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「ホツマ」と「ヒミコ」と「コロナ」 秀真伝と魏志倭人伝と現代の闇

ホツマエッセイ  
「ホツマ」と「ヒミコ」と「コロナ」 秀真伝と魏志倭人伝と現代の闇


こんにちは
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初期からの内容です。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています


追加の目次です。
目次
魏志倭人伝の卑弥呼(ひみこ)とはいったい誰だったのでしょう?
邪馬台国はどこだったのでしょうか。
古代遺跡・ホツマツタヱ・ミカサフミから宇宙・太陽・月・地球を読み解く



1.「ホツマ」とはホツマツタヱのこと
2. ホツマツタヱと魏志倭人伝
3.「ヒミコ」魏志倭人伝の卑弥呼という人物
3-1 魏志倭人伝に記載されている卑弥呼は
3-2 卑弥呼が登場した経緯
4 魏志倭人伝の倭国の乱れについて
4-1筑紫の乱れ
4-2 エミシ成敗
5 魏志倭人伝にある鬼道を占うについて
6. 倭国の文字について
7 卑弥呼亡き後について
8 コロナ禍


1. 「ホツマ」とはホツマツタヱのことで、正式な歴史書から葬られてしまっています。
ホツマツタヱとは、古事記・日本書紀以前にあった日本の最初の書物で、前半と後半に分かれています。
前半は、紀元前600年ごろ、神武天皇がクシミカタマ・ワニヒコにまとめさせたものです。
後半は、紀元後124年ごろ、景行天皇がミワノトミオオタタネコ・スエトシにまとめさせたものになります。

景行天皇が九州で背いたものを治めるため、6年間の歳月をかけて九州を一周して戻ってきたとき、大陸からの渡来勢力が浸透し始めていることを実感し、記録に残しておきたいと願い、帰朝次第まとめたものが、ホツマツタヱの後半部分になります。
途中、ヤツメ姫神の三根国・ミネコク(吉野ケ里)付近を足早に素通りしたことにも伺えます。
後の八女(ヤメ)地方になります。

2. ホツマツタヱと魏志倭人伝

魏志倭人伝に古代日本のことが書かれていることを多くの人は知っています。しかし、ホツマツタヱについては名前も知らず内容も知らず存在も知らない人が多いようです。魏志倭人伝の解読を困難にしているのは、古事記日本書紀以外には十分な照らし合わせが出来なかったからです。
魏志倭人伝をホツマツタヱの記述と照らし合わせてみると明確になってくることがわかってきました。

3. 「ヒミコ」魏志倭人伝の卑弥呼という人物

卑弥呼が誰のことか謎になっていましたが、個人名という思い込みを取り除き、今でいう肩書・役職名であったと見直したところ、疑いもなく一気に解明できました。
そのために、一旦、卑弥呼という難解な漢字を、カナ文字に書き直して見ます。

「卑弥呼」―「ヒミコ」―「ヒ」・「ミコ」―「ヒのミコ」であることが向こうから呼びかけています。漢文で所有格の「の」は表示していないからです。
「ヒ」とは、「日」であり「天照神」を示していることが分かります。「ミコ」とは、皇女・巫女につながります。「天照神の御霊をお守りする」ということを示しています。

3-1 魏志倭人伝に記載されている卑弥呼は

  ホツマツタヱと照らし合わせると、景行天皇の義理のお姉さんにあたるヤマト姫ヨシコであることが分かります。ヤマト姫ヨシコは御杖代(ミツエシロ)という名前も持ち合わせています。

3-2 卑弥呼が登場した経緯

  景行天皇の2代前の崇神天皇のときに、疫病がまん延して国民の半数が亡くなるという悲惨な出来事がありました。崇神天皇は神への崇(あが)め方が足りないと、娘のトヨスキ姫に天照神の御霊を笠縫に祀らせ、ヌナギ姫には大国玉の御霊を山辺の里に祀らせました。

天照神の御霊を祀っていたトヨスキ姫が103歳になったとき、11歳になったヤマト姫ヨシコが2代目の御杖代に引き継ぎます。魏志倭人伝で取り上げた卑弥呼になります。

4 魏志倭人伝の倭国の乱れについて
 
4-1筑紫の乱れ

 景行天皇が九州・筑紫(つくし)のクマソ(熊襲)が背いて、貢物せず、御狩りを乞で背いたものを治めるため、九州一周し、6年以上かけました。この間、留守を守っていた人がいます。ホツマツタヱには記載はないが、兄のイソギネ・ニシキイリヒコであり、ヤマト姫ヨシコであったかも知れません。

更に、帰国後、再びクマソが乱れ、息子のコウス皇子を派遣します。クマソタケルを討ち取り、タケルの名前を引き継ぐよう願われ、以後、コウス皇子はヤマトタケと名乗ることになります。

4-2 エミシ成敗

落ち着く間もなく、今度は酒折(山梨)のタケヒテルがエミシが荒らして困るのでと助けを求めに来ました。
コウス皇子(ヤマトタケ)は、筑紫から帰り、落ち着く間もなく、エミシ成敗に向かいます。
このとき、ヤマト姫ヨシコの元へ立ち寄り、神器を受け取り、ムラクモ剣を受け取りエミシ成敗に向かいます。
 これらの出来事を、魏志倭人伝で「倭国乱れ」という表現をしています。

5 魏志倭人伝にある鬼道を占うについて

鬼道を「キドウ」と音読みするのが、一般的ですが、当時、漢字のなかった日本では「キミチ」と訓読みされていたものを、「鬼道」という鬼という文字を当てはめていたものと考えられます。

黄道(太陽の運行の道)が、元の意味であったものと取れます。当時、太陽の運行や、天体の動きを計測していたことが、ホツマツタヱと対をなしているミカサフミの中のタカマル綾からも分かります。

景行天皇のお兄さんのイソギネ・ニシキイリヒコが日置の測量(北緯34度32分を一直線に)により、天体観測から地球の大きさを測定していたと思われます。想像を絶する正確さに驚きます。これらの宇宙観を正しく評価できなかったのではと思います。
奈良県橿原市益田山船山遺跡などでも計測していたことが分かります。

6. 倭国の文字について

 魏志倭人伝に「差錯」(ささく)という文字があると読めます。ホツマツタヱに使用していた48音の「オシデ文字」であると思われます。
漢字と違い表音文字でしたから、漢字文化から見ると発音記号のように見なしていたと推測されます。発音できても、意味が分からず、自分たちが判断した漢字を当てはめたと考えられます。
後に、渡来してきたとき漢字以外は読めずに、この「オシデ文字」に取り組まずに、自分たちの漢字を押し広めたものと考えられます。

7 卑弥呼亡き後について

卑弥呼、ヤマト姫ヨシコが108歳になったとき、14歳になったイモノメクスコに引き継ぎ、自らは引退しました。
魏志倭人伝では13歳の壱与(イヨ)を立てたとある。
後のイツキノミヤ(斎宮)というところになります。

8 コロナ禍

いつの世も、歴史は勝者の歴史です。後の権力者にとって、不都合なことが含まれていたホツマツタヱはすべて抹殺されました。

大陸から、仏教とともに渡来し、漢字文化が広がり、古事記(新羅系高官)日本書紀(百済系高官)を完成し、日本最古の文字書物になりました。ホツマツタヱの記述を抜粋し、都合の悪いところを神話化したのは、聖徳太子の時代のことと考えられ、今でも多くの人は、それ以前の昔の日本に文字はなかったと信じられています。

ホツマツタエも2千年後に、発見解読され、閉ざされていた世界が今現在、開かれています。

コロナ禍の現在、情報を受けるだけに終わってしまうと、ウラの世界の陰謀・闇の世界で行われていることは知らされず、知らないままになります。知ろうともしない人も見受けられます。

本当に知らなければならないことを、TV・新聞などのマスコミは取り上げていない。取り上げられないと思われるからです。気が付いた人が情報発信しても、消されていることも見受けられているようです。

家畜化されることの無いように気を付けていきましょう!

新しい世界が生まれ、本当のことが表に出てくる時が来るときまで!

上記は2022/4/25 ブログネーム・ジョンレノ・ホツマが、ノホホンの会に投稿しものです。
以上
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