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大國魂(大国主命)の生い立ちを ホツマツタヱから読み解く③

大國魂(大国主命)の生い立ちを
ホツマツタヱから読み解く③

こんにちは
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途中で中断しております。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています





目次

 ① 古代、ネの国(ネ=北)は、サホコ(サホコチタル)から、イツモ(出雲)へと国の名前が変わります。
 ② クシキネ(=オホナムチ)が誕生
 ③ オホナムチは稲作を教える。
 ④ 出雲は国が豊かになり、「ことわり」(道理)が隠れたと判断された。
 ⑤ 葦原中国で、出雲に筋を通すように糺すに行く人を決める。
 ⑥ 「タケミカヅチ」と「フツヌシ」がカシマダチ(出雲征伐)に向かう。

⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す。
⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。
⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に



⑦ 「オホナムチ」は息子の考えに従い、出雲を明け渡す

おほなむち こたゑとわんと みほさきの つりえきゝすの
いなせはぎ あめのこたえを とふときに

 ことしろぬしが ゑみすがほ  われすずかにて
たらちねに ほろゝなけとも ちのたゐぞ さかなときるも
おろかなり
 たかまはたみの ゑみすたゐ ゐとかけまくぞ
みことのり わがちゝさらば もろともの かえことなせば
(10-27~30)

 「オホナムチ」は、宮中から帰国している息子の「クシヒコ」(コトシロ主)が、「みほさき」(三保神社)で、鯛釣りをしている所に「いなせはぎ」を急使(きぎす)として走らせ、天照神の考えが如何なものかを問いに行かせました。


 「コトシロヌシ」が「えみす顔」(えびす顔)でおっしゃいました。 「えびす様」の語源

我は「すずか」(鈴明)にて、清く正しいです。父にお伝えください。此処に及んでは、「ほろろ」と鳴いても、(わめいても)もはや、「ち」(地)の鯛(まな板の上の鯉)も同然です。
魚として切られ料理されるのも愚かなことです。

高天(たかま、宮中)は、民が「えみす鯛」つまり、民が鯛を釣り上げて喜べる姿にこそ存在します。
 高天が葦原中国と出雲の二つ存在することは許されないという意味のようです。

「コトシロヌシ」が詔をしました。我が父がこの出雲を去るのであれば、私も一緒に国を去ります。この息子の返事が届けられると父「オホナムチ」は、二神(「タケミカヅチ」と「フツヌシ」)に向かって告げました。

息子の「コトシロヌシ」は宮中で大物主(右大臣)という立場におり、既に宮中では、出雲での行いが目に余っていたことを知っていた。
 一方父親の「オホナムチ」は、ただ、出雲を良くすることを良かれと思ってやってきたが、他から嫉まれていたとは全く気が付かなかった。

とえはことふる おほなむち そのこのまゝを
ふたかみえ  わがこさりにき われもさる いまわれさらは
たれかまた あえてなれなん ものあらし

 わがくさなぎの このほこに ならしたまえと いひてさる
(10-33~35)

 「タケミカヅチ」は、「オホナムチ」に、この息子の誓約を携えて決断を迫りました。

「オホナムチ」は、子供の言うままに、二神(タケミカヅチとフツヌシ)に、全面降伏しました。

 我が子は出雲を去ったので、私も去ります。
今、私が出雲を去るにあたり、誰かまた、力ずくで叛(そむ)く者が出てこないとは限らない。

 降伏の証として、我が「くさなぎ」の矛(ほこ)を用いて国をならして(国を均(なら)して)くださいと言って去って行きました。

⑧ 「オホナムチ」は出雲から津軽へ百八十神を引き連れ神となる。

 ときにまつらふ おほなむち もゝやそかみを
ひきゐきて まめもひかげの なんだあり
 たかみむすびの たゝしゑた ことのりあれは みことのり
たまふあそべの あかるみや あふゆをうくる

(10-37~39)





 既に宮中の命令に従っていた「オホナムチ」は、配下の百八十神を引き連れて忠誠を誓いました。この誓いに至るまでには陰で涙することもありました。



 「タカミムスビ」が「オホナムチ」に、今までの経緯を問い糺した返事には誠意があり理にかなっていたので詔をしました。

 「タカミムスビ」は、津軽の「あそべ」(阿曽部)の「あかる宮」(岩手山神社)を「あふゆ」(天の恵み、天恩)によって賜わりました。

おほなむち あかるあそへの うもとみや  つくるちひろの
かけはしや もゝやそぬゐの しらたてに うつしくにだま

おほなむち つかるうもとの かみとなる (10-39~40)

 「オホナムチ」は津軽の「あかる・あそへ宮」の「うもと宮」(天日隅・阿曽部岳の大元宮)の建立を進めました。

壮大な宮はかけ橋の長さが千尋(ひろ)もあり、百八十もの「ぬい」のある白楯が備わり「うつくしたま」(顕国玉神)と称えられました。

そして、「オホナムチ」は「つかる・うもとの神」(東日隅第元神)となり、神上がりました。

⑨ 「ホヒの命」を元の杵築宮の初代祭司に

ほひのみことを もとまつり(10-40~41)

 
 天照神は「ほひの命」を元の杵築宮の初代祭司に定めて久しく祭らせました。

 すなわち、「ほひの命」は、初代の出雲大社を治めることになります。

 「ほひの命」とは、天照神と十二妃の一人「ますひめもちこ」(北のすけ妃、「いさなぎ」の弟の「くらきね」の娘)との間に生まれた子ども。「あめのほひ」と言い、実名「たなひと」から「たなきね」と呼ばれます。

天照神にとっては最初の皇子であるにも関わらず、日嗣ぎ皇子は、後から「せおりつ姫」が生んだ「おしほみみ」実名「おしひと」になります。

追記
砂の器地図

「砂の器 松本清張著 新潮社 昭和48年3月発行」に出雲と津軽が同じ言葉使いであることが、この推理小説のポイントになっていました。ホツマツタヱの存在を知らない時に読んだ記憶が今でも残っています。 
 以下、砂の器からの抜粋です。
 東北弁を使うところはほかにもあった。しかも、東北地方とは全然逆の中国地方の北側である。
 『出雲国奥地における方言の研究』というのだった。
 「出雲は越後並びに東北地方と同じように、ズーズー弁が使われている。世にこれを『出雲弁』と出雲誂りあるいはズーズー弁と称えられて・・・・・
      
東北と同じ言葉が出雲の奥地に使われている--。
それは、東条操編『日本方言地図』というのだった。

 以上


高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回10月10日(木)
11月12日(火)、12月10日(火)になります。
 時間は、18:30~20:30です。直接、会場へお越しください。テキスト代込みで500円です。初めての方は5~10分ほど多少早めに来ていただければ幸いです。

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