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34-39~41. 「つのがあらしと」の昔の話

26. 「つのがあらしと」の昔の話(34-39~41)



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これのさき あめうしにもの(34-39)
おほせやり あらしとゆけば
うしみえず
 

ここから先は昔の話です。飴牛(あめうし・黄牛ともいい、古くは立派な牛として尊ばれた)に、荷物を背負わせて「あらしと」は進んでいきました。しかし、途中で牛を見失ってしまいました。多分、一休みした時、一寝入りしてしまったのでしょう。

なお、ちょっと気になったのが「あらしと」の父親(韓国の君・国王)の名前が「うしきありしと」と何か「うし」に関係がありそう。また、「つのがあらしと」は後日、牛頭(ごず)天王と言われている方を指しているような気がします


おきなのいわく(34-39)
これをすに さきにもふけて
これくわん(34-40)


翁と出会います。この老人に聞いた所、荷物を「す」(素・元手)に、(あるいは、掏られて)大きく儲けているだろう。牛はすで喰われているだろう。

 

ぬしきたりなば(34-40)
あたいせん すでにころしつ



もし、牛の持ち主と出会ったら、値段をつけなさい。(値千金?)でも、既に、殺されているかもしれないが。(??)





もしさきで あたいをとはゞ(34-40)
まつるかみ ゑんとこたえよ




もし、この先で、牛の値段を聞いてきたら
この地で祭る神が欲しいと答えなさい。



たづぬれば むらきみうしの(34-41)
あたいとふ こたえてまつる
かみゑんと



牛を探して尋ねていくと、村の君(長)が、牛の値段を聞いてきましたので、「あらしと」は祭る神が欲しいと答えました。


ジョンレノ・ホツマ
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34-37~38. 「つのがあらしと」を召したところ、有能につき「任那」という国名を与えた

25. 「つのがあらしと」を召したところ、有能につき「任那」という国名を与えた(34-37~38)


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かれつのが めしてつかえば(34-37)
まめありて(34-38)



よって、話を聞いた君(崇神天皇)は、「つのが」(つのがあらしと)を召して使ってみることにしました。そうしたら、まめでありました。(忠義に厚く勤勉で有能でありました)



 ゐとせにたまふ(34-38)
なはみまな


「つのがあらしと」は非常に有能であったので、五年後には「みまな」という国名を賜りました。
君(崇神天皇)の「みまきいりひこ」の名前の二文字「みま」を取って「みまな」と名付けられました。



 かぞみねにしき(34-38)
くにづとに かえるあらしと
みまなくに これたちそめぞ


数峯錦という錦織を国への土産に「あらしと」(つのがあらしと)は「みまな国」へ帰りました。これが「みまな国」の建国の始めです。


ジョンレノ・ホツマ

34-35~37. 韓国の皇子「つのがあらしと」は、やっと君(崇神天皇)に会えた

24. 韓国の皇子「つのがあらしと」は、やっと君(崇神天皇)に会えた(34-35~37)



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つたゑきく ひしりのきみに(34-35)
まつらふと あなとにいたる



私の国で、聖の君が居られると伝え聞いていたので、やまとの国に服らおうと国を出て船で「あなと」(穴門国・山口県)に着きました。



ゐつゝひこ とみにいわくは(34-36)
このくにの きみはわれなり
こゝにおれ ひとなりみれば
きみならず



「あなと」で「いつつひこ」なる人物が「とみ」(ここでは私)に言うには、この国の君(天皇)は私です。だから、ここに居なさい。と申されました。しかしながら、その人なりを見れば、どう見ても君(天皇)には見えませんでした。



 さらにかえりて(34-36)
みやこぢと うらしまたづね(34-37)
いつもへと やゝこゝにつく



一旦、帰ることにして、都へ通じる道を探し求め、通津浦裏の島々を尋ね、「いづも」を経て、やっとこの地(敦賀)に着きました。



かみまつり きみこゝにあり(34-37)


運良く、神祭りのため君(崇神天皇)がちょうどこの地に居合わせお会いすることが出来ました。


ジョンレノ・ホツマ

34-33~35任那の綾. 敦賀に御幸のとき、韓国からの皇子に出会うが言葉が通じず

みまなのあや 任那の綾
23. 敦賀に御幸のとき、韓国からの皇子に出会うが言葉が通じず(34-33~35)




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みづかきの ゐそやほはづき(34-33)
みゆきして けゐおゝかみに
もふでます



みづかき宮の五十八年八月に、君(崇神天皇)は御幸されました。敦賀の「けひ(気比)大神・神宮」に詣でました。



 もろいわふとき(34-33)
つのひとつ あるひとこゝに
たゝよえり(34-34)



諸臣が祝っているときに、頭に角が一つある人物がここ、敦賀(福井)に漂着しました。舟で漂い着きました。



 ことばきゝゑず(34-34)
はらなとみ そろりよしたけ
よくしれば これにとはしむ



言葉が何を言っているのか分からず通じないので、「はら」(はらみ山・蓬莱山・酒折宮・現浅間神社)の臣の「そろりよしたけ」が外国の言葉に詳しいので、呼び寄せて詳しく問うことにしました。
この「そろりよしたけ」は中国から渡来した徐福の末裔の可能性もあると思います。
敦賀から美濃・今の中仙道を経由して酒折・浅間神社まで約三百五十キロの道のりを呼びに行かせて連れてくるまで、どの位待っていたのでしょうかね。




そのこたえ われはからくに(34-34)
きみのみこ つのがあらしと(34-35)
ちゝがなは うしきありしと



その答えは、我は「からくに」(韓国)の君(王)の皇子の「つのがあらしと」と申します。父の名は「うしきありしと」と申します。


年代の特定が出来ませんが、当時朝鮮半島の南方にあった「辰:チン」という国が、紀元前1世紀頃、馬韓、辰韓、弁韓の3国に分裂した。その後1世期ごろまでに、馬韓は漢や北方の国々と、辰韓と弁韓は南の倭寇と撃退しながら、馬韓は百済に、辰韓は新羅に統合されていった。一方、紀元前37年中国の東北地方南部に興った高句麗は韓半島の北部まで支配するようになったようです。(韓国の歴史書より)
いずれにせよ、政情が不安定であったことが窺えます。



ジョンレノ・ホツマ

34-30~31. 君(崇神天皇)は夢で弟の「いそさち」(いくめいりひこ)を世継ぎ皇子に

22. 君(崇神天皇)は夢で弟の「いそさち」(いくめいりひこ)を世継ぎ皇子に(34-30~31)


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 きみこのゆめを(34-30)
かんがえて あにがゆめたゞ(34-31)
ひがしむき ほづまおさめよ
おとはよも たみをおさむる
よつぎなり


君(崇神天皇)は、この二人の見た夢を考えて(考慮して)、兄の夢はただ東を向いているだけなので、「ほづま」(東国)を治めなさい。
弟は、四方の万民を治める世継ぎにすると申されました。



 うそこかつみえ(34-31)
みことのり ゐそさちたてて(34-32)
よつぎみこ とよぎいりひこ
ほづまつかさぞ




みづかき宮の四十八年四月十九日(ほつま暦・つみえの日)に、詔がありました。
「いそさち」(いくめいりひこ)を日嗣の皇太子に立てて、「とよぎいりひこ」(兄)は「ほづま」の司(政務をつかさどる)に任命しました。


ジョンレノ・ホツマ

34-29~30. 兄の「とよきひこ」と弟「いくめいるひこ」の夢

21. 兄の「とよきひこ」と弟「いくめいるひこ」の夢(34-29~30)



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 とよぎもふさく(34-29)
みもろゑに きにむきやたび(34-30)
ほこゆげし



兄の「とよぎ」(とよきひこ)が申し上げるには、「みもろ」の山に登り、「き」(東)に向かって、八回、矛を突付く夢を見ました。



 いくめもふさく(34-30)
みもろゑに よもになわはり
すゞめおふ



弟の「いくめ」(いくめいりひこ)が申し上げるには、「みもろ」の山に登り、四方に縄を張って、雀を追う夢を見ました。


ジョンレノ・ホツマ

34-28~29. 二人の皇子に詔、世継ぎを夢で占う

20. 二人の皇子に詔、世継ぎを夢で占う(34-28~29)



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よそやとし はつそかおあえ(34-28)
とよぎみと いくめぎみとに
みことのり(34-29)



みづかき宮の四十八年一月十日(ホツマ暦おあえの日)に長男「とよぎみ」と次男「いくめぎみ」に崇神天皇の詔がありました。数え年だと次男が二十歳になった時です。




 なんぢらめぐみ(34-29)
ひとしくて つぎしることの
ゆめすべし



詔は、汝ら(二人)には、今まで平等に育ててきたが、日嗣をする皇子を決めるために(知るために)夢で占うことにする。



 ともにゆあみし(34-29)
ゆめなして



二人とも「湯浴み」(身を清めて)してから、それぞれ日嗣の夢を見ました。


ジョンレノ・ホツマ


34-25~28. 崇神天皇の妃と子供たち

19. 崇神天皇の妃と子供たち(34-25~28)



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 きさきもおえて(34-25)
すけやさか といちにもふで
うむみこは とちにいりひめ



妃も子供を生(お)えました。(役割を終えました・生みました)
すけ妃の「やさか姫」(やさかふりいろね)が十市に詣でた時に生んだお子さんは「とちにいり姫」です。



ふそむとし ねつきはつひに(34-25)
みまきひめ しぎにうむみこ(34-26)
とよきひこ いむなしぎひと



みづかき宮の二十六年十一月一日に「みまき姫」(おおひこの娘)が磯城(しぎ)で生んだ皇子は「とよきひこ」で実名は「しぎひと」です。



ふそことし はつひおうとに(34-26)
きさきまた うむみこいくめ
いりひこの いむなゐそさち(34-27)



みづかき宮の二十九年「おうと・ホツマ暦」の初日に妃の「みまき姫」が二人目の皇子を生みました。「いりひこ」(いくめいりひこ)と言い、実名は「いそさち」です。
「とよきひこ」の弟ですが、後の十一代垂仁天皇になられます。

「はつひ」の「おうと」がいつなのかは解析が必要です。




みそやとし あきはづきゐか(34-27)
きさきのと くにかたうちめ
うむみこは ちちつくわひめ



みづかき宮の三十八年の秋、八月五日に妃(みまき姫)の「と」(妹)のうちめの「くにかた」が生んだ御子は「ちちつくわ姫」です。



よそむつき すえやかこうむ(34-28)
いかつるの いむなちよぎね



四十年の正月の末の八日(二十八日)に生んだ二人目の子は「いかつる」で実名を「ちよぎね」といいます。



ジョンレノ・ホツマ

17-18. 大人と未成年を区別、 休暇を制度として儲け、「肇国(はつくに)」と称えられる(34-23~25)

17. 大人と未成年を区別する(34-23)



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 おさといとけの(34-23)
みちもあけ


「おさ」(大人・成人)と「いとけ」(幼・稚・未成年)の区別を定めます。




18. 休暇を制度として儲け、「肇国(はつくに)」と称えられる(34-23~25)


 たみにおゝする(34-23)
いとまあけ ゆはずたずえの
みつぎとめ(34-24


次に、民(国民)に負うていた(負担であった)、暇(いと)間を与えましょう。
その日は、弓端(ゆはず)や手末(たずえ)の貢ぐための作業はやめましょう。

語源は多分、機織で、糸と糸の間を開けて、余裕を持たせた方がきれいに速く織りあがる所からきているものと考える。そこから、「おいとま」します、とか休暇を与えるという意味合いになったと考えます。


 たみにぎはせて(34-24)
ぞろのとき なおりてやすく


休暇を取り入れたので、万民は元気に(にぎやかに)なりました。稲穂の収穫の時には、家屋も修復されきれいになりました。


このみよを はつくにしらす(34-24)
みまきのよ たみたのしめば
きみやすく(34-25)



この御世を「肇国(はつくに)・全国統治したことを知らしめした初めての天皇の意味」の「みまきの世」と称えられました。
万民がこの世を謳歌したので、君(崇神天皇)は心がやすまりました。

ジョンレノ・ホツマ

34-21~23 .詔(みことのり)、平和な世に感謝し、今後を考える

16 .詔(みことのり)、平和な世に感謝し、今後を考える(34-21~23)



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 そふやよいそひ(34-21)
みことのり あまつひつぎを
われつぎて あめのおふひも
やすからず



みづかき宮の十二年三月十一日に、詔がありました。
私、(崇神天皇)は天の日嗣を受け継いでから、天の追う日も(毎日が追われるようで)平穏ではなかった。(気が気ではなかった)



 めおあやまりて(34-21)
ついでせず ゑやみおこりて(34-22)
たみおえず


陰陽(めお・天地)が違って(乱れて)、継いで(順番や自然の流れの法則)が機能しなくなり(天候不順になり)、疫病が起こり(発生し)、民を死なせてしまった。




 つみはらわんと(34-22)
あらためて かみをうやまひ
おしえたれ



この罪(汚れ)を掃い清めるために、改めて神を敬い、神の教えに従ってきました。




 やおのあらびと(34-22)
いまなれて もろたのしめば(34-23)
かんかえて


八方にいた荒人(乱暴者)も祀いました。その結果、今やっと、平和になって民(諸人)が楽しく暮らせる世の中になりました。そこで、この平和な世に感謝して今後のことを考えました。



ジョンレノ・ホツマ


34-20. 「おおたたねこ」が戦死者の「おとく祀り」を

15. 「おおたたねこ」が戦死者の「おとく祀り」を(34-20)



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 あきたゝねこに(34-20)
おれがれの おとくまつりを



君(崇神天皇)は、この秋に「おおたたねこ」に、今度の「おれがれ」(戦死)した犠牲者の「おとく」(苦しんでいる緒を解きほどく・供養をする)の祀りをするようを命じました。



はしづかに なせばかゝやく(34-20)
のりのいち(34-21)


「おおたたねこ」は、この「おとく」祀りを「はしづか」古墳で行ないました。そうすると、辺りは明るく照り輝き、神の宣告(のり)で太市は賑わうようになりました。


ジョンレノ・ホツマ

34-19~20. 遠方の国へ向かった教えどが戻り、平穏になる

14. 遠方の国へ向かった教えどが戻り、平穏になる(34-19~20)



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ここで、前に戻ります。

そひうづき そむかよみちの(34-19)
えびすむけ きみにつぐれば(34-20)
くにやすく




みづかき宮十一年四月十六日、四方(よも)の「おしえど」(教導人)は遠方の国(えびす)に向かった内容を君に報告しました。皆、朝廷に平穏に帰伏しました。


ジョンレノ・ホツマ

34-17~19. ももそ姫を「はしづか」に埋葬する

13. ももそ姫を「はしづか」に埋葬する(34-17~19)



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 おいちにうづむ(34-17)
はしづかや(34-18)




太市に埋葬したのが箸塚古墳です。


 ひるはひとでに(34-18)
よはかみの おゝさかやまの
いしはこび もろあひつぎて
たごしがて


昼は人力で、夜は神の力で、逢坂山の石を運びました。諸人が並び継いで、次から次へと手渡し(手越し)で石を運びました。



 はかなるのうた(34-18)
おほさかも つきのかおそえ(34-19)
いしむらを たごしにこさば
こしがてんかも



お墓が完成した時の歌。
逢坂も継の顔を添えて(並べて)、石群(いしむら)を手越しに越さば、越(こしらえる)が、天かも。
逢坂山の石も次々と手渡しで運べばできるということだ。

この綾により、現在発掘中の箸塚古墳は「卑弥呼」の墓か?と騒がれていますが、「ももそ姫」の墓であることがわかります。「ももそ姫」が「卑弥呼」と同一人物と仮定するには、魏志倭人伝の記述から難しいことが分かります。
もっと「卑弥呼」と呼ばれるにふさわしい人の存在が浮かび上がってきます。なぜ「卑弥呼」とよばれたか、同時に「邪馬台国」の本来の意味もやっと見えてきました。


ジョンレノ・ホツマ

34-16~17 .恥をかかせた姫は自害する

12 .恥をかかせた姫は自害する(34-16~17)



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 おほがみはぢて(34-16)
ひとゝなり なんぢしのびず
わがはぢと おほそらふんで(34-17)
みもろやま



大神は大変恥じて、人の姿になって、汝は私の言いつけを守れず、私には取り返しのつかない恥である。と言うやいなや、大空を駆け上がり「みもろ山」(三輪山)に消え失せてしまいました。



 ひめあほぎはぢ(34-17)
つきおるに はしにみほどを
つきまかる



ももそ姫は、仰ぎ見ながら、恥をつかせてしまった。
箸で御陰を突いて自害された。

というのが大方の取り方ですが、この不自然な記述について、私は本当のことは部外者には洩れては困る秘密が隠されているように思えます。


「ももそ姫」の秘密については下記も参照ください。
http://jhonreno.exblog.jp/12312639/






ジョンレノ・ホツマ

34-15~16. ももそ姫、櫛笥の中に子蛇を見てしまう

11. ももそ姫、櫛笥の中に子蛇を見てしまう(34-15~16)


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もゝそひめ こゝろあやしく(34-15)
あくるあさ くしげをみれば(34-16)
こへびあり ひめおどろきて
さけびなく



「ももそ姫」は不思議に思い(こころあやしく)、
明くる朝、櫛笥を開けて見ると、そこには小蛇が入っていました。「ももそ姫」は驚いて大声で叫び泣いてしまいました。

櫛笥、子蛇は何を意味しているのか、意図しているのか、何を隠しているのか、興味の湧く所です。


ももそ姫」の秘密については下記も参照ください。
http://jhonreno.exblog.jp/12312639/






ジョンレノ・ホツマ



34-14~15. ももそ姫、大物主の妻になり主の姿を見たいと思う

10. ももそ姫、大物主の妻になり主の姿を見たいと思う(34-14~15)



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ここから、話しが変わります。


もゝそひめ おほものぬしの(34-14)
つまとなる




「ももそ姫」が「おおものぬし」の妻になりました。



 よにはきたりて(34-14)
ひるみえず あけなばきみの
みすがたを みんととむれば
かみのつげ(34-15)


どういうわけか、夜になると主は来て、昼間は姿を見せません。姫は明け方に君(主)のお姿を見たいと願い、お帰りになるのを留めようとしたところ神のお告げがありました。




 こといちじるし(34-15)(こといとじるし)
われあした くしげにいらん
わがすがた なをどろきそと




その願いははっきりわかります(著しい)。
我は明日、櫛笥(くしげ)に入っているので、我が姿を見ても決して驚かないでくれ。と言って消えました。



ジョンレノ・ホツマ

34-12~13. 遠方の国の平定に向かう

9. 遠方の国の平定に向かう(34-12~13)



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 めつきはつひに(34-12)
みことのり(34-13)



その年(みづかき宮十年)の十月一日、詔がありました。



 うちはむけれど(34-13)
とつあるゝ よみちのいくさ
たつべしと すえふかにたつ (たつべきと:小笠原写本)
よものおしゑど



うち(やまとの国内)は平定できたが、遠くにある国々は、まだ争いが絶えない。よって、「よ」(四)「みち」(道・方面)の軍(いくさ)に行くべしと、十月二十二日(末の二日)に出発しました。
この将軍のことを四方(よも)の「おしえど」(教導人)と言いました。


なお、この内容については、(33-36~39)前の綾でみづかき宮十年七月にも同じ詔りをされており、多少前後関係が混乱されているかもしれません。



ジョンレノ・ホツマ

34-11~12. 「はにやす」を射ち殺し、反乱は治まる

8. 「はにやす」を射ち殺し、反乱は治まる(34-11~12)



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 さきあらそいて(34-11)
はにやすが いるやあたらず
くにふくが いるやはあたる
はにやすが むねうちころす



言い終わるや否や、双方が先を争って矢を放ちました。「はにやす」が射った矢は当たらず、「くにふく」が射った矢は当たりました。
矢は「はにやす」の胸に突き刺さり、「はにやす」を討ち殺しました。



そのいくさ やふれにくるを(34-12)
おひうてば わきみわきみと
ながれさる



その軍(いくさ)は大将が討たれてしまい、敗れた兵たちは我先に逃げ途惑いました。敗れたその兵たちに追い討ちをかけると我が君、我が君と叫びながら流れ去りました。



 いくさおさめて(34-12)
みなかえる




反乱も無事治めて、皆、都に凱旋しました。




ジョンレノ・ホツマ



34-9~11. 「おおひこ」は川下から「はにやすひこ」は川上から挑む

7. 「おおひこ」は川下から「はにやすひこ」は川上から挑む(34-9~11)



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 またおゝひこは(34-9)
しもみちに わからあからと (わからあくら:小笠原写本)
あひいどむ


また(一方)、「おおひこ」は下道(しもみち)を進み、「わから」(我・地・下から)と「あから」(天・上から)川を挟んで相挑みました。
「わからあから」は、「あわ」の歌の、おしまいの「わ」、はじめの「あ」より、「隅から隅まで」・「隈なく」とか、「一網打尽」とか「ねずみ一匹逃さず」の意味合い。



 はにやすひこは(34-9)
かわきたに ひこくにふくを(34-10)
みていわく なんちなにゆえ
こはむぞや




反乱を起こした「はにやすひこ」は川北(川上)に陣取って、「ひこくにふく」を見下して、汝、何ゆえに邪魔立てをするのだ。と言いました。



 くにふくいわく(34-10)
これなんぢ あめにさかふを
うたしむと(34-11)



「くにふく」(ひこくにふく)が答えていわく、これ汝、君の勅命により、天に逆らう、おぬしの事(賊)を征伐しにまいった。


ジョンレノ・ホツマ

34-8~9. ならさかで「ひこくにふく」は手合いで勝つ

6. ならさかで「ひこくにふく」は手合いで勝つ(34-8~9)



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 ひこくにふくは(34-8)
やましろの わにたけすきに
いんべすへ つわものひきて
いくさだて


「ひこくにふく」は「やましろ」の「わにたけすき」坂に「いんべ」(器・戦勝祈願のため、器に御神酒を入れ神に祭った)をすえて(清めて)軍を率いて軍(いくさ)に発ちました。
特攻隊が、御神酒がなく水杯(みずさかずき)で清めてから、死を覚悟して出撃したということを思い出し、この頃からの風習であったことに驚きます。



きかやふみむけ(34-8)
てがしわの いくさまづかつ(34-9)
ならざかぞ



生い茂った木や茅(萱・かや・イネ科の植物)を踏み分けて、「てがしわ」(手合い・前哨戦)の戦にまず軽く勝ちました。この地のことを「ならざか」と言います。


ジョンレノ・ホツマ

34-7. 「おおひこ」と「ひこくにふく」は「はにやすひこ」を征伐に

5. 「おおひこ」と「ひこくにふく」は「はにやすひこ」を征伐に(34-7)



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おゝひこと ひこくにふくと(34-7)
むかわしむ(34-8)



「おおひこ」(やまとあえくに・八代目開化天皇の兄)と「ひこくにふく」(七代目孝霊天皇の子供)の二人を「はにやすひこ」の征伐に向かわせました。


ジョンレノ・ホツマ

34-7. 詔が発せられ、「いさせり皇子」は「あだ姫」を打ち破る

4. 詔が発せられ、「いさせり皇子」は「あだ姫」を打ち破る(34-7)


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みことのり いさせりみこを(34-7)
おゝさかえ むかひあだひめ
うちやぶり ついにころしつ


崇神天皇から、詔が発せられました。「いさせり皇子」(七代目孝霊天皇の子供)を「逢坂山」へ向かい征伐しに行きました。そして、「あだ姫」を打ち破り最後には殺しました。

ここに出てくる「あだ姫」の「あだ」が、「あだを討つ」とか「あだ討ち」の語源になったと考えられます。


ジョンレノ・ホツマ

34-5~6. 「たけはにやす」と「あだ姫」が謀反(むほん)を起こす

3. 「たけはにやす」と「あだ姫」が謀反(むほん)を起こす(34-5~6)




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はやはかれ もろはかるうち(34-5)


君(崇神天皇)は早速、計画を行動に移すため諸臣を集めて諮りました。




はやすでに たけはにやすと(34-6)
あたひめと いくさおこして


はやくも、既に「たけはにやす」と妻の「あだ姫」が、反旗をひるがえして軍(いくさ)を起こしました。



やましろと つまはおゝさか(34-6)
みちわけて ともにおそふを




反旗をひるがえした「たけはにやす」は「山城」側から、同じく妻の「あだ姫」は「逢坂山」側から、道分けて(それぞれ逆方向から挟み撃ちして)同時に襲ってきました。





ジョンレノ・ホツマ


34-4~5 .ももそ姫は謀反者を知る

2 .ももそ姫は謀反者を知る(34-4~5)



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もゝそひめ うまれさとくて(34-4)
これをしる


「ももそ姫」は生まれつき聡明でこの内容を直感的に理解しました。



 きみにもふさく(34-4)
これしるし たけはにやすの
そむくなり



そして、君(崇神天皇)に申し上げました。これは悪い前兆です。「たけはにやす」の謀反に違いありません。



 われきくつまの(34-4)
あたひめが かぐやまはにを(34-5)
ひれにいれ いのりてくにの
ものざねと これにことあり




私が聞いた所によると、「たけはにやす」の妻の「あた姫」が香具山の土を取って、「ひれ」(布・ふろしきのようなもの)に入れていました。これは、何とか国を手に入れたいと祈っていると思われます。

「ものざね」(物事の素にになるもの・物の種・思いをかたちに換えようとしていることをしめしている)
このことを乙女は歌っていたと思われます。


ジョンレノ・ホツマ

34-1~3. 反乱を知らせる乙女の歌

1. 反乱を知らせる乙女の歌(34-1~3)

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今日から34綾です。

みまきの御世、任那の綾 後世の十代崇神天皇:みまきいりひこ になります。




1. 反乱を知らせる乙女の歌(34-1~3)

みづかきの とほなのそなか(34-1)
こしのおし おゝひこかえり
もふさくは


みづかき宮の十年九月十七日(「と」=十、「ほ」=年・歳、「な」=な月・菊な月・九月、「そ」=十、「な」=七、「か」=日)、越の国に勅使(おし)として派遣された「おおひこ」が、君(崇神天皇)に、帰って申し上げました。


 ゆくやましろの(34-1)
ならさかに おとめがうたに(34-2)
みよみまき いりひこあわや
おのがそゑ ぬすみしせんと
しりつどを いゆきたがひぬ



まえつどよ いゆきたがひて(34-3)
うかがわく しらじとみまき
いりひこあわや


「おおひこ」(やまとあえくに・八代目開化天皇の兄)は京都へ向かう途中の「やましろ」の「ならさか」に至ったとき、乙女が歌っていた歌が聞こえてきました。その歌の内容は、
御世(みよ)の「みまきいりひこ」(崇神天皇)は危ぶない・絶体絶命です。貴方(崇神天皇)の「そえ」(部下・要人・県主)が、貴方の政権を盗もう(国盗り)とたくらんでいます。
「後のつ戸」(背後・奥方のことを示す)からいったりきたり様子をうかがっていて君に背いています。

[前のつ戸]からも行ったりきたり様子をうかがって、国を奪おうと君に背いています。
知らないのは「みまきいりひこ」貴方だけですよ。「みまきいりひこ」は危ぶない・絶体絶命です。
(この歌は33綾にも全く同じものが重複しています。)



しるしかと きみこれはかる(34-3)


これは、何かの悪い前兆ではないかと、君(崇神天皇)はこのことを皆に諮(はか)りました(相談しました)。


ジョンレノ・ホツマ
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