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1-8~9 太陽の動き(方角)をお米の炊き方に例えて教えます

1-6 太陽の動き(方角)をお米の炊き方に例えて教えます(1-8~9)

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よねとみづ かまにかしぐは(1-8)
ひがしらや にえばなみなみ(1-9)
にえしづむ
 


お米と水を、釜の中で炊く(かしぐ)とき、最初は燃える「火の頭:火頭」(東)です。
煮えばな(なかほど)は「みなみ」(南)、煮えたら蒸らして(煮沈めて:西)ご飯が出来ます。

太陽が東から昇るときは赤く、火力も強くありません。(太陽が昇り始める東に対応します。)
燃え盛る途中は強い火力で、明るく輝く南を表し、西に沈むときは火を弱火にして消すときです。

始めちょろちょろ、なかぱっぱ、煮えたら(炊けたら)蒸らす。


お米の炊き方と太陽の動きがごろ合わせにしていたことに感心します。

ジョンレノ・ホツマ
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1-7~8 きつさね(東西南北)のいわれを教えます

1-5 きつさね(東西南北)のいわれを教えます(1-7~8)

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わかひめさとく(1-7)
かなざきに きつさねのなの
ゆえをこふ
 


わか姫(ひるこ姫:イサナギ・イサナミの初の子で、後に生まれる天照大神の姉)は生まれながらに聡明であり、鉄崎(かなさき:住吉、住之江の翁)に「東西南北」(きつさね)の名前の「いわれ」を聞きました。


おきなのいわく(1-7)
ひのいづる かしらはひがし(1-8)


翁(鉄崎(かなさき:住吉、住之江の翁)が答えて言うには、
太陽が昇り始める方角(頭、かしら、先頭)は東(日頭:ひがしら→ひがし)です。


たけのぼる みなみるみなみ(1-8)

日が高く昇って、皆が見るから南(みなみ:皆見)と言います。


ひのおつる にしはにしづむ(1-8)


やがて、日(太陽)が落ちる(沈む)方角の事を「西」と言うのは、「煮沈む」(煮炊きできたものは火を消す)からです。

ジョンレノ・ホツマ

1-5~7 「あわ」の歌を歌うと病気もしなくなり長生きできます

1-4 「あわ」の歌を歌うと病気もしなくなり長生きできます(1-5~7)

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あわのうた かだがきうちて(1-5)
ひきうたふ 


「あわの歌」を「かだがき」(日本琵琶の原点、葛の花と葉に似せて作った楽器)を打ち、弾き語りで歌います。

おのづとこゑも(1-5)
あきらかに ゐくらむわたを(1-6)
ねこえわけ
 


そうすると、自然に声も整って、良くなっていきます。
五臓六腑(内蔵)も強くなり、音声(ねこえ:音階)も揃っていきます。(音が肥えてきます)


ふそよにかよひ(1-6)
よそやこえ 


二十四音で、「かよい」(地のめぐり)がよくなり、四十八音を歌うことで「こえ」(肥え)てきます。此処で、肥えるとは太ることではなく、例えば「目が肥える」のように素晴らしくなることを言っています。
上二十四音を「いさなぎ」が歌い、下二十四音を「いさなみ」が歌います。

これみのうちの(1-6)
めぐりよく やまひあらねば
なからえり (1-7)
なからえて(小笠原長弘本)


これ(「あわ」の歌を歌うことにより)は、内蔵(みのうち)を強くして、血のめぐりも良くなり、病気もしなくなるので、長生き(なから:長寿)できます。


すみえのおきな(1-7)
これをしる
 


住吉の翁(神)は聡明であったのでこのことを知っていました。

ジョンレノ・ホツマ

1-4~5 「あわ」の歌を教えて言葉づかいを直します

1-3 「あわ」の歌を教えて言葉づかいを直します(1-4~5)

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ことばをなおす(1-4)
あわうたを つねにおしえて


言葉使いを直すのに、「あわのうた」をいつも歌って教えます。


かはなま いきひにみうく(1-4)
ふぬむえけ へねもをこほの
もとろそよ おてれせゑつる(1-5)
すゆんちり しゐたらさや


あ か は な ま い き ひ に み う く
ふ ぬ む え け へ ね め を こ ほ の
も と ろ そ よ お て れ せ ゑ つ る
す ゆ ん ち り し ゐ た ら さ や わ


四八文字の「あ」で始まり「わ」で終わるので「あわ」の唄と言います。「あ」は「天」、「わ」は「地」を意味しているので「天地」の歌とも言います。
五七調になっているので、下のように区切りを揃えてみます。

か は な ま 
き ひ に み
く ふ ぬ む
け へ ね め
こ ほ の も

ろ そ よ お
れ せ ゑ
る す ゆ ん
り し ゐ
ら さ や わ

縦に読むと今の「あいうえお」の並びと同じになることにびっくりします。
この歌の「あ」から「も」までと「と」から「わ」までは逆に並んでいます。「と」から「わ」までは反対に下から読みます。
たちつてと」と読めます。

ジョンレノ・ホツマ

1-2~4 立ち振る舞い(当時の風習)を若姫(子供)に教えます

1-2 立ち振る舞い(当時の風習)を若姫(子供)に教えます(1-2~4)

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うまれびは かしみけそなえ(1-2)
たちまひや みふゆかみをき


誕生日には、神にふかした食事(炊御饌:かしみけ、赤飯)を供えました。(それまではお粥であったと思われます)
そして、立ち振る舞いを教えます。(日本の風習を伝えています)
三年目の(節句の前の)冬に初めて髪を結います(髪置きと言いました)。


はつひもち あわのうやまひ(1-3)
もゝにひな あやめにちまき
たなばたや きくくりいわひ


元旦にお餅を供え、天神(天神地祇)の神々をお祭りします。(敬います)
三月三日は(桃の)ひな祭り、
五月五日の節句(あやめ:菖蒲)には「ちまき」で祭り、
七月七日に「たなばた」(「蚕だな」と「はたおり」)の祭り、
九月九日に「菊と栗」の祝い(「ここな」の祭り)をします。
一年に五つの節句があります。

七月七日の「たなばた」は、元々日本古来にあった節句の一つですが、後に中国から伝わった「織り姫」が「はたおり」と結びついて今の七夕の「織り姫」と「牽牛」の話と一緒になってしまったようです。


いとしふゆ  おははかまきる(1-3)
めはかづき (1-4)


五年目の「ふゆ、冬」(新年の節句)に、男の子は、初めて袴をはきます。女の子は上衣(被衣:かずき、かつき)を着ます(かぶります)。

これらの年中行事は神代のときから続いていたことに驚きます。平安時代に中国から伝わったわけではなく、日本古来の行事であったことがわかります。

ジョンレノ・ホツマ

(1-1~2) 若姫は厄祓いのために捨てられ、住吉の神に拾われ大事に育てられる

今まで、この「ホツマツタヱ」の解読を、後の方つまり歴史的に新しい方から辿ってきました。なんとか、後半の29綾から40綾の人の部(人神)をやり終えました。
引き続き、28綾(地神)をとトライし始めましたが、まだ今の私には難解な所が多いので、一旦保留いたします。

というのは、今まで解読してきた、29綾(章)から最終40綾(章)までは、景行天皇(人皇12代)の右大臣の大田田根子が、纏め上げたものです。
時空的には後世になってからの紀元2世紀に、景行天皇に献上されたものです。(それでも古事記、日本書記よりは古い)

「ホツマツタヱ」には、二人の編者がいて、これから解読しようとするのは更に遡り、 神武天皇(人皇1代)の右大臣であった「わにひこ・くしみかたま」によって、それまであちこちにあった文献を、1綾(天神)から28綾(地神)までに纏められたものです。
その28綾は1綾(章)からの総集編のような内容になっていて、前後関係が解らないと何を言っているのかわからないところが多々ありますので、分かった所から始めることにしました。

では、1綾からスタート!




1-1 若姫は厄祓いのために捨てられ、住吉の神に拾われ大事に育てられる

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それわかは わかひめのかみ(1-1)

それ(さあー)「わか」(和歌、若歌)は「わか姫」の神(上、かみ)

「わかうた」(若歌):「わかひめ」若姫が最初に歌った歌(恋の歌)

すてられて ひろたとそだつ(1-1)

(「いさなぎ」「いさなみ」は生まれた赤子(「わかひめ」)の厄を祓うため、川に捨てられましたが、すぐ下流で(「かなざき」住吉の神に)拾われ育てられました。

これは葦船に赤子を入れて流す厄祓いの儀式のことです。

前後関係から、「わかひめ」という赤子は天照大神のお姉さんにあたる「ひるこ姫」の事であり、厄祓いのために川に流されたことを言っています(儀式的に捨てられました)。

母「いさなみ」は三十一才、父「いさなぎ」は四十才の両親とも厄年(天の節)の時の子供であったため、厄祓いの儀式をしました。その子供が健やかに育つようとの願いで、川に流し、そして、拾い上げられ育てられました。

別の個所に出てくる同じ内容が違う言葉を使って書かれているので、全体を読んだときに全貌が明らかになるようです。この個所を読んだだけでは、上記詳細はわかりませんが、前後関係をわかりやすくするため参考までに付け加えました。

いったん捨て子し、拾ってから育てると丈夫に成長するという民間伝承はあちこちに残っているようです。(秘められた日本古代史ホツマツタヘ:松本善之助著より)
現在も人々の厄を流すようにと、流し雛の風習が残っているようです。
(「ひろた」は神戸の広田神社の西宮社:現在、えびす神になっているが本来はヒルコ神です。私はいつも「ヒロタのシュークリーム」を思い出します)

かなざきの つまのちをえて(1-2)
あわうわや 


かなざき(鉄崎:後に住吉の神)の奥さん(えしなず)の乳を得て(もらって)「あわうわや」と何不自由なく我が子同様に育てられました。

かなざき(鉄崎)の奥さんは生まれた子供を亡くしたばかりでした。

てふちしほのめ(1-2)

やさしい翁(鉄崎:かなざき、後に住吉の神)が、愛情を込めて手を打ったり、目すぼめたりして、あやしながら育てました。

ジョンレノ・ホツマ

ホツマツタヱ 30綾 天君 都鳥 の綾 目次

ホツマツタヱ 30綾 天君 都鳥 の綾 目次

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30-1 天照大神は御孫の「ににきね」に分雷天皇の名を賜う(30-1~2)
30-2 天皇を嗣(引継)がれるとき、三種の神器を分けて引継ぐ(30-2~3)
30-3 「うがやふきあわせず」は「つくし」に下ったときも、神璽(おしで)は肌身離さず(30-3~4)
30-4 御祖神は神璽(おしで)を「たけひこ」(四男、後の神武天皇)に授ける(30-4~5)
 
30-5 「ながすねひこ」が全ての通航を遮断する(30-5)
30-6 「ものぬし」が征伐に向かったら、恐れた「いつせ皇子」は九州へ(30-6~7)
30-7 先祖神を祀り、平穏でありました(30-7~10) 

30-8 「かんたけ」が皇位継承の儀式に臨む(30-10~14)
30-9 皇位継承の日嗣の儀式がとり行われる(30-14~16)
30-10 儀式で「ひのおみ」が「みやこどり」の歌を唄う(30-16~22)
30-11 引き続き日嗣の儀式が行なわれる(30-22~26)
30-12 天地開闢の「あわの神」(四十八神)をお祭りする(30-26~27)

30-13 神武天皇の詔、手柄のあった臣たちに土地・役職等を与える(30-28~31)
30-14 五月雨が続き、疫病が流行り稲は稲熱病になり、直りの祓いをする(30-31~32)
30-15 疫病も稲も蘇えり、直りの祓いをした二人に詔り(30-32~35)
30-16 再び詔り、一月十一日に天盃を賜わる習わしに(30-35~38

ジョンレノ・ホツマ

30-35~38 再び詔り、一月十一日に天盃を賜わる習わしに

30-16 再び詔り、一月十一日に天盃を賜わる習わしに(30-35~38)

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よほきさら ねうえのきなえ(30-35)
みことのり


神武即位、四年二月、「ねうえ」(ほつま歴 59/60後の壬戌みずのえいぬ)の年の「きなえ」(ほつま歴 21/60後の甲申きのえさる)の日に詔がありました。


 みおやのかみの(30-35)
みやこどり わがみうをてらし(30-36)
あたむけて みなおさむゆえ


「御祖神:神武天皇のお父さん、うがやふきあわせず」は都鳥のように、我が身を照らして、敵も振り向かせることが出来、皆を治めることが出来ました。よって、


あめとみに かもをうつさせ(30-36)
みおやかみ まつるはりはら
とりみやま あたねをかもの(30-37)
たけすみの まつりつかせて
くにづこぞ


「あめとみ」(星の使い、即位の礼の時)に「かも」(御祖神:下賀茂神社)を「はりはら」(奈良県)の「とりみ山」(とりやま)に移させて祀りました。
そして、「あたね」(月の使い)に「かもたけずみ」(豊玉姫の兄)の祭りを継がせて国造(くにつこ)に任命しました。


 むつきそひかは(30-37)
あがためし みきをたまわる
はしめなるかな(30-38)


一月十一日は、県主を召して(呼び出して)、天盃を賜わる習わし(儀式)になりました。

30綾完
ジョンレノ・ホツマ

30-32~35 疫病も稲も蘇えり、直りの祓いをした二人に詔り

30-15 疫病も稲も蘇えり、直りの祓いをした二人に詔り(30-32~35)

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なおりのはらい(30-32)
おこなえば えやみもなおり(30-33)
いねなおる ゆえみことのり


「直りの祓い」(風生に祓い)を行なったところ、疫病も直り、稲も元通りに直りました。そこで、君(神武天皇)は詔をしました。


わにひこが みおやくしひこ(30-33)
いさめいる なおきにたまう
やまとかみ(30-34)


「わにひこ」(くしみかた)の先祖神の「くしひこ」(ことしろぬし、えびす)は勇気ある「なおき」(忠義)の「いさめ」(諌言、身を引いた)により、天照大神から「やまと神」の名を賜わりました。


 みよわのなおき(30-34)
いざおしに なおりものぬし
かみたまう


三度に亘る(三世代に亘って)実直な功を称えて、直り物主神の名を賜いました。
大神神社(おおみわ神社)の語源になっている。


 たねこもみおや(30-34)
わかひこが なおきかがみの

ことつけば なおりなかとみ(30-35)
かみたまう ともにつぐべし


また、「あめたねこ」も先祖の「わかひこ」(あめのこやね)が(正しいことを告げた)直き鏡の忠告の功により、「直りなか臣(国を直す)」神の名を賜わりました。共に、子子孫孫ついで下さい。

「あめたねこ」が「なかとみ」氏の初代になります。

ジョンレノ・ホツマ

30-31~32 五月雨が続き、疫病が流行り稲は稲熱病になり、直りの祓いをする

30-14 五月雨が続き、疫病が流行り稲は稲熱病になり、直りの祓いをする(30-31~32)

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 みほのさみたれ(30-31)
よそかふり えやみはやりて
いねみもち


三年目の五月雨(さみだれ)が四十日間降り続きました。そのため、疫病が流行り、稲は稲熱病になってしまいました。


 きみにつぐれば(30-31)
あめたねこ くしみかたまと(30-32)
やすがわの かりやにいのり


この状況を、君(神武天皇)に告げたところ、「あめたねこ」と「くしみかたま」の両大臣は「やす川(滋賀県、守山市付近」に赴き、仮宮を建ててお祈りしました。


ときえやみ なおるといねの(30-32)
いたみさる


そうすると、疫病も直り、傷んでいた稲も立ち直りました。(傷みは去りました)

ジョンレノ・ホツマ

30-28~31 神武天皇の詔、手柄のあった臣たちに土地・役職等を与える

30-13 神武天皇の詔、手柄のあった臣たちに土地・役職等を与える(30-28~31)

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 つぎはるそひか(30-28)
みことのり


翌年の新春の十一日、君(神武天皇)は詔をされます。


 おもえばまめは(30-28)
うましまち よよものへつげ


今、思えば「うましまじ」(「みけなえまつりもうす臣」)の忠義(まめ)があったからこそこの平和な新春を迎えられたので、代々、物部の役職を継ぎなさい。


みちおみは のぞみのままに(30-28)
つきさかと くめのところを(30-29)
たまふなり


「みちおみ」は汝の望み通り「つきさか」(築坂・橿原市鳥居町付近)と「くめ」(橿原市)の土地を与えよう。

 うつひこがこと(30-29)
ふねとはに やまとくにつこ


「うつひこ」(しいねづひこ)は、豊後水道で水先案内を買って出たこと(=ふね)と、香久山の埴(はに、土)を採ってきた功績により、大和の国造(くにつこ)に任命します。(奈良県の県知事のようなもの)


おとうけし たけたあがたし(30-29)

弟の「うがし」は「たけだ」(宇陀郡多気)の県主に、


くろはやは しぎのあがたし(30-30)

「くろはや」(「うがし」の弟)には、「しぎ」(磯城)の県主に、


あめひわけ いせのくにつこ(30-30)

「あめひわけ」には、「いせ」の国造(くにつこ)に、


あたねがみ かものあがたし(30-30)

「あたね」神には、「かも」(山城)の県主に、


かつてまご つるぎにかつぎ(30-30)
くにつこぞ(30-31)


「かつて」神の孫の「つるぎ」には「かつぎ」(葛城・かつらぎ)の国造(くにつこ)に、それぞれ、任命しました。


 やたからすまご(30-31)
かどのぬし(30-31)


「やたのからす」には「うがち」村の直頭(あたいのかみ)に、孫には「かどの」(葛野郡)の県主に任命しました。

ジョンレノ・ホツマ

30-26~27 天地開闢の「あわの神」(四十八神)をお祭りする

30-12 天地開闢の「あわの神」(四十八神)をお祭りする(30-26~27)

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ねのつきに あゆきわすきの(30-26)
みやつくり
 


十一月に、天(あ)の「ゆき」(悠紀)宮と地(わ)の「すき」(主基)宮を作ります。

「ゆき」殿は、九星を祭る「あめみなかぬし」神と「え・ひ・た・め・と・お・か・み」の八神のことで通称「あめとこたちの神」別名「あめみこと」と言います。

「すき殿」は十一星「そひきみ」とも言います。

この二神(計二十神)を総称して天神地祇と言います。

大嘗祭十一月二十三日、天と地との契約を結び、すべらぎになります。


もとあけあわの(30-26)
かみまつり


「もとあけ」(元明:天地開闢(かいびゃく)「さごくしろ」に居られる)の四十八神(あわのかみ)をお祭りしました。


 たねこくしたま(30-26)
まてにあり(30-27)


この大嘗祭での役割は「あめたねこ」と「くしみかたま」の左右(まて)の臣です。


 みけなへまつり(30-27)
もふすおみ うましものべと
とをまもる


「みけないまつりもうす」の臣の「うましまじ」は兵隊たちと一緒に宮城の外を守る任務につきました。

「みけないまつりもうす」の臣とは、天皇が食事のとき国政を論じる左大臣、右大臣の事を言っていると思われます。


 みちおみくめと(30-27)
みかきもり


「みちおみ」と「くめ」は御垣守として宮城の内を守る任務につきました。


 かんのとことは(30-27)
いんべとみ


神への祝詞を挙げたのは「いんべ」(韻部)臣でした。

ジョンレノ・ホツマ

30-22~26 引き続き日嗣の儀式が行なわれる

30-11 引き続き日嗣の儀式が行なわれる(30-22~26)

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ひのおみは しるしのみはこ(30-22)
たてまつる(30-23)


「日の臣」(太陽の使い)役の「みちおみ」は、「しるし」(神璽)の御筥(箱)を君(天皇)に奉りました。(みはたおりとめの文:天照神がしるされた)


 あたねはかがみ(30-23)
あめとみは やえがきもちて
あめたねこ くしみかたまに
さづくなり


「あたね」(月の使い)は鏡を、「あめとみ」(星の使い)は八重垣の剣を持って、それぞれ、「あめたねこ」と「くしみかたま」に授けました。
すなわち、鏡は「あめたねこ」に、八重垣の剣は「くしみかたま」に授けられたことになります。


 きみとみもとの(30-23)
しとねしく(30-24)


君(神武天皇)と臣たちも殿中で、褥(しとね、敷物)を元に戻して座りました。


 とみももつかさ(30-24)
ことほぎし よろとしうたふ


臣も百官(大勢の司、役人)たちは祝福の言葉をかけ、万歳を斉唱しました。


みかかみは いそすすひめに(30-24)
やえがきは あびらつひめに
みしるしは きみのみにそえ(30-25)


御鏡は神武天皇の中宮の「いそすず姫」(たたらいそすず姫、通称いすず姫:「くしみかたま命」の妹)に預け、八重垣の剣は神武天皇の九州時代の妃「あびらつ姫」に預け、神の「しるし」(神璽)は、君(神武天皇)が肌身離さずお持ちになられました。


みくさとも うちつのみやに(30-25)
おさめます


この三種(みくさ)の神器は、一旦内宮に納めました。


 はらみのためし(30-25)
うちみやと たたゆもとなり


この儀式は「はらみの宮」(天孫ににきねが治めていた:旧浅間神社)の前例と同じ即位の礼をそのまま再現しました。
この場所を内宮(天皇の居られるところ)といって、尊ばれる所以でした。
この大事なものを、内宮の裏にしまっておいたところから「内裏」とか「内裏様」という言葉が生まれた。「だいり」と読むのは「代理」の意味合いに掛けている。

「はらみ山」(今の富士山)は後に漢字化されて蓬莱山になり「ほうらい山」と呼ばれるようになりました。


みかざりを たみにおがませ(30-26)

翌日、御飾り(三種の神器)を民(国民)に拝観させ祝福しました。

ジョンレノ・ホツマ

30-16~22 儀式で「ひのおみ」が「みやこどり」の歌を唄う

30-10 儀式で「ひのおみ」が「みやこどり」の歌を唄う(30-16~22)

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 ひのおみうたふ(30-16)
みやことり みえをりてきく


ここで「日の臣」役の「みちおみ」が「みやことり」の歌を唄いました。君(神武天皇)は、褥(しとね、敷物)を三重(三枚)降りて(外して)お聞きになりました。(無心になってお聞きになりました。)


あわをたす あめすべらぎの(30-16)
もろはとみ かすがとこもり


「あわ」(天地)を治(た)す(天下を治める)、「あめすべらぎ」(天皇、ににきね)の両翼(鳥に例えている)は「とのおしで」を守る臣は、左大臣が「春日:あめのこやね」で右大臣が「こもり:よろぎまろ:三代目大物主、滋賀県高島郡」です。
「よろぎ」とは沢山の木、薬草園の意味があります。


きみとみの こころひとつに(30-17)
みやことり


君(天君、現在は神武天皇)と左右の臣の心は一つに合わさって政事を行なう「みやことり」(都鳥)に例えます。


 かたちはやたみ(30-17)
くびはきみ


都鳥の身体は八民(やたみ、国民)を表し、頸(頭、くび)は君(天皇)です。


 かがみとつるぎ(30-17)
まてのはね


鏡(左大臣)と剣(右大臣)は両翼の羽を担っています。


 もののべはあし(30-17)

物部(大物主家が統率する武人たち)は、国を支える足になっています。


かがみとみ つぎほろぶれば(30-18)
たみはなれ ひつぎふまれず


万一、鏡の臣(左大臣)が代々継がれなくなって滅びれば、民意が皇室から離れ、日嗣が踏まれなくなります。(天皇の皇位継承が出来なくなり、皇室が滅びます)


つるぎとみ つぎほろぶれば(30-18)
ものぶわれ よをうばわるる


万一、剣の臣(右大臣)が代々継がれなくなって滅びれば、物部(武人たち)は、仲間割れ(分かれ、内乱が起きる)となり、この世(国、皇室)は奪われることになります。


やたおみは ぞろおうはるの(30-19)
たみわざを かんがみるめぞ(みるべぞ 小笠原写本)


「やたのかがみ」の臣(左大臣)は、稲作の作業を指導して生活を豊かにすることです。
稲生う春の農作業を鑑みる目、鏡に照らして鑑みること、暦に照らして鑑みることを示しています。


かきおみは よこまをからし(30-19)
もののふの ちからもるてぞ


「かき臣」(八重垣の剣の臣)は邪悪(悪党)を殺し(懲らしめ)、物部(武人)の力で平和を守ります。税(米)を守る手です。


このゆえに みぐさをわけて(30-20)
さづくるは ながくひとつに
なるよしを


この様に、三種の神器(神璽(勾玉)、鏡、剣)を分けて(三権分立)授けるのは、未来永劫に渡り、一つにまとまって正しく国を治めて行けるようにしたものです。


 あやにしるして(30-20)
おてづから ふみをみまこに
さつけます(30-21)


これを、文章に記したものが、天照大神から(おてづから)、神璽を御孫(ににきね)に授けたものです。「お」は後に敬語の「お」になる。


 せおりつひめは(30-21)
みかがみを もちてかすがに
さづけます


天照大神の中宮の「せおりつ姫:別名むかつ姫」(伊勢神宮内宮、あらまつり神社)は、御鏡を持って(天照大神に代わって)「かすが」(左大臣)に授けました。

「せおりつ姫:別名むかつ姫」は、天照大神が自ら迎い入れてしまった絶世の美人で、他のお妃の嫉妬を招き、後に殺意を持たれてしまうほどで「むかつく」という語源になります。


 はやあきつめは(30-21)
みつるぎを もちてこもりに
さづけます(30-22)


「はやあきつ姫」(別名、潮のやもあいこ、天照大神のすけ妃、「かなさき」(住吉)の神の娘)は八重垣剣を持って(天照大神に代わって)大物主の「こもり」に授けました。

 みたびうやまい(30-22)
みなうくる やまとひつぎの
みやこどりかな


三礼をもって(三拝して)それぞれ(神璽、鏡、剣)を受け取りました。「かんやまといわわれひこ」の即位の礼を示した、大和の日嗣(新しく天皇の下で一心になった)の都鳥の歌です。

ジョンレノ・ホツマ

30-14~16 皇位継承の日嗣の儀式がとり行われる

30-9 皇位継承の日嗣の儀式がとり行われる(30-14~16)

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 さあえひつぎと(30-14)
あめとみは わけつちみやの
つるぎもち あたねはかがみ(30-15)
もちのほる


「さあえ」(ほつま歴 37/60後の庚子かのえね)の日、日嗣(ひつぎ、神武天皇が正式に皇位を引き継ぐ儀式)がとり行われました。
「あめとみ」(星の使い)は分別雷宮(賀茂別雷)に預けてあった八重垣の剣を持ち来たり、
「あたね」(月の使い)は河合宮(下賀茂神社)に祭ってあった鏡を持って上京しました。

 きみたかみくら(30-15)
しとねこえ あまのたねこは
しとねみえ くしみかたまは
しとねふえ(30-16)


君(神武天皇)は高御座(たかみくら)に入られ、褥(しとね、敷物)を九段敷いてお座りになりました。
(九重の君:天皇、九重の都:京都を示すようになった)
「あまのたねこ」(左大臣)は褥(しとね、敷物)を三段、「くしみかたま」(右大臣)は褥(しとね、敷物)を二段敷いてお座りになりました。

このことからも、左大臣の方が右大臣より上位であったことが分かります。

「くしみかたま」(右大臣)がこの「ほつまつたゑ」の天の巻き、地の巻きを編纂された方です。人の巻きは後世になって「おおたたねこ」が編纂されました。

ジョンレノ・ホツマ

30-10~14 「かんたけ」が皇位継承の儀式に臨む

30-8 「かんたけ」が皇位継承の儀式に臨む(30-10~14)

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 いまあまきみの(30-10)
くらひなる


今、神武天皇に対して、天皇の位につきました。


 むかしはみうえ(30-10)
わけさつく いまはなきゆえ(30-11)
そのつかい よりてはかれば
みないわく


昔は先帝が自らが、
「神の璽(おしで)」を日嗣皇子(天皇の位を引き継ぐ皇子)に、
鏡を左大臣に、
剣を右大臣に、
分け授け与えました。
しかしながら、分け与える先帝(神武天皇のお父さん、「うがやふきあわせず」)が九州で既に亡くなられておられないので、その代わりをする使者について(役割分担を)相談したところ、皆、異口同音に答えました。

「神の璽(おしで)」は後世になって「やさかにの勾玉」に代わります。見えないものを見えるようにした、物実(ものざね)といいます。


 ひのかみつかい(30-11)
みちおみと つきのつかいは
あたねなり ほしのつかいは(30-12)
あめとみと


「日の神の使者」は「みちおみ」に、
「月の使者」は「あたね」に、
「星の使者」は「あめとみ」にしましょう。


 いんへたまわり(30-12)
みそぎなす


三人の使者は「いんべ」(韻部:神を祭る役)を賜わり、禊ぎをして、儀式に臨みました。


 ときにかしはら(30-12)
すべらきの みよあらたまの


時は正に、橿原(かしはら)の天皇の御代の元年に改まりました。


としさなと はつひさやえに(30-13 和仁估安聰写本)

年は「さなと」(ほつま歴 58/60後の辛酉かのととり)の「さやえ」(ほつま歴 17/60後の庚辰かのえたつ)の月の初日、元旦です。


すずさなど さやえはつひの(30-13 小笠原写本)

鈴(天照大神の御霊)の年「さなと」(ほつま歴 58/60後の辛酉かのととり)の「さやえ」(ほつま歴 17/60後の庚辰かのえたつ)の月の初日、元旦です。


うましまち とくさたからを(30-13 和仁估安聰写本)
たてまつる


「うましまじ」(「にぎはやひ」と「ながすねひこ」の妹「みかひみや姫」との間に生まれた子)は十種の神宝を奉りました。


おめでたも つくしのためし(30-13 小笠原写本)
うましまち とくささゝげて


お祝いを「つくし」(九州で亡くなられた先帝)の前例に倣って、「うましまじ」は十種の神宝を奉りました。

「十種の神宝」は「天孫ににきね」の兄の「くしたまほのあかりてるひこ」が天神から授かった御宝のことです。
都を「あすか」に置いて大和を治めてきた「にぎはやひ」王朝の証でもありました。


 あめのたねこは(30-13 和仁估安聰写本)
かみのよの ふることしるし
たてまつる(30-14)


あめたねこ かみよふること(30-13 小笠原写本)
たてまつる(30-14)


次に、「あめたねこ」(かすがの臣)は、新年のお祝いに神代の古事来歴を記したもの(「みかさふみ」を編纂した「くしなずおおかしま命」と思われる)を奉りました。


 ななくさみそも(30-14)
とんどほも かみありかゆも
おこなわれ


七草粥(七日)も済み、どんど焼き(十五日)も、粥占(かゆうら)の神事も行なわれました。

「粥占(かゆうら)の神事」は今年の作物(稲)の豊作を祈って占うことを言いました。

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