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乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源



こんにちは
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「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています



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以下は、ホツマツタヱ勉強会で説明させていただいた内容を、ブログ用にレイアウトを変更したものです。

乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源をホツマツタヱから


 京都市内に、「乙訓」、「羽束師」、「向日」という地名があります。
これらの地名について、古代のある出来事が地名として残されたことが「ホツマツタヱ」の記述の中から読み解けます!元々は「おちくに」、「はづかし」、「むかふ」と呼ばれていたものが、現在の「乙訓」、「羽束師」、「向日」になったと思われます。
 
 これらが語源となったのは、垂仁天皇の時代です。垂仁天皇が11代目の天皇(すべらぎ・イクメイリヒコ)として日嗣を受けて、3度目のお妃を迎い入れたときの出来事です。
 垂仁天皇のお人柄や当時の状況が分かり易くなると思い、最初と2度目のお妃についても多少長くなりますが触れてみました。3度目のお妃を迎えたとき、既に最初のお妃と2度目のお妃は亡くなられていました。 更に、3度目のお妃として迎えた5人姉妹の1人を帰してしまい自殺に追い込んでしまいました。
 
目次
1. 最初のお妃「サホ姫」は、兄の陰謀に唆され、天皇の暗殺を心に決めたが見抜かれる。
2. 二番目のお妃「カバイツキ姫」は、「ヤマト姫ヨシコ」を生み、産後半年で亡くなる。
3. 3番目に「タニハミチウシ」の5人の娘を迎い入れるが、末娘「タケノ姫」だけ帰される。
 3-1 「タニハミチウシ」
 3-2 「向日」(むこう・むかひ・むかふ)
 3-3 「乙訓」(おとくに・おちくに)
 3-4 「羽束師」(はづかし)
4. 「ヒハス姫」(「タニハミチウシ」の長女)は、5人の子供を宿します。
5. 「ヒハス姫」の長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)の功績
 5-1 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は千本の剣を作る
 5-2 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は10の専本職集団の頂点を司る
   そのなかの一つに、「はつかし」を神祀りするが含まれている
6. 次男「ヤマトオシロワケ」(タリヒコ)は後の景行天皇・世継ぎ皇子に

ホツマツタヱ本文のひらがな訳の(36-XX)は、
和仁估安聰釋本の綾(章)とページを示します。


1. 最初のお妃「サホ姫」は、兄の陰謀に唆され、天皇の暗殺を心に決めたが見抜かれ火中に入り焼死。
1-1 垂仁天皇の即位

ときあすゝ むもやそことし (35-1~3)ねやゑはる むつきつあとは
おみえみこ いむなゐそさち としよそふ あまつひつぎを
うけつぎて いくめいりひこ あまきみと かざりをたみに
おがましむ きみうまれつき たゝなおく こゝろほづまに
おごりなく ゆめのしるしに

 時は「あすず暦」の六百八十九年(神武天皇より)、「ほつま暦」の「ねやゑ」の春、新年の一月の「つあと」(一日)です。「おみえ」(中心)の皇子は実名を「いそさち」と言い、年令は四十二歳で皇位を継承して即位され「いくめいりひこ」天皇となられました。後に「垂仁天皇」と名付けられます。
 かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けました。(即位の礼)
 君(垂仁天皇)は生まれつき、実直で、心はいつも清く真で秀でて、驕ることのない優しい性格でした。
 思いが夢に出てきて、それを実行されました。(天皇の夢あわせ)

1-2 「サホ姫」を中宮に
ふとしきさらぎ(35-4~5) さほひめを うちみやにたつ
にいみやこ うつすまきむき たまきみや しはすうむみこ
ほんつわけ あえものいわず


 四十二歳で皇位を継承して即位された二年目の二月「イクメイリヒコ」(垂仁天皇)は、「サホ姫」を中宮(うちみや)にたてました(迎い入れました)。新しい都を纒向(まきむき)の地に移し(遷都)「たまき宮」と名付けました。十二月に「サホ姫」が生んだ皇子は「ホンヅワケ」ですが、唖でした。


1-3 「サホ姫」の兄が天下を盗ろうと迫る
よほなつき つうえはおなえ (35-15~17) さほひこが きさきにとふは
あにとおと いつれあつきぞ きさきつひ あにとこたふに

あつらうる なんぢいろもて つかゆれど いろおとろいて
めぐみさる あにながからん ねがわくは われとなんぢと
みよふまば やすきまくらや たもたんぞ

 たまき宮四年九月(ほつま暦「つうえ」月)一日(「おなえ」の日)のことです。(妃になって2年後)
 「サホヒコ」(サホ姫の兄)が、妃に「妹よ。この兄と「お」(天皇)とどちらが好きか?」と問い糺しました。
妃(さほ姫)は、つい、兄ですと答えてしまいました。
誂えたようだ(思っていた通りになった)。今は汝の色気で天皇に仕えているが、色気は衰えて、天皇の恵みは去り捨てられてしまうだろう。しかし、兄との仲は末永く枯れることはない。
願わくは、我と汝で天下を取れば、枕を高くして安心していつまでも良い夢を見られるぞ。

1-4 「サホ姫」の兄は天皇を殺せと迫る
 きみをしいせよ(35-17~19) わがためと ひぼがたなもて
さづくとき あにがこゝろね いさめおも きかぬをしれば
さほひめの なかごわなゝき ひもかたな せんかたなくも
そでうちに かくしいさめの せみなづき

 天皇を殺せと迫り、紐刀(紐のついた小刀)を強引に授け(手渡し)ました。兄の恐ろしい心の奥底をいさめようとしたが、聞き入れないことを知りました。
 「サホ姫」の心の中(なかご)では、罪の意識にさいなまれ、怖さにふるえながら紐刀をいわれるまま袖の内に隠し持ち続け、自分を責めていた六月(蝉が鳴くように心が高ぶっていた)でした。

せみなづき:瀬見の小川(糺の森:ただすのもり)から来ている説もあるようです

1-5 「サホ姫」の涙で天皇に見抜かれる
はつひすべらぎ(35-19~23) みゆきして くめたかみやに
ひざまくら きさきおもえば このときと なんだながるゝ
きみのかほ きみゆめさめて のたまふは いまわがゆめに
いろおろち くびにまとえて さほのあめ おもてぬらすは
なにのさが

 (たまき宮五年六月の)一日、すべらぎ(垂仁天皇)が「くめ」の高宮に御幸され、「さほ姫」の膝枕で昼寝をされていました。
妃(さほ姫)は、兄の命令を果たすのは今だと思ったとき、涙が止め処もなく流れ出し、君(垂仁天皇)の顔に落ちました。
 君は夢から覚めて、今、私が夢の中で錦色の小蛇(おろち)が、首に纏わりついて「さほ」(麻糸のような細い)雨が降り、私の顔を濡らしたのは、何の前兆だろうか。とおっしゃいました。

1-6 「サホ姫」は全てを白状する
きさきこたえて(35-21~24) かくしゑず ふしまろひつゝ
あからさま きみのめくみも そむきゑず つぐればあにを
ほろぼせり つげざるときは かたむけん おそれかなしみ
ちのなんだ あにがあつらえ こゝなりと きみがひるねの
ひざまくら もしやくるえる ものあらば たまさかにえる
いざおしと おもえばなんだ ふくそでに あぶれてみかほ
うるほせり 

 妃(サホ姫)は、もうこれ以上隠し切れないと、泣き伏して畏まって兄の企てを包み隠さず打ち明けました。
 君(垂仁天皇)の恵にも背くことは出来ないと、告げれば兄を滅ぼすことになり、告げなければ、国を傾ける大事になり、恐ろしくて、悲しくて血の涙を流しました。
 兄の企てた命令をやるには、この時しかないと思ったのが、君が昼寝されている膝枕でした。

 こんな事を考えるのは狂人だと思いましたが、万一の手柄(いざおし)をたてる機会であるかも知れないと思いました。そう思ったら、申し訳なく涙が出てしまい、袖で拭こうとしましたが拭いきれずに溢れて落ちて、君の顔を濡らしてしまいました。

1-7 「サホヒコ」を討ち取りに差し向けるが稲城に入り降参せず
ゆめはかならず(35-24~26) このこたえ おろちはこれと
ひもかたな だせばすべらぎ みことのり ちかがたにある
やつなだを めしてさほひこ うたしむる ときにさほひこ
いなぎなし かたくふせぎて くたりゑず きさきかなしみ
われたとひ よにあるとでも しむかれて なにおもしろと
みこいだき いなぎにいれば


 君のご覧になった夢は間違いなく兄の裏切りのことです。小蛇(おろち)はこれですと紐刀を取り出しました。
 すべらぎ(垂仁天皇)は即座に詔(命令)を発しました。
近県(ちかあがた)にいた将軍「やつなだ」に命令して、「サホヒコ」を討ち取るよう兵を差し向けました。
「サホヒコ」は、稲城(いなぎ)を作り堅固に防ぎ、降参しませんでした。

 妃(さほ姫)は悲しみ、我はたとえこの世に生きていても、心は枯れ死んだも同然です。何の楽しいことがあるものでしょうかと言って、皇子「ほんづわけ」を抱いて稲城に入ってしまいました。

(稲城(いなぎ)とは、屋敷の外側に稲束を積上げ、中から外は見えるが、外からは矢の攻撃を防ぐ簡単な城構え)

1-8 火攻めされた城から、皇子を抱えて出た妃は皇子を置いて再び火中に入る
みことのり きさきとみこを だすべしと あれどいださず
やつなだが ひぜめになせば きさきまづ みこいだかせて
しろをこえ きみにもふさく あにがつみ のがれんために
われいれど ともにつみある ことをしる たとひまかれど
みめくみを わすらでのちの さだめには 

そこで、君(垂仁天皇)は「サホヒコ」に妃と皇子を城から出しなさいと命じました。しかし、命令があっても出しませんでした。
将軍「ヤツナダ」が、火をつけて火攻めにしました。すると、炎の中から、妃が最初に皇子を抱いて城を越えて出てきて、君に申し上げました。
兄の罪を何とかかばう(守る・のがれる)ために、私は中に入りました。しかし、私も兄と同じ罪であることを知りました。
たとえ、私が死んでも、君の御恵みは決して忘れません

1-9 自分の後見に「タニハミチウシ」の娘をと願い、焼け死ぬ。
 たにはちうしの(35-29~30) めをもがな きみがゆるしの
あるときに ほのほをこりて しろくづる もろびとされば
さほひこと きさきもまかる

どうか、私の後見には「タニハチウシ」の娘を妃に召されるようお願いします。君のお許しが出たとき、炎が噴き上げて城は崩れ落ちました。兵卒が皆逃げ散った後に「サホヒコ」と妃は焼け死んでいました。
 後にこの「タニハミチウシ」(タニハチウシ)の娘が妃に召されることになります。

2. 二番目のお妃「カバイツキ姫」は、「ヤマト姫ヨシコ」を生み、産後半月で亡くなる。
2-1 「ツヅキタルネ」の娘「カバイツキ姫」の婚礼
なほふづき はひこもづみの(35-30~31)このつゞき たるねがかばゐ
つきひめを たつきさきとの かくやひめ なるうちめゐか
ことほぎし

たまき宮(垂仁天皇)七年一日、「コモヅミ」の子の「ツヅキタルネ」の娘「カバイツキ姫」を正妃に立て、「カクヤ姫」を内女に立て、五日間の婚礼の祝いをしました。

2-2 「カバイツキ姫」は難産の末「ヤマト姫ヨシコ」を生むが産後半月で亡くなる

たまきみや こほなつきそむ(36-1~3)きさきゆめ やまとおゝくに
かみのして たまへばはらみ つきみちて うまずにやめて
みとせのち なつきそむかに うむみこの なはやまとひめ
あとやみて かなづきふかに はゝまかる

たまき宮(垂仁天皇)九年九月(なつき:ここなづきの略)十六日に、お妃(カバイツキ姫)が夢で「ヤマトオオクニ神」(コトシロヌシ)から、神の垂(しで)を賜わりました。すると、孕みました(懐妊)が、月が満ちても生まず、三年経った九月十六日にやっと生まれました。その子の名前は「ヤマト姫」と名付けました。しかし、母(カバイツキ姫)は、産後病になってしまい、十月二日にお亡くなりになりました。

 この「カバイツキ姫」の生んだ「ヤマト姫ヨシコ」は、後に2代目「天照大神の御杖代・ひのみこ」になります。12代景行天皇の異母兄弟でお姉さんに当たります。
 後にヤマトタケがエミシ征伐に行くとき草薙の剣を譲り受けています。
魏志倭人伝でいう卑弥呼に当たると推定しています。

このとき、「カバイツキ姫」が正妃になったとき、妹の「カクヤ姫」が内妃になっています。しかし子供は授からなかったようです。


3. 3番目に「タニハミチウシ」の5人の娘を迎い入れるが、末娘「タケノ姫」だけ帰される。
そゐとしの きさらぎもちに(36-3~5) めすたには みちのうしのめ
ひはすひめ ぬはたにいりめ まとのひめ あさみにいりめ
たけのひめ はづきはつひに ひはすひめ きさきにたてゝ
いとみたり すけとうちめに たけのひめ ひとりかえせば
はづかしく こしよりまかる おちくにぞ


即位されて十五年経った、たまき宮十五年二月十五日に、お妃(三番目のお妃になります)を召されました。(そ=10、、ゐ=5、もち=15日)
「タニハミチウシ」の娘で、
長女「ヒハス姫」、次女「ヌハタニイリ姫」
三女「マトノ姫」、四女「アサミニイリ姫」
五女「タケノ姫」の五人姉妹が召されました。

 約、半年後の八月一日(はづきはつひ)に、長女の「ヒハス姫」を妃に迎い入れ、妹の三人を「すけ妃」と「うちめ」に迎い入れました。

 しかし、五人目の「タケノ姫」は、呼び寄せられて半年お仕えしたが宮中に入れず、一人だけ国に帰えされることになりました。「タケノ姫」が天皇に気に入られなかったのは、容姿が醜かったためと解釈されています。
 五人姉妹の末娘であるということから、年齢は不詳ですが、長女との年齢差を考えると「タケノ姫」は妃にするのには未熟であったのかも知れません。
 「タケノ姫」一人が、御輿に乗せられて、国に向かって帰ることになりました。しかし、恥ずかしさで胸が一杯になり、今更一人だけ国へ帰ることも出来ないと、途中で御輿から身を投げて自殺してしまいました。 その身を投げた地を、「オチクニ」と言うようになりました。



3-1 「タニハミチウシ」
 「タニハ」は後に漢字化され丹波といわれるようになった思われます。
 「タニハミチウシ」の先祖は「タカミムスビ」にあたり、後世の藤原鎌足に続くとあり、京都市伏見区羽束師志水町にある、羽束師坐高御産日神社 ハヅカシニマスタカミムスヒノ神社という神社名に、「タカミムスビ」とうたっています。
 また、「ヒコイマス」(32-58)と「イマス」(36-18)が同一人物とすれば、「フトヒヒ・ワカヤマトネコヒコ・開化天皇」(32-49)+カスガヲケツ姫(32-57)⇒ヒコイマス・アルヅミ(32-58)⇒タニハミチウシ(35-29,36-3)と続き、開化天皇の子孫にもなります。
「タニハミチウシ」は、食事係(神饌:みけのもり)になりました。(36-18)という記述もあります。

3-2 「向日」(むこう・むかひ・むかふ)
ホツマツタヱの記述には明示されていませんが、前後関係から、「タケノ姫」が国に向かって帰えされる状況を言っていたものと思われます。ここでは、日は帰るべき国のことを示していると思えます。
 
 向日について、古くは山城国乙訓郡に属し、長岡京が設置された。市域からは大極殿跡が発掘されている。長岡京が平安京に移されてのちはその後背地として農業を産業の中心とした。古くから乙訓郡の中心地であり、現在も、郡役所の名残である京都府乙訓総合庁舎や、長岡京市、大山崎町、京都市伏見区の一部を管轄する向日町警察署など、周辺地域を代表する施設が設置されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「ひまわり(向日葵)」の花言葉は「憧れ」「あなただけを見つめる」。
 向日葵と向日にも何か関連があるように思えます!?

◎ 向日(ムコウ)と似通っている地名に、日向(ヒュウガ)という地名が宮崎県にあります。(26-22)
 大上君(天孫ニニキネ・分雷神)は亀舟で鹿児島に向い、曽於国の高千穂の峰に敬意を捧ぎ、「あさま」(富士山)の方から昇る太陽(日の霊)に向かってご来光を祈りましたので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けました。 一方、「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)は、月が沈む方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました(26-22)

3-3 「乙訓」(おとくに・おちくに)
 ホツマツタヱの記述より、「輿より飛び降りて罷る・亡くなる、おちくにぞ」とあり、「タケノ姫」のことを婉曲に、弟国といったと考えられます。 「タケノ姫」は、一番末娘だったので、弟という意味合いで使ったとも取れます。帰されてしまったが、お妃になるということは国を代表していたとも取れます。
 後に漢字が渡来したときは、既に呼び方も、「おとくに」と呼ばれていたのかも知れません。乙訓という漢字が宛がわれたようです。末娘ということが、「乙」や「弟」にも相通じるものを感じます。多少なりとも元の言葉の意味合いが伝わってくる気がします。
 長岡京市に弟国という地名があります。元を糺せば、乙訓も弟国も「タケノ姫」につながるかも知れません。

3-4 「羽束師」(はづかし)
「タケノ姫」の恥ずかしい思いで、身を投げうった地名を「はづかし」と名付けられられました。
 この地に、羽束師と名前の付いた、小学校や川や橋などに現在も生きています。
後世になり漢字が導入され、日本の地名を漢字化するときに、音声から羽束師という漢字を当てはめたものと思われます。漢字に書き換える時点で、数百年以上経っていたため、既に「恥ずかしい」という意味合いは風化していたかも知れません。
 なお、丹後に竹野郡という地名は「タケノ姫」に関連しているかも知れません。

 地名の風化
たとえば、東北地方の日高見ですが、そこを流れる川は北上川と呼ばれています。
漢字化されたとき、この地方は日高見であったにも関わらず、川の名前を漢字に書き換えるとき、「ひたかみ」を「きたかみ」に聞き違えたからと考えられるからです。

 六甲山も武庫川も本来は、「ムカツ姫」から「ムカフ山・川」に風化したと推測されますが、山と川で別々の漢字が当てはめられたと考えられます。

 安芸の国の「安芸」という漢字ですが、元々の意味は木こりが山の木を丸裸にするまで伐採してしまい、仕事がなくなって飽き飽きしているというのが別の綾(章)にあります。

4. 「ヒハス姫」(「タニハミチウシ」の長女)は、5人の子供を宿します。

そやとしさつき(36-5~7) そかきさき うむみこにしき
いりひこの いむなゐそきね ふそまふゆ うむみこやまと
おしろわけ いむなたりひこ つぎにうむ おゝなかひめと
わかぎにの いむなはるひこ

たまき宮十八年五月十日に妃「ヒハス姫」が生んだ皇子は
「ニシキイリヒコ」で真名が「イソキネ」です。
たまき宮二十年の真冬に生んだ皇子は「ヤマトオシロワケ」で、真名が「タリヒコ」(後の十二代景行天皇になる)です。
次に生まれたのが、「オオナカ姫」と
「ワカギニ」で真名が「ハルヒコ」です。
 
5. 「ヒハス姫」の長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)の功績

みそゐほの なづきゐそぎね (37-30~31) たかいしと ちぬのいけほる
めづきほる さきとあとみと もろくにゝ やおのいけみぞ
つくらしむ なりわひふえて たみとめる

たまき宮三十五年の九月に、「イソギネ」(「ニシキイリヒコ」は、河内の高石と茅沼のため池を掘りました。
十月には、「さきいけ:挟城池」と「あとみいけ:迹見池」(先池・後池)を掘りました。多くの国(県)に、八百ものため池を作らせました。稲の収穫が増えて、民の生活が豊かになりました。

5-1 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は千本の剣を作る

みそこほめづき(37-32~31) ゐそぎねは うちみてつくる
ちつるぎを あかはだかとも なをつけて おしさかにおく

 たまき宮三十九年十月に「イソギネ」は、宇治の川上(「うちみ」の「み」は、かみの宮の「み」)で、千本(ち)の剣を作りました。この千本の剣を作った所を日置部といい、日置神社は滋賀県高島郡にあります。
 この剣のことを「あかはだとも」(「あ」は天、「か」は光、善悪の善、「はだか」は、「かまはだとべ」のように天にも届く絶世の美人、「とも」は剣を携える)という名前をつけて、「おしさか」(榛原、昔、神武天皇が苦戦した場所)にこの剣を奉納しました。

5-2 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は10の専本職集団の頂点を司る
  「はつかし」の神祀りをする専門職がいた

このときに (37-33~35) ①しとりべ ②たてべ ③おほあなし ④ゆみ
⑤や ⑥はつかし ⑦たまべかみ ⑧あまのおさかべ ⑨ちのへきべ 
⑩たちはかせべの
としなへを あはせたまわる にしきみこ ちつるぎうつす
いそのかみ かみがかすがの いちかわに つげをさめしむ
にしきみこ つかさとなせる

このとき、
① 「しとりべ」(「しとり」は古代布、麻木綿の古代の織物を言い、「べ」は専門職の位を言う)
② 「たてべ」(楯をつくる専門職、木を縫い合わせて楯を作った)
③ 「おおあなし」(すもう神社、つわもの主、兵頭神社)専門職
④ 「ゆみ」(弓つくり部、「ゆげ」と呼んでいた、弓を作る専門職)
⑤ 「や」(矢を作る専門職)
⑥ 「はづかし」(タケノ姫(タニハミチウシの五人娘の末娘)だけ宮中に上がれず帰され恥じて投身自殺)を神祀りした)
タケノ姫を自殺に追い込んだことにより、垂仁天皇の優しい気持ちが祀るという行動に移したことが分かります。ヒハス姫の葬儀から追い枯れ(殉死)の風習をやめ埴輪に替えたことにもつながっているように思えます。
⑦ 「たまべ」(たまを作る専門職)
⑧ 「あまのおさかべ」(天に逆らうもの、刑法を取り扱う専門職)
⑨ 「へきべ」(千本の剣を置いて守る部門、「へく:置く」日置神社:剣大明神
⑩ 「たちはかせべ」(太刀を佩(は)かせる専門職)
以上の十部をあわせて、「にしきみこ」が、これらの専門職集団(べ、部)の頂点を司りました。
「にしきみこ」が、この千本の剣を「おしざか」から「いそのかみ」に移しました。
天の告示があって、「にしみこ」から、春日の「いちかわ」に移しました。春日がこの千本の剣を守る直接の担当になりました。「にしきみこ」は出世して、司になりました。

6. 次男「ヤマトオシロワケ」(タリヒコ)は後の景行天皇・世継ぎ皇子に

みそなほはつひ(37-32) おみえたつ たりひこはそや よつぎみこ

まき宮三十七年元旦に「タリヒコ」は皇太子になられました。「タリヒコ」は十八歳で、世継ぎ皇子になりました。「タリヒコ」は後の景行天皇になります。
以上


ジョンレノ・ホツマ


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① Hotsuma Essay は、私のエッセイや書感などをたまに投稿していますので覗いていただければ幸いです。今は休止しています。

② ノホホンの会 のメンバーの方のエッセイや書感があります。合わせて覗いていただければ幸いです。

③ 村田先生のウクレレレッスンは私の気分転換の時間です。

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高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回9月10日(火))になります。8月はお休みです。
 時間は、18:30~20:30です。会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。参加費は500円(テキスト代込み)です。
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