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35綾 目次

ホツマツタヱ 35綾目次



ひぼこきたるすまゐのあや

新羅の皇子「ひぼこ」が来た綾、そして相撲の始まりの綾


35綾 目次

1. 「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位(35-1~4)
2. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す(35-4~5)
3. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む(35-5)

4. 任那より使者が来朝、国交が開かれる(35-5~7)

5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)
6. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物(35-7~8)
7. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的(35-9~12)
8. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る(35-12~13)
9. 「あめひぼこ」の系図(35-14)

10. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画(35-15~17)
11. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける(35-17~19)
12. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す(35-19~24)
13. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに(35-24~27)
14. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた(35-27~28)
15. 妃は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ(35-28~30)

16. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い(35-30~31)
17. 初めてのたなばたの神祀り(35-31~32)

18. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を(35-32~34)
19. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す(35-34~37)
20. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に(35-37~38)

ジョンレノ・ホツマ

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35-37~38. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に

20. 「のみのすくね」は「ゆみとり」の勇士に(35-37~38)


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くえはやが かなゆみおよび(35-37)
たえまくに のみにたまわり
いえはつま つぎなしのみは
ゆみとりぞこれ(35-38)



「(たまえ)くえはや」の作った金弓と「たまえ(くえはや)」の領土を「のみ(のすくね)」に与えました。
しかし、「たまえくえはや」の家は「たまえくえはや」の妻に残しました。「たまえくえはや」には世継ぎの子供がいませんでした。
「のみ(のすくね)」には、「ゆみとり」の勇士を与えました。



今でも相撲の勝者に弓取り式が語源とともにしきたりとして残っていることに感動しました。

35綾完


ジョンレノ・ホツマ

35-34~37. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す

19. 「のみのすくね」と相撲をとり、「たまえくえはや」を踏み殺す(35-34~37)


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 のみのすくねも(35-34)
よろこびて あすくらべんと(35-35)
みことのり ちからくらぶる
かみののり



「のみのすくね」もこれを聞いて喜びました。明日、力くらべをやろうと詔が出ました。



 すまゐのさとに(35-35)
はにわなし


天皇が住まわれている里に急遽土俵を作りました。
(江戸時代まで相撲、角力を「すまい」と言っていた。また、土(はに)を固めて作った事から今の土俵の元になっている)



 たまえはきより(35-35)
のみはつに あいたちふめは(35-36)


「たまえ(くえはや)」は東(き)より、「のみ(のすくね)」は西(つ)から登場して、お互いに(あい)立ち会って、しこを踏んで力を誇示した。



のみつよく くえはやがわき(35-36)
ふみてまた こしふみころす



「のみ(のすくね)」は強く、「(たまえ)くえはや」の腋を踏み倒して、更に、腰を踏んづけて殺してしまいました。



ときにきみ うちはをあげて(35-36)
どよませば とみもよろこび(35-37)



勝負あったそのとき、君(垂仁天皇)はうちわを挙げてどよませました。(軍配の始まり)周りの臣たちもよろこびました。

ジョンレノ・ホツマ

35-32~34. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を

18. 「たまえくえはや」という力持ちが力くらべの相手を(35-32~34)

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ここから、相撲の始まりの話になります。



 あるとみきみに(35-32)
もふさくは たえまくえはや
おゝちから



ある臣が君(垂仁天皇)に申されました。「たまえくえはや」という者が非常な力持ちである。



 ちかねをのばし(35-32)
つのをさく かなゆみつくり
とこかたり(35-33)


鉄(ちかね)を引き伸ばし、牛の角をへし折り、鉄の弓を作ることを、ところ構わず吹聴している。



 これをふみはる(35-33)
わがちから よにくらべんと
もとむれど なくてまかるや
ひたなげく 


この鉄棒を撓めて弓を張ることができる俺の力を、この世で力くらべをしたいが誰もいない。俺はこのまま死んでいくのかとひたすら嘆いていた。



きみもろにとふ(35-33)
くえはやに くらぶるちから(35-34)
あらんおや



君(垂仁天皇)は臣に誰か「(たまえ)くえはや」と比べる力持ちはいないのかと問いました。



 もふさくのみの(35-34)
すくねなり ながおいちして
これをめす



すると、臣の一人が「のみのすくね」という者がいると進言しました。
君(垂仁天皇)は、早速、「ながおいち」という臣に「のみのすくね」を呼び寄せるよう命令しました。



ジョンレノ・ホツマ




35-31~32. 初めてのたなばたの神祀り

17. 初めてのたなばたの神祀り(35-31~32)


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 はつたなばたの(35-31)
かみまつり(35-32)


婚礼の祝いが終わって、初めての「たなばた」の神祀りをしました。

七月一日から五日間婚礼の祝いの後であるから、ちょうど七月七日頃に当たる。

「たなばた」の語源は「蚕棚」の「たな」と「機織機」の「はた」を示している。
機織機は錦織りのできる高機織機。当時の中心をなす作業であった。



ジョンレノ・ホツマ






35-30~31. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い

16. 「かばいつき姫」を中宮に立て婚礼の祝い(35-30~31)

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なほふづき はひこもづみの(35-30)
このつゞき たるねがかばゐ(35-31)
つきひめを たつきさきとの
かくやひめ なるうちめゐか
ことほぎし


たまき宮七年七月一日、「こもずみ」親王の子の「つづきたるね」の娘「かばいつき姫」を中宮に立てました。妹(と)の「かぐや姫」は「うちめ・うち妃」になりました。そして、五日間婚礼の祝いをいたしました。


ジョンレノ・ホツマ

35-28~30. 妃は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ

15. 妃(さほ姫)は自分の後見に「たにはちうし」の娘を願い、焼け死ぬ(35-28~30)


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 たとひまかれど(35-28)
みめくみを わすらでのちの
さだめには たにはちうしの(35-29)
めをもがな



たとえ、私が死んでも、君の御恵みは決して忘れません。どうか、私(さほ姫)の後見には「たにはちうし」の娘を妃に召されるようお願いします。



 きみがゆるしの(35-29)
あるときに ほのほをこりて
しろくづる



君のお許しが出たとき、炎が噴き上げて城は崩れ落ちました。

 
もろびとされば(35-29)
さほひこと きさきもまかる(35-30)



「さほひこ」軍の兵卒が皆逃げ散った後に「さほひこ」と妃(さほ姫)は焼け死んでいました。


やつなだが いざおしほめて(35-30)
たまうなは たけひむけひこ



君(垂仁天皇)は「やつなだ」の功績を称え、「たけひむけひこ」の名前を賜いました。


ジョンレノ・ホツマ


35-27~28. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた

14. 「やつなだ」が火攻めに、妃は皇子を抱いて出てきた(35-27~28)

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やつなだが ひぜめになせば(35-27)
きさきまづ みこいだかせて
しろをこえ きみにもふさく


将軍「やつなだ」が、火をつけて火攻めにしました。すると、炎の中から、妃(さほ姫)が最初に皇子を抱いて城を越えて出てきて、君に申し上げました。



あにがつみ のがれんために(35-28)
われいれど ともにつみある
ことをしる



兄の罪を何とかかばう(守る・のがれる)ために、私は中に入りました。しかし、私も兄と同じ罪であることを知りました。


ジョンレノ・ホツマ





35-24~27. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに

13. 君(垂仁天皇)は「さほひこ」を討ち取りに(35-24~27)


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 ちかがたにある(35-24)
やつなだを めしてさほひこ(35-25)
うたしむる



近県(ちかがた)にいた将軍「やつなだ」に命令して、「さほひこ」を討ち取るよう兵を差し向けました。



 ときにさほひこ(35-25)
いなぎなし かたくふせぎて
くたりゑず


状況の変化を知った「さほしこ」は、そのとき稲城(いなぎ)を作り堅固に防いで、降参しませんでした。
(稲城(いなぎ)とは、屋敷の外側に稲束を積上げて、中からは外が見えるが、外からは矢の攻撃を防ぐ簡単な城構え)

 

きさきかなしみ(35-25)
われたとひ よにあるとでも(35-26)
しむかれて なにおもしろと
みこいだき いなぎにいれば



妃(「さほ姫」)は悲しみ、我はたとえ世に生きていたとしても、心は枯れて死んだも同然です。何で生きていて楽しい(面白い)ことがあるものでしょうかと言って、皇子「ほんづわけ」を抱いて稲城に入ってしまいました。



みことのり きさきとみこを(35-26)
だすべしと あれどいださず(35-27)



そこで、君(垂仁天皇)は「さほしこ」に妃と皇子を城から出しなさいと命じました。しかし、命令があっても出しませんでした。



ジョンレノ・ホツマ




35-19~24. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す

12. 「さほ姫」は殺害を隠しきれないと知り、天皇に全てを話す(35-19~24)


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 はつひすべらぎ(35-19)
みゆきして くめたかみやに
ひざまくら


(たまき宮五年六月の)一日、すべらぎ(天皇:垂仁天皇)が「くめ」の高宮に御幸されました。そして、「さほ姫」の膝枕で昼寝をされていました。



 きさきおもえば(35-19)
このときと なんだながるゝ
きみのかほ(35-20)



妃(「さほ姫」)は、兄の命令を果たすのは今だと思ったこの瞬間、涙が止め処もなく流れ出し、君(垂仁天皇)の顔の上に落ちました。



 きみゆめさめて(35-20)
のたまふは いまわがゆめに
いろおろち くびにまとえて
さほのあめ おもてぬらすは
なにのさが(35-21)



そうしたら、君(垂仁天皇)は夢から覚めて、おっしゃいました。
今、私が夢の中で錦色の小蛇(おろち)が、首に纏わりついて「さほ」(麻糸のような細い)雨が降り、私の顔を濡らしたのは、何の前兆だろうか。とお尋ねになりました。(「さほ姫」とかけている)



 きさきこたえて(35-21)
かくしゑず ふしまろひつゝ
あからさま



妃(「さほ姫」)は、もうこれ以上隠し切れないと、泣き伏して畏まって兄の企てを包み隠さず打ち明けました。

 


きみのめくみも(35-21)
そむきゑず つぐればあにを
ほろぼせり(35-22)



君(垂仁天皇)の恵(いつくしみ)にも背くことは出来ず、告げれば兄を滅ぼすことになります。

 

つげざるときは(35-22)
かたむけん



もし、告げないでいれば、国を傾ける大事になります。




 おそれかなしみ(35-22)
ちのなんだ あにがあつらえ
こゝなりと きみがひるねの
ひざまくら(35-23)




恐ろしくて、悲しくて血の涙を流しました。兄の企てた命令をやるのは、今ここだと一瞬思ったのが、君が昼寝されている膝枕でした。




 もしやくるえる(35-23)
ものあらば たまさかにえる
いざおしと おもえばなんだ
ふくそでに あぶれてみかほ
うるほせり(35-24)


こんな事を考えるのは狂人だと思いましたが、万一の手柄(いざおし)をたてる機会であるかも知れないと思いました。
そう思ったら、申し訳なく涙が出てしまい、袖で拭こうとしましたが拭いきれずに溢れて落ちて、君の顔を濡らしてしまいました。



 ゆめはかならず(35-24)
このこたえ おろちはこれと
ひもかたな だせばすべらぎ
みことのり



君(垂仁天皇)のご覧になった夢は間違いなくこの兄の裏切りのことです。小蛇(おろち)はこれですと紐刀を取り出して見せました。
それを見て、すべらぎ(垂仁天皇)は即座に詔(命令)を発しました。



ジョンレノ・ホツマ

35-17~19. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける

11. 天皇殺害の紐刀を兄は「さほ姫」に授ける(35-17~19)

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 きみをしいせよ(35-17)
わがためと ひぼがたなもて
さづくとき


我がために、天皇を殺してくれと迫り、紐のついた小刀(紐刀)を懐から取り出し強引に授けました。

 
あにがこゝろね(35-17)
いさめおも きかぬをしれば(35-18)



この兄の恐ろしい思い込みをいさめようとしましたが、何としても聞き入れないことを知りました。



さほひめの なかごわなゝき
ひもかたな せんかたなくも
そでうちに かくしいさめの
せみなづき(35-19



「さほ姫」の「なかご」(心の中)では、罪の意識にさいなまれ、怖さにふるえながら紐刀をいわれるまま袖の内に隠し持ちながら、自分の行為を責め続けていた六月でした。蝉が鳴くように心も高ぶっていたことを言っている。
せみなづき:瀬見の小川(糺の森:ただすのもり)から来ている説もあるようです。

「なかご」は鋳物の中芯に入れる型のことを示す語源になっています。


ジョンレノ・ホツマ



35-15~17. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画

10. 「さほ姫」の兄「さほひこ」が垂仁天皇殺害の計画(35-15~17)


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ここからは、別の話になります。


よほなつき つうえはおなえ(35-15)
さほひこが きさきにとふは
あにとおと いつれあつきぞ


たまき宮四年九月(ほつま暦の「つうえ」の月)一日(「おなえ」の日)に「さほひこ」(「さほ姫」の実の兄)が、「さほ姫」に問いました。「妹よ。この兄とお前の天皇(「おと」の「お」は天皇を示す)とどちらの方が好きか?」と突然聞かれました。



きさきつひ あにとこたふに(35-15)


妃(「さほ姫」)は、つい、兄ですと答えてしまいました。



あつらうる なんぢいろもて(35-16)
つかゆれど いろおとろいて
めぐみさる



その答えを聞くや「さほしこ」(「さほ姫」の実の兄)は、お誂え向きだ。汝は色気で今は天皇に仕えているが、色気などは衰えてくれば、天皇のお恵みは去ってしまうだろう。(捨てられてしまう)



 あにながからん(35-16)


この兄との仲は末永く枯れることはない。
天皇の愛は長くは続かない。
(ここで「あに」は「兄」とも取れるし、否定を意味する「あに」にも取れる。)



ねがわくは われとなんぢと(35-16)
みよふまば やすきまくらや(35-17)
たもたんぞ



願わくは、我と汝で天下(王位)を取れば、枕を高くして安心していつまでも良い夢を見られるぞ。
ここでの我は「さほ姫」の実の兄「さほしこ」で、汝は「さほ姫」を言っています。


ジョンレノ・ホツマ

35-14. 「あめひぼこ」の系図

9. 「あめひぼこ」の系図(35-14)

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あめひぼこ もろすけをうむ(35-14)
もろすけは ひならぎをうむ
ひならぎは きよひこをうむ
きよひこは たじまもりうむ


「あめひぼこ」の系図の説明がはいります。

「あめひぼこ」は子供「もろすけ」をもうけました。
その「もろすけ」は「ひならぎ」をもうけました。
さらに「ひならぎ」は「きよひこ」をもうけました。
そして、「きよひこ」は「たじまもり」をもうけました。


この「たじまもり」は垂仁天皇の命により、かぐ(橘樹)の木を求めに常世国へ行き10年滞在します。
「たじまもり」は、その地で「たちばなもとひこ」の娘の「はなたちばな姫」を妻とし、その子供が「おとたちばな姫」になります。

後になって、「やまとたけ」が東征に向かい、富士の裾野で蝦夷退治した後、船で上総に向かう時、嵐になり、この「おとたちばな姫」は嵐を鎮めるために身を投げてしまいます。

ジョンレノ・ホツマ

35-12~13. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る

8. 「あめひぼこ」は国を巡った後、但馬に住み「またおお姫」を娶る(35-12~13)

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 きみゆるされば(35-12)
あのひぼこ うぢがわのぼり
あわうみの あなむらにすむ


天君(崇神天皇)のお許しを得た「あめひぼこ」は、宇治川を舟で遡り、近江の「あなむら」(かがみやまの麓)に住みました。


またさらに わかさめぐりて(35-13)
すむたじま ともすえびとは
はざまたに のこしいずしま
ふとみゝが またおゝめどる


その後更に若狭の国を巡り、但馬に住みました。お供の者(末のもの)どもは「はざま谷」に残して居留させました。ここで、「あめひぼこ」は「いづしまふととみ」という豪族の娘「またおお姫」を娶りました。

「すえびと」は後の「須恵器」の陶人を示すことになります。



ジョンレノ・ホツマ

35-9~12. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的

7. 新羅皇子の「あめひぼこ」の来朝の目的(35-9~12)


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みつかきの みそこひほこは(35-9)
はりまより いたるしゝあは



「みつかき宮」(崇神天皇の代)三十九年に新羅の「ひぼこ」が播磨にやってきました。そして、淡路島の「ししあわ」(穴粟)に至りました。



そのときに おゝともぬしと(35-9)
ながおいち はりまにやりて
とはしむる(35-10)



新羅の「ひぼこ」が来たことを知り、君(崇神天皇)は「おおとぬし」(「おおたたねこ」の孫と「やまとながおいち」の両臣を播磨に行かせて来た理由を問わせました。



 いわくしらきの(35-10)
きみのあこ なはあめひぼこ


答えて言うには、私は新羅の国王の皇子です。名前は「あめのひぼこ」と申します。



おとちこに くにをゆづりて(35-10)
やつかれは ひじりのきみに
まつろいぬ(35-11)



弟の「ちこ」に国を譲ってきました。我輩(やつかれ:へりくだった言い方)は聖の君(やまとの国の天皇)に服らう(お使いする)ためにやって来ました。
(日、出ずる国は、神を崇めて正しい政を執る聖の天皇がおられるということを聞きました。)



 つかいかえりて(35-11)
これをつぐ


二人の使い(「おおとぬし」と「やまとながおいち」の両臣)は宮中に帰って「あめひぼこ」の話を崇神天皇に報告しました。

 

よりてはりまの(35-11)
いてさむら あわちしゝあわ
まゝにおれ


報告を聞き、君(崇神天皇)は諸臣と議って、「あめひぼこ」に、播磨の「いてさ」(出浅)村と淡路島の「ししあわ」(穴粟)村を与えるから汝の好きなように暮らすのが良いと申されました。

 

ひほこもふさく(35-11)
すむところ ゆるしたまはゝ(35-12)
めぐりみん



そうすると、「あめひぼこ」は、住む所ですが、もし、お許しが賜えられるならば、この美しい国を巡り見てから自分の住む所を決めたいと思いますと、申しました。


ジョンレノ・ホツマ

35-7~8. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物

6. 新羅の皇子「あめひぼこ」が持参した土産物(35-7~8)


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 むかしひぼこが(35-7)
みやげもの はぼそあしたか
うかゞたま いづしこがたな(35-8)
いづしほこ ひかがみくまの
ひもろげず いであさのたち
このやぐさ たじまにおさむ



昔、新羅の皇子の「ひぼこ」が来朝したときに持参した土産物は、

① 「はぼそ」(葉細玉)一個、
② 「あしたか」(足高玉)一個、
③ 「うがたま」(鵜鹿玉)一個、
④ 「いつしこがたな」(出石小刀)一口、
⑤ 「いづしほこ」(出石矛)一枚、
⑥ 「ひかがみ」(日像鏡)一面、
⑦ 「くまのひもろげず」(熊神籬)一式、(熊は虎のことを言っているかも知れない)
⑧ 「いてあさのたち」(出浅の太刀)一振、

この八品を但馬に納めました。(この土産物の内容はこの後の37-42~43にも重複記載あり)


ジョンレノ・ホツマ

35-7. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に

5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)

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5. 「もろすけ」(新羅の皇子「あめひぼこ」の長男)が臣に(35-7)



 みほはもろすけ(35-7)
とみにめす


(たまき宮)三年元旦(一日とだけで月の記載はないが元旦を意味していると考えられる)に「もろすけ」(後述の「あめひぼこ」の系図より「あめひぼこ」の長男)を大臣に迎えました。



ジョンレノ・ホツマ

35-5~7. 任那より使者が来朝、国交が開かれる

4. 任那より使者が来朝、国交が開かれる(35-5~7)


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みまなより そなかしちして(35-5)
みつぎあげ はつみよいわふ




この年(たまき宮二年)、任那より「そなかしち」が任那王の使者として来朝し、垂仁天皇の初の御世を祝う貢物を献上いたしました。


おおんみき たまひたまもの(35-6)
ゐついろの かつみねにしき
あやもゝは みまなのきみに
たまわりて


天杯(天皇が自らお神酒を勧めること)を与え(賜う)、賜物を与えました。
五色の数峯錦織と綾織錦を二百反(二反で一衣:匹)を、任那の王に賜りました。

このときは「たかはた織り機」で織る錦織が日本の特産品であったことが分かります。
数峯錦織とは、山々が連なった柄のものですが、現物は確認されていません。


 しほのりひこが(35-6)
のぼりたて くにゝおくれば(35-7)
みちひらく



帰路は、「しほのりひこ」が、舟に幟(のぼり)をたてて、海賊などに妨害されることもなく、任那国に無事、送り帰しました。そして、正式に国交が開かれました。

(「しほのりひこ」は、八代孝元天皇と「はにやす姫」の間に生まれた「はにやす」の子孫で、任那に雪解け;問題解決のために派遣された)



ジョンレノ・ホツマ

35-5. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む

3. 「さほ姫」が皇子「ほんづわけ」を生む(35-5)



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 しはすうむみこ(35-5)
ほんつわけ あえものいわず



十二月に「さほ姫」が生んだ皇子は「ほんづわけ」です。しかしながら、「ほんづわけ」はものを言いませんでした。(声を発しませんでした)

後日、「さほ姫」は垂仁天皇を殺害するよう「さほ姫」の兄「さほしこ」から言い寄られます。しかし、最後は火攻めに遭い亡くなってしまいます。

ジョンレノ・ホツマ

35-4~5. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す

2. 「さほ姫」を中宮にたて、都は「たまき宮」に移す(35-4~5)



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 ふとしきさらぎ(35-4)
さほひめを うちみやにたつ



(垂仁天皇は)翌年(二年目)の二月、「さほ姫」を中宮(うちみや)にたてました
(迎い入れました)


にいみやこ うつすまきむき(35-4)
たまきみや(35-5)



(垂仁天皇は)新しい都を纒向(まきむき)の地に移し(遷都)「たまき宮」と名付けました。


ジョンレノ・ホツマ

35-1~4「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位

35綾 新羅の皇子「ひぼこ」が来た綾、そして相撲の始まりの綾

1. 「いそさち」皇子は「いくめいりひこ」(垂仁天皇)に即位(35-1~4)


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ときあすゝ むもやそことし(35-1)
ねやゑはる むつきつあとは


時は「あすず暦」の六百八十九年(神武天皇より)、「ほつま暦」では「ねやゑ」の春、新年の一月の「つあと」(日にち)は一日のことです。
(「あすず暦」は「あずさ」の木に印しをつけて暦にしていました)


おみえみこ いむなゐそさち(35-1)
としよそふ あまつひつぎを(35-2) (あ)=天
うけつぎて いくめいりひこ
あまきみと



「おみえ」(中心におられる)の皇子(みこ)は実名を「いそさち」と言い、年令は四十二歳で皇位を継承して即位されました。「いくめいりひこ」天皇(あまきみ)となられました。「いくめいりひこ」天皇は、後世になって「垂仁天皇」と名付けられました。



 かざりをたみに(35-2)
おがましむ



かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けました。(=即位の礼、天孫ニニキネ以降続いている)



 きみうまれつき(35-2)
たゝなおく こゝろほづまに(35-3)
おごりなく



君(垂仁天皇)は生まれつき、実直(たたなおく)で、心はいつも清く真で秀でて、決して驕ることがない優しい性格でした。



 ゆめのしるしに
みよのはつ あきあにおくれ(35-3) (あ)=天
ふゆおさめ



思っていることが夢に出てきて、それを実行されました。(天皇の夢あわせ)
垂仁天皇になった、この御世の元年の秋に、天国に送りました。そして冬(十一月二十三日以降)に陵に納めました。
亡くなった後、一年間、遺体は枯らしてから、天に送る儀式をしていたことが分かります。



 はゝいまなそこ(35-3)
みうえとし おゝはゝことし(35-4)
もゝやそこ




母(垂仁天皇の母であれば、「みまき姫」、崇神天皇の母を言っているのならば「いきしこ姫」)は今七十九歳で、太政皇后(みうえ)にしました。大母(太政皇太后)は今年百八十九歳になりました。


ジョンレノ・ホツマ

36綾目次

ホツマツタヱ 36綾



やまとひめかみしつむあや
36綾目次 やまと姫 神 鎮づむ 綾

(天照大神の御霊をやまと姫が安置する)


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36綾目次

1. たまき宮十二年「やまと姫」が誕生(36-1~2)
2. 「やまと姫」の母、「かばい姫」が産後半月で亡くなる(36-2~3)
3. 垂仁天皇は「たにはちみちうし」の五人の娘をお妃に(36-3~5)
4. その五人の娘の中「たけの姫」だけ宮に入れず帰される(36-5)

5. 五人の娘の長女、妃の「ひはす姫」が皇子・姫を生む(36-5~7)
6. 五人の娘の次女すけ妃「ぬはだ姫」が皇子・姫を生む(36-7)
7. 五人の娘の四女うちめ「あさみ姫」が皇子・姫を生む(36-7


8. 「ほんずわけ」ものが言えるようにと「やまと姫」に祈らせる(36-8-9)
9. 「ほんずわけ」白鳥を見て声を出す(36-9~11)
10. 「ゆかわだな」白鳥を捉え「ほんずわけ」に賜る(36-11~12)
11. 「ゆかわだな」に「とりとり」の氏を与える(36-12)


12. たまき宮二十五年、垂仁天皇の詔、先代に倣い神を祀る(36-13~15)
13. 天照大神の御霊を「とよすき姫」から「やまと姫」へ(36-15)
14. 昔「とよすき姫」が丹後の「よさ」へ行きました(36-16~17)
15. たまき宮三十九年詔、御付きの大臣も代わる(36-17~18)

16. 「とよけ」の神と「天照大神」を祀り、「みちうし」は良い跡継ぎを得る(36-18~19)
17. 「とよすき姫」は「ささはた宮」に帰る(36-19)
18. 再び、「とよすき姫」に神の告げ(36-19~21)
19. たまき宮二十二年「やまと姫」が「みつえしろ」になる(36-21~22)

20. 神に捧げようとした「あめのうずめ」の櫛を落とす(36-22)
21. たまき宮二十三年の新年の初日を「明けの原」で迎える(36-22~23)
22. 「やまと姫」は粥占いで、「ほんずわけ」を祈る(36-23)
23. 「とよすき姫」は、御杖(みつえ)の役を、「やまと姫」に見習わせる(36-23~24)
24. 「おみこ」になった「やまと姫」は、御霊笥を飯野宮から「いそべ」に遷す(36-24~25)

25. 良い宮の候補が「さ」にあると、神の告げを受ける(36-25)
26. 「やまと姫」の「わかご」が「さるたひこ」に出会う(36-25~26)
27. 「さるたひこ」は天照大神からの賜物を「わかご」に授けて消える(36-26~29)
28. 「やまと姫」は、宇治へ行き、三宝が祭られる場所と決める(36-29~30)
29. 宮を建てるため整地する(36-30~31)
30. 宮が完成し落成式に参列された方々(36-31~33)

31. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる(36-34~35)
32. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける(36-35~36)
33. 天照大神が「やまと姫」にお告げ(36-36~37)
34. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える(36-37)
35. 垂仁天皇は和幣をなし、「とよけ」の神への「さおしか」を定める(36-37)
36. 神の教える道(36-38~39)
37. 内宮(天照大神)の鰹木(36-39~40)
38. 外宮(とよけ神)の鰹木(36-40~41)

39. 外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割(36-41)
40. 内宮は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教え(36-41)



ジョンレノ・ホツマ

36-41 外宮の神(とよけ神)と内宮の神(天照大神)の役割

39-40外宮の神(とよけ神)と内宮の神(天照大神)の役割(36-41)  

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39. 外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割(36-41


 うちあつくいつ(36-41)
たみのちゝ おそれみちゑよ



御心の内(神の真意)は厚く、国民に厳しい父の役割です。
おそれて(反発せずに)、その道を学びなさい。(教えに従いなさい。)


40. 内宮は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教え(36-41)


うちみやは きみはゝのこを(36-41)
めぐむのりかな(36完)


「うちみや」(内宮)は、天照大神が、母の子供を慈しむような恵む教えであります。

この最後の記述が天照大神が女神と勘違いされるようになった原因と考えられます。

36綾完

ジョンレノ・ホツマ

36-40~41 内宮(天照大神)と外宮(とよけ神)の鰹木(かつおぎ)

37~38 内宮(天照大神)と外宮(とよけ神)の鰹木(かつおぎ)
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37. 内宮(天照大神)の鰹木(36-39~40

 かれかつおやぎ(36-39)
ちぎのうち そぐはうちみや




それ故に、棟木の上に置かれる鰹木(かつおぎ)を八本(や)にして、千木(ちぎ)の内側をそぐ(削る)ので、うちみや(内宮:ないぐう)と言います。

現在の伊勢神宮内宮の千木は十本あります。後述の外宮の千木は九本です。外宮を祭っている「とよけ神」より、この内宮を祭っている「天照大神」の方が偉いと勘違いされて、後世になって、千木の本数を増やしたものと思われます。



うちかろく やたみゆたかに(36-40)


うち(宮中)は軽く(質素にして)、八民(国民)が少しでも豊かになることを願うからです。




38. 外宮(とよけ神)の鰹木(36-40~41


またとよけ さかほこののり(36-40)
あめのほし こくらあらわし
かつおこぎ ちぎはとをそぐ
かれとみや(36-41)



一方、「とよけ宮」は「さかほこ」(逆矛:刑罰)の「のり」(法)により、天の高天原の九星座(こくら:天にある九神)を表します。鰹木(かつおぎ)は九本(こ)です。
千木は外側を削いでいるので「とみや」(そとみや:外宮)といいます。



ジョンレノ・ホツマ


36-39. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える


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34. 「やまと姫」はお告げを垂仁天皇に伝える(36-37




 やまとひめより(36-37)
これをつぐ



この天照大神の言葉は「やまと姫」に乗り移って、垂仁天皇に告げられました。



35. 垂仁天皇は和幣をなし、「とよけ」の神への「さおしか」を定める(36-37


 きみよろこびて(36-37)
にぎてなし とよけのかみえ(36-38)
さおしかは みわのみけもち
いわひどは たにはみちうし



きみ(垂仁天皇)は喜ばれて、自ら和幣(にぎて)をなし(成す:作る)ました。そして、「とよけ」の神への「さおしか(勅使)」として、大三輪の「みけもち」を定めました。
「いわいど(斎主)」は「たにはみちうし(丹波みちうし)」でした。

「とよけ」の神は「天照大神」の母親「イサナミ」の父に当たる方で、「天照大神」を日高見(今の仙台多賀城付近)で帝王学を教えた経緯があります。



36. 神の教える道(36-38~39



くにぬしの かみのおしえは(36-38)
おおんかみ つぎおおほして(36-39)
いせのみち やおひとぐさを
いけのぞむ




「おおくに主」の神の教えるところは、天照大神は継ぎが多くなるよう(子孫繁栄を願って)、いもせ(妹背:男女の)の道を定め、八百万人民を生き生きと生活できるよう(いけ)恵まれてきました。



ジョンレノ・ホツマ

36-36~37. 天照大神が「やまと姫」にお告げ


33. 天照大神が「やまと姫」にお告げ(36-36~37)

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 かみもよろこび(36-36)
つげいわく



神(天照大神)も喜ばれて、「やまと姫」にお告げがありました。(天照大神が「やまと姫」に乗り移ったか、「やまと姫」が霊視したのか、夢を見たのかはわからない)

 

むかしわかすむ(36-36)
さこくしろ しきなみよする



昔、我が住む(天照大神の時だから千年以上の昔になる)さごくしろには「しきなみ」(重波)寄せている。



いせのみや ながくしづまり(36-37)
まもるべし



伊勢の宮は、未来永劫、鎮座して守るべしと告げられました。



 とよけのかみと(36-37)
もろともぞ



「とよけ」の神と諸共ぞ。

「とよけ」の神は「天照大神」の母親「イサナミ」の父に当たる方で、「天照大神」を日高見(今の仙台多賀城付近)で帝王学を教えた経緯があります。


ジョンレノ・ホツマ

36-35~36. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける

32. 垂仁天皇は節休み(五節句)を設ける(36-35~36)


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 たけのみやこに(36-35)
ぞろいのり あめかぜのふし
ほどよくて ゆたかのなれと
ふしやすみ(36-36)



たけの都(たけ神社:伊勢)に御幸して、豊作を祈りました。
雨、風の節目も程よく(天候不順にならないよう)、国が豊かになれとの気持ちを込めて、節休みを設けました。

節休み:竹の節目にたとえて、仕事を休む日を、垂仁天皇は、五節句(正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)として決めました。

 

いやまひもふす(36-36)
みめぐみや



民は心からこの休みを敬い、天皇のこの御恵みに感謝しました。





ジョンレノ・ホツマ


36-34~35. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる

31. たまき宮二十六年、天照大神が「さごくしろうじ宮」にわだましされる(36-34~35)


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ふそむほの なづきそむのか(36-34)
おおんかみ ゐそすゝがわの
さこくしろ うぢにわたまし


たまき宮二十六年九月十六日、天照大神が「いそすず川」(伊勢内宮)の「さごくしろうじ宮」にわだまし(渡御:とぎょ、お入りになる)されました。

「さごくしろ」とは、天上におられる神々のところで高天原とも言う。



そなかのよ みたけばしらを(36-34)
おさめしむ これすべらぎの(36-35)
みづからの


明くる十七日の夜、御丈柱(背丈に合った天の御柱)を納められました。これは、垂仁天皇のご自身の背丈に合わせたものです。




ジョンレノ・ホツマ

36-31~33. 宮が完成し落成式に参列された方々

30. 宮が完成し落成式に参列された方々(36-31~33)


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 ちぎたかしりて(36-31)
みやなれは みかどにもふし(36-32)
みことのり



千木(ちぎ)の高さも定まりました。そして、宮が完成いたしました。完成を「みかど」(すべらぎ:垂仁天皇)にご報告しました。
そうしたら、垂仁天皇の詔がありました。

以降、この伊勢の宮の落成式に列席した人が記されています。


 みかさのおとゞ(36-32)
いわひぬし



「みかさのおとど」:国摩(くになづ)大鹿島の命:みかさ文を編纂出録された方)は、「いわい主」(神だけを祀る専任の神職)という役目です。


 わたらひとみは(36-32)
かんぬしに


「わたらい臣」は伊勢内宮の(後に外宮も)神主です。



 あへたけぬがを(36-32)
みかわりと 



「あべたけぬが」(崇神朝の時、「たけぬがわほずまおし」に任命:「おし」は官礼という役職)を「み」(垂仁天皇)の代参として、



わにくにふくを(36-33)
うちかわり



「わにくにふく」(奈良県天理市わに村)を「うち」(中宮)の代参として、

 

ものべとちねを(36-33)
みうえから



「ものべとちね」を「みうえ」(太上后)の代参として、



 たけひあさどを(36-33)
みこかわり おのおのもふで



「たけひ朝臣」は「みこ」(皇子)の代参として、それぞれの役を命じて詣でました。



ジョンレノ・ホツマ

36-30~31. 宮を建てるため整地する

29. 宮を建てるため整地する(36-30~31)


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 おゝはたぬしと(36-30)
やそともに ゐそすゞはらの
くさからせ おちこちやまの(36-31)
きをきらせ



その後、「おおはたぬし」(もののべ)と八十人もの供達に命じて、いそすず原の草を刈らせ、あちこち(おちこち:遠近)の山の木を切らせ整地させました。


 もとすえもとし(36-31)

木材は上の方を下に、根の方を上に逆さまにします。(屋根:「やね」は、根が上からきている)
切り取った木でも、さかさまにしないと生きていて成長してしまうので逆さまに置くことを当時から知っていたことに感心します。現在の一般の木造建築で、機械加工をした木の上下の向きが区別できるのか疑問に思います。


まなかもて おゝみやはしら(36-31)
しきたてゝ


木材の中心の良い所を使って、大きな宮の柱にします。
絵図に仕切られたように(従って)建てます。


ジョンレノ・ホツマ



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