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6-21~23 天照神は帰路につく

6-13 天照神は帰路につく(6-21~23)

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 つぼねとどめて(6-21)
かえらんと(6-22


「つぼね」(局、女官たち)はそのまま、そこに残して、帰ることにしました。

詳細にふれることなく、さりげなく、事実だけが一言だけ記されています。
置き去りにされてしまったのですね。どんな理由があったのでしょうか?

置き去りにされたのは、天照神のすけ妃「もちこ」と、うち妃「はやこ」と、おしもめ「あぢこ」の三人です。

中宮の「むかつ姫」が、天照神に代わって詔(みことのり、命令)をしたので、その命令によって、この「あさひ宮」に来たわけです。
当然、「もちこ」、「はやこ」も、帰りは天照神と一緒に帰れると思われていたことと思います。

しかし、思い通りにならず、このため、「もちこ」と「はやこ」は、姉妹でもあり、置いてきぼりにした天照神とこの命令を下した「むかつ姫」を恨んでいくことになります。

話が、変わります。

 こぞよりつかふ(6-22)
そさのおと あまのみちねと
かどでなす




昨年より、君は「そさのお」と「あまのみちね」をお伴にして出発しました。

 ねなとやよいの(6-22)
もちよりぞ うつきねのもちに
かえります(6-23)


「ねなと」(ほつま歴 10/60後の癸酉みずのととり)三月十五日に帰路につきました。そして、四月十五日にはらみ山に戻りました。

ジョンレノ・ホツマ
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6-20~21 天照神は「ちたる」国へ御狩に

6-12 天照神は「ちたる」国へ御狩に(6-20~21)

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  みやづのみやに(6-20)
あるときに きみのみかりに
ちたるくに みちをさためて
おさむのち(6-21)


宮津の宮に滞在されているとき、君は「ちたる国」(山陰)へ御狩に出かけられました。その時に、道(法、年貢の取り決めなど)を定めて治めました。



 やそきねのおと(6-21)
かんさひを ますひととなし



「やそきね」(六代たかみむすび、かんみむすび)の弟の「かんさひ」を益人(代官、役人)に任命しました。



またおとご つはものぬしと(6-21)
こくみそえ


更に、「かんさひ」に、「かんさひ」の弟の「つわものぬし」と地元の「こくみ」を添えて三人で政事を執らせました。

「こくみ」は政務を怠り問題を起こした経緯があります。そのため「たまきね」が治めたわけですが、その「たまきね」がお亡くなりになり、しばらくは「天照神」が政務をとられていたのですが、再び返り咲いたのでしょうか。(6-12)

ジョンレノ・ホツマ

6-18~20 天照神に代わり「むかつ姫」より詔り

6-11 天照神に代わり「むかつ姫」より詔り(6-18~20)

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 むかつひめより(6-18)
ことのりし たかみにまつる(6-19)
とよけかみ 




早速、天照神の留守を預かっていた中宮の「むかつ姫」が天照神に代わって詔をしました。
「とよけ神」を「たかみ」(あさひの宮)に祭ります。

もちこのすけと(6-19)
はやこうち あぢことみたり
はやゆきて まないのはらの
みやづかえ ことのりあれば(6-20)
かどでして


すけ妃「もちこ」と、うち妃「はやこ」と、おしもめ「あぢこ」の三人は「まないのはら」(真名井)の「あさひ宮」に早く行って宮仕えしなさいと詔が伝えられ出発しました。

ジョンレノ・ホツマ

6-17~18 天照神は丹後で政治を執る

6-10 天照神は丹後で政治を執る(6-17~18)

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 のちかえまさん(6-17)
みてぐるま ととむるたみを(6-18)
あわれみて みづからまつり
きこしめす



「たまきね」がお亡くなりになって、喪も明けた後、天照神は宮に帰ろうとした「みてぐるま」に民がしがみついて此処に留まって下さいと懇願されました。天照神は憐れんで、民の訴えをお聞きになるためこの地に留まって政治(まつり)をとることにしました。


 おもむきつげる(6-18)
きぎすにて



天照神が「あさひ宮」(宮津)に留まることになった事情は、特使によって「むかつ姫」の元へ伝えられました。

「きぎす」=きじ、雉、伝令の役目を示します。隠密・密偵として使われることもあるようです。
おとぎ話の百太郎に出てくる家来の「きじ」は隠密役であったと考えられます。

ジョンレノ・ホツマ

6-16~17 「たまきね」の遺言と「たまきね」を「あさひ宮」に祀る

6-9 「たまきね」の遺言と「たまきね」を「あさひ宮」に祀る(6-16~17)

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 もろかんたちも(6-16)
しかときけ きみはいくよの
みおやなり


そして、「たまきね」は、諸神たちよ。今から言うことをしっかり聞きなさい。君(天照神)は幾代の祖親神(代々続いている皇室の大元です)


 これとこたちの(6-16)
ことのりと ほらをとざして(6-17)
かくれます



これこそが、「くにとこたち」の最後の詔です。という遺言を残して、洞に入り閉ざされてお隠(幽)れになりました。

「たまきね」は、言い残していた奥儀も天照神に伝え、思い残すこともなく、全てを天照神に任せたという安堵感が感じられます。



 そのうえにたつ(6-17)
あさひかみ(あさひみや) きみねんごろに
まつりして



そして、亡くなられた「たまきね」をねんごろに神葬祭をして、洞の上に「あさひ宮」を建てて「とよけ神」を奉りました。

ジョンレノ・ホツマ

6-14~16 天照神は丹後に御幸、「たまきね」と語り合う

6-8 天照神は丹後に御幸、「たまきね」と語り合う(6-14~16)


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やよろとしへて(6-14)
ふそふすず いもいえはつに
みやつより はやきじとべば(6-15)



八万年経て、二十二すずの五百五枝の年の初日(元旦)に、「みやつ」(現、丹後一宮籠神社)より、至急の伝達が来ました。


あまひがみ いそぎまないに(6-15)
みゆきなる



伝達を受け取った、天照神は急いで「まない」(丹後)に御幸されることになりました。


 ときにたまきね(6-15)
あひかたり



そして、再開を果たした天照神と「たまきね」(とよけ、五代たかみむすび)と相語り合いました。



 むかしみちのく(6-15)
つくさねば ここにまつとて(6-16)
さづけまし



昔、「たまきね」(とよけ、五代たかみむすび)は、仙台のやまて宮で天成道(あめなるみち)を青年であった「わかひと」(天照神)に教え伝えましたが、最後の奥儀(天成道の奥儀)は未だであったので、授けるために此処で待っていました。

ジョンレノ・ホツマ

6-13~14 九州は「つきよみ」と「かなさき」が治める

6-7 九州は「つきよみ」と「かなさき」が治める(6-13~14)

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つきすみは しまつひこより(6-13)
ななよすむ



「つきすみ」(つくし)には、「しまつひこ」の代より七代に亘って住まわれました。
「つきよみ」が「つくし」で生まれ育ったことにより「つきすみ」(つくし)と言われるようになったとも考えられます。



 いまかなざきの(6-13)
えだかばね むなかたあづみ(6-14)
たすけしむ



 今、「かなざき」は、自分の「枝かばね」(血筋、氏族)の「むなかたあづみ」をお助けになりました。



 みよもゆたかに(6-14)
おさまりて



そして、この天照神の御代も豊かに平和になりました。

ジョンレノ・ホツマ

6-12~13 政務が怠った山陰は「たまきね」が、「やそきね」は日高見を治め、「たかきね」は天照神の補佐に

6-6 政務が怠った山陰は「たまきね」が、「やそきね」は日高見を治め、「たかきね」は天照神の補佐に(6-12~13)

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ちたるくに ますひとこくみ(6-12)
おこたれば



「ちたる国」(山陰、山口県石見銀山の方と思われる)では、「ますひと」(益人、代官、役人)の「こくみ」は政務を怠っていました。


 たまきねつげて(6-12)

「たまきね」(とよけ、五代たかみむすび)はお告げになりました。


ひたかみは やそきねにたす(6-12)

日高見国は「やそきね」(かんみむすび、六代たかみむすび)に治めさせました。


たかきねを きみのたすけと(6-12)

「たかきね」(たかぎ、七代たかみむすび)は天照神の補佐をするよう命じました。


たまきねは ゆきてさほこの(6-13)
くにをたす みやつのみやぞ


「たまきね」(とよけ、五代たかみむすび)は「さほこ」(山陰)に行って国を治めました。「みやつ」の宮で政務をとられました。

「たまきね」=五代たかみむすび(とよけ)
「やそきね」=六代たかみむすび(かんみむすび)
「たかきね」=七代たかみむすび(たかぎ)



この頃、政治の取り方が問題視された背景に、半島からの渡来人が大挙してやって来て、摩擦が生じていた可能性があったかもしれないことを気に留めておくべきと思います。
朝鮮半島の国の中で生じた内乱の度に、敗者になって追われた高官たちが新天地を求めて逃げてきたことが考えられるからです。

ジョンレノ・ホツマ

6-10~11 天照神の弟、「つきよみ」は兄を補佐する

6-5 天照神の弟、「つきよみ」は兄を補佐する(6-10~11)

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 おとつきよみは(6-10)
ひにつきて たみのまつりを(6-11)
たすけしむ


天照神の弟の「つきよみ」は、兄の天照神を補佐して、民の祭りを手助けしました。


 いよのふたなの(6-11)
おさまらで つきよみやれば



「いよつひこ」に「あわつひこ」の名前も賜わり、「いよ」と「あわ」の二つの国を治めることになっていましたが、治めきれなかったようです。そのために「つきよみ」を派遣させました。

いふきあげ とのみやにたす(6-11)


「つきよみ」は、この地で「いふき」(鋳物)を吹上げて(鋳造して、作って)、「との宮」という所で政治を執りました。

私見ですが、ここでの「いふき」は、生まれた子どもの名前が「いふきぬし」を言ってると同時に、銅剣か銅鐸かあるいは鏡か分かりませんが、鋳物を作っていたと考えます。時の権力者でなければ出来なかったと思われるからです。

なお、下記が定説です。

「つきよみ」はこの地で「いよつ姫」との間に子供が出来、「いふきぬし」と言い、「との宮」という所で政治を執りました。


ジョンレノ・ホツマ

6-8~10 お妃十二人を東西南北に配置するも一人を中に入れたので、補充し十三人に

6-4 お妃十二人を東西南北に配置するも一人を中に入れたので、補充し十三人に(6-8~10)

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 そのなかひとり(6-8)
すなおなる せおりつひめの
みやびには きみもきさはし(6-9)
ふみおりて


さて、その十二人のお妃の中のお一人に性格が穏やかで従順な、「せおりつ姫」をお目通しするとき、あまりにも上品で優美であったため、君(天照神)の方から階段(きさはし)を降りて姫の方に向かわれてしまいました。



 あまさがるひに(6-9)
むかつひめ ついにいれます
うちみやに


この「せおりつ姫」は「あまさがるひにむかつ姫」と呼ばれ、天照神は、内宮(うちみや、天照神が住まわれている所)に入れ、一緒に暮らす決心をされました。

それまでは、夫婦であっても別々に暮らしていました。この「むかつ姫」(せおりつ姫)だけを特別扱いしたことが、後に他の妃の妬みを買う引き金になります。


 かなやまひこが(6-9)
うりふひめ ながこをすけに(6-10)
そなえしむ


中宮に「せおりつ姫」が入られたため、南の局が空いてしまいました。そこで、「かなやまひこ」の娘の「うりゅう姫ながこ」を後任に起用いたしました。



 みなはたおりて(6-10)
みさほたつ これをこよみの
うりふつき


十二人のお妃は全て、機(はた)を織り、機織り機械を操(あやつ)りました。(操を裁ちました。)
「うりゅう姫」の「うりゅう」(うるう)は暦の閏月という語源になりました。

この記述からも、このとき既に、閏月を採用していたことが分かります。

ジョンレノ・ホツマ

6-7~8 天照神のお妃十二人が揃う 

6-3 天照神のお妃十二人が揃う (6-7~8)

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つきによせ みこはあまひの(6-7)
くらいなる


これで、十二人揃い、それぞれのお妃を一年を十二カ月の月に見立てて配置し、御子は天日(太陽・中央)の位につきました。

 ひのやまのなも(6-7)
おおやまぞ かれおおやまと
ひたかみの やすくにのみや(6-8)



日の山の名前も大山と名付けました。すなわち、「おおやまとひたかみ」の「やすくに宮」に住まわれました。
「やすくに宮」は富士の裾野にあり、現富士浅間神社に帰られた事を言っていると思われます。
この頃は「ひたかみ」は仙台地方のみならず、広く関東地方までが一つのテリトリーであったと感じられます。天照神が幼少期、学問を受けたところ、政治を執られたところ、全てが「ひたかみ」という地域の呼び名になったのではと考えます。


きつさねの つほねはかわり(6-8)
みやつかえ



東西南北(きつさね)の方向にお妃の局をそれぞれ配置して、日(太陽・天照神)の回りを12カ月の月に見立てて、月替わりでお仕えするようにいたしました。


ジョンレノ・ホツマ

6-2~7 天照神のお妃選びをする

6-2 天照神のお妃選びをする(6-2~7) 


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天神六代「おもたる・かしこね」神は全国を治めるが、後継ぎにめぐまれませんでした。このときは、一夫一婦制でした。
そのため、遠い縁戚から、やっとの思いで両神「いさなぎ・いさなみ」が候補にあがり、結ばれました。しかも、世継ぎ皇子の誕生には並大抵の苦労が伴いました。
よって、何が何でも、この天照神の世継ぎを絶やしてはならないという思いから、天照神本人の意思とは関係なく日本全国の豪族からの姫十二人がお妃として用意されました。
まるで江戸時代の大奥みたいな気がしました。

 
かんみむすびの(6-2)
やそきねが もろとはかりて



「かんみむすび」(豊受神の子)の「やそきね」が諸神と相談して天子(天照神)のお妃選びをいたしました。


くらきねの(くらきねが)ますひめもちこ(6-3)
ねのすけと そのとめはやこ
こますひめ ねのうちきさき



「いさなぎ」の弟の「くらきね」の娘「ます姫もちこ」を北(ね)の局の「すけ妃」に決めました。次に、「ます姫もちこ」の妹の「こます姫はやこ」を北の局の「うち妃」にしました。

天照神の父が「いさなぎ」ですから、「くらきね」の娘「ます姫もちこ」、「こます姫はやこ」とは「いとこ」同士ということになります。


やそきねの おおみやみちこ(6-3)
きのすけに たなはたこたえ(6-4)
きのうちめ


次に、「やそきね」の娘の「おおみや姫みちこ」を東(き)の局の「すけ妃」に、その妹の「たなはた姫こたえ」は東(き)の局の「うち妃」(うちめ)にしました。


 さくらうちがめ(6-4)
さくなたり せおりつほのこ
さのすけに わかひめはなこ
さのうちめ(6-5)



次に、「さくらうち」の娘の「さくなだり・せおりつ姫ほのこ」を南(さ)の局の「すけ妃」に、その妹の「わか姫はなこ」を南(さ)の局の「うち妃」(うちめ)にしました。


 かなざきがめの(6-5)
はやあきつ あきこはしほの
やもあいご つのすけうちは(6-5)
むなかたが おりはたをさこ
おしもめは とよひめあやこ(6-6)



次に、「かなさき」(住吉の神)の娘の「はやあきつ姫あきこ」は称え名を「しほのやもあいご」と言い、西(つ)の局の「すけ妃」に、「むなかた」の娘の「おりはた姫おさこ」を西(つ)の局の「うち妃」(うちめ)に、同じく「むなかた」の娘の「とよ姫あやこ」を西(つ)の局の「おしもめ」にしました。


かすやがめ いろのえあさこ(6-6)
さのおしも かだがあぢこは
ねのおしも



次に、「かすや」の娘の「いろのえ姫あさこ」は南(さ)の局の「おしもめ」に、「かだ」の「あぢこ姫」は北(ね)の局の「おしもめ」になりました。


 つくばはやまが(6-6)
そがひめは きのおしもぞと(6-7)



次に、「つくばはやま」の娘の「そが姫」は東(き)の局の「おしもめ」になりました。


「いとこ婚」についての私見です。
時代が下って、儒教大国(時の中国)に、日本が歴史ある一流国として認めさせるために、国際語の漢字で書かれた日本の国史が必要になり、古事記・日本書紀が編纂されます。
しかし、儒教では近親婚や「いとこ婚」は野蛮視していたため、この部分の内容は絶対に載せるわけにいかなかった背景があったものと思われます。結果、儒教の考えを背景に持つ記紀の編纂者は、この関連個所を省くことにより、日本は決して野蛮な国でないことをアピールできるように編纂したと考えます。
後にこの二人の姫が大蛇になり大騒動を引き起こしたことも、「いとこ婚」に原因があり、それ見たことか、と言っているように勘ぐってしまいます。
でも、いつの間にか天照神を女神にしてしまったのは行きすぎだと思いますが・・・・。




ジョンレノ・ホツマ

6-1~2 日の神(天照神)の十二妃の綾、天照神は仙台から富士山の麓へ移ります

日の神(天照神)の十二妃の綾

6-1 天照神は仙台から富士山の麓へ移ります(6-1~2) 


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ふそひすず ももふそむえに(6-1)
としさなと やよいついたち


「うびちに歴」(天神四代目)から、二十一すずの百二十六枝の年、ほつま歴「さなと」の三月一日のことです。


ひのやまと にいみやつくり(6-1)


日の山(はらみ山、現富士山)の「と」(裾野)に新宮がつくられました。富士山の西南の麓の浅間神社を示していると思われます。


あめみこは ひたかみよりぞ(6-2)
うつります



天の御子(天照神)は、日高見の国(今の仙台)より、富士山の麓に出来た新しい宮に移られました。


 ふたかみえめを(ふたかみみめを)(6-2)
みことのり



両神(いさなぎ、いさなみ)のお喜びの詔が諸神に伝えられました。

「ふたかみ」は、漢字が渡来して「両神」という漢字が当てはめられ、その後、漢字が一人歩きして、「りょうかみ」と音読みになってしまった例がここにもあります。


ジョンレノ・ホツマ

5綾目次 和歌の枕詞(まくら言葉)の綾 

わかのまくらことはのあや

5綾 和歌の枕詞(まくら言葉)の綾 目次



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5-1「あちひこ」(おもいかね)が枕詞のいわれを話す(5-1~2)
5-2 両神が国造りをされ、言葉の乱れを直します。(5-2~3)
5-3 五・七調の「あわ」歌を教え、言葉を整えます(5-3~5)
5-4 「なかくに」を「あわくに」に(5-5)
5-5 両神は「つくし」に御幸し「とこよ」の道を教える(5-5~6)

5-6 「あわ宮」(つくし)で「もちきね」が生まれ、後「そあさ国」(四国)へ御幸(5-6~7)
5-7 四国で「いよつひこ」は「あわつひこ」の名前も持ち「いよ」と「あわ」を治める(5-7)
5-8 その後、「そさ」(南紀伊)に居られ、此処にも「とこよ」里をつくる(5-7~8)
5-9 厄が取れた「ひるこ姫」は再び両親のもとへ(5-8)
5-10 「はなきね」が誕生するが世間を苦しめる(5-9)

5-11 母「いざなみ」は息子の迷惑振りに困り果てる(5-10)
5-12 火の神「かぐつち」が生まれ「いさなみ」は焼け死んでしまう(5-10~11)
5-13 火の神に続いて、土の神、水の神が生まれ、「わかむすび」が生まれ「うけみたま」になる(5-11~12)
5-14 「いさなみ」の遺体は有馬(熊野市)に祀られる(5-12~13)
5-15 「ここり姫」は「いさなぎ」に亡骸(なきがら)を追ってはならないと告げる(5-13)

5-16 「いさなぎ」は忠告を無視し、腐乱した遺体を見て逃げ帰る(5-14~15)
5-17 再度、「いさなぎ」は神の姿になって見に行く(5-15)
5-18 死者の「いさなみ」は追い払う(5-15~16)
5-19 「いさなぎ」は醜女(しこめ)に追われるが、桃の実を投げて退散させた(5-16~17)
5-20 桃に「おおかんずみ」の名前を賜う(5-17)

5-21 「いさなぎ」は「いさなみ」の思いを断ち切り、誓う(5-18~20)
5-22 「いさなぎ」は禊ぎをし、「かんなおい神」と「おおなおい神」を生む(5-20~21)
5-23 「いさなぎ」はその後、筑紫で「そこつつ」「なかつつ」「うわつつ」の三神を生み、住吉の神が祭る
(5-22~23)

5-24 更に「いさなぎ」は「そこわだつみ」「なかわだつみ」かみわだつみ」の三神を生み宗像に祭る
(5-23~24)

5-25 更に「いさなぎ」は志賀島で「しまつひこ」「おきつひこ」「しがの神」の三神を生み「あづみ」に祭る(5-23~24)

5-26 「いさなぎ」は「あわ宮」に帰り「とよけ神」より詔を賜わる(5-25~26)
5-27 「いさなぎ」の禊ぎにより豊かになりました(5-26~27)
5-28 枕詞は歌の種です(5-28~30)
5-29 歌の道は心を明し、禊ぎの道は身を明し、やまとの道は偉大です(5-30)

以上

5-30 歌の道は心を明し、禊ぎの道は身を明し、やまとの道は偉大です

5-29 歌の道は心を明し、禊ぎの道は身を明し、やまとの道は偉大です(5-30)

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こころをあかす(5-30)
うたのみち みそぎのみちは
みをあかす やまとのみちの
おおいなるかな



心を明かす(開く、心が通じ合う)のは和歌の道です。
禊ぎの道は、身を明かす(清める、鍛える、耐え抜く)ことです。
「やまと」の道はなんと偉大なものでしょうか。

5綾完

 ジョンレノ・ホツマ

5-28~30 枕詞は歌の種です

5-28 枕詞は歌の種です(5-28~30)

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あしひきの まくらことばは(5-28)
うたのたね

「葦引きの」という、枕詞は、後世まで、国生みの苦労として、語り継がれ、歌の種として伝えられました。。

 あしひきはやま(5-28)
ほのほのは あけぬばたまは
よるのたね(5-29)


「あしひきの」(足、葦)は、「山(峰)」にかかり、「ほのぼの」は、「明け、明るくなる」にかかり、「ぬばたま」(檜扇の黒い実)は、「夜、闇、真っ暗」にかかる「種、出だしの言葉」です。

 しまつとりのう(5-29)
おきつとり かもとふねなり


「島津鳥」(島に住む鳥)は「鵜」に、「沖つ鳥」は「鴨」と「舟」にかかります。

このあちを ぬばたまのよの (5-29)
うたまくら さめてあかるき 
まえことば (5-30


この味(意味)を知ることによって、「ぬばたまの夜」という、暗い、夜、闇世を意味する歌枕はやがて明るい夜明け、暁、日の出を迎えるという前言葉になります。

ジョンレノ・ホツマ

5-26~27 「いさなぎ」の禊ぎにより豊かになりました

5-27 「いさなぎ」の禊ぎにより豊かになりました(5-26~27)

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 みそぎにたみの(5-26)
ととのいて


今では、禊ぎをしたことにより、国民の暮らしも落ち着き平和が蘇えりました。

 いやまととほる(5-26)
あしびきの ちいものおたの
みつほなる(5-27)


「いやまととおる」(国の隅々まで、言葉が通じ合うようになり)、葦引きの千五百反の小田の稲穂も実りました。

 まとのおしえに(5-27)
かかんして のんあわくには
でんやまと


「まと」(「真」(まこと)と「と」)の教えに、「掻かんして」(神前にかがり火を灯して)、「のん」(祝詞)を「あわ国」に奉げ、「でん」(神鈴、柏手)を打って、やまとの国の豊穣と安寧を祈りました。

 ひきてあかるき(5-27)
あしはらの うたもさとれよ
とほらぬまえの(5-28


豊かな稲穂の実りに光輝いている葦原国です。
(葦を引き抜いた跡に豊かに稲穂の実りを得た葦原国です。)
歌も同じように、「まと」(真)を得た道の前(まだ光が照り通さない)に隠されているものがあることに気付きなさい。

ジョンレノ・ホツマ

5-25~26 「いさなぎ」は「あわ宮」に帰り「とよけ神」より詔を賜わる

5-26 「いさなぎ」は「あわ宮」に帰り「とよけ神」より詔を賜わる(5-25~26)


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 のちあわみやに(5-24)
みことのり みちびきのうた



「いさなぎ」が再び「あわ宮」(淡海、滋賀県)に帰ると、「とよけ神」より「導きの歌」の詔がありました。


あわぎみよ わかれをしくと(5-25)
つまをくる おうとはゆかず



あわ君よ!(いさなぎのこと)別れが惜しくとも、妻(いさなみ)を葬送します。後を追って、夫は行きません。


ゆけははぢ しこめにをわす(5-25


ついて行けば、妻が恥を掻くことになります。そのときは、醜女(しこめ)を使って追い返します。


よしあしを しればあしひく(5-25)
よもつかさ ことたちさくる(5-26)
うつわあり



やって良いこと悪いことの善し悪しを知れば、黄泉平坂に足を引かれることもなくなります。
事の判断ができる器量を持ちなさい。

怖いもの見たさで、見てはならないものを見てしまうことを戒めています。

ジョンレノ・ホツマ

5-23~24 更に、「いさなぎ」は「わだつみの三神を生み宗像に、志賀島で「しまつひこ」、「おきつひこ」、「しがの神」の三神を生み「あづみ」に祭る

5-24 更に、「いさなぎ」は「そこわだつみ」、「なかわだつみ」、かみわだつみ」の三神を生み宗像に祭る(5-23~24)


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 またあつかわに(5-23)
そことなか かみわだつみの
みかみうむ これむなかたに
まつらしむ



また、安曇川(阿曇)で禊ぎをして、「そこわだつみ」(底綿津見の神)、「なかわだつみ」(中綿津見の神)、「かみわだつみ」(底綿津見の神)の三神を生みました。そして、この神を宗像(福岡県北東部宗像市)に祭らせました。



5-25 更に、「いさなぎ」は志賀島で「しまつひこ」、「おきつひこ」、「しがの神」の三神を生み「あづみ」に祭る(5-23~24)


 またしがうみに(5-23)
しまつひこ つぎをきつひこ(5-24)
しがのかみ これはあづみに
まつらしむ



また、志賀海(福岡県志賀島、漢委奴国王の金印が出土した所)で、生んだ子は「しまつひこ」(嶋津彦)、次に「おきつひこ」(沖津彦)、「しがの神」(志賀彦)の三神でした。この三神は「あづみ」(安曇、阿曇)に祭らせました。

ジョンレノ・ホツマ

5-22~23 「いさなぎ」はその後、筑紫で「そこつつ」、「なかつつ」、「うわつつ」の三神を生み、住吉の神が祭る

5-23 「いさなぎ」はその後、筑紫で「そこつつ」、「なかつつ」、「うわつつ」の三神を生み、住吉の神が祭る(5-22~23)

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のちいたる つくしあわきの(5-22)
みそきには なかがわにうむ
そこつつを つぎなかつつを
うわつつを これかなさきに
まつらしむ(5-23)


その後、「いさなぎ」は、筑紫(今の九州)の「あわき宮」に御幸され、那珂川(福岡県、背振山を源にする川)で禊ぎをされました。そこで、「そこつつ」(底筒男命)、「なかつつ」(中筒男命)、「うわつつ」(表筒男命)の三神を生んで、「かなさき」(住吉の神)に祭らせました。

ジョンレノ・ホツマ

5-20~21 「いさなぎ」は禊ぎをし、「かんなおい神」と「おおなおい神」を生む

5-22 「いさなぎ」は禊ぎをし、「かんなおい神」と「おおなおい神」を生む(5-20~21)

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 いなしこめきを(5-20)
そそがんと おとなしかわに(5-20)
みそぎして(5-21)


汚れた身と心を清めよう(醜女に追われたことを振り払う)と「いさなぎ」は、音無川(和歌山県本宮町、熊野川の支流の一つ、旧熊野本宮は熊野川、音無川、岩田川の合流点の中州に建てられていた)で禊ぎをしました。

「大人しい」は音が無い、すなわち静かであることが語源であったようですね!


 やそまかつひの(5-21)
かみうみて まがりなをさん
かんなをひ おおなをひかみ
うみてみを いさぎよくして


「やそまかつ日」の神(八十枉津日神)を生んで、曲がった心を直そうとされ、「かんなおい神」(神直日神)と「おおなおい神」(大直日神)を生み、心身共に潔く(いさぎよく、清潔に)されました。

ジョンレノ・ホツマ
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