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33-12〜13. 「みずかき宮」五年、疫病が流行り、国民の半数が死滅、神に乞う

9. 「みずかき宮」五年、疫病が流行り、国民の半数が死滅、神に乞う(33-12〜13)



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 ゐとしゑやみす(33-12)
なかばかる むとしたみちる



みずかき宮五年、疫病が流行りました。民の半分は死んでしまいました。翌年の六年には、民は散り散りになってしまいました。



ことのりに たしがたしかれ(33-12)
つとにおき つみかみにこふ(33-13)


天皇が自らおっしゃったことは、民を治められず政治がうまくいかない(足し難い)のはなぜだろうか、夜中に突然(つとに)起きて目が覚め、罪(助け)を神に願いました(乞いました)。


ジョンレノ・ホツマ
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33-11〜12. 崇神天皇は新たに三種の神器を作り直します

8. 崇神天皇は新たに三種の神器を作り直します(33-11〜12)




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 いしこりどめの(33-11)
まごかがみ あべひとかみの(33-11)
まごつるぎ さらにつくらせ



「いしこりどめ」(鋳物師)の子孫に「鏡」を、「あべひと神」の子孫に「剣」をそれぞれ新たに作らせました。
「あべひと神・あめひと神」魂を入れて打つ意



あまてらす かみのおしてと(33-11)
このみぐさ あめつひつきの(33-12)
かんたから



天照大神の神璽もあわせて、新しい三種の神器として皇位継承の日嗣(ひつぎ)の神宝としました。


ジョンレノ・ホツマ

33-10〜11.天照大神と「おおくにたま」の御霊を「とよすき姫」と「ぬなぎ姫」に祭らせる

6&7. 天照大神と「おおくにたま」の御霊を「とよすき姫」と「ぬなぎ姫」に祭らせる(33-10〜11)



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6. 天照大神の御霊を「とよすき姫」に祭らせる(33-10)

 あまてるかみは(33-10)
かさぬひに とよすきひめに
まつらしむ



天照大神の御霊は「笠縫」の地に移して、「とよすき姫」に祭らせました。


ここで、「とよすき姫」が初代の斎女「ひのみこ」つまり、「ひみこ」として大陸に伝わり卑弥呼という漢字があてはめられたと思われます。
実際には、魏志倭人伝の記述は、年代がもっと下がってからですから、二代目斎女の「やまと姫」のことを言っているように思えます。
十四歳で三代目斎女になった「いもの姫」は、年齢からみて魏志倭人伝に十三歳で王になった「壱与(いよ)」を言っているのではないかと思われます。漢字化されたとき、「いもの」の「いも」が「いよ」として伝わったと考えられるからです。(38綾76?79)



7. 「おおくにたま」の御霊は「ぬなぎ姫」に祭らせる(33-10〜11)


 おゝくにたまは(33-10)
ぬなぎひめ やまへのさとに
まつらしむ(33-11)


「おおくにたま」の御霊は「山辺の里」に移して、「ぬなぎ姫」に祭らせました。


ジョンレノ・ホツマ

33-7〜10. 「みずかき宮」四年、崇神天皇の詔

5. 「みずかき宮」四年、崇神天皇の詔(33-7〜10)




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 よほめすえみか(33-7)
みことのり(33-8)


「みずかき宮」の四年十月の二十三日(末の三日)に崇神天皇の詔がありました。
十月(雌月・女性の月・女性は妊娠後十ヶ月で生まれると考えられていた)



 みおやのさづく(33-8)
みぐさもの くにとこたちは
かんおして あまてるかみは
やたかがみ おゝくにたまは
やゑがきと(33-9)



「みおや」(先祖神・天神皇祖)から授かって受け継いできた三種の神器は、「くにとこたち」の神璽(かんおしで・天なる道を示した法・書かれたもの)と、天照大神の「やたの鏡」と、「おおくにたま」(おこのみたま神・おこの神・ことしろ主・えびす様)の八重垣の剣の三つのことです。



 つねにまつりて(33-9)
みとかみと


この三種の神器を宮中に祀り常に拝礼してきました。
御との神(御との教え(帝王学)として)祀ってきました。




 きはとほからず(33-9)
とのゆかも うつはもともに
すみきたる



神の居られる場所の際(きわ)から遠くない所で、寝起きする殿の床(寝床)も近くにして、食事の器も神と同じようにして、今まで住んで来ました。


 やゝいづおそれ(33-9)
やすからず(33-10)


しかし、最近、気安くしてしまい、「いず」(神の意向)を恐れるようになって、失礼に当たっていたのではないかと心が安まりません。



ジョンレノ・ホツマ

33-7. 「みずかき宮」三年、新しい都を磯城の「みずかき」に

4. 「みずかき宮」三年、新しい都を磯城の「みずかき」に(33-7)




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みほなづき しぎみづかきに(33-7)
にいみやこ


崇神天皇の「みずかき宮」の三年の九月に、磯城(しぎ)の「みずかき」に新しい都を作りました。
即位してから宮を新築するのに約三年かかったことが分かります。


ジョンレノ・ホツマ

33-6~7. 崇神天皇の子供たち

3. 崇神天皇の子供たち(33-6~7)




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これのさき めくはしがうむ(33-6)
とよすきめ



これの先(崇神天皇が各姫を娶ったこの後)、「めくはし姫」(紀の国の「あらかとべ」の子)が生んだ子は「とよすき姫」です。

「とよすき姫」は後に初代天照大神を生涯独身で守る斎女になられます。

私見ですが、大陸に伝わった、初代、卑弥呼(ひのみこ、「ひ」=天照大神)の「みこ」)を示すことになります。「ひのみこ」の「の」は所有格の「の」で、漢字化する時、この所有格の「の」は通常省略されるので「ひみこ」という「単語:おしで文字」が漢字化されたと思われます。よって、「ひみこ」とは特定の一個人を示すのではなく、神の遣いをする別格の「みこ」(神に仕える・天照大神のお子さん)を意味していことがわかります。
魏志倭人伝に記述されているのは2代目の「やまと姫」を言っていると思われます。詳細は後述の予定。


 おゝあまがうむ(33-6)
ぬなぎひめ


「おおあま」(尾張の連の娘の「おおあま姫」)が生んだ子は「ぬなぎ姫」です。



 めくはしがうむ(33-6)
やまとひこ いむなゐそぎね


「めくはし」が二番目に生んだ子は「やまとひこ」で実名を「いそぎね」です。(後の垂仁天皇の兄にあたります)



やさかうむ やさかいりひこ(33-7)
おゝぎねぞ かれはゝをあぐ


「やさか姫」(近江の「やさかふりいろね姫」)が生んだ子は「やさかいりひこ」で実名は「おおぎね」皇子という名前です。
故に、男の子を産んだので母(やさか姫)は階級が上がりました。
ここで、仮の「すけ」ではなくなり正式な「すけ妃」になったものと思われます。


なお、崇神天皇の子供たちについては、34綾25~28にも記されており、両方を照らし合わせて初めて正しい判断が出来るとおもいます


ジョンレノ・ホツマ

33-3~5. 「みまきいりひこ」(崇神天皇)のお妃たち

2. 「みまきいりひこ」(崇神天皇)のお妃たち(33-3~5)



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はつとしの きさらぎさうと(33-3)
そむつみゑ おゝひこのめの(33-4)
ことしそひ めしてきさきの
みまきひめ



崇神天皇の「みずかき宮」元年の二月(ほつま暦の「さうと」の月)十六日(ほつま暦の「つみえ」の日)、「おおひこ」の娘の年は、今年十一歳になり、妃(中宮)に召されました。「みまき姫」と呼ばれました。



 きあらかとべが(33-4)
とおつあひ めくはしうちめ
おゝすけに(33-5)


紀の国の「あらかとべ」親王の「とおつあいめくはし姫」が「うちめ」から「おおすけ」という「すけ妃」になりました。(位が上がりました)



 あふみがやさか(33-5)
ふりいろね かりすけとなる



「あふみ」(近江)の「やさかふりいろね姫」は「かりすけ」(仮のすけ妃)になりました。
(後日、皇子を生み、位が上がったため、「かりすけ」という仮りの名が区別のためにつけられたものと思われる)




おはりがめ おゝあまうちめ(33-5)
なかはしの おしてとるもり


尾張の連の娘の「おおあま姫」は「うちめ」という位になり、「なかはし」(事務所を示す)で「おして」(文書・おしで文字)を取り扱い、守る責任者になりました。もちろん崇神天皇のお妃の一人です。


ジョンレノ・ホツマ

33-1~3. 「いそにゑ」皇子は「みまきいりひこ」(崇神天皇)に即位

ホツマツタヱ 33綾
1. 「いそにゑ」皇子は「みまきいりひこ」(崇神天皇)に即位(33-1~3)



かみあがめ ゑやみ たす あや

神を崇めて、疫病を退治する綾



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ときあすゝ むもふそひとし(33-1)
きなゑはる むつきねしえは
そみきしえ


時は「あすず暦」の六百二十一年(神武天皇より)、「ほつま暦」では「きなゑの年」の春、新年の一月の「ねしえの月」の十三日「きしえの日」のことです。
(「あすず暦」は「あずさ」の木に印しをつけて暦にしていました)
ほつま暦は大陸から伝わった干支と符合するようです。
「きなゑ=きのえさる 甲申」
「ねしえ=みずのえうま 壬午」
「きしえ=きのえうま 甲午」



 ゐそにゑのみこ(33-1)
としゐそふ あまつひつぎを(33-2) (あ)=天
うけつぎて みまきいりひこ
あまつきみ



「いそにえ」の皇子(みこ)は、年令は五十二歳で皇位を継承して即位されました。「みまきいりひこ」天皇(あまきみ)となられました。「みまきいりひこ」天皇は、後世になって「崇神天皇」と名付けられました。




みぐさつかひも(33-2)
あめためし


三種の神器を天孫ニニキネの前例にならってとり行いました。


 たみにおがませ(33-2)

翌日、かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けました。(=即位の礼、天孫ニニキネ以降続いている)


はゝをあけ みうゑきさきと(33-3)
もゝそふひ おゝはゝのとし
もゝむそふ おゝんきさきと



「はは」(先帝の中宮)を太上皇后に上げたてて、御上妃(みうえきさき)と呼びました。歳は百二十一歳でした。
「おおはは」(先先帝の中宮)の歳は実に百六十二歳で、大御上妃(おおんきさき)と呼びました。



ジョンレノ・ホツマ

34綾 目次

ホツマツタヱ 34綾

みまきのみよ みまなのあや

みまきの御世、任那の綾
後世の十代崇神天皇:みまきいりひこ

34綾 目次

1. 反乱を知らせる乙女の歌(34-1~3)
2 .ももそ姫は謀反者を知る(34-4~5)
3. 「たけはにやす」と「あだ姫」が謀反を起こす(34-5~6)
4. 詔が発せられ、「いさせり皇子」は「あだ姫」を打ち破る(34-7
5. 「おおひこ」と「ひこくにふく」は「はにやすひこ」を征伐に(34-7)
6. ならさかで「ひこくにふく」は手合いで勝つ(34-8~9)
7. 「おおひこ」は川下から「はにやすひこ」は川上から挑む(34-9~11)
8. 「はにやす」を射ち殺し、反乱は治まる(34-11~12)
9. 遠方の国の平定に向かう(34-12~13)

10. ももそ姫、大物主の妻になり主の姿を見たいと思う(34-14~15)
11. ももそ姫、櫛笥の中に子蛇を見てしまう(34-15~16)
12 .恥をかかせた姫は自害する(34-16~17)
13. ももそ姫を「はしづか」に埋葬する(34-17~19)

14. 遠方の国へ向かった教えどが戻り、平穏になる(34-19~20)
15. 「おおたたねこ」が戦死者の「おとく祀り」を(34-20)
16 .詔(みことのり)、平和な世に感謝し、今後を考える(34-21~23
17. 大人と未成年を区別する(34-23)
18. 休暇を制度として儲け、「肇国(はつくに)」と称えられる(34-23~25)
19. 崇神天皇の妃と子供たち(34-25~28)



20. 二人の皇子に詔、世継ぎを夢で占う(34-28~29)
21. 兄の「とよきひこ」と弟「いくめいるひこ」の夢(34-29~30
22. 君(崇神天皇)は夢で弟の「いそさち」(いくめいりひこ)を世継ぎ皇子に(34-30~31

任那の綾

23. 敦賀に御幸のとき、韓国からの皇子に出会うが言葉が通じず(34-33~35)
24. 韓国の皇子「つのがあらしと」は、君に会う(34-35~37)
25. 「つのがあらしと」を召したところ、有能につき「任那」という国名を与えた(34-37~38)
26. 「あらしと」の昔の話(34-39~41)
27. 持ち帰った神の白石は乙女に変身、消えた跡を追う(34-41~44)
28. 「あらしと」帰国の途中、新羅人に土産を奪われる(34-44~45
29. 任那の使いが新羅との仲裁を要請に(34-45~47)
30. 「しほのりつ」を任那へ派遣し、新羅との仲を平定する(34-47~49)

31. 崇神天皇は出雲に保管してある神宝を見たいと詔(34-49~50)
32. 神主「ふりね」の不在中、神宝を弟が渡してしまう(34-50~51)
33. 兄「ふりね」は弟「いいりね」に敵意をいだく(34-51~53)
34. 兄は弟を夜の花見に誘い、水浴びを誘う(34-53)
35. 先に水から上がった兄は弟の真剣を着け、木刀を持たされた弟を切りつける(34-54~56)
36. 「いづもたける」の流行り歌(はやりうた)(34-56)
37. 殺人事件を報告。「ふりね」は処刑される(34-57~58)
38. 出雲では神祀りをしなくなり、歌が流行った(34-58)
39. 出雲を祀ってくださいという歌が流行る(34-59~60)
40. 出雲を祭るようにと詔が下される(34-61)
41. 水不足でため池を造る詔(みことのり)(34-61~63
42. 任那の使者が貢ぎ物を献上(34-63~64)
43. 偉大であった崇神天皇は神になり、御世が変わる(34-64~68完)




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ジョンレノ・ホツマ

34-64~68完. 偉大であった崇神天皇は神になり、御世が変わる

43. 偉大であった崇神天皇は神になり、御世が変わる(34-64~68完)



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むそやとし しはすおなえは(34-64)
ゐかねあえ きみこときれて(34-65)
ものいわず ゐねますごとし



みづかき宮の六十八年十二月「おなえ」の最初の月、五日「ねあえ」の日に、君は息が途絶えて物を言いませんでした。寝ているかのようでした。


あくるとし ねやえはつふか(34-65)
あめひつぎ みよあらたまの



明くる年、「ねやえ」の年の初めの二日目に、天日嗣(即位の礼)が行なわれ、御世が改まりました。十一代崇神天皇から、十二代垂仁天皇の代になりました。


はづきそひ かみあがりぞと(34-66)
よにふれて きみとうちとみ
もはにいり とのとみやはり
まつりごと



八月十一日、先帝(崇神天皇)が神になられましたと世に知らせました。君(垂仁天皇)と内臣は、「もは」(喪に服す)に入りました。「もは」は身を低くして過ごす意味。
遠くにいる大臣たちも同じように喪に服した祀りごとをとり行いました。



 かみなそひかに(34-66)
おもむろを やまべにおくる(34-67)



十月(かんな)十一日にご遺体を山辺にお送りしました。



このきみは かみをあかめて(34-67)
ゑやみたし みぐさたからを
あらたむる そのことのりは
おほひなるかな(34-68)



この君(崇神天皇)は、神を崇めて、疫病を退治し、風化していた三種の神器を新たに作り直しました。その業績は偉大でありました。

三十四綾 完



ジョンレノ・ホツマ

34-63~64. 任那の使者が貢ぎ物を献上

42. 任那の使者が貢ぎ物を献上(34-63~64)



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 むそゐほふづき(34-63)
みまなくに そなかしちして
みつぎなす(34-64)


みづかき宮の六十五年七月に、任那の国の「そなかしち」が、貢物を持ってきて献上しました。


 そのみちのりは(34-64)
つくしより きたへふちのり
うみへだて しらきのつさぞ


任那からの道のりは、筑紫より北へ二千里、海を隔てた所です。新羅の西南にあたります。




ジョンレノ・ホツマ

34-61~63. 水不足でため池を造る詔(みことのり)

41. 水不足でため池を造る詔(みことのり)(34-61~63)



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 むそふきなとの(34-61)
あふみづき きみとはつやえ
みことのり(34-62)



みづかき宮の六十二年(ホツマ暦「きなと」の年)、七月(ホツマ暦「きみと」の月)、初めての日(ホツマ暦「つやえ」の日)に詔がありました。



 たみはさはもと(34-62)
たのむとき かうちさやまは
みづたらず わざおこたれば
なりはひの ためによざみと

かりさかと かえをりのゐけ(34-63)
ほらんとて くわまのみやに
みゆきなる


万民(農民)が、沢の元(水源)を頼むとき(必要なとき)に、河内の「さやま」は水不足です。業(わざ・ここでは水不足対策を言っている)を、怠れば生業(なりわい・農作業)ができません。

そのために、「よざみ」と「かりさか」と「かえおり」の三つの池を掘るために「くわま」の宮に御幸されました。

今も、関西ではあちこちに溜め池が見受けられます。

ジョンレノ・ホツマ

34-61. 出雲を祀るようにと詔が下される

40. 出雲を祀るようにと詔が下される(34-61)



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うたのあや かみのつげかと(34-61)
きみにつげ いづもまつれと(34-61)
みことのり



皇太子は、この歌を聞いて、これは神のお告げであるかもしれないと、君(崇神天皇)に告げました。そして、君(崇神天皇)は、出雲を祀りなさいという詔をくだしました。




ジョンレノ・ホツマ

34-59~60. 出雲を祀ってくださいという歌が流行る

39. 出雲を祀ってくださいという歌が流行る(34-59~60)



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たまもしづ いづもまつらば(34-59)
まぐさまじ かよみおしふり


「たまもしづ」の「たま」は御霊、つまり殺された「いいりね」のこと言っています。
「しづ」は静まる・沈むという意味から殺されたことを示しています。

「いづもまつらば」の「まつらば」は(祀(まつ)らなければ)より、祀ってください。と訴えています。

「まぐさまじ」の最初の「ま」は真(まこと)真実を言っており、「ぐさ」は、草々、事々で今回の殺人事件を示しています。そして、「まじ」は、今でも、「まじぃー?」とか「まじかよ!」などの語源にもなっているように、本来在ってはならないことや通常では考えられないことを意味しており、ここでは兄が弟を殺すことなどあってはならないことを言っています。


「かよみ」の「か」は本来、光を意味し、ここでは明るい花(旬菜の花)を示していると思われます。よって、「かよみ」で花見・花をよむ・花を数えるになります。「おしふり」は、押し殺して・偽ってになり、「しふり」は、渋るという動作も含まれている。渋っている弟を、偽って、花見に行こうと誘い出した。という意味になります。





ねみかがみ みそこたからの(34-60)
みからぬし たにみくゝりみ



「ねみ」の「ね」は根本という意味もあるが、嫉(ねた)みの意味に捉えることが出来る。「かがみ」は善悪を映すことから、密かに怨んでいたことが明らかである。」という意味になります。

「みそこ」は「み」(三)、「そ」(十)、「こ」(九)で、亡くなった「いいりね」の年を示しています。
三十九歳の尊い命(たから)の身を枯らした主(いいりね)です。(三十九歳の若さで死んでしまったのです)
「たにみ」は険しい谷底に身をおき、「くくりみ」は苦しい思いに置かれています。



たましづか うましみかみは(34-60)
みからぬしやも


「いいりね」の御霊は苦しんでいます。美しい本当の神は、「みからぬし」(御、枯れた(亡くなった)「いいりね」ですよ。出雲を祀ってください。



ジョンレノ・ホツマ

34-58. 出雲では神祀りをしなくなり、歌が流行った

38. 出雲では神祀りをしなくなり、歌が流行った(34-58)



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いつもおみ おそれてかみの(34-58)
まつりせず



その結果、出雲の臣たちは宮中の出方をうかがい、恐れて神の祀りをしなくなりました。



 あるひかべとべ(34-58)
わかみやに つぐるわがこの(34-59)
このごろのうた 



祀りをしなくなったある日、「かべとべ」という者が「若宮」(皇太子:後の垂仁天皇になる)にこのごろ流行っている「我が子」(乙女)の歌を伝えました。


ジョンレノ・ホツマ

34-57~58. 殺人事件を報告。「ふりね」は処刑される

37. 殺人事件を報告。「ふりね」は処刑される(34-57~58)



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からひさは おいうかつくぬ(34-57)
つれのぼり きみにつぐれば


「からひさ」(うましからひさ:殺された「いいりね」の弟)は、甥(おい)の「つくぬ」(うかつくぬ)を一緒に連れて、「やまと」に上京しました。そして、君(崇神天皇)に報告しました。


きびひこと たけぬわけとに(34-58)
みことのり ふりねうたれて(34-58)


「きびひこ」(きびつひこ)と「たけぬわけ」の二人に詔がありました。
宮中に背いたため、詔を受けた(命令をうけた)「きびひこ」と「たけぬわけ」により、「ふりね」は討たれました。(刑の執行になります)

この記述は、ヤマト政権が出雲の人の刑の執行をしたことにより、力関係をはっきり示していたことがわかります。


ジョンレノ・ホツマ

34-56. 「いづもたける」の流行り歌

36. 「いづもたける」の流行り歌(34-56)



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 よにうたふうた(34-56)
やくもたつ いづもたけるが
はけるたち つゞらさわまき(34-57)
あわれさびなし


世に流行り歌として歌われたは
八雲たつ(八色の雲が立ち上る)、出雲たける(殺された弟の「いいりね」)が、着けた刀は、蔓(つる)を鞘(さや)に巻きつけただけの哀れにも真剣(さび=鉄)ではなかった。

ここで、「やくもたつ」の解釈ですが、私ジョンレノ・ホツマとしては、既にこの時、製鉄がなされており、砂鉄か鉄鉱石の含まれている土を炭焼きしており、その時排出される煙が立ち上っている様をうたっていると考えます。
すなわち、焼いて出てくる煙のことを焼く雲がたつと表現したと思われます。製鉄方法は当時、国家機密であると同時に、製鉄事業は国としての威容(ほまれ)を示していたものと推測できます。

垂仁天皇の長男「いそぎね」が剣を欲しい(37綾-5~6)と言って、次男の「たりひこ」が天皇の位を引き継ぎ景行天皇になったわけですが、「いそぎね」は千本の剣を作り10の専門職集団(37綾-32~35)を司ることになり、国家の威信をかけた大事業であったと考えられます。


ジョンレノ・ホツマ

34-54~56. 先に水から上がった兄は弟の真剣を着け、木刀を持たされた弟を切りつける

35. 先に水から上がった兄は弟の真剣を着け、木刀を持たされた弟を切りつける(34-54~56)


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 おとうなづきて(34-54)
ともにゆく あにはきだちを
ぬきおきて みづあびよべば
おともまゝ(34-55)



弟はうなずいて一緒に行きました。池に着くと、兄は背負っている木刀を抜き置いて、水浴びをしました。そこで、兄は弟にも水浴びするよう呼びかけたら、弟も言いなりに従って入りました。



 あにまづあかり(34-55)
おとがたち はけばおどろき
ゐいりねも あかりてあにが
きだちはく


兄がまず最初に上がり、弟の真剣を着けたので、驚いて
弟の「いいりね」も上がって兄の木刀を着けました。



 あにたちぬきて(34-55)
きりかくる ぬかれぬたちに(34-56)
ゐいりねは やみやみふちに
きえうせぬ



兄が弟の真剣を抜いていきなり斬りかかってきました。しかし、木刀を持たされた「いいりね」(弟)は、刀を抜くことが出来ず、闇夜の中で消えてなくなりました。
兄が弟を斬り殺してしまったことになります。


ジョンレノ・ホツマ

34-53. 兄は弟を夜の花見に誘い、水浴びを誘う

34. 兄は弟を夜の花見に誘い、水浴びを誘う(34-53)



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 あにのふりねが(34-53)
あざむきて やみやのたまも
はなかよみ ゆきみんとてぞ(34-54)
さそひくる



兄の「ふりね」が、あざむいて(だまして)「やみや」(地名?)の「玉藻・旬菜(じゅんさい)」の花を見に行こうと(花を数える・見る)誘い出しました。
池や川の玉藻はここでは旬菜を示していると思われます。


ジョンレノ・ホツマ

34-51~53. 兄「ふりね」は弟「いいりね」に敵意をいだく

33. 兄「ふりね」は弟「いいりね」に敵意をいだく(34-51~53)


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のちふりね かえてゐいりね(34-51)
せめいわく いくかもまたで(34-52)
などおそる



後日、兄の「ふりね」が帰ってきて、弟の「いいりね」を責めて言いました。そんなに簡単に手渡してしまって、もう何日間か待てなかったのかと怒りました。なぜ、そんなに中央(やまと)の権力を恐れているのだ。



 いづもはかみの(34-52)
みちのもと やおよろふみを
かくしおく のちのさかえを
おもわんや(34-53)


兄の「ふりね」は更に続けました。出雲は教えの大元である。秘蔵の八百万の文(神事)を隠し置けば(歴史を守り徹せば)、後に栄えるときのことを考えてみたことがなかったのか。と問いただしました。



 たやすくだすと(34-53)
うらみしが しのびころすの
こゝろあり



いとも簡単に秘蔵の宝を渡してしまったことを恨んで、密かに兄は弟に殺意を抱きました。


ジョンレノ・ホツマ

34-50~51. 神主「ふりね」の不在中、神宝を弟が渡してしまう

32. 神主「ふりね」の不在中、神宝を弟が渡してしまう(34-50~51)



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 かんぬしふりね(34-50)
かんほぎに つくしにゆきて



しかし、出雲に着いた時、出雲の神主の「ふりね」は「かんほぎ」(神に祝詞をあげる)のため、筑紫に御幸(みゆき)中でありました。

筑紫の「つくし」の語源は古代、「月が沈む国」又は、「月が住む国」と考えられていた。これに対して、青森県の方は、「ひつみの国」すなわち、「日(太陽)の昇る国」とか「日(太陽)が住む国」と考えられていたようである。



とゐいりね みやよりいだし(34-51)
おとうまし からひさとこの
うかつくぬ そえてさゝぐる



そこで、弟の「いいりね」は、宮(書庫)より持ち出して、この神の宝と一緒に、自分の弟の「うましからひさ」と、「ふりね」の子の「うかつくぬ」を添えて捧げました。

ここで、「うかつくぬ」が、自分の子ではなく、兄の子と分かるのは、後述の(34-57)に、「おいうかつくぬ」とあり、「おい」であることにより推測できると思います。

ジョンレノ・ホツマ

34-49~50. 崇神天皇は出雲に保管してある神宝を見たいと詔

31. 崇神天皇は出雲に保管してある神宝を見たいと詔(34-49~50)


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ここから、 話が変わります。


むそふづき そよみことのり(34-49)
たけひてる むかしさゝげし
かんたから いつもにあるを(34-50)
みまくほし



みづかき宮の六十年七月十四日、詔(みことのり)がありました。
「たけひてる」が昔、献上した神宝(たまがわのふみ)が出雲で保管されているので、「みま」(みまきいりひこ=崇神天皇)は今見たい(欲しい)と申されました。

七代目孝霊天皇の時代、天孫ニニキネが自ら書き記したとされる「たまがわのふみ」を「たけひてる」(天孫ニニキネの子孫)が昔、献上したものを孝霊天皇が出雲に保管せよと申され、ずぅーっと出雲で神の宝として保管されてきた。それを、今、みまきいりひこ=崇神天皇が見たくなり持ってこさせることにしました。



 たけもろずみを(34-50)
つかわせば



君(みまきいりひこ=崇神天皇)は「たけもろずみ」を出雲に派遣させました。


ジョンレノ・ホツマ

34-47~49. 「しほのりつ」を任那へ派遣し、新羅との仲を平定する

30. 「しほのりつ」を任那へ派遣し、新羅との仲を平定する(34-47~49)


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きみとみと はかればいわく(34-47)
くにふくの まごしほのりつ
これよしぞ



君(崇神天皇)は臣と謀って(相談して)言いました。派遣する将軍には「くにふく」(ひこくにふく:孝霊天皇の子)の孫の「しほのりつ」が良いと決まりました。




 かふべのみこぶ(34-47)
まつのきみ せいひたけゐた(34-48)
やそちから いさみはげしく



「しほのりひこ」は頭に三つのこぶがあり、「松の君」と呼ばれています。背丈は何と一丈五尺もあり、八十人力の力持ちで、勇ましく気性の強い人物です。




みことのり しほのりひこを(34-48)
みまなおし ゆきとくにむく
みちつかさ かえればよしと(34-49)
かはねたまひき




詔が発せられました。
「しほのりひこ」を任那へ派遣して、雪解け(行って問題点を解決)のために向かいました。
敵対していた道を司取り(支配・管理・平定)して、帰朝しましたので、「よし」という名(姓)を賜りました。


ジョンレノ・ホツマ

34-45~47. 任那の使いが新羅との仲裁を要請に

29. 任那の使いが新羅との仲裁を要請に(34-45~47)



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 みまなのつかひ(34-45)
つげいわく わがくにきねに
みばえあり かみなかしもの
くにひろく よもみおのりの
つちこえて たみゆたかなり(34-46)



任那の使いが申し上げて言うには、わが国の「きね」(東北)に「みばえ」(三つの栄えているところ)があります。上・中・下と国は広く、四方は三百里あり、土地も肥えており、民の生活も豊かです。



いますでに しらきのあだに(34-46)
おさめゑず ほこをたづねて



しかし、今は既に、新羅との戦いが未だ治めることが出来ず仲裁(ほこ・司法)をお願いしに来ました。



たみいきず とみねがわくは(34-46)
くにむけの おしをこふのみ(34-47)



現在、民の生活が死活問題になっております。臣、願わくは国を平定するため援軍(押し・教え・力沿い)を願うばかりです。


ジョンレノ・ホツマ

34-44~45. 「あらしと」帰国の途中、新羅人に土産を奪われる

28. 「あらしと」帰国の途中、新羅人に土産を奪われる(34-44~45)



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ここで、前の話に戻ります。


 ときにあらしと(34-44)
もとくにゝ かえさにみやげ
うばわれて しらきのくにと
あだをこり(34-45)




さて、「あらしと」が「元の国」(韓国・任那国の名を賜った)に帰る途中、「やまとの国」からの土産を新羅人に奪われてしまい、それが原因で、新羅と任那の間で戦いが始まりました。


ジョンレノ・ホツマ


34-41~44. 持ち帰った神の白石は乙女に変身、消えた跡を追う

27. 持ち帰った神の白石は乙女に変身、消えた跡を追う(34-41~44)



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 かみのしらいし(34-41)
もちかえり ねやにおくいし
なるおとめ あらしとこれと(34-42)
とつがんと おもひゆくまに
ひめうせぬ



村の君は「神の白石」を差し出しましたので、持ち帰りました。そして、その石を寝屋(ねや)において置きました。
この白石が乙女に変身していました。「あらしと」はこの乙女と結婚しようと一目惚れしてしまいました。思い焦がれながらも、旅に出かけていたら、姫(乙女)は消え失せてしまいました。

なぜ、石が乙女に変身したか、何を意味しているのか、何を隠しているのか、不思議です。



 かえりおどろき(34-42)
つまにとふ いわくおとめは
きつにさる(34-43)(きさにさる:小笠原)
 


帰国して、驚いて妻に問いただしました。そうすると、乙女は「き」(東)「つ」(南)に行ったと答えました。
ここで、「つま」とは都万(つま)という地名、島根県北部の隠岐郡にあった旧村名を示しているように思えます。



 あとをたづねて(34-43)
おひいたり ふねをうかめて
ついにいる やまとなにはの
ひめこその




「あらしと」は行方を尋ねて、追いかけて行きました。船を浮かべて(船に乗り)やっと居所を突き止めて、「やまと・なにわ」の「ひめこそ」の宮にたどり着きました。




 みやよりいでゝ(34-43)
とよくにの ひめこそみやに(34-44)
かみとなる



しかし、その宮より出て、「とよの国」の「ひめこそ宮」で既に神になっていました。(亡くなっていました)

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