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31-74~77 四代目懿徳(いとく)天皇が皇位継承

人皇4代 懿徳(いとく)天皇
「おおやまとひこ・すきとも」実名「よしひと」
(かるまがりお宮)の綾


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31-37 四代目懿徳(いとく)天皇が皇位継承(31-74~77


ときあすず ふおやほさみと(31-74)
きさらよか ねあえわかみや
としみそむ あまつひつぎを(31-75)
うけつぎて


時、あすず歴(神武天皇即位後)の二百八年、「さみと」(ほつま歴 28/60後の辛卯かのとう)の年、
二月四日「ねあえ」(ほつま歴 49/60後の壬子みずのえね)の日、若宮(四代懿徳天皇「おおやまとひこ・すきとも」)は、年は三十六才で天つ日嗣を受け継ぎ皇位継承いたしました。

 
おおやまとひこ(31-75)
すきともの あめすべらきと
たたえます



「おおやまとひこ・すきとも」(四代懿徳天皇)として称えられました。

 
あめののりもて(31-75)
おがませて(31-76)



天(天孫ニニキネの時代)の典(行ない・詔)に則って、民に三種の神器を拝ませました。



 まかりおこよみ(31-76)
あらためて


「まかりお」宮に遷都しましたので、年号を「まかりお」宮の暦に改めました。

ジョンレノ・ホツマ
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31-71~74 「おおやまとすきとも」(後の懿徳(いとく)天皇)が世継ぎ皇子になり、安寧天皇がお亡りになる

31-35 「よしひと」(おおやまとすきとも、後の懿徳(いとく)天皇)世継ぎ皇子になる(31-71~72)

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 そひのはつみか(31-71)
よしひとの いまやとせにて(31-72)
よつぎみこ


(安寧十一年)うきあな宮十一年の正月三日、「よしひと」(おおやまとすきとも、四代目の懿徳(いとく)天皇になる)は、今八才で世継ぎ皇子(皇太子)になりました。




31-36 三代目安寧天皇がお亡りになる(31-72~74)


 みそやさみゑの(31-72)
しはすむか すべらぎまかる



(安寧三十八年)うきあな宮三十八年、「さみえ」(ほつま歴 27/60後の庚寅かのえとら)の年の十二月六日、すべらぎ(安寧天皇)はお亡くなりになりました。
「すべらぎ」(すべる:統率する男)漢字が渡来してからは「大王」と言われていたが、推古天皇の以降あたりから「天皇」と言われるようになった。



わかみやの もはいりよそや(31-72)

若宮(実名「よしひと」で「おおやまとすきとも」(四代目の懿徳(いとく)天皇になる)は喪に服すこと、四十八日目の夜まで続きました。



ほぎもなし(31-73)

新年の祭もありませんでした。



 いさかわみそぎ(31-73)
みやにいで まつりごときく


「いさかわ」(春日山から「さほ川」までの川、大和川の源流)で、禊ぎをした後、宮に出て祀り事を聴きました(政務を行ないました)。



とみわけて うきあなのかみ(31-73)
みあえなす


臣を先帝の大臣と新しい大臣を切り離し分けて、「うきあなの神」(安寧天皇「たまでみ」)に呼んで御宴をいたしました。そして、先帝の臣を離しました。



 あきおもむろを(31-73)
うねびやま みほどにおくる(31-74)
としななそなり


八月一日、「うきあなの神」(三代安寧天皇「たまでみ」)のご遺体をうねび山の「みほど」陵にお送りいたしました。亡くなった年は七十才でした。

ジョンレノ・ホツマ

31-66~71「たまでみ」(安寧天皇)のお妃が生んだ皇子たちと臣たち

31-34 「たまでみ」(安寧天皇)のお妃が生んだ皇子たちと臣たち(31-66~71)
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 きみゑのしはす(31-66)
かたしほの うきあなみやこ


「きみえ」(ほつま歴51/60後の甲寅きのえとら)の年の十二月、「かたしほ・うきあな宮」(片塩浮孔宮)に移りました。


きみとはつ ぬなそひめたつ(31-67)
うちつみや


「きみと」(ほつま歴52/60後の乙卯きのとう)の年の正月、「ぬなそ姫」が中宮に立たれました(なられました)。


 これはくしねが(31-67)
おうえもろ ぬなたけめとり
いいかつと ぬなそうむなり


このお姫様についてですが、「ぬなそ姫」は、「(あだつ)くしね」(七代目おおものぬし)の「おうえもろ」(東大阪市,平牧(ひらおき)神社の神主)の娘の「ぬなたけ姫」を娶り、「いいかつ」と「ぬなそ姫」を生みました。



しきはえが かわづめすけに(31-68


「しきはえ」(奈良県桜井市の豪族)の娘の「かわず姫」が「すけ妃」になりました。
「かわず姫」は安寧天皇の二番目のお妃になります。



これのさき おおまがいとい(31-68)
ながはしに うむみこいみな
いろきねの とこねつひこぞ
かれうちを おおすけとなす(31-69



これ以前の話ですが、「おおま(のすくね)」の娘の「いとい姫」が「ながはし」という所で生んだ皇子は実名「いろきね」で「とこねつひこ」と言います。
よって、お妃の「いとい姫」は(子供が生まれたので)「うちめ」から「おおすけ」に格が上がりました。
「いとい姫」は安寧天皇の三番目のお妃になります。




かわづひめ うむみこいむな(31-69)
はちぎねの しぎつひこみこ


「かわず姫」が生んだ皇子は、実名「はちぎね」で「しぎつひこ皇子」と言います。



よほつやゑ うつきそいかに(31-69)
ぬなそひめ うむみこいむな(31-70)
よしひとの おおやまとひこ
すきともぞ


(安寧四年)うきあな宮四年、「つやえ」(ほつま歴 3/60後の丙寅ひのえとら)の年、の四月(卯の花の月)十五日に、「ぬなそ姫」(中宮)が生んだ皇子は実名「よしひと」で「おおやまとすきとも」と言います。
(後の四代目の懿徳(いとく)天皇になります)



 たけいいかつと(31-70)
いつもしこ なるけくにおみ


「たけいいかつ」と「いつもしこ」は「けくに」臣(「みけないもうすおもちかみ」天皇と食事を取られ国政を語る臣、今の官房長官のようなもの)になりました。



おおねとみ なるいわいぬし(31-71)

「おおね」臣は「斎主、いわいぬし」(神だけを祀る専門の神職)に抜擢されました。



むほおしゑ むつきそいかに(31-71)
うちのうむ いみなとぎひこ(いむなときひこ)
くしともせ


(安寧六年)うきあな宮六年、「おしえ」(ほつま歴 55/60後の戊午つちのえうま)の年、一月十五日に、内宮(ぬなそ姫)が(二人目に)生んだ皇子の実名が「ときひこ」で「くしともせ」と言います。

ジョンレノ・ホツマ

31-65~66 綏靖天皇のご遺体を「つきだおか」に

31-33 綏靖天皇(すいぜい天皇)のご遺体を「つきだおか」に(31-65~66) 

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かんなそか おもむろおくる(31-66)
つきだおか


十月(神々が並びいる月)十日、ご遺体(二代目綏靖天皇)を「つきだおか」(奈良県橿原市畝傍山のふもと)に送りました。

ジョンレノ・ホツマ

31-62~65「たまでみ」皇子誕生のとき、「たまでひこ」に取り上げられた

31-32 「たまでみ」皇子誕生のとき、「たまでひこ」に取り上げられた(31-62~65)

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話が前後します。
「たまでみ皇子」が生まれる時、「こもり」・「かつて」に取り上げられたときの話になります。


 むかしここなの(31-62)
はなみとて みすすよりひめ
かわまため しぎくろはやが
たちにゆき みこうまんとし(31-63)
みかやめる


昔、菊栗(ここな)の花見(九月九日)のとき、中宮の「みすずより姫」が「かわまた姫」と「しぎくろはや」の館に行った時に、皇子がまさに生まれようとして、三日間苦しんで病んでおられました。



 ときめおときて(31-63)
これをこふ きみにもふして
たまでひこ かかえとりあげ
やすくうむ(31-64)


そのとき、夫婦ものが来て(陣痛の叫び声を聞きつけて)、君(天皇)に、取り上げさせてください(出産の手助け)と申しあげたところ、夫の方の「たまでひこ」が子供を抱え取り上げ、易く出産することが出来ました。



 しぎがやあさひ(31-64)
かかやけば たまでがみなを
すすめいふ


「しぎくろはや」の館で朝日が差し込んで輝きました。「たまでひこ」が私に名付け親にさせて下さいと進言しました。



 かばねをとえば(31-64)
あはこもり めはかつてひこ



名前も聞かずに出産を手助けしてもらったので、改めて名前を聞きました。男の方は「こもり」と名乗り、女の方は「かって」の「ひこ」(曾孫)と名乗りました。
「こもり」は世襲の名前で「おおものぬし三代目」「よろぎまろ」とも言う。「ことしろぬし」の子供。「みほしこ」とも言った。昔はこのように実名の他に称え名が一杯あった。子供を三十六人無事に育てたことより、天照神から「こもり」の名を賜わった。
「かつて神」は「さくらい」の「ひとことぬし」の子供)は宮中の中のことを司る役でお産婆さんでもあった。



たまふなは わかみやのうし(31-65)
もりのとみ こもりかつての
ふたかみを よしのにまつり


「たまでひこ」が賜わった名前は「わかみやのうしもりのとみ」です。「わかみや」(皇太子になる)「うし」(氏)「もり」(お守りする)「とみ」(大臣である)
先祖(三代前)の「こもり神」と「かつて神」の二神を吉野に祀りました。



ははをあげ みうゑきさきと(31-65)
かれみなも いみなもそれぞ(31-66)


先帝の母を上げ、太政皇太后としてまつりました。
よって、「たまでみ」という名前も「しぎひと」という実名もそれぞれ祀りました。

ジョンレノ・ホツマ

31-60~62 代が代わり、臣も全て新しく代わる

31-31 代が代わり、臣も全て新しく代わる(31-60~62)
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わかみやの まつりこととる(31-60)
とみはあらたぞ(31-61



若宮(新しい安寧(あんねい)天皇「たまでみ」)の祀り事を仕切る
臣は全て新たになりました。



ときあすず ももなそねあと(31-61)
あふみみか みこしぎひとの
としみそみ あまつひつぎを
うけつぎて たまてみあめの(31-62)
すべらぎみ



時はあすず歴の百七十年、「ねあと」(ほつま歴 50/60後の癸丑みずのとうし)の年、
七月(あふみ月)三日、皇子「しぎひと」の
年は三十三才で天つ日嗣を
受け継ぎました(皇位継承しました)。そして、「たまでみ」天皇(天のすべらぎみ)になられました。

ジョンレノ・ホツマ

31-60 「たまで皇子」は喪明けで輪抜けで身を清める

人皇3代 安寧(あんねい)天皇
「しぎひこ」実名「たまでみ」(うきあな宮)
の綾


31-30 「たまで皇子」は喪明けで輪抜けで身を清める(31-60)
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いさかわに みそぎのわぬけ(31-60)
みやにいづ



皇太子は喪が明けたら、「いさかわ」に入り「みそぎ」をして、「わぬけ」茅の輪くぐりをして汚れを祓い身を清めることに専念し、宮中には行きませんでした。



 みうえのとみや(31-60)
かみまつる わかれつとむる



代が代わって、新しい天皇になって、今までの臣(御上の臣)は神(亡くなられた天皇)を祀ること(お別れの儀式)に専念しました。

ジョンレノ・ホツマ

31-59 「かぬがわみみ」(綏靖天皇)が亡くなり喪に服す

31-29「かぬがわみみ」(綏靖天皇)が亡くなり喪に服す(31-59)
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 みそむほさつき(31-59)
そかねなと すべらぎまかる
やそよとし


(綏靖三十六年)「たかおか宮」三十六年五月十日、「ねなと」(ほつま歴 40/60後の癸卯みずのとう)の日、「すべらぎ」(かぬがわみみ:綏靖天皇)はお亡くなりになりました。
八十四才でした。



 わかみやそのよ(31-59)
もはにいり よそやよいたり


若宮(皇太子:「たまで皇子」実名「しぎひと」)はその夜から裳喪に入り四十八日目の夜まで服しました。(喪明け四十九日につながる)

ジョンレノ・ホツマ


31-57~59 「あめたねこ」(春日大社の御祭神)が亡くなる

31-28 「あめたねこ」(春日大社の御祭神)が亡くなる(31-57~59)

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しもそよか あめたねこさる(31-57)
ももやそな(31-58)



その年「さあと」(ほつま歴 38/60後の辛丑かのとうし)の年の十一月十四日(又は同じ月すなわち一月二十四日)、「あめたねこ」が亡くなりました。
年は百八十七才でした。
「あめたねこ」(春日大社の御祭神)は「あめのこやねの命」の孫(三代目)にあたります。



 おもむろおさむ(31-58)
みかさやま



「あめたねこ」のご遺体を「みかさやま」に納めました。



 かすがのとのに(31-58)
あひまつる



「あめたねこ」を春日の殿(春日神社)に一緒に祀りました。



 みかさのかばね(31-58)
うさまろに たまひてたたゆ
みかさおみ(31-59)



「うさまろ」は四代目「みかさ」の姓を賜わり、「みかさ」臣と称えられました。

ジョンレノ・ホツマ

31-56~57 「かぬがわみみ」(綏靖天皇)の子供たち

31-27 「かぬがわみみ」(綏靖天皇)の子供たち(31-56~57)
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さやとながもち(31-56)
きさきうむ いみなしぎひと
たまでみこ


「さやと」(ほつま歴 18/60後の辛巳かのとみ)の年、九月十五日、中宮の「みすずより姫」(「あだつくしね」七代目大物主の妹)が生んだ皇子は実名「しぎひと」で「たまで皇子」です。



 むほねしゑふゆ(31-56)
いとおりめ うむいきしみこ
すけとなる(31-57)



(綏靖六年)「たかおか宮」六年、「ねしえ」(ほつま歴 19/60後の壬午みずのえうま)の年、冬、「いとおり姫」が「いきし皇子」を生みました。そして、「いとおり姫」は「すけ妃」に昇格しました。



 ふそいさあとの(31-57)
むつきみか しきひとたてて

よつぎみこ いまふそとし(いまふそとし:小笠原)この行以下訂正:2010/10/21

(綏靖二十五年)「たかおか宮」二十五年の「さあと」(ほつま歴 38/60後の辛丑かのとうし)の年、新年(むつみ:みつみあう月)の三日、「しきひと皇子」をたてて世継ぎ皇子にしました。(立太子礼)
皇子は今年二十五才(二十一才)です。

綏靖天皇「たかおか宮」の新年が、あすす歴の百三十四年、
「つあえ」(ほつま歴 13/60後の丙子ひのえね) :和仁估写本
(「つあと」(ほつま歴 14/60後の丁丑ひのとうし)一年違い:小笠原写本)ですから、
この皇子の生まれたのが「さやと」の年:(ほつま歴 18/60後の辛巳かのとみ)とありますから、(綏靖)「たかおか宮」五年か六年(小笠原)です。
世継ぎのとき「さあと」の年は:(ほつま歴 38/60後の辛丑かのとうし)とありますから、(綏靖)「たかおか宮」二十五年の二十年後になります。
しかし、皇子の年が二十五才とあるので、(綏靖)「たかおか宮新年」と皇子の生まれた年と取り違えて記載されているように思います。ちょっとややこしいですけど。
ジョンレノ・ホツマ

31-55~56 みしりつひこ(「かぬがわみみ」綏靖天皇の兄)が亡くなる

31-26 みしりつひこ(「かぬがわみみ」綏靖天皇の兄)が亡くなる(31-55~56)
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 よさやえうづき(31-55)
いほみさる みしりつひこの
かみとなる(31-56)
 


(綏靖四年)「たかおか宮」四年、「さやえ」(ほつま歴 17/60後の庚辰かのえたつ)の年の四月に「いほ」の御神がお亡くなりになりました。
「いほみ」の「み」は「みこ」という意味、あるいは「みしりつひこ」の「み」にもとれます。
そして、弟をたてて身の程を知った「みしりつひこ」(「かぬがわみみ」綏靖天皇の兄)の神となられました。

「みしりつひこ」神社は世襲で祭って「おお」一族「おおのやすまろ」が子孫になります。
別名「いほのとみ・みしりつひこ」で「いほ」(井保)姓については、和仁估安聰釋述「ほつまつたゑ」が見つかった井保家の先祖にあたることが確認されています。

ジョンレノ・ホツマ

31-55 「ひこゆき」を「祀りの臣のすけ」にする

31-25 「ひこゆき」を「祀りの臣のすけ」にする(31-55)

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 またあまぎみは(31-55)
ひこゆきを まつりのおみの
すけとなす


天君「かぬがわみみ」(綏靖天皇:神武天皇の三男)は「ひこゆき」(「にぎはやし」の子供の「うましまじ」の次男:旧事紀より)を「祭りの臣」(みけないもうすおもち神)の「すけ(太輔、天皇を助ける)」としました。

「みけないもうすおもち神」:天皇と食事を共にして国政を語る大臣、以前は左大臣、右大臣という呼び方でした。

ジョンレノ・ホツマ

31-54~55 宇佐に「いとう」(善知鳥)の三女神 

31-24 宇佐に「いとう」(善知鳥)の三女神 (31-54~55)


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 うさにいとうの(31-54)
みめかみや(31-55)


また、宇佐(宇佐八幡)では氏神様として「いとう(うとう:善知)」の三女神(天照大神の宗方三女神、たけこ、たきこ、たなこ)を祀りました。

三女神(みめかみ)は宗方三女神とも言う。

別名「おきつしま姫」、「えつのしま姫」、「いちきしま姫」のことです。三女神は天照大神と「こます姫はやこ」との娘になっているが、実際は「そさのう」の子供であったと疑われました。

この三人は、そのため、宇佐に流されました。そこで天照大神のお妃の一人、宗方のご出身の「とよ姫」が三女神を育てられ、大人になって、母「こます姫はやこ」が浮気をして出来た子供と知らされ、自らの身の汚れを掃うために「かだがき」(琵琶の原点)を持って、全国を遍歴の旅に出ました。

「うとう神社」(青森県)で祭られているのは、「しまずひこ」(「おおくにぬし」が津軽に流されてからの子供)が本州の北の果てで三人をいとしく思い「いとう神社」を建てたところ、善知鳥(うとう)という鳥が啄ばみに来たので「うとう」になった。

なお、此処での「いとう」には、愛しく思うという意味と世の中を厭うという二つの意味が含まれています。

ジョンレノ・ホツマ

31-54 「住吉の神」、「直入物主」、「直入中臣」の三人は直り神として崇められる

31-23 「住吉の神」、「直入物主」、「直入中臣」の三人は直り神として崇められる(31-54)

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 それよりたみの(31-54)
うふすなと まつるすみよし
ものぬしと なかとみあわせ
なおりかみ



それ以降、民(たみ、国)の氏神様(うぶすな神)になりました。
氏神様としてお祀りしたのが、「住吉の神」と「なおり物主」と「なおりなかとみ」の三神を合わせて、その土地の神「直り神」としました。

「うぶ」:生まれたときお参りに行く神、「すな」:土地を示す。

「すみよしの神」正式名は「かなさきの神」。
天照大神の時代、八年にも及ぶ「はたれ」の乱という内乱を「かなさき」が「みそぎつかさ」を、天照大神から司って、内乱を鎮めて平和が蘇えったので、「すみよろし」の神という名を賜わった。そして、天照大神より九州全土を賜わったので、九州全土の氏神様(うぶすな神)となる経緯があります。
「すみよろし」が後日漢字化されたときに「住吉」になった。

ジョンレノ・ホツマ

31-51~54 筑紫より御幸の要請、「なおりなかとみ」が派遣される

31-22 筑紫より御幸の要請、「なおりなかとみ」が派遣される(31-51~54)

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つくしより みゆきをこえば(31-51)
みかわりと なおりなかとみ
くだらしむ



筑紫(九州:旧つくしみの国)より御幸の要請(天皇に国が乱れているので国を治めに来て下さい)があったので、天皇(綏靖天皇)の身代わりに「なおりなかとみ」を派遣させました。

「なおり神」(稲熱病のお祓い:「かぜふ」の祓い)の神は二系統あった
「なおりなかとみ」-後の藤原系―春日系―左大臣
「なおりものぬし」-おおもの主―右大臣




 とよのなおりの(31-51)
あがたなる みそふのぬしも
のりをうく(31-52)



「なおりなかとみ」は、豊前、豊後(現在の大分県、一部福岡県)の「なおり」の縣主(直入郡)に派遣され仮都をつくり政治をとりました。そして、九州の三十二の県主も支配下になりました。「宣告:のり」を受けて(法の下に)国を治めました。)



 さきにさみたれ(31-52)
むそかふり さなえみもちに
いたむゆえ つぐるおしかど
いなおりの はらひかぜふの
まつりなす(31-53)



これより先(以前)、五月雨が六十日間、降り続きました。そして、早苗(さなえ)が稲熱病になって傷んでしまいました。そのため、勅使(「なおりなかとみ」)に訴え、「稲直りの風吹(かぜふ)の祓いの祀り」(風によって雲を掃い晴れを願う)をいたしました。



 ぬしらつとめて(31-53)
おしくさの まもりになえも
よみかえり



主ら(九州の三十二の県主達)は努めて、「おしくさのまもり」(ごまの葉草、げんじん(黒参)を片手に持って、もう片方でからす扇を持って扇ぎたてながら、虫払いの歌を歌って稲虫・イナゴを追いたてる)のよって、苗も蘇えりました。
雨続きの雲を追い払う儀式と稲虫(いなご)を追い払う儀式と混乱しているかも知れません。




 みあつくなれば(31-53)
にぎわひて かれにほづみの
まつりなす(31-54)



実が熟し(稲が実を結び)、収穫の時期を迎え賑わいました。よって、「ほづみのまつり」(秋祭り、八朔の祭り:八月一日)をしました。(豊かになりました)

ジョンレノ・ホツマ

31-47~50 大神神社(おおみわ)の御祭神の起源について

31-21 大神神社(おおみわ)の御祭神の起源について(31-47~50)

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 はつきはつひに(31-47)
みことのり われきくむかし
おおなむち ことなすときに



(綏靖三年)「たかおか宮」三年の一月元旦に、詔がありました。
私「かぬがわみみ」(綏靖天皇)は昔、聞いたことがあります。それは、「おおなむち」(くしね、五代目?)は、いろいろな事業を起こすとき、自分は何をやっても上手くいくと豪語していた。

(綏靖二年)「たかおか宮」二年の後の初めての月とあるので、三年と考えます。



みもろかみ われあればこそ(31-48)
おおよその ことなさしむる
さきみたま またわざたまは
わにひこぞ



そうしたら、天の声(大三輪神、現在みむろ神)が、おまえがやっているのではなく、後ろで全て(おおよそ)の事を私がやっている(守っている)のだ。私は先御霊(さきみたま、先祖神=ことしろ主、二代目おおものぬし)である。
また、いろいろなことをする(技、術)は「わにひこ」(くしみかたまの命)です。



 かれおおなむち(31-48)
つぎとなす(31-48)



よって、「おおなむち:ことしろぬし」(大物主)は「次なる人:すぐなる人、杉の木を植えた」が現われるのを待ちました。




 みたびめくりて(31-49)
ことなせば ひとりわかれて
みたりめの わにひこまてが
みわのかみ



 三度(三代)にわたって、国のために尽くした神々は、最初は「二代目ことしろ主」(こと、えびす)、二人目が「ふきね」(「ふきね」には子供がいなかった)、三人目が(一代とんで、養子に行った=一人分かれて)「わにひこ」(くしみかたまの命)が「みわ」大神神(おおみわ)の神を賜わりました。
すなわち、「みわのかみ」とは、「おおなむち」系の三神を称えて賜わった名前ということになります。
以上、大神神社(おおみわ)の御祭神の起源についての説明になります。



 よよすべらぎの(31-49)
まもりとて ながつきそひか(31-50)
まつらしむ


代々すべらぎ(天皇)の守護神である。九月十一日にこの祭神を祭らせました。



 あだつくしねに(31-50)
おおみわの かばねたまわる



「あだつくしね」(七代目おおもの主)に「おおみわ」(大神神)の姓を賜わりました。(今までは「みわのかみ」)


わにひこは ももこそふほぞ(31-50)


「わにひこ」(くしみかたまの命、「あだつくしね」の父親)は百九十二才でした。

ジョンレノ・ホツマ

31-44~47「かぬがわみみ」(綏靖天皇)のお妃たち

31-20 「かぬがわみみ」(綏靖天皇)のお妃たち(31-44~47)

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ふとしはる みすずよりひめ(31-44)
うちつみや しぎくろはやが
かわまため おおすけきさき


(綏靖二年)「たかおか宮」二年の元旦(春)、「かぬがわみみ」(綏靖天皇)の「みすずより姫」が内宮(うちつみや)になりました。信貴の「くろはや」の「かわまた姫」が大典侍后(おおすけ妃)になりました。



あだがまご あだをりひめは(31-45)
すけきさき



「あだ」の孫の「あだおり姫」は、すけ妃になりました。



 かすがあふゑの(31-45)
もろがめの いとおりひめを
ここたえに みこながはしの
おしてもり(31-46



「かすがあふえもろ」の娘の「いとおり姫」が「ここたえ(菊妙)」役になりました。そして、天皇(かぬがわみみ皇子)の「ながはし」の「おしで」(神璽、事務方の責任者)守役になりました。



 かだきくにづこ(31-46)
つるぎねが めのかつらひめ
うちきさき



「かだぎ国造(くにづこ)」の「つるぎね」の娘の「かつら姫」が「うち妃」になりました。



 いとかつらより(31-46)
しもきさき


「かつら姫」の妹の「かつらより姫」は「おしも妃」になりました。



 あめとみがめの(31-46)
きさひめも しもきさきまた(31-47)



「あめとみ」の娘の「きさ姫」も「しも妃」になりました。



ことめみそ(31-47)


そのほか、待女(女官)が三十人いました。


ジョンレノ・ホツマ

31-41~44 神武天皇の「おもむろ」を埋葬、殉死者は三十三人に

31-19 神武天皇の「おもむろ」を埋葬、殉死者は三十三人に(31-41~44)

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ながつきの そふかつみえに(31-41)
おもむろを かしおにおくる



(綏靖元年)九月(菊栗月、菊な月)の十二日「つみえ」(ほつま歴 3/60後の丙寅ひのえとら)の日に、神武天皇の「おもむろ」(死骸)を「かしお」(うねび山東北白檮尾)の陵に埋葬しました。



よそほひは あびらつひめと(31-42)
わにひこと とはずかたりを
なしはべる きみとみともに
ほらにいり かみとなること



神武天皇の葬送のその時の状況(装い)は「あびらつ姫」と「わにひこ」(くしみかたま)とが無言でかしこまってつき従い、君の亡きがらと臣は共に洞に神になりました(追い枯れ、臣は生きたまま殉死されました)。



あすききて おひまかるもの(31-43)
みそみたり



あくる日、お二人の殉死を聞いて、待女や従者たちは次々と君の後を追って殉死したものは三十三人にもなりました。


 よにうたふうた(31-43)


このとき、世の人々が唄った歌です。



あまみこが あめにかえれば(31-43)
みそみをふ まめもみさほも
とほるあめかな(31-44)



天皇子(あまみこ)が天(あめ)に帰れば(天国に召されたとき)
三十三(みそみ)人が後を追いました。天には、忠(まめ)も操も通じています。

ジョンレノ・ホツマ

31-38~41「かぬかわみみ皇子」が天皇に即位する。(綏靖天皇になります)

人皇2代 綏靖(すいぜい)天皇
「かぬがわみみ」実名「やすぎね」(たかおか宮)の綾


31-18 「かぬかわみみ皇子」が天皇に即位する。(綏靖天皇になります)(31-38~41)

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にいみやこ かたきにたてて(31-38)
みやうつし ここにむかえる



新しく都を「かたき」(葛城)に建立し、遷都して此処に新しく天皇を迎えました。

ときあすず ももみそよとし(31-39)
つあえはる はつひさなえの (つあとはる:小笠原写本)
ことほぎし すえひかさやえ



今年、あすす歴の百三十四年、
「つあえ」(ほつま歴 13/60後の丙子ひのえね)
(「つあと」(ほつま歴 14/60後の丁丑ひのとうし)一年違い:小笠原写本)
の新年(春)、元旦(初日)「さなえ」(ほつま歴 57/60後の庚申かのえさる)の日、祝賀(寿:ことほぎ)も済ませ、二十一日(末の一日)「さやえ」(ほつま歴 17/60後の庚辰かのえたつ)の日のことです。


わかみやの いみなやすぎね
としゐそふ あまつひつぎを(31-40)
うけつぎて



若宮の実名「やすぎね」と言い、年五十二才になり、天つ日嗣を受け継ぎました。



 かぬがわみみの(31-40)
あまきみと たかおかみやの(に)
はつこよみ



そして、「かぬがわみみ」(綏靖天皇)の天君として即位し、「たかおか宮」元年(綏靖元年)を迎えました。



 かみよのためし(31-40)
みかさりを たみにおがませ(31-41)
ははをあげ みうえきさきと



神代の先例(天孫ににきね)に則って、御飾り(三種の神器)を民に拝ませました。(即位の礼)
そして、先帝の母(いそすず姫)を太政皇后に格上げしました。

ジョンレノ・ホツマ

31-36~38「かんやい皇子」は自分たちが殺した「たぎし皇子」を手厚く葬り、「みしりつひこ」と名前を変える

31-17 「かんやい皇子」は自分たちが殺した「たぎし皇子」を手厚く葬り、「みしりつひこ」と名前を変える(31-36~38)

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おもむろを ここにおさめて(31-36)
みこのかみ(31-37



後に、死骸(たぎし皇子)をこの地に手厚く葬り、皇子神社(みこのかみやしろ)を建ててお祀りしました。




 かんやゐはぢて(31-37)
うえなひぬ



「かんやい皇子」は自分の不甲斐なさを恥じました。(うえ:うべ、むべ、うえなえる:同意する、納得する=一歩引く)



 といちにすみて(31-37)
いほのとみ みしりつひこと
なをかえて つねのおこなひ
かみのみち あにがまつりも(31-38)
ねんころにこそ



「かんやい皇子」は自ら身を引いて、「といち」(かたおかむろ、奈良県磯城郡多付近十市町)に住んで「いほの臣みしりつひこ」と名前を変えて、生涯を神の道に身を置いて、兄(たぎし皇子)の御霊(みたま)をねんごろにお祀りしました。

「いほの臣みしりつひこ」の「いほ」姓はこのほつまつたゑを編纂執録された「井保ゆうのしん」の先祖にあたり、「みしりつひこ」は我が身の程を知った、自ら身を引いたという意味合いがあります。


神武天皇関連の活躍されていた記述が此処(31綾前半)で終わり、以降欠史八代と言われている天皇の記述に入ります。


ジョンレノ・ホツマ
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