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卑弥呼(ひみこ)はいったい誰のことだったのでしょう?

目次
1.  天照神に貢ぎ御霊を祀る御杖代(斎宮)・ヒノミコが生まれた背景

1-1  魏志倭人伝から卑弥呼に関連するキーワードから
1-2  「名を卑弥呼(ひみこ)(*2)という。」該当する人は一体誰なのか、魏志倭人伝の記述をホツマツタヱと照らし合わせる



2. 天照神の御杖代、トヨスキ姫(103歳)→ヤマト姫ヨシコ(11歳→108歳)→イモノ姫クスコ(14歳)の繋がりをホツマツタヱから
2-1 初代御杖代・トヨスキ姫(崇神天皇の娘、垂仁天皇の異母兄弟・姉)の誕生


2-2 垂仁天皇の代、たまき宮25年3月8日、天照神の御霊を「トヨスキ姫」から「ヤマト姫」に移します。
2-3 昔、「トヨスキ姫」に神の告げがあり丹後「よさ宮」に行く。


2-4 天橋立の松に大和の笠縫村から雲がたなびき、御霊がつながる
2-5 「トヨスキ姫」は、「ささはた宮」へ帰ります。
2-6  再び「トヨスキ」に神の告げ


2-7 2代目御杖代・ヤマト姫ヨシコ (垂仁天皇の娘、景行天皇の異母兄弟・姉)が誕生
2-8 「ヤマト姫」の母、「カバイ姫」が産後半月で亡くなる
2-9 たまき宮二十二年「ヤマト姫」が御杖代(ミツエシロ)になる


2-10 ヤマト姫が伯母「トヨスキ姫」に仕える
2-11 「トヨスキ姫」は、御杖(ミツエ)の役を、「ヤマト姫」に見習わせる

2-12 良い宮の候補が「さ」にあると、神の告げを受ける

2-13 「ヤマト姫」は、宇治へ行き、三宝が祭られる場所と決める
2-14 たまき宮二十六年、天照大神が「サゴクシロウジ宮」にわだましされる

2-15 天照大神が「ヤマト姫」にお告げ
2-16 「ヤマト姫」は天照神のお告げを垂仁天皇に伝える

2-17 垂仁天皇は和幣をなし、「トヨケ」の神(豊受神)への「さおしか」を定める

2-18 神の教える道
2-19 内宮(天照大神)外宮(トヨケ神・豊受神)の鰹木

2-20外宮の真意は厚く、国民に厳しい父の役割、内宮は、母の子供を慈しむような恵む教え

2-21 3代目御杖代・イモノ姫クスコ (景行天皇の娘、成務天皇の異母兄弟・妹)が生まれます
2-22ヤマト姫、隠居し、斎宮をイモノ姫に継ぐ
2-23 「ヤマト姫」はイソ宮に隠居されました。
2-24 天照神の2代目御杖代ヤマト姫ヨシコが魏志倭人伝の中の卑弥呼を示していた



3. 「倭国は乱れて、(*3)(国々が)互いに攻撃しあうことが何年も続き」の記述を照らし合わせる

3-1   マキムキ日代12年筑紫が背き景行天皇は筑紫熊襲へ御幸。
3-2 マキムキ日代27年エミシからの朝貢(みつぎ)も途絶えて問題が起きていた
3-3  マキムキ日代27年再び熊襲が背き、景行天皇はコウス皇子に勅を出す

3-4 マキムキ日代40年「ほづま」が乱れていると酒折の大伴の武日が上京し巡狩りを乞う。
3-5  酒折の「大伴の武日」が上京して巡狩りを頼みに来る以前から、垂仁天皇の代から争いごとが起こっていた。
3-6  道中、富士の裾野で「ヤマトタケ」は、計略に遭うが秘密(火・水・土)の祓いで賊軍(あだいくさ)を焼き滅ぼし、難を逃れます。
3-7 途中、竹の水門で行く手を拒まれたが、武日が論証で日高見陸奥を説得し、全員がひれ伏しました。


4.  「鬼道〔きどう・巫術・妖術〕(*4)を行い、」について
4-1 ミカサフミより「アカキミチ」


5.  「夫を持たず、男の弟(*5)がおり国の統治を助けている。」について

6. 参考まで

7. 追記  御杖村(みつえむら) 奈良県宇陀郡

8. 人皇系図

8-1神武天皇から景行天皇・ヤマトタケまで ホツマツタヱより抜粋(斎宮・いつき宮)

8-2 12代 景行天皇 ヤマト・オシロワケ タリヒコ
8-3 11代 垂仁天皇 イクメイリヒコ イソサチ
8-4 10代 崇神天皇 ミマキイリヒコ イソニエ

8-5  9代 開化天皇 ワカヤマトネコヒコ フトヒヒ
8-6  8代 孝元天皇 ヤマトネコヒコクニクル モトギネ
8-7  7代 孝霊天皇 ヤマトフトニ ネコヒコ
8-8  6代 孝安天皇 ヤマトタリヒコクニ オシヒト

8-9  5代 孝昭天皇 カエシネ ミルヒト
8-10 4代 懿徳天皇 オオヤマトヒコ スキトモ
8-11 3代 安寧天皇 タマデミ シギヒト
8-12 2代 綏靖天皇 カヌガワミミ ヤスギネ

8-13 初代 神武天皇 カンヤマトイワワレヒコ タケヒト

続く
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卑弥呼(ひみこ)はいったい誰のことだったのでしょう?

卑弥呼(ひみこ)はいったい誰のことだったのでしょう?
ホツマツタヱより明快に解読!



ジョンレノ・ホツマ(ブログネーム)
ホツマツタヱ勉強会(3)副講師
藤田 昇
2020/6/23追記7/10 
魏志倭人伝の卑弥呼(ヒミコ)とは、いったい誰だったでしょう?

今まで、卑弥呼という人物が、なぜ謎になっていたのか?
見方を変えて、ホツマツタヱを読み直したら、霧が晴れました!
魏志倭人伝の卑弥呼は「ヤマト姫ヨシコ」であったことがわかります!


 卑弥呼は、なぜ、謎であったか?
 それは
卑弥呼という人物を、本名で個人名と思い込んでいたからです。
  以前、日本中の神社の御祭神の名前を調べたが、卑弥呼・ヒミコという名前は見当たらなかったということを聞いたことがあります。卑弥呼・ヒミコという人物名は実在しなかった!?

  今でいうと、役職名というか、例えば歌舞伎の襲名であったり、落語家の芸名などに相当する名前であったことに気づくことでした。

 また、卑弥呼という漢字に意味が隠されていると思われ、解釈が困難になっていました。
 この卑弥呼という言葉の元をたどるため、音声を「かな」で綴ってみると「ひみこ」となります。「かな」で表記するといろいろな意味合いがでてきます。「かけことば」という言葉があるように、幾つかの候補が現れます。

 ホツマツタヱのなかにも、「ひみこ」という言葉は存在しませんが、魏志倭人伝の中の卑弥呼という人物から、元々は「ひのみこ」の「の」(所有格の形容詞)が省略されて漢字化されただろうと推察されます。この「ひのみこ」という言葉も、ホツマツタヱのなかに存在していません。
 「ヒミコ」あるいは「ひのみこ」と「ひらがな」にしてみると、「ひ」は、天照神・太陽、更には天照神の御霊を表しており、「みこ」は、皇子・皇女・巫女を意味していることがわかります。

 
そして、同じ意味を持つ言葉が、天照神の御霊を守護する(お連れする・先導する)、天照神の御杖代(ミツエシロ)という言葉が出てきます。
 天照神の御霊を守護するための皇女(みこ)を御杖代と言っており、日の皇女(ひのみこ)という意味合いであることが分かります。

 日本全国の神社には巫女(みこ)さんがおられます。天照神の御霊をまもるための皇女(みこ)がいつしか巫女という漢字が当てはめられ現在につながっているようです。
 伊勢の斎宮(さいぐう・いつきのみや)は、まさに「ヒノミコ」(卑弥呼)の流れそのものであったことを改めて確認した次第です。

続く
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