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31-6~7 神武天皇は久米の娘を妃にしようとしたが中宮に咎められる

31-3 神武天皇は久米の娘を妃にしようとしたが中宮に咎められる(31-6~7)

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ふそよとし きみよつぎなし(31-6)


橿原(かしはら)宮二十四年(神武二十四年)、君(神武天皇)にはまだ世継ぎ皇子がいませんでした。
ということは、このとき九州時代の妃「あびらつ姫」との皇子「たぎし皇子」が既に生まれていたと思われるのですが、世継ぎにはできない何か理由があったようです。



くめがこの いすきよりひめ(31-6)
おしもめに めせばきさきに(31-7)
とかめられ ゆりひめとなり
とのいせず



橿原(かしはら)の久米の娘の「いすきより姫」を「おしもめ」という位の后に召そうとしたら、妃(中宮の「いそすず姫」に咎められてしまいました。
そのため、「ゆり姫」と名前を変えて、姫は殿中には入れられず久米の館でこっそりとお忍びで交わっておられました。

「いそすず姫」が恐妻家と言うか、韓国の言葉にある「地下将軍」という言葉を思い出しました。
「天下将軍」は外面の男に対して、「地下将軍」は女姓が実権を握っているというのは、今も昔も、さもありなん。

ジョンレノ・ホツマ
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31-4~6 高倉下は再度反乱の越後に行き説得、越後の国守と弥彦神の称号を与えられる

 31-2 高倉下は再度反乱の越後に行き説得、越後の国守と弥彦神の称号を与えられる(31-4~6)

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ふそとしさみと(31-4)
こしうしろ はつほおさめず
またむかふ たかくらしたは
たちぬかず みなまつろえば(31-5)


橿原宮二十年、「さみと」(ほつま歴28/60後の辛卯かのとう)の年、「こしうしろ」(越後)が初穂(年貢米:税金)を納めないという反乱が起りました。そこで、再び高倉下が鎮圧に向かい、今回は一度も剣を抜かずに説得により相手を服らわすことが出来ました。


みことのり たかくらほめて(31-5)
くにもりと おしてたまわる
やひこかみ


この報告を受けて、君(神武天皇)は詔をしました。
高倉下を誉めて、今度は越後の国守という地位に取り立てて、「弥彦神」の称号を与えました。


 ながくすむゆえ(31-5)
いもとむこ あめのみちねを(31-6)
くにつこと きのたちたまふ



高倉下が越後の国守になって、現地越後に永住することになりました。
そのため、妹の婿の「あめのみちね」に紀伊国の国造役として紀伊国の高倉下の館を賜いました。

ジョンレノ・ホツマ

31-1~4 全国を無事治めてきた勅使「高倉下」に紀伊国(きのくに)の国造(くにつこ)の大連(おおむらじ)の称号を与えられる

31綾 なおりかみ みわかみのあや 直入神 三輪神 の綾

「ほつまつたゑ」の「ひらがな訳」とその「解読」を、「やまとたけ」と景行天皇の最終章40綾から逆さに初めて39.38.37.36.35.34.33と続き、32綾まで来てやっと全体の1/5、後半部分を走破しました。

この訳には、単純ミスや勘違い、言葉の不統一、まだ理解できない言葉もありますが、他に色々な解釈も考えられます。

少しでも疑問に思われた所は必ず原典である「ほつまつたえ」の写本と照らし合わせて下さるようお願いいたします。

それでは、31綾に取りかかります。

この31綾は神武天皇「かんやまといわわれひこ」(かしはら宮)の後半部分と

綏靖(すいぜい)天皇「かぬがわみみ」(たかおか宮)

安寧(あんねい)天皇「たまでみ」(かたしほ・うきあな宮)

懿徳(いとく)天皇「おおやまとひこ」(かる・まがりお宮)

孝昭(こうしょう)天皇「かえしね」(かだきわきがみ・いけごころ宮)

孝安(こうあん)天皇「やまとたりひこくに」(むろあきつしま宮)までと

孝霊天皇「やまとふとに」(くろだいほど宮)が世継ぎ皇子になった所までの記録が示されています。

そして、既に完成している32綾へ続きます。


ジョンレノ・ホツマ


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31綾 なおりかみ みわかみのあや 直入神 三輪神 の綾

31-1 全国を無事治めてきた勅使「高倉下」に紀伊国(きのくに)の国造(くにつこ)の大連(おおむらじ)の称号を与えられる

かしはらの やほおやえあき(31-1)
すべしかど たかくらしたが 
ややかえり



橿原宮即位八年「おやえ」(ほつま歴5/60 後の戊辰つちのえたつ)の秋、統率勅使(すべしかど)の高倉下がやっと帰ってきました。



 つげもふさくは(31-1)
とみむかし みことをうけて
とくにより つくしみそふも



そして、君(神武天皇)に報告した内容は「臣(とみ:高倉下)」は昔、君の詔(命)を受けて、遠くの国を巡り、筑紫に遠征し(九州の)三十二県を巡視してきました。



やまかげも めくりおさめて(31-2)


次に「やまかげ」(今の山陰地方)も巡り見て無事に治めてきました。

「やまかげ」という地名に「山陰」という漢字が宛てがわれ、いつの間にか訓読み「やまかげ」から音読み「さんいん」になってしまいました。



こしうしろ やひこやまべに(31-2)
つちくもが ふだわるゆえに(31-3)
ほこもちひ いたびたたかひ
みなころし



その後、「こしうしろ」(今の越後)に行ったところ、弥彦の山辺にたむろしている「つちぐも」(地元の悪党ども)が、君のご禁制に背いて、立て札を打ち割って謀反を起こしたので、矛を用いて(武力で)五度にわたる戦いを交えて敵を皆殺しにしました。

ここでも、「こしうしろ」という地名に「越後」という漢字が宛がわれ、いつの間にか訓読みから音読み「えちご」になってしまいました。
「やまかげ」といい、「こしうしろ」といい、昔の訓読みの読み方に何か懐かしさを感じます。


 ふそよおさむと(31-3)
くにすべゑ ささくれはきみ
たかくらを きのくにつこの(31-4)
おおむらじ
 


そして、二十四県の県主とその民を治めることが出来ました。
無事治めてきた全国の縣の絵地図を作って、奉呈したところ、君は高倉下の労を称えて紀伊国(和歌山県)の国造に取り立てて「おおむらじ」(大連)の称号を与えました。


ジョンレノ・ホツマ

ホツマツタヱ 32綾目次

ホツマツタヱ 32綾目次



ふじとあわうみみづのあや

富士山と淡海(琵琶湖)、瑞(みず:生き生き)の綾



32綾 目次

この32綾は、3人の天皇の生誕から亡くなられるまでが記されています。
下記目次をクリックしていただければ、その本文に入ります。


7代 考霊天皇 ねこひこ (やまと・ふとに) 
 くろだ・いほど宮 32-1~32

8代 考元天皇 もとぎね (やまと・ねこひこ・くにくる)
  かるさかいばら宮 32-33~48

9代 開化天皇 ふとひひ (わかやまと・ねこひこ)
    かすがいさかわ宮 32-49~62


7代 考霊天皇 ねこひこ (やまと・ふとに) 

1. 「やまとふとに」(考霊天皇)の即位の礼、「くろだ・いほど宮」に移す(32-1~3)
2.考霊天皇のお妃たち(32-3~5
3.うちめの「やまとくにか」が三つ子を生み、「ももそ姫」が生まれる(32-5~6)
4.「やまとくにか姫」の妹「はえ姫」も三つ子を産む(32-6~8)
5.「もときね」(後に考元天皇)が生まれる(32-8)

6.考霊天皇は三つ子を間引きすることを禁じた(32-9~13)
7.考霊天皇は「はらみ山」(富士山)と淡海(琵琶湖)の絵を賜る(32-13~17)
8. 「もときね」を世継ぎ皇子にする。後の八代孝元天皇となる(32-17~18)
9.考霊天皇は「はらみ山」(富士山)登山のため御幸(32-19~22)
10.「はらみ山」を新たに「ふじのやま」と命名する(32-22~25)

11.帰路、四神をむめ宮から野洲河原へ神を移す(32-25~26)
12.「たけひてる」が「たまがわ」の神宝文を奉る(32-26~27)
13.「たけとめ」に「竹筒(たけづつ)草の祭り」(粥占い)を継がせる(32-27~28)
14.「たまがわ」の神宝文を出雲に納める(32-28)
15.西の争いにいんべ主を派遣する(32-28~30)
16. 考霊天皇は崩御される(32-30~32)

8代 考元天皇 もとぎね (やまと・ねこひこ・くにくる)

17. 「やまとくにくる」(考元天皇)の即位の礼(32-32~34)
18. 「やまとくにくる」(考元天皇)は「かるさかひばら」に遷都(32-34)
19.「やまとあえくにおおひこ」が生まれる(32-35)
20. 「いほどみや」(考霊天皇)のご遺体を馬坂陵に納める (32-35~36)

21. 「うつしこめ」は内宮(うちみや:妃)に昇格(32-36)
22. 「うつしこお」は「けくに」(神に食事を捧げる役・政務のご意見番)に(32-36)

23. 妃(うつひこめ)が「ふとひひ(開化天皇)」・「わかやまとねこひこ」皇子を生む(32-36)
24.雨が降り続き琵琶湖が氾濫、稲熱病になった稲を「かぜふの祓い」で蘇らせる(32-37~39)
25.おほみけ主は祀り臣に、各地で「かぜふ」の祀りが行なわれる(32-40~41)

26.「へそぎね」の館へ御幸したとき「とと姫」を生む(32-42)
27.「いかしこめ」が孝元天皇の内妃に召される(32-42~43)
28. 孝元天皇の内妃「いかしこめ」が「おしまこと」を生む(32-43)
29.「はにやす姫」が「はにやす」を生む(32-44)

30.「ふとひひ」(後の開化天皇)の立太子礼が行なわれる(32-45)
31.「おしまこと」は「たかち姫」を娶り「うましうち」を生む (32-45)
32.「うましうち」は「やまとかげ姫」を娶り、「たけうち」をを生む(32-46

33.孝元天皇は崩御され、喪に服す(32-46~47)
34.六年後に孝元天皇のご遺体を納め、女官も開放される (32-47~48)


9代 開化天皇 ふとひひ (わかやまと・ねこひこ

35.「ふとひひ」(開化天皇)の即位の礼「かすがいさかわ」に遷都(32-48~50)
36.開化天皇は「いきしこ姫」を内宮にたてる(32-50~51)
37.母を犯すことになると「おおみけぬし」は忠告するが聞き入れられず蟄居(32-51~57)
38.開化天皇のお妃が生んだ皇子たち(32-57~58)
39.「へそきね」「うつしこ」は昇進する(32-59)
40.引き続き開化天皇のお妃が生んだ皇子たち(32-59~60)
41.「いそにえ」皇子(後の崇神天皇)が世継ぎに立つ(32-60~61)
42.開化天皇は崩御、春日率坂上陵(いささか)に納める(32-61~62)


ジョンレノ・ホツマ


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32-61~62.開化天皇は崩御、春日率坂上陵(いささか)に納める

42.開化天皇は崩御、春日率坂上陵(いささか)に納める(32-61~62)

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 むそとしのなつ(32-61)
うづきこか きみまかるとし
ももそひぞ
 


いさかわ六十年の夏、四月(卯の花の月)九日、君(開化天皇)が崩御されました。(お亡くなりになりました。)百十一才でした。



みこのもはいり(32-61)
よそやのち まつりごときき(32-62)
とみととめ いますのみあえ



皇子の喪衣入り(喪に服す)が行なわれ、四十八日目の夜が明けるまで祀りごとがとり行われました。前帝の臣たちもそのまま留まりました。
そこに天君が生きておられるように御饗を捧げて敬いました。




めつきみか おもむろおさむ(32-62)
いささかぞこれ



十月三日に、ご遺体をおさめました。
「いささか」(春日率坂上陵)です。

32綾完

ジョンレノ・ホツマ

32-60~61.「いそにえ」皇子(後の崇神天皇)が世継ぎに立つ

41.「いそにえ」皇子(後の崇神天皇)が世継ぎに立つ(32-60~61)

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ふそやとし むつきのいかに(32-60)
よつぎたつ いそにえのみこ(32-61)
ことしそこ



いさかわ二十八年一月の五日に世継ぎに立ちました(立太子礼)。「いそにえ」(みまきいりひこ)の皇子で今年十九才でした。


ジョンレノ・ホツマ


32-59~60.引き続き開化天皇のお妃が生んだ皇子たち

40.引き続き開化天皇のお妃が生んだ皇子たち(32-59~60)

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 そみむつきいか(32-59)
きさきまた うむみまつひめ


いさかわ十三年一月五日、妃(中宮の「いきしこ姫(旧称いかしこ姫)」)が二人目の子供の「みまつ姫」を生みました。


めすうちめ かつたるみが(32-60)
たかひめが さのもちにうむ
はつらわけ いむなたけとよ



(新たに)「うちめ」に召された「葛城(かつき)たるみ」の娘の「たか姫」が五月(さつき)の十五日に生んだ子が「はつらわけ」で実名を「たけとよ」と言います。


ジョンレノ・ホツマ
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