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31-34~36 兄の「かんやい皇子」は手足が震え、弟の「かぬかわみみ皇子」が「たぎし皇子」を射ち殺す

31-16 兄の「かんやい皇子」は手足が震え、弟の「かぬかわみみ皇子」が「たぎし皇子」を射ち殺す(31-34~36)

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 おりにひるねの(31-34)
ゆかにふす



ちょうど、その時「たぎし皇子」は昼寝の最中で、床に伏して(寝て)いました。熟睡していました。



 すべみこやゐに(31-34)
のたまふは ゑとのたがいに
きしらうは あづくひとなし



すべ皇子(天皇になられる皇子、かぬなかわ皇子)が「やい」(かんやい皇子)に言うには、兄弟でお互いに張り合っても(競り合う)、意味がない(預ける人はいない:人は相手にしません)。



われいらば なんぢゐよとて(31-35


我が(すべ皇子)がまず先に室に入るから、汝が射殺せと言いました。



むろのとを つきあけいれば(31-35)
あにいかり ゆきおひいると
きらんとす



室の戸を突き上げて乱入すると、気配で目を覚ました兄(たぎし皇子)は「靫(ゆき)を背負って(武器を持って)踏み入れるとは不届き者め」と怒って剣を抜いて二人に斬りかかってきました。



 やゐみこてあし(31-35)
わななけば すべみこゆみや(31-36)
ひきとりて ひとやをむねに
ふたやせに あててころしつ



このとき、「やい皇子」(かんやい皇子)は、手足がガタガタ震えてしまい何もできません。とっさに、「すべ皇子」(かぬなかわ皇子)が、弓矢を引き取って、一つ目の矢を胸に、二つ目の矢を背中に命中させて殺しました。

ジョンレノ・ホツマ
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31-32~34 若宮(かぬかわみみ皇子)は「たぎし皇子」の先手を討って行動を起こす

31-15 若宮(かぬかわみみ皇子)は「たぎし皇子」の先手を討って行動を起こす(31-32~34)

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 これはからんと(31-32)
わかひとに ゆみつくらせて



この陰謀に計略を謀ろうと「かぬかわみみ皇子」は「わかひこ(弓削若彦)」に弓を作らせました。



まなうらに まかこのやじり(31-33)
きたわせて



「まなうら(天津真浦:刀作り)」に「ま(真)かこ弓」(鹿討)の矢じり(鍛造:鍛わせて)を取りつけた弓矢です。



 かんやゐみこに(31-33)
ゆきおはせ ぬなかわみこと
ゑといたる かたおかむろの
たきしみこ(31-34)



この弓矢を「かんやい皇子」(二男)に靫(ゆき)を背負わせて、「かぬなかわ皇子」(三男)とこの兄弟は「たきし皇子」(腹違いの長男)のいる「かたおかむろ」(奈良県香芝市)に向かいました。


ジョンレノ・ホツマ

31-30~32 若宮(かぬかわみみ皇子)は母親の歌に隠された暗号を読みとる

31-14 若宮(かぬかわみみ皇子)は母親の歌に隠された暗号を読みとる(31-30~32) 

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わかみやは このふたうたを(31-30)
かんがえて さゆにそこなふ
ことをしる



若宮(皇太子:「かぬかわみみ皇子」)は、この二つの歌を読んでしばし考えた末、この「さゆ川」で殺りくが迫っている暗示を悟りました。



 かんやゐみこに(31-30)
ものがたり



そこで、若宮(皇太子:「かぬかわみみ皇子」三男)は、「かんやい皇子(二男)」に耳打ちして話しました。



 むかしきさきを(31-30)
こかせしも おやこのなさけ(31-31)
うちにすむ



昔、兄たぎし皇子は、君(神武天皇)の后であった「いすきより姫」(後の「ゆり姫」)を、こか(子供が)せし(せしめよう)と(犯そうと)企んで失敗した男だが、親子の情け(一族の恥)で内内に済んだ過去がある。



 いまのまつりの(31-31)
わかままも とみにさつけて
のくべきを



今は政事を我がものにしようと我がままに振舞っている。本来ならば、臣に任せて、自分は身を引くべきではないか。



 またいらふこと(31-31)
いかんぞや あにがこばみて(31-32)
おくりせず



また、要らぬことをしているのはどういうことなのだ。兄(たぎし皇子)が拒んで葬儀も未だ行なえていない。



 われらまねくも(31-32)
いつわりぞ


今日、此処に我々を招いたのも陰謀ではないか。


「たぎし皇子」に果たして弟二人に対して殺意があったかどうかは今となっては不明です。
しかし、当時は直接の行動を起こさなくとも、思っただけでも罪になったようなので、それまでのふるまいから正当化されたものと考えます。
「いそすず姫」が我が子可愛いさのため、他のお妃の子供は常に目障りに映る過剰反応であったかようにも見えます。
まさに「死人に口なし」で、後の「かんやい皇子」の行動を見てふと疑問に思った次第です。

ジョンレノ・ホツマ

31-27~29 「たぎし皇子」の陰謀を「いそすず姫」が察知、我が息子に危機を知らせる

31-13 「たぎし皇子」の陰謀を「いそすず姫」が察知、我が息子に危機を知らせる(31-27~29)

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たきしみこ ふたおとをたつ(31-27)


たぎし皇子は密かに腹違いの弟二人を殺そうと陰謀を企んでいました。



うねびねの さゆのはなみと(31-27)
みあえして むろやにめせば



たぎし皇子は「うねび山」の麓の「さゆ川」に「さゆり」の花見の宴を開き、室屋(竪穴住居)に招きました。



ゐすずひめ うたのなおしを(31-27)
こはしむを わかみやふだを(31-28)



「いそすず姫」は室屋で行なわれることに不審に思い、二人の息子に危険が迫っていることを知らせるために、歌の直し(添削)を乞う(頼む)ふりをして、若宮(息子)に歌見札を渡しました。



とりみれば いいろよむうた(31-28)


歌見札を取ってみたところ、いろいろな意味にとれる歌が記されていました。



さゆがわゆ くもたちわたり(31-28)
うねびやま このはさやぎぬ
かぜふかんとす(31-29)



「さゆ川」より、暗雲が立ち渡り、うねび山の木の葉がさやぎ不穏(不吉な)な風が吹こうとしています。(一つ目の歌の内容です)


うねびやま ひるはくもとゐ(31-29)
ゆふされば かぜふかんとぞ
このはさやぎる



うねび山 昼は雲が立ち込めていて 夕方になると風が吹きだして木の葉がざわつき不穏です。(二つ目の歌の内容です)

さあ、若宮はこの歌をどう読み取ったのでしょうか?

ジョンレノ・ホツマ

31-25~26 神武天皇の葬儀を「たぎし皇子」が仕切る 

31-12 神武天皇の葬儀を「たぎし皇子」が仕切る (31-25~26)

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あめたねこ くしねうさまろ(31-25)
わかみやに おくりはかれば


「あめたねこ」と「くしね」(あだつくしね)と「うさまろ」の三人(直り三臣:なおりみたり)は若宮(たぎし皇子)に葬送の儀について相談されました。 


たきしみこ ひとりまつりを(31-25)
とらんとす(31-26



しかし、天皇の崩御以来、「たぎし皇子」が独善的になり一人で政事を執ろうとされていました。

自分より年下で、腹違いの「かぬかわみみ皇子」を世継ぎ皇子にされてしまったため、「たぎし皇子」は長男であるというプライドが許せなかったであろうことが、うかがえます。


 なおりみたりは(31-26)
わかみやに とえどこたえず



直り三臣(なおり三人:「あめたねこ」と「くしね」(あだつくしね)と「うさまろ」の三人)は若宮(たぎし皇子)に問い合わせ(申し入れ)しましたが返事はありませんでした。


もにいりて もろはにまかす(31-26)
みおくりを こはみてのばす


自ら(たぎし皇子)は喪に入って、政事は両翼の臣に任せるべきであるのに、君(神武天皇)の葬送も拒否して延び延びになっていました。

ジョンレノ・ホツマ

3-22~25 神武天皇は遺言を残し神になりました

31-11 神武天皇は遺言を残し神になりました(3-22~25)

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なそむとし むつきのもちに(31-22)
みことのり



神武七十六年一月十五日に、詔がありました。



 われすてにおひ(31-22)
まつりこと なおりなかとみ(31-23)
ものぬしの おやこのとみに
まかすべし



私(神武天皇)は、既に年老いてしまったので、これからの祀りごとは「なおりなかとみ」(うさまろ四代目、左大臣、春日)と「ものぬし」(右大臣、大物主六代目「くしみかたま」と大物主七代目、「あだつくしねと」)の親子の臣に任せなさい。



 もろとみこれと(31-23)
わかみやを たてよといふ(ひ)て
うちにいり やよいそきやえ(31-24)
かみとなる



「諸臣よ。このこと(政治は左大臣右大臣に任せなさい)と若宮(かぬかわみみ皇子:後の綏靖天皇)を助けて立てよ」と言われて内殿に入って(こもって)、三月十日「きやえ」(ほつま歴 41/60後の甲辰きのえたつ)の日に神となりました。(お亡くなりました)

この遺言は、「かぬかわみみ皇子」が三男であったが、天皇を引き継ぐのに一番頼りになると思われたから敢えて残したものと思われます。 


下記の記述部分は和仁估安聰写本によるもので、小笠原写本と多少記述が違いますが内容的には同じです。

 あびらつひめと(31-24)
ものぬしの くしみかたまと
うちにいり なかくもにいり 
いきますの ごとにつとむる(31-25)


「あびらつ姫」(九州時代の妃、日向、日南海岸あぶらつ)と「六代目ものぬし」である「くしみかたま」は一緒に帳(とばり)の内裏(だいり)に入りました。そして、永遠に喪に服しました。あたかも、君がまだ生きておられるかのようにお仕えしました。 

*********
(小笠原写本)このページが一部内容が多少異なっています

あびらつひめと(31-24)
ものぬしと かしはらみやに
はんべりて なかくもにいり
いきますの ごとにつとむる(31-25)



「あびらつ姫」と「六代目ものぬし」は橿原宮(神武天皇)に侍り(お仕えし)ました。そして、永遠に喪に服しました。あたかも、君がまだ生きておられるかのようにお仕えしました。
**********

ジョンレノ・ホツマ

3-20~22 神武天皇は「かぬながわみみ皇子」を世継ぎ皇子に定める

31-10 神武天皇は「かぬながわみみ皇子」を世継ぎ皇子に定める(3-20~22)

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よそふとし はつみかきみえ(31-20)
かぬながわ みみのみことを(31-21)
よつぎみこ



神武四十二年新年の正月三日、「きみえ」(ほつま歴 51/60後の甲寅きのえとら)の日に、「かぬがわみみ」の皇子を世継ぎ皇子に定めました。


「かぬがわみみ皇子」は神武天皇の三番目の皇子です。そのため、天皇の死後、一番目の皇子「たぎし皇子」(腹違い)が、この世継ぎ皇子の決定を納得していなかったようです。問題が生じます。



 かがみのとみは(31-21)
うさまろと あだつくしねは
ものぬしと みこのもろはぞ



そして、「かがみ」(鏡:鑑)の臣(左大臣)は、「うさまろ(四代目)」になりました。「あだつくしね」(右大臣)が「大物主(七代目)」になりました。新たに皇子を補佐する両翼(左大臣・右大臣)が決められました。



くにまつり みけなへもふす(31-22)
おもちきみ ともにたすけよ



この両翼の左大臣・右大臣は国祀り(国政)の「みけなへ」(食事の席で政治を)語る、「おもちきみ」臣・役職につきました。(30-27参照)

ジョンレノ・ホツマ

3-18~20 ほほま(おおま)の丘に御幸され、神武天皇は大和の国を見渡して感激する

31-9 ほほま(おおま)の丘に御幸され、神武天皇は大和の国を見渡して感激する(3-18~20)

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としさみと うつきはつひに(31-18)
わきかみの ほほまのおかに
みゆきして めくりのぞめば



翌年(神武二十八年)、「さみと」(ほつま歴 28/60後の辛卯かのとう)の年、四月一日に「わきかみ」(奈良県御所市、国見山)の「ほゝまの岡」に御幸されました。
美しい、大和の国を見渡して感激されました。



あなにえや ゑつはうつゆふ(31-18)
まさきくに かたちあきつの(31-19)
となめせる これあきつしま



ああ、何と素晴らしい国であろうか。 私が得た(治める)国は何と素晴らしい国であろうか。「ゆう」(木綿、当時は「いらくさ」)を打つ音があちこちから聞こえてくる。
幸多き国である。「ま」は真(まこと)「さ」は幸(さいわい)真幸国である。 
国の形は蜻蛉(あきつ)とんぼが丸く交尾しながら飛んでいるのとおなじようだ。(真ん中で全てが結びついている様)まさに、我が秋津洲(あきつしま:この大和、日本)である。



あまかみは やまとうらやす(31-19)
こゑねくに やまとひたかみ
そこちたる しわがみほづま(31-20)
おおなむち たまがきうちつ
にきはやひ そらみつやまと



そして、日本全国の地名をうたい上げます。

天皇(あめかみ)は、大和心安(いやまととおる、まとの教えがますます行きわたる法治国家=「やまと」が派生、やまとうらやす:大和国、浦々も静かで恵み多い、浦安)、
こえ(「こ」は「こかい」(蚕)のこと、「え」は盛んなこと、つまり養蚕が盛んである)、扶桑。
根国(北陸)、
大和日高見(現在の陸奥地方)、
山陰(そこ)ちたる
関東地方、しわがみ(波が輪のように押し寄せる波の上に、磯輪上)ほづま(秀真、そびえ立っている富士山)
おおなむち(大国主、大黒さん)(出雲譲りで津軽(岩木山)へ流される)は玉垣の内つ宮(出雲を示す)つまり、宮中と同じように扱われた。
にぎはやひ(奈良県、大和を治めた)
空を見続けながら大和へ入った(舟で大和へ天下るとき、海が凪いでいたので天を走るかのようであった)

私が得たものは、何と素晴らしい国々、人々(神々)であろうか。


ジョンレノ・ホツマ

3-16~17神武天皇は「ゆり姫」を高倉下(弥彦神)に賜う

31-8 神武天皇はゆり姫を高倉下に賜う(3-16~17)

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 ことめがつぐる(31-16)
くしみかた きみにもふさく(31-17)
しむのはぢ きみうなつきて
ひそかにし



この「たぎし皇子」の一件を、侍女が「くしみかた」(右大臣)に告げました。更に、「くしみかた」は君(神武天皇)に申し上げました。
この件は、身内の恥(子の恥でもあり、親の恥でもある)なので、君も、内密にすることを承諾しました。



 このたびたまふ(31-17)
おしもめは このゆりひめぞ



そして、高倉下(弥彦神)に賜ったのは「おしもめ」の「ゆり姫」です。

(31-10~11)と同じ内容の事を、言葉を変えて言っています。ここで「いすきより姫」を「ゆり姫」に名前を変えて賜わったことがわかります。


これで、神武天皇は「ゆり姫」を高倉下に譲ったことにより、肩の荷をおろすことが出来ました。つまり、息子の「たぎし皇子」からも、中宮の「いそすず姫」からも「ゆり姫」のことを気にする必要がなくなったからです。

ジョンレノ・ホツマ

3-14~16 神武天皇の息子「たぎし皇子」が、君の局(つぼね)に恋焦がれる

31-7 神武天皇の息子「たぎし皇子」が、君の局(つぼね)に恋焦がれる(3-14~16)

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これにめし つぼねにあるを(31-14)
たぎしみこ ふかくこがれて
ちちにこふ


このようなわけで、「いすきより姫」は君(神武天皇)の局(つぼね)になられました。 
その後、「たぎし皇子」(神武天皇が九州時代に娶った「あびらつ姫」との子供)が、「いすきより姫」に深く恋焦がれてしまい、「いすきより姫」の父親の久米に自分の思いを訴え姫との仲立ちを迫りました。


 うなづきうばふ(31-14)
ちちがよぶ あやしきどめを
さとるひめ みさほつずうた(31-15)


久米の父も断念し仲立ちを承諾してしまいました。
父親が娘「いすきより姫」を呼んだところ、父親の異常な目つきに気が付き、状況に気づいた「いすきより姫」は操のつづ歌を作って父に差し出しました。
「みさほ」の「み」は身を清める、「さ」は機織りから、「ほ」は秀でていることか。


あめつつち とります(31-15)
きみと などさけるどめ



天つ地(天皇と私) 娶り(鳥り)ます君と(求愛行動・つがう、一体になっている) 何ど(何故)裂(割)ける止め(利目)

私と天皇とは太陽と月の関係で、一体になっています。もう離れることは出来ません。
どうして、私たちの間を割けることができましょうか。
 なぜ、私たちの間の関係を壊そうとするのですか。

尚、この「ゆり姫」(「いすきより姫」が後に「ゆり姫」と名前をかえる)の歌は39綾69-70にも「つづ歌」の説明として載っており、後世にも引き継がれていることがわかります。


たぎしみこ すすみこたえて(31-15)


「たぎし皇子」は、姫の固い操に気づき恥じることなく自ら進んで即座に返歌で答えました。


にやおとめ ただにあわんと わがさけるどめ(31-16)

にや乙女(いいえ違います) 唯に会わんと(唯(ただ)貴方に会いに来たのです。
我が避ける 止め(利目) 私を避けようとする鋭い眼は何ですか。



やわなきを おつてといえば(31-16)
みこもさる


ゆり姫の操と忠義の心を知ったゆり姫の父は、たぎし皇子に、やむなく、追って返事をしましょうと返事するのがやっとでありました。
たぎし皇子もあきらめて帰りました。


ジョンレノ・ホツマ

3-11~13 神武天皇は久米の館で「いすきより姫」(後の「ゆり姫」)と出会う

31-6 神武天皇は久米の館で「いすきより姫」(後の「ゆり姫」)と出会う(3-11~13)

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ここで話が前後します。「いすきより姫」との出会いです。

さきにさゆりの(31-11)
はなみとて きみのみゆきは
さゆかはに(31-12)



以前の事ですが、さゆり(山ゆり)の花見に、君(神武天皇)はさゆ川に御幸されました。



  ひとよいねます(31-12)
くめがやの いきすよりひめ



君(神武天皇)は、久米の館の「いすきより姫」と一夜を共に寝られました。
(結論が先に書かれています)


かしはでに みけすすむれば(31-12)
すべらぎは これをめさんと
つげのみうたに(31-13)


君(神武天皇)の夕食の御饗(みあえ)の席で、「いすきより姫」が、かしわで(御饌:みかしわ)を捧げました。
食事が進むにつれ「すべらぎ」(君、神武天皇)はこの娘「いすきより姫」を気にいって召したいと、歌を作って告白しました。



あしはらの しげこきおやに(31-13)
すがたたみ いやさやしきて
わがふたりねん



葦原が深く繁げった小さな家で
清々しい(真新しい)畳に、いや(弥)紗綾(絹織物)を敷いて=「いすきより姫、貴方を抱いて」私と二人で寝ましょう


ジョンレノ・ホツマ

3-9~11 神武天皇は「やひこ神」(高倉下)に酒の肴に「ゆり姫」を賜る

31-5 神武天皇は「やひこ神」(高倉下)に酒の肴に「ゆり姫」を賜る(3-9~11)   

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さみゑなつ やひこのぼりて(31-9)
おがむとき あめのさかつき
かずいたる すべらぎとわく
むかしゑず いまのむいかん



「さみえ」(ほつま歴 27/60後の庚寅かのえとら)年(神武二十七年)の夏、「やひこ神」となった高倉下が上京して君に拝謁しました。 天の酒盃の杯も重なりました。
すべらぎ(神武天皇:君)が問いました。汝(高倉下)は昔はそれほどお酒が飲めなかったのに、今こんなに飲めるようになったのはどうしたんだ。



そのこたえ わかくにさむく(31-10)
つねのめば おのづとすけり



高倉下が答えるには、我が国(越後)は寒く、常についつい飲むようになってしまい、自然と強くなってしまいました。



きみゑみて なんぢはみきに(31-10)
わかやぎつ


君(神武天皇)は微笑みながら、汝(高倉下)は酒のおかげで若くなり男前になったものだ。



 さかなにたまふ(31-10)
おしもめぞ(31-11)



そこで、君(神武天皇)が高倉下に、酒の肴にと賜ったのが、なんと「おしもめ」(久米の娘の「いすきより姫」で今は「ゆり姫」となった絶世の美人)でした。

自分が密会していた姫をゆずったことになります。

これで、神武天皇は残念ながら息子の手前、お妃の手前、肩の荷がおりました。



 なそなのおとに(31-11)
はたちめと こしにとつぎて
おめをうむ



高倉下は七十七の老体に二十の娘ではと躊躇されていたようでしたが、越国(高倉下)に嫁ぎ、一男一女をもうけました。

後にこの子供の何代か先の子孫の「よそたり姫」が人皇五代の孝昭天皇の中宮になることが後でわかります。

ジョンレノ・ホツマ

31-7~8 中宮の「いそすず姫」が皇子を生む

31-4 中宮の「いそすず姫」が皇子を生む(31-7~8)


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きさきはらみて(31-7)
あくるなつ かんやいみみの
みこをうむ いみないほひと(31-8)



その後、中宮の「いそすず姫」に待望の懐妊の兆候がありました。
そして翌年の夏に「かんやいみみ」皇子をお産みになりました。実名を「いほひと」と言いました。


神武天皇の浮気封じのため、「いそすず姫」は「さねん」と、いそしんだことと思われます。

前後関係から橿原(かしはら)宮二十五年(神武二十五年)に生まれたことになります。

なお、神武天皇から見れば二人目の子供になります。
長男は九州時代の「あびらつ姫」が生んだ「たぎし皇子」です。



ふそむふゆ まつりみゆきの(31-8)
やすたれに かぬかわみみの
みこうみて いみなやすぎね



橿原(かしはら)宮二十六年(神武二十六年)の冬、「やすたれ」という所に祀りごとがあって、君(神武天皇)と中宮「いそすず姫」は御幸されました。その時に、「かぬかわみみ」という皇子をお生みになりました。実名を「やすぎね」と言います。


一人生まれたら、二人目はあっという間に出来たという感じですね。
中宮「いそすず姫」はお二人の皇子をお生みになりました。神武天皇から見れば三男で、後の綏靖天皇になります。

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