に祈りました。

おほかめを つけばなるいし(37-28)
これしるし うぢのかめいし


そのとき、大亀が出てきたので突付きました。そうすると、その亀は石になりました。これが、宇治の亀石というようになりました。

亀を突いて固まる。願いが叶うということを言っているように思えます。二人の仲は固まる?
ここの内容は、本当のことを事実としては後世に残せないけれど、たとえ話にして、何かを記しているようにも思います。何が隠されていたのか興味あるところです。一体、何が言いたかったのでしょうか?


ジョンレノ・ホツマ
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