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29-44~46 「にぎはやひ」はこの歌を聞き、戦いをやめる

29-32 「にぎはやひ」はこの歌を聞き、戦いをやめる(29-44~46)

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このうたを もろがうたえば(29-44)
あだがつぐ しばしかんがふ(29-45)
にぎはやひ


この歌を皆が一斉に唄いました。
敵の者がこの歌を敵の頭の「にぎはやひ」に告げると、しばし考えてしまいました。


 さすらおよすと(29-45)
おたけびて またひことがも
あめからと いくさをひけば
みかたえむ(29-46)


すると、「にぎはやひ」は、突然、雄たけび(大声でわめき)だして、流離うのは(「そさのう」の二の舞になるのは)ご免だ。我らには一言もない。天の心に則った神軍だ。と言って戦うことを止めて退却してしました。
味方の兵たちは微笑みました(大喜びしました)。

ジョンレノ・ホツマ
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29-43~44 国見が丘で出陣に先立ち、君は御歌を作る

29-31 国見が丘で出陣に先立ち、君は御歌を作る(29-43~44)
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 くにみがをかに(29-43)
いくさたて つくるみうたに


敵状を知るために、国見が丘に本陣を敷きました。
そこで、君(「たけひと」、後の神武天皇)は御歌を作られました。


「かんかせの いせのうみなる(29-43)
いにしえの やえはいもとむ
しただみの(29-44



神風の伊勢の海には、昔(いにしえ)から海に住んでいる「したたみ」という貝が、四方八方、餌を求めて這いまわっているかのように


 あこよよあこよ(29-44)
しただみの いはひもとめり
うちてしやまん」


我が子(我が兵士)よ、「よ」(良い、強い)我が子(我が兵士)よ
「しただみ」(下民、罪人、盗賊、浮浪者)が這いまわって悪さをしているのを徹底的に探し出して討ち取ろうではないか。

ジョンレノ・ホツマ

29-41~43 香久山の埴(土)で「いずべ」を作り神祭りする

29-30 香久山の埴(土)で「いずべ」を作り神祭りする。(29-41~43)

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 いづべをつくり(29-41)
にぶかわの うだにうつせる
あさひはら あまてるとよけ
ふまつりは みちをみぞまた(29-42)


早速、この土で「いずべ」(厳盆)をつくって神祭りをされます。
宇陀の「にぶ」(にふ、丹生、水銀、「に」=豊かの意)川の近くに、丹後の国に祭られている朝日原の社(朝日宮)を移して、天照大神と豊受神の二神を祭りました。
そして、朝日宮の祭り主は「みちおみ」(道臣)に決まりました。


かんみまこ あめまひがひこ(29-42)
あたねして わけつちやまの
みおやかみ みかまつらせて
あたをうつ(29-43)


神御孫(「かんみむすび」の孫、「ひらやまひめ」の主人、実名「やそきね」)の「あめまひがひこ(あまねひとつの神)(片目で)」の子供の「あたね」に「わけいたづちやま」別雷山の御祖神(先日祖神、天孫ににきね)を三日間お祭りさせましました。
そのお祭りが終えて、敵を征伐する行動に出ました。

ジョンレノ・ホツマ

29-39~41 敵に咎められないよう神に祈りながら香久山へ行き埴(土)を持ち帰る

29-29 敵に咎められないよう神に祈りながら香久山へ行き埴(土)を持ち帰る(29-39~41)

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 ちまたにあだの(29-39)
みちおれば しいねつひこが
いのりいふ



二人は香久山を目指して出発しました。ちまた(どこを通ってもそこを通らなければならない所)には三千もの敵がたむろしており、不審な者を待ち構えています。「椎根津彦」(うつひこ)が心の中で神に祈りました。

 わがきみくにを(29-39)
さたむなら みちもひらけん(39-40)
かならずと



我が君(「たけひと」、後の神武天皇)こそが、国を平定できる人格神です。そうすれば、自ら国は治まり必ずや道も開けるでしょう。



ただちにゆけば(39-40)
あだもみて さまをわらひて
よけとふす



そう誓って進み行くと、敵もこの落ちぶれた老夫婦を見て冷やかに笑い、咎め立てすることもなく避けて通してくれました。


 かれにかぐやま(39-40)
はにとりて かえればきみも(29-41)
よろこびて



そんな訳で、香久山の土を無事採って持ち帰り、君(神武天皇)も大層お喜びになりました。

ジョンレノ・ホツマ

29-37~39 香久山の土を「椎根津彦」と「うがし」の二人に採りに行くよう詔り

29-28 香久山の土を「椎根津彦」と「うがし」の二人に採りに行くよう詔り(29-37~39)

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 しいねつひこは(29-37)
みのとかさ みをもつうがし(29-38)
おぢうばの たみのすがたで
かぐやまの みねのはにとり


そこで、君(「たけひと」、後の神武天皇)の詔(みことのり)がありました。
椎根津彦(「うつひこ」豊予海峡から水先案内を務めた)は蓑笠姿の老人に変装して、「うがし」は箕を持つ老婆に変装して百姓の姿で香久山の峰の埴(土)を採って参りなさい。


かえことは みよのうらかた(29-38)
ゆめゆめと つつしみおれと(29-39)
みことのり


出発に先立つ詔は、もし、問われたら、昔からの占いのためです。と言いなさい。努々(ゆめゆめ)怠りなく慎んで採って参れと詔を申されました。

ジョンレノ・ホツマ

29-36~37 弟「うが」は、君が勝利するためには香久山の土で天地神を祭ると良いと夢あわせになった

29-27 弟「うが」は、君が勝利するためには香久山の土で天地神を祭ると良いと夢あわせになった(29-36~37)

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 きみをおもえば(29-36)
かくやまの はにのひらての(29-37)
ひもろげに あめつちまつり
のちうたん


君(神武天皇)を勝利に導くには、香久山の埴(土)を平盆(ひらで)をつくり、神饌(ひもろぎ)を捧げて天神・地祗を祭った後、敵を討ちに行くのが良いと考えます。と弟の「うがし」が告げました。


 うがしがつげる(29-37)
ゆめあわせ


この「うがし」の告げた内容と、君(「たけひと」、後の神武天皇)が夢に見た内容が全く同じで、正に夢あわせになりました。

ジョンレノ・ホツマ

29-36 弟「うが」がまだ敵対している豪族がいることを伝える

29-26 弟「うが」がまだ敵対している豪族がいることを伝える(29-36)
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 おとうがしきて(29-36)
しぎたける かだきあかしも
みなこばむ


そこへ、弟の「うが」が息せき切って飛び込んで告げるには、磯城(しき)の「たける」(やそたける、八十建)、葛城(かたぎ、かつらぎ)、甘樫(あかし)等が皆君(「たけひと」、後の神武天皇)に敵対しています。

ジョンレノ・ホツマ

29-35~36 香久山の埴(土)で「ひらで」を作って、神を祭れという夢のお告げを受ける

29-25 香久山の埴(土)で「ひらで」を作って、神を祭れという夢のお告げを受ける(29-35~36)

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 すべらぎいのる(29-35)
ゆめのつげ かみをまつれよ


「すべらぎ」(「たけひと」、後の神武天皇)は神に祈りを捧げました。その夜、神を祭りなさいという夢のお告げがありました。


かぐやまの はにのひらでに(29-35)
ひもろげと かみのおしえに(29-36)
なさんとす



香久山の埴(土)を採って平盆(ひらで、お皿のこと)に盛って、神饌(ひもろぎ)を捧げて神の教えに従いなさい。(天神地祗を祭りなさい)というお告げでした。

ジョンレノ・ホツマ

29-34~35 しかし、高倉山の麓には兄「しぎ」豪族が邪魔立て 

29-24 しかし、高倉山の麓には兄「しぎ」豪族が邪魔立て (29-34~35)

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 たかくらやまの(29-34)
ふもとには えしぎがいくさ
いわわれの かなめによりて(29-35)
みちふさぐ


しかし、まだ高倉山の麓には兄の「しぎ」の豪族が「いわわれ」(奈良県桜井市)の要(磐余、大きな岩が割れている)周辺に、たむろして行く手を塞いでいます。


ジョンレノ・ホツマ


追伸
今朝、2010/12/21 東京の東南の空に地震雲が見られました。ここ1週間は地震に注意された方がいいです

お騒がせしました。その後2010/12/31まで地震は感じられませんでした。地震雲と呼ばれている雲は、地下の変動により電場が変化し、ちょうどホットドッグを長くしたような雲が何本か平行に生じるため、普通の雲は風と共に動きますが、地震雲はその場を動くことがなく、ちょっと異様な気がする雲です。2010/12/31追記

29-33~34 弟「うが主」は味方につく。「いひかり」、「いわわけ」も味方に

29-23 弟「うが主」は味方につく。「いひかり」、「いわわけ」も味方に(29-33~34)

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 おとはもてなす(29-33)
きみとみも(29-34)


「うが主」の弟は君(「たけひと」、後の神武天皇)をはじめ臣たちにも、もてなしをして歓迎しました。


 よしのおのえの(29-34)
いひかりも いわわけかみも
いでむかふ


そうすると、吉野の「尾上のいひかり」という豪族も、「いわわけ」神の豪族も「たけひと」(後の神武天皇)側に付いて出迎えました。
服従したことになります。

ジョンレノ・ホツマ

29-31~33 陰謀を謀った兄の「うが主」は天罰で自分の罠に嵌まる

29-22 陰謀を謀った兄の「うが主」は天罰で自分の罠に嵌まる(29-31~33)

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 うがぬしめせば(29-31)
あにはこず おとはもふでて
つげもふす


早速、「うだのあがたぬし」(莬田縣)の「うが主」を呼びにやりました。すると、兄の「うが主」は現われずに弟が参上して君(「たけひと」、後の神武天皇)に告げ申しました。


 あにさからえど(29-31)
みあえして はかるくるりを(29-32)
しろしめせ


兄の「うが主」は逆らっています。しかし、君(「たけひと」、後の神武天皇)の饗(みあえ、もてなし)で謀りごとをたくらんでいます。それには「くるり」(裏、しかけ)があります(陰謀をたくらんでいます)。(ご用心ください)


 かれにみちおみ(29-32)
さがすれば あだなすことを
おだけびて


それを聞いて「みちおみ」(道臣)は逃げ隠れていた兄の「うが主」を探し出しました。敵対すること(あだなす)を叫びました。(罵声をあびせました)


 なんぢがつくる(29-32)
やにおれと つるぎよゆみと(29-33)
せめられて いなむとこなき
あめのつみ おのがくるりに
まかるなり


「みちおみ」(道臣)は兄の「うが主」に、お前の作った(罠を仕掛けた)家に入れと剣や弓で攻め立てられました。
兄の「うが主」は嫌がっても拒めず逃げることも出来ず、天罰てきめん、自ら仕掛けた罠にまんまと嵌まって遂に死んでしまいました。

ジョンレノ・ホツマ

29-30~31 「やたのからす」の先導で「うだ」(宇陀市)にたどり着く

29-21 「やたのからす」の先導で「うだ」(宇陀市)にたどり着く(29-30~31)

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 おおぢがうがつ(29-30)
あすかみち いくさひきゆく
みちおみが みねこえうだの(29-31)
うがちむら


「おおじ」(翁、年配者、やたのからすの事)が飛鳥への山の道を、幅広く切り開き、軍を引導して、突き進みました。
先陣を行く「みちおみ」(道臣)は「やたのからす」について行き、峰を越えて「うだ」(奈良県宇陀市)の「うがち村」(穿ち村)にたどり着きました。

ジョンレノ・ホツマ

29-29~30 夢で道案内にと告げられた「やたのからす」が目の前に現われる

29-20 夢で道案内にと告げられた「やたのからす」が目の前に現われる(29-29~30)
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すべらぎの ゆめにあまてる(29-29)
かみのつけ(29-30)


このとき、「すべらぎ」(「たけひと」、後の神武天皇)に夢の中で天照大神のお告げがありました。


 やたのからすを(29-30)
みちびきと さむればやたの
からすあり


「やたのからす」という者を道案内とせよと告げられました。目が覚めて見ると、目の前に「やたのからす」(実在の人物)という者が尋ねてきました。

ジョンレノ・ホツマ

29-28~29 君「たけひと」は毒気から目覚め再び立ち向かう

29-19 君「たけひと」は毒気から目覚め再び立ち向かう(29-28~29)

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 きみのなかねの(29-28)
おえさめて もろもさむれば(29-29)
いくさだち


すると、不思議なことに、君(「たけひと」、後の神武天皇)は、毒気にかかっていた長い眠り(なかね)から覚めました。兵士たちも皆目覚め、士気も高まり、再び戦さに立ち向かいました。


 やまぢけわしく(29-29)
すえたえて のにしぢまひて


しかし、飛鳥への道は険しく、道が行き止まりであったり、道に迷って同じ所に戻って来てしまったり辛い行軍でした。(野営をしながらの意味合いも含むと思われます)

ジョンレノ・ホツマ

29-26~28 「たかくらした」が夢の告げに出た「くにむけの剣」を見つけ君「たけひと」に授ける

29-18 「たかくらした」が夢の告げに出た「くにむけの剣」を見つけ君「たけひと」に授ける(29-26~28)

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さて、ここで話に展開があります。


 たかくらしたに(29-26)
ゆめのつげ たけみかつちに
みことのり くにさやければ
なんぢゆけ


この地方に住んでいた「たかくらした」(高倉下:和歌山県新宮市高倉神社)という者に夢のお告げがありました。
その夢の告げというのは、天照大神が「たけみかつち」(鹿島神宮御祭神)に詔をしました。内容は、葦原中国(大和)が大分乱れて騒がしいので、汝(たけみかつち)が行って治めてきなさいと天照大神が言いました。



 かみにこたえは(29-26)
ゆかずとも くにむけつるぎ(29-27)
くださんと


「たけみかつち」が天照大神に、私が行かなくとも「くにむけの剱」(国を平定する剱)を下し降ろせば良いと答えました。



 かみもうめなり(うえなり:小笠原)
みかつちの ふつのみたまを(29-27)
くらにおく これたてまつれ



すると、天照大神ももっともだと同意しました。
「むべ」=「うめ」=「うえ」=なるほど、納得の意
「みかつち」(たけみかつち)の先祖伝来の「ふつのみたま」(二つの御霊、天照大神と豊受神)の剣を高倉下の倉に置いておくから、これを「たけひと」(、後の神武天皇)に奉りなさい。と言われました。



あひあひと たかくらしたが(29-28)
ゆめさめて


「あいあい」と高倉下が夢の中で答えた所で夢(目)が覚めました。



 くらをひらけば(29-28)
そこいたに たちたるつるぎ
すすむれば


高倉下が夢に驚き、倉を開けてみると、底板に突き立っている剣を見つけたので、それを君(「たけひと」、後の神武天皇)に捧げました。

ジョンレノ・ホツマ

29-25~26 荒坂(三重県熊野市)に向かうが「にしきど」に行く手を歯向かわれ、疲れ昏睡してしまう

29-17 荒坂(三重県熊野市)に向かうが「にしきど」に行く手を歯向かわれ、疲れ昏睡してしまう(29-25~26)

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 すべらぎみこも(29-25)
つつがなく ゆくあらさかに


「すべらぎ」(「たけひと」、後の神武天皇)も「みこ」(たぎし皇子)も、無事に「あらさか」(三重県熊野市荒坂二木港)に向かいました。


いそらなす にしきどこばみ(29-25)
おえはけば みなつかれふし
ねふるとき(29-26)


磯良(いそら、にしきおろち、海神が暴れていました)海は荒れ狂っていました。
行軍を拒み、切り立った断崖は吠えているかのようでした。船酔いで吐き戻し、皆、疲れきってしまい、眠むってしまいました。
「おえ」=不浄なもの、毒気

「にしきど」についても、先ほどの野本寛一氏著の「熊野山海民俗考」人文書院発行の中に、神武天皇が「にしきどとべ」(丹敷戸畔)と戦ったという地があちこちに残っています

和歌山県西牟婁郡串本町二色
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町錦浦
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町赤色


全くの個人的な感想ですが、今回、小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」の星のかけらを持って、無事地球まで七年もかけて戻ってきた出来事について、想像を絶するほどの困難に耐え抜いてきたという事実に驚かされます。

信じられないほど遠回りをして、大変な思いをしたという感動と、このホツマツタヱのこの部分は、神武天皇が大変困難であった難局を乗り越えてきた行程と次元は全く違うものの二重写しに見えました。

両方とも詳細を知れば知るほど大変であったことに頭がさがります。

ジョンレノ・ホツマ

29-23~25 台風で船は流され、「いないい」と「みけない」は水死

29-16 台風で船は流され、「いないい」と「みけない」は水死(29-23~25)
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 いわたてこえて(29-23)
おきをこぐ つちかぜふねを
ただよわす


「いわたて」(和歌山県新宮市盤楯、いわたて)の沖を迂回して船を漕いで行きました。しかし、辻風(台風、旋風、竜巻)が生じ、船は遠くに流されてしまいました。


 いないいざちて(29-23)
あめのかみ ははわだかみや
いかがせん(29-24)



「いないい」(神武天皇の兄)が、突然泣きじゃくりながら、天の神よ。母海神(ははわだかみ、母なる海の神)よ、どうして、助けて下さらないのですか。と泣き叫びました。


 くがにたしなめ(29-24)
またうみと いるさびもちの
うみのかみ



陸でも苦しい戦いを強いられ、今また海でも苦しめられるのは、我慢の限界だと言って持っていた剣(錆持ち)を抜いて入水してしまいました。


 みけいりもまた(29-24)
さかなみの うみをうらみて
かみとなる(29-25)


「みけいり」(「たけひと」、後の神武天皇の種違いの兄、たまより姫の連れ子)も続いて逆浪(流れに逆らって打ち寄せる波)を恨んで後を追って入水してしまいました。

というのが、本文の解釈ですが、実際には台風で船が大揺れで貴族の二人は振り落とされてしまったかも知れませんね。

なお、野本寛一氏著の「熊野山海民俗考」人文書院発行には実に詳細に調べ上げた伝承をまとめ上げています。その中に、二木島(三重県熊野市)の神武天皇の伝承についても非常に多く取り上げておられることにびっくりしました。

この地で賊と戦ったとき二木島湾の沖で台風にあい、「いないい」(稲飯命)と「みけいり」(三毛入野命)が水死されたとあり、その死体を神武天皇が船に乗せて二木島湾に向かったところを助けに行って、「いないい」(稲飯命)を牟婁崎の室古神社に、「みけいり」(三毛入野命)を英虞湾の阿古師神社の地、アコノヒラに祭ったという。

「つじかぜ」が台風のことと分かったのは、同書の中に、地元の伝承に神武天皇の船が台風に遭って・・・という記述があったからです。

ジョンレノ・ホツマ

29-22~23 葬儀(埋葬)に反抗した「なぐさのとべ」を征伐した後、熊野の村に向かう

29-15 葬儀(埋葬)に反抗した「なぐさのとべ」を征伐した後、熊野の村に向かう(29-22~23)
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 なぐさのとべが(29-22)
こばむゆえ つみしてさのへ
くまのむら(29-23)


しかし、この地元(紀の国の国神)の名草村の名草戸部がこの葬儀に反抗したため天誅(てんちゅう)を下しました(成敗して殺しました)。そして、一行は「さの」(紀伊佐野、新宮佐野、紀勢本線)へ向かい「くまのむら」(新宮市熊野速玉大社)に着きました。

ジョンレノ・ホツマ

29-22 「いつせ皇子」が和泉国で亡くなり紀伊国に葬る

29-14 「いつせ皇子」が和泉国で亡くなり紀伊国に葬る(29-22)


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みふねゆく ちぬのやまきで(29-22)
いつせかる


再び、船団を組み紀伊半島をぐるっとまわります。
茅渟(ちぬ、和泉国の沿岸の古称)のやまき(山北、大阪府泉南郡熊取町)で「いつせ皇子」は矢の傷がもとでお亡くなりになりました。

「かる」は「枯れる」のことで当時は草花だけでなく人間についても死ぬことを「かれる」といっていたことが分かります。


 きのかまやまに(29-22)
おくらしむ



紀伊国の竈山(かまやま、和歌山市、和歌山電鉄貴志川線、竈山神社)の地で葬祭を行ないこの地に手厚く葬りました。

ジョンレノ・ホツマ

29-20~21 神を祭ってから出直すことに。八尾まで撤退する

29-13 神を祭ってから出直すことに。八尾まで撤退する(29-20~21)
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 すべらぎふれる(29-20)
はかりごと われはひのまご
ひにむかふ あめにさかえば


神武天皇は全軍に一時撤退を触れます(知らせます)。物事がうまくいくように作戦をめぐらせます。
我は日の神の孫(子孫)である。この戦いは日に向かって(太陽の出る東に)弓を引くのは天の御心に逆らっていた。間違っていたと悟ります。


しりぞきて かみをまつりて(29-21)
ひのままに おそはばあだも
やぶれんと


潔(いさぎよ)く、一旦退いて、神を祭り、日のままに(御影に従って)戦に臨めば必ず敵(あだ)を破ることが出来る。と詔を申されました。


 みなしかりとて(29-21)
やおへひく あだもせまらず


皆の者も、しかり!(そうだ、そうだ)と言って、兵を八尾まで退却しました。そうしたら、敵もそこまでは追って来ませんでした。

 ジョンレノ・ホツマ

29-18~20 生駒越えを試みるが、「いつせ皇子」が肘を射られ撤退する

29-12 生駒越えを試みるが、「いつせ皇子」が肘を射られ撤退する(29-18~20)
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やかたにいくさ(29-18)
ととのいて たつたのみちは
ならびえず いこまこゆれば(29-19)


「あうえもろ」の館で戦の準備が整って進軍します。しかし、「たつた」(竜田)街道を大和の方へ向かいますが兵が二人並んで進めないほど難所が続き、とって代わって生駒山を越えて大和盆地に進軍しました。


ながすねが いくさおこして(29-19)
わがくにを うばやんやわと
くさえざか たたかひあわす


迎え討つ「ながすね」軍が反撃し、「我が国を奪えるものか」と言うや、戦いを挑み、「くさえ坂」(孔舎衛坂、東大阪市、旧牧岡市)の合戦は激しいものでした。

いつせみこ ひぢをいられて(29-20)
すすみえず


「いつせ皇子」(神武天皇の兄、多賀の親王)が敵の矢に射られてしまい、前進できず一旦撤退します。

ジョンレノ・ホツマ

29-17~18 船は浪速(なみはや)より大和川を遡り、河内の「あうえもろ」の館に着く

29-11 船は浪速(なみはや)より大和川を遡り、河内の「あうえもろ」の館に着く(29-17~18)

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 あすすいそいほ(29-17)
きさらぎや はやなみたつる
みつみさき


あすず歴五十五年二月八日に速浪が立っている「みつみさき」(三津御崎)にさしかかりました。


 なもなみはやの(29-17)
みなつより やまあとかわを(29-18)
さかのぼり かうちくさかの(29-18)
あうえもろ 


此処の場所を「なみはや」(浪速)と名付けられました。
この浪速の湊より「やまあとかわ」(大和川)を遡り河内の日下(くさか、草香邑)の「あうえもろ」の館に着きました。

「なみはや」は、後に漢字が渡来して「なみはや」に「浪速」という漢字がつけられ、「なにわ」と呼ばれるようになったと思われます。

「やまあとかわ」も元の意味は「山」を「あと」(後ろ)にした川であったことが分かります。時間とともに「やまと」と「やまあと」の区別がつかず「やまとかわ」になり漢字渡来のとき、「大和川」という漢字が当てはまったことが感じられます。

ジョンレノ・ホツマ

29-16~17 安芸の国で年を越し、吉備の国に三年滞在し、戦に備える

29-10 安芸の国で年を越し、吉備の国に三年滞在し、戦に備える(29-16~17)
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あきのくに ちのみやにこす(29-16)

その後、船は安芸の国(広島)に着き、そこの「ちの宮」(広島県府中市、現「埃宮:えのみや」)で年を越しました。

「安芸」の語源:
「天孫ににきね」が、来られた時、山が禿山になっているのを見て、理由を問うた所、「やまたのおろち」を退治する時、山に火をつけて追い出したが、禿山になってしまい、山の仕事がありません。水も出なくなりました。「あきの国」は「いとまあき」から来ており、仕事がなく「あきあき」していることを訴えています。
なお、その後、「ににきね」は檜と杉の種を植えさせて再び蘇らせました。

「ちの宮」(広島県府中市、現「埃宮:えのみや」=多家神社(たけ)
このとき、神武天皇はまだ「たけひと」と言われていたため、たけ神社の名前が残っています。


やよひには きびたかしまに(29-16)
なかくにの まつりおさめて
みとせます(29-17)


三月には、吉備の国の高島宮(笠岡市神島沖の高島)に着きました。ここで、中国地方の政治にあたり、三年間ご滞在になりました。
三年も滞在したのは、舟を造ったり、出雲と連携し合っていたこともあったと推測できます。


 うちにととのひ(29-17)
みふねゆく


そうして、用意万端、備い、船団は出航しました。

ジョンレノ・ホツマ

29-15~16 途中、宇佐でお伴の「たねこ」が「うさつ姫」を娶り、九州の勅使になる

29-9 途中、宇佐でお伴の「たねこ」が「うさつ姫」を娶り、九州の勅使になる (29-15~16)

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ひくふねの うさにいたれば(29-15)


その「しいねつひこ」(椎根津彦)の水先案内で引かれた船は宇佐に着きました。
当時、宮崎から船で豊予海峡を経て宇佐に着いたことがわかります。


うさつひこ ひとあがりやに(29-15)
みあえなす


宇佐では「うさつひこ」が「ひとあがりや」(仮宮)で一行の饗(みあえ、もてなし)を開きました。


 かしはでによる(29-15)
うさこひめ たねこがつまと
ちちにとひ つくしのおしと(29-16)


そのとき、君の膳(かしわで)にお仕えしたのが「うさこ姫」でした。同席していた「たねこ」(あめたねこ)が「うさこ姫」を気にいり、父親の「うさつひこ」の許しを得て妻として娶り、後に二人は「筑紫」(現在の九州の総称)の勅使となりました。


「うさつひこ」は天照大神の娘の「たなこ姫」(後の「いちきしま姫」)の子供の「うさつひこ」(宇佐)、「いよつひこ」(伊予)、「とさつひこ」(土佐)の一人。「うさつひこ」の母親の「たなこ姫」は「いぶきどの主」と結婚され、伊予に住まわれ、「いちきしま姫」となられ後に「厳島神社」に祭られています。
愛媛(良い姫)の語源になります。

なお、「たなこ姫」は「たけこ姫」、「たきこ姫」と共に「宗方三女神」の三つ子の一人で天照大神の子供ではなく「そさのう」の子供であったかも知れないとされています。

ジョンレノ・ホツマ

29-12~14 豊後水道で「うつひこ」と出会い、水先案内に

29-8 豊後水道で「うつひこ」と出会い、水先案内に(29-12~14)
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 みふねのいたる(29-12)
はやすひど よるあまおぶね(29-13)
あひわけが とえばくにかみ
うつひこぞ


御船(たけひと等を乗せた船)が速吸門(はやすいと:現豊後水道、豊予海峡、関サバ、関あじで有名な所)に差し掛かった時、一隻の漁船(海女を乗せた舟)が近づいてきました。見張りをしていた「あひわけ」が何者かと問うたところ、国神の「うつひこ」という返事でした。


 わだのつりにて(29-13)
きくみふね むかふはみふね


国神の「うつひこ」は「わだ」(湾内、曲田浦)に魚釣りに出かけたら天御子の御幸の船のことを知り、御向かいに上がりましたと答えました。


みちびくか あひとこたえて(29-14)

それならば、水先案内をしてくれるかと問うたところ「あい」と答えました。


みことのり しいざほのすえ(29-14)
もたしめて ふねにひきいれ
なをたまふ しいねつこの


船にあった椎の木の竿の根元を持たせて、御船に引き入れました。それを見て「たけひこ」(神武天皇)は、国神の「うつひこ」に「しいねつひこ」(椎根津彦)という名前を賜う詔をいたしました。

ジョンレノ・ホツマ
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