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ホツマツタヱ 19綾に、馬や乗馬の方法が詳しく述べられています

こんにちは
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初期からの内容です。
「ほつまつたえ」の文字の例です
48音で出来ています


追加の目次です。
目次
魏志倭人伝の卑弥呼(ひみこ)とはいったい誰だったのでしょう?
邪馬台国はどこだったのでしょうか。
古代遺跡・ホツマツタヱ・ミカサフミから宇宙・太陽・月・地球を読み解く




ホツマツタヱ 19綾に、馬や乗馬の方法が詳しく述べられています。明日は天皇賞がありますが、縄文末期には今で言う、天皇とその側近しか乗馬できなかったことがわかります。

縄文後期には、日本に馬はいないと誰しもが思い込んでいました。

解読前に、魏志倭人伝などについて

ホツマツタヱ 19綾前半
のりのり ひとぬきま の あや
乗馬の心得、手綱(たづな)の操(あやつ)りの綾

19-1 両神は皇子「ワカヒト」(天照)に日嗣をゆずります。
19-2 「オモイカネ」「サクラウチ」「カナザキ」「カダ」「ヲバシリ」の5臣が天照神に仕えます。
19-3 「ヲバシリ」は日高見に詣で乗馬の道を乞いました。

19-4 日高見の「トヨケ神」は乗馬について教えます。
19-4-1 地道(歩く普通の速度)を基本動作とします
19-4-2 馬子に手綱を引かせておいて、馬の右より踏み登ります。
19-4-3 馬の背に鞍(くら)を敷いて、鐙(あぶみ)を縄で取り付け、腹帯の緩さ加減に気を付けます

19-4-4 心を落ち着かせ、馬の足取りに息を合わせます
19-4-5 人を乗せたことのない馬には、振り落とされないよう前もって教えます
19-4-6 逸乗りは速く走るときで、馬の背に「しとなめ鞍」を敷き腹帯(はるび)は緩めません
19-4-7 馬のひじ除けの「たれかわ」が、風を含み浮羽となり窪みを飛び越します
19-4-8 飛び越そうとしたときに余裕がなければ無理をしてはいけません

19-4-9 轡につける引綱(手綱)を「一貫きの間」と名付けます
19-4-10 両神も馬に乗り巡って国を治めてきました
19-4-11 轡(くつわ)は、天空から地中まで、一本の緒で貫かれていると心得なさい
19-4-12 馬を慌てさせないよう人馬一体の意識を持ちなさい
19-4-13 手綱が強いと浮羽(うば)の障泥(あおり)を打っても飛べず、弱いと前足を折ってしまいます
19-4-14 手綱の引き加減は、強くもなく弱くもない、程よさを知りなさい

19-5 「ヲバシリ」は乗馬の道を得て、「乗り典(極意)」を授かりました
19-6 「ヲバシリ」は練習を重ね、乗馬の技を習得しました
19-7 三十九手の荒れ乗りや五十九手の逸乗りを披露しました
19-8 馬の乗り技を教える役目を「ヨリコ」と詔りがありました
19-9 この馬の乗り技は「イフキトヌシ」や「ソサノオ」など全ての神々に伝わりました

19-10 役人(益人)が乗馬しようと群がったが、払いのけられる
19-11 荒れ乗り、逸乗り、乗り弓(流鏑馬)の技で、不正を防ぎます
19-12 「ヲバシリ」は「モノノベ」を賜い、「イヅ」の名も賜い、鹿島神になり、「タケミカヅチ」と名付けられました

ホツマツタヱ 19綾後半

のりのふみてるたえのあや
乗りの踏み照る妙の綾

19-13 天照神から皇子「オシヒト」に日嗣を譲りました
19-14 「オオクマド」が蹄の青い白馬を奉りました
19-15 「クマド」に御饗を賜いました
19-16 七草には解毒の作用があります
19-17 「タカギ」が黄金色の蹄の黒馬を奉りました
19-18 マナイに馬に乗り御幸し幾度も奉りをされました
19-19 「ニニキネ」が後年御幸されたところが「ほつま国」の「ニハリ」になりました
19-20 乗馬の術を「タカヒコネ」が受け継ぎました

19-22 馬の生まれつきの性格を知らないと乗りこなせません
19-23 「ひたかみ」は一年で馬に乗れるようになりました
19-24 筑紫の馬について
19-25 越国の馬について
19-26 南の馬について
19-27 馬は種(血統)によるが、育ちで良し悪しが

19-28 稲虫払いに馬を使います
19-29 法を犯す者を追うとき、片手に刀を持つので轡の綱は「たえ」を使います
19-30 縮(ちぢみ)布の手綱を腰に挟み込み、越を左右にひねって操ります
19-31 馬の心と息が合えばこのような難しい技もできます

19-32 馬の鞍の居木には長い短いがあります
19-33みおや神が腰で手綱を扱うときは「たえ」を使い、足取りを見てから乗ります
19-34 地道(普通の乗馬)の鐙は金物で、差し縄を短く腹帯を緩めます
19-35 逸駆けのときは腹帯を緩めず、下滑鞍(しとなめ)や鞅(きづな)を添えます
19-36 轡(くつわ)の手綱を鞅(きづな)にそえ、轡銜(くつばみ)を輪に結び両端を持ちます
19-37 そうすれば、「あたばしり」(無駄な走り)なき一貫間が得られます
19-38 「てるたえ」・「あかたえ」について

19-39 馬は目鼻立ちより背骨の大きさです
19-40 馬の寿ぎの典には疑問があります
19-41 御孫も馬術をものにされました
19-42 「タカヒコネ」は二荒れの「オシデ」を賜い、子孫も馬の君となりました
19-43 馬の薬草には人参など7種類あります
19-44 「イツヲバシリ」と「タカヒコネ」は二荒神となり、乗り弓(流鏑馬)を習うときになりました



 古代日本の情報源とされていた魏志倭人伝に、日本に馬はいないと記されていました。


FC2ブログ001魏志倭人伝馬牛記述


 更に、古事記日本書紀では馬の記述はなく、疑うこともなく、5世紀ごろ、馬が日本に持ち込まれたことになっていることが定説になっています。
下記 読売新聞大阪本社 関口和哉氏より


FC2ブログ002馬の文化2013



 ホツマツタヱに馬の記述があっても、大和政権により、ホツマツタヱの存在そのものが抹消されたため、誰もホツマツタヱに書かれていることを知る由もありませんでした。

 昭和になってホツマツタヱの写本が見つかりました。しかし、古代文字を誰もが簡単に読めるわけでなく、写本には漢字訳がついており、記載内容が古事記日本書紀と違っている個所があって、江戸時代後世に作られた偽書であると断定されたままになっているようです。

ホツマツタヱの存在そのものを未だ認められないようです。

いづれ、その時が来ると思っていますので、ホツマツタヱの記述を見ていきましょう!



 19綾は前半(19-A,19-イ)、後半(19-B,19-ロ)に分かれています。
19-A、Bは和仁估安聰釋訳本、19-イ、ロは小笠原長弘訳本の頁になります。


「のりのり ひとぬきま の あや」
「乗馬の心得、手綱(たづな)の操(あやつ)りの綾」

「のりの ふみてるたえ の あや」
「乗りの踏み照る妙の綾」







ホツマツタヱ 19綾前半

のりのり ひとぬきま の あや
乗馬の心得、手綱(たづな)の操(あやつ)りの綾



19-1 両神は皇子「ワカヒト」(天照)に日嗣をゆずります。(19A-1~2)

ふたかみの みよのよわひも「19イー1」(19A-1)
やすらかに おうみのたがに
ゐまさんと


両神(フタカミ:イサナギ・イサナミ)が、治めていた御代(ミヨ)は何年も平穏でしたが、この度、淡海(近江)の多賀宮に隠居されることになりました。
後世になり、漢字が渡来し「フタカミ」に漢字が宛がわれ、訓読みで「両神」と記されていた。しかし、時間の経過とともに漢字が音読みされるようになり、「リョウガミ」と呼ばれるようになった。


 みこわかひとに「19イ-1」(19A-1)
あまてらす ひつぎをゆつり(19A-2)
ますときに

 両神(イサナギ・イサナミ)は、今回、皇子(長男)の「ワカヒト」に日嗣を譲りました。
 皇子「ワカヒト」は、日嗣(天皇の位)を受け継ぎ、天照神となられました。


19-2 「オモイカネ」「サクラウチ」「カナザキ」「カダ」「ヲバシリ」の5臣が天照神に仕えます。(19A-2~3)

 ひたりのとみは「19イ-1」(19A-2)
おもいかね みぎさくらうち


新たに、五人の臣(大臣)がそれぞれの役職で天照神に仕えることになりました。
左大臣には、「オモイカネ」が担いました。
「オモイカネ」は、(アチヒコ⇒天照神の姉・ワカ姫に一目惚れされる・天照神の義理の兄)
右大臣は「サクラウチ」が担いました。
「サクラウチ」は、天照神の正妃の「サクナタリ セオリツホノコ」の父親になります。(天照神の義理の父)

左大臣とは、今風の文武の「文」を担当。

瓊(と)の「おしで」・人の心のなかに相求め、人心一体になるよう心を尽くす。
「と」(瓊)の道とは、今風に言えば、横道に逸れないこと、隙あれば他人の弱みに付け込んで自分勝手に我を出すことなく、つまり、相手の立場にたち、正道に物事を考えることを意味しているように思います。
右大臣とは、今風の文武の「武」を担当。
矛(ほこ)を用いる、天の教えに逆らうものを糺すため「さかほこ」(逆鉾)で正しい方向に向ける。


かなさきは ひをうつします「19イー2」(19A-2)
ゑをやとみ(19A-3)

「カナザキ」は、「ヒ」(日霊・天照神の住まい)を移します。
「ヒ」(日霊・日嗣)を「イサナギ・イサナミ」の宮から、新たに「天照神」の宮にを移します。
「カナザキ」は、「ヱオヤ」(兄・親・一番の重鎮)の臣になります。

「ヒ」とは、両神から天照神に日嗣・皇位を継承することにより、日霊・(儀式・政局の中心)を移したことを示しています。


  かだはうけもち「19イー2」(19A-3)
をばしりは むまやをさめぞ

「カダ」(荷田神)は保食神(うけもちの神・御饌の担当)を守ります。
「ヲバシリ」(雄走神)は馬「むま」と矢を治めます。


きみとみと こゝろひとつに「19イー2」(19A-3)
つかさどれ


君(天照神)と5人の臣は常に心を一つにして、任務に当たりなさい。というお達しが「オモイカネ」「サクラウチ」「カナザキ」「カダ」「ヲバシリ」の5人の臣に出されました。


19-3 「ヲバシリ」は日高見に詣で乗馬の道を乞いました。(19A-3~4)

 ときにをはしり「19イー2」(19A-3)
ひたかみの みやにもふでゝ(19A-4) 
みちこえは


さて、馬と矢を治めるように命じられた「ヲバシリ」神は、日高見の宮に詣で、豊受神を訪ねました。そして、乗馬の道を教え乞いに行きました。

日高見神社


図382に見るように月の浦を出て旧北上川を遡ると日高見神社のある地点に至る。ここは旧北上川と北上川に囲まれた自然の要塞のような地形を呈している。
北上川とあるのは、漢字到来の時、本来は「ヒタカミ」川と書くとき、「キタカミ」川と聞き間違えて漢字化されてしまったと推測しています。

日高見神社: ひたかみじんじゃ
宮城県石巻市桃生町太田字拾貫1-73


19-4 日高見の「トヨケ神」は乗馬について教えます。(19A-4)

 とよけのかみの「19イー2」(19A-4)
おしえには


日高見に居られる「トヨケ神」は乗馬についての詳細全てを「ヲバシリ」に教えました。

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19-4-1 地道(歩く普通の速度)を基本動作とします(19A-4) 

 のりはぢみちお「19イー2」(19A-4)
つねとなす「19イー3」


馬の乗り方ですが、「地道」(じみち)を基本動作とします。

「地道」(じみち)とは、馬が普通の速さで歩くこと。
なみ足とも言うようです。馬をふつうの速度で進ませることを、現在でも馬術で使われている言葉のようです。
「地道な努力」という慣用句が今でも使われています。乗馬の練習の基本の語源から来ているものと思われます。


19-4-2 馬子に手綱を引かせておいて、馬の右より踏み登ります。(19A-4~5)

 まこにたつなを「19イー3」(19A-4)
ひかせおき むまのみぎより(19A-5)
ふみのほり

まず、馬子に手綱(たづな)を引かせておいて、馬の右側の鐙(あぶみ)に足を掛けて、踏み上ります。
馬子とは、馬をひいて人や荷物を運ぶことを職業とした人。うまかた。うまおい。とも言う
手綱(たづな)とは、 馬の口に轡 (くつわ)をはめこみ、そこから左右に綱を結びつけ、人が手に取って馬を操る

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19-4-3 馬の背に鞍(くら)を敷いて、鐙(あぶみ)を縄で取り付け、腹帯の緩さ加減に気を付けます(19A-5~6)

 しくやすくらの「19イー3」(19A-5)
あぶみなわ まちにゐきあげ
こゝろみて

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馬の背に、鞍を敷いて乗りやすくします。そして、鐙(あぶみ)を縄で取り付けます。
「まち」に「ゐきあげ」を試します。
ここで、「まちにゐきあげ」とは、鐙(あぶみ)の高さ調整を示しているようです。
「まち」とは、布幅にゆとりをもたらせるために補う布、袴の内股や、羽織の脇に入れるものとあります。

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「いきあげ」の「い」は数字の「5」を示しており、「き」は寸法の「寸」(約3cm)と見て、鐙(あぶみ)の長さを約15㎝短くしてみましょうと捉えました。


 もゝとはるびの「19イー3」(19A-5) 
ゆるみあい(19A-6)
 

馬体の腿(もも)に腹帯(はるび)を付けたときの緩さ加減に気を付けます。

「はるび」は腹帯(はらおび)とも言い、鞍橋(くらぼね)を置くときに馬の腹にめぐらす帯、布又は麻縄(おなわ)を用います。

19-4-4 心を落ち着かせ、馬の足取りに息を合わせます(19A-6~7)

 こしすえのりて「19イー3」(19A-6) 
やわやわと むまのあしとり
いきすあひ


馬「むま」に乗るとき、腰の重心を下げて、馬「むま」の背に物柔らかく接すれば、馬「むま」の足取りとも息が合います。

 あわすかなめの「19イー3」(19A-6)
のりのりぞ つねにこゝろを「19イー4」 
うべきなり(19A-7)


馬の心と乗る人の心を一つにあわせることです。
重要なことは、馬がどんな心の変化をしているか常に思い描くことです。
「うべき」は、自分の心を、馬の心の中に浮かべるという意味合いから常に馬の気持ちになること・全ての気持ちを馬にあずけることが必要だと言っているようです。

19-4-5 人を乗せたことのない馬には、振り落とされないよう前もって教えます(19A-7) 
 
 むまはうまれて「19イー4」(19A-7)
ものしらす あだはしるとき
のりおつぞ


馬は生まれて、人間を乗せたこともないと、慌てて振り落とそうと訳も分からず走り出してしまいます。乗った途端に落とされてしまうので注意が肝心です。

 かねてをしゑは「19イー4」(19A-7) 
かなふもの

しかし、前もって馬に良く教えておけば、思い通りの動作をしてくれます。

19-4-6 逸乗りは速く走るときで、馬の背に「しとなめ鞍」を敷き腹帯(はるび)は緩めません(19A-7~8)

 またいづのりは「19イー4」(19A-7) 
はせるとき しとなめくらを(19A-8)
しきをびて はるびゆるめず


更に、「逸乗り」(さっと抜け去る・威力ある乗り方)は、馳せるとき・速く走るときの乗り方です。
このときは、「しとなめ」鞍を敷き帯にして、腹帯(はるび)は緩めません。 今でも、腹帯と書いて「はるび」と称しているようです。


19-4-7 馬のひじ除けの「たれかわ」が、風を含み浮羽となり窪みを飛び越します(19A-8~10)

ひぢよけの たれかわうばと「19イー4」(19A-8)
なるゆえは


馬の泥除け(ひじ除け)の垂皮(たれかわ)が、「浮羽」(う衣・打ち仰ぐ羽)になった理由についてです。

「「始め「泥除けの垂皮」だったのが、「打ち煽(あふ)つ」の動作を経て、「泥除けの垂皮」プラス「打ち煽(あふ)つ」が、後世「泥障(あふり)」の五に変化した。
松本善之助著ほつま復刊142号より」」

ひじ〔ひぢ〕【▽泥/×埿】 水たまりの土。どろ。泥土(goo辞書より)

 はせゆくみちに「19イー5」
なかくぼの こみぞにゆきて(19A-9)
あふみにて そのたれかわを
うちあおつ


馳せて道を走っているとき、凸凹があって、溝の中に入ってしまいそうになったとき、鐙(あぶみ)でその「たれかわ」を打ち叩きます。

 うちあおたれて(19A-9)
(うちあおがれて)「19イー5」
かせふくみ はねとなるとき
とびこさす(19A-10)


その「たれかわ」を打ち叩いたとき、風を含み(風に乗り)羽となって、飛び越すことが出来ます。
天馬の様子がイメージできます。

あおり〔あふり〕【障=泥/泥=障】 の解説goo辞書
馬具の付属具。鞍橋 (くらぼね) の四緒手 (しおで) に結び垂らして、馬の汗や蹴 (け) 上げる泥を防ぐ。下鞍 (したぐら) の小さい大和鞍や水干鞍に用い、毛皮や皺革 (しぼかわ) で円形に作るのを例とするが、武官は方形として、「尺 (さく) の障泥 (あおり) 」と呼んで用いた。



19-4-8 飛び越そうとしたときに余裕がなければ無理をしてはいけません(19A-10)

 たとひとぶとも「19イー5」(19A-10)
のるひとの ゆぐりなければ
あえとばず


たとえ、飛び越そうとしたときでも、馬に乗っている人の心に、一瞬でも余裕がないときには無理に飛んではいけません。
「ゆぐり」は、後に「ゆっくり」という言い方になったと思われます。


19-4-9 轡につける引綱(手綱)を「一貫きの間」と名付けます(19A-10~11) 

 くつわにつける「19イー5」(19A-10)
ひきつなを ひとぬきのまと「19イー6」
なつくなり(19A-11)

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轡(くつわ)に付ける引綱(ひきつな)を「ひとぬきのま」(一貫の間)と名付けます。
とっさの、手の抜き加減のことを「ひとぬきのま」とは言い得て妙です。


19-4-10 両神も馬に乗り巡って国を治めてきました(19A-11~12) 

 ゆえはあめつち「19イー6」(19A-11)
わかさるに あめのみをやの
あほをあめ うびをくにたま


この事の起こりは、天地がまだはっきりと区別されてない時のことです。天祖神が、泡のように軽いものが天、「ウビ」(泥)のように重たいものが地球として誕生した時にさかのぼります。

うつろのり しなどのたつな「19イー6」(19A-11)
のりめぐり よろものうめる(19A-12)
ふたかみも のりめくりてぞ
くにをさむ


天馬は「ウツロ」(空)を飛び回り、「シナド」(風神)は手綱(たづな)を引いて世界中を乗り巡り、あらゆるもの(万物)を生んできました。
両神(いさなぎ・いさなみ)も、国中を馬で乗り巡り、国を治めてきました。


19-4-11 轡(くつわ)は、天空から地中まで、一本の緒で貫かれていると心得なさい (19A-12~13)

 うつろくつわや「19イー6」(19A-12) 
くにたまを ひとぬきのをと19「イー7」
こゝろゑは たとひはすれど(19A-13)
のりおちず


「クツワ」(口輪・轡・くつわ・手綱をつけるため馬の口にかわせる金具)のおかれている立ち位置は、「ウツロ」(天空)から、この「クツワ」を通して地球の中心までを、常に一貫きのまっすぐな緒で貫かれていると心得えなさい(想像しなさい)。
そうすれば、たとえ騎乗で馬の中心から多少外れたとしても、乗り落ちることは有りません。

天空から地下深くまで鉛直に通った目には見えない一本の緒で貫かれていることを想像しなさいと言っています。
廻っている駒(コマ)は垂直に立っており、多少外部から力が加わっても影響されないことを言っています。
馬のことを駒「コマ」と言っていたことに関連ありそうです。

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19-4-12 馬を慌てさせないよう人馬一体の意識を持ちなさい(19A-13~14)

 むまくるわせぬ「19イー7」(19A-13)
わがこゝろ ひとつらぬきの
たづなひく あるじのまゝと
なるものぞ(19A-14) 


 馬を慌てさせないよう主の思い通りに馬を走らせるために、一つに貫らぬかれている手綱(たずな)を引くことです。
手綱の先端の轡(くつわ)は、天空から地中までの目に見えない一本の緒でつながれています。その轡(くつわ)を操作すれば、主の意のまま馬を走らせることが出来ます。人馬一体になります。


19-4-13 手綱が強いと浮羽(うば)の障泥(あおり)を打っても飛べず、弱いと前足を折ってしまいます(19A-14) 

 うばのあおりを「19イー7」(19A-14)
うつとても つなつよければ
むまとばず つなゆるければ
まえあしを おりてたおるぞ「19イー8」


浮羽の「あおり」(障泥)を、打ち仰いでも、手綱が強いと、馬は飛び越えることが出来ません。 一方、手綱が緩いと、馬はつんのめって前足を折って倒れ込んでしまいます。

19-4-14 手綱の引き加減は、強くもなく弱くもない、程よさを知りなさい(19A-15) 

いづとゆる かけこゑめをの「19イー8」(19A-15) 
あいたあり このほとらいの  
まをしれは


手綱の引き加減には、「いず」(巌・きつく)と「ゆる」(穏・やさしく)が陰陽のように両極端だけはなく、その中間の引き加減があります。
この適度の程らい(具合)という、強くもなく弱くもないちょうど良い間(中間)を知る必要があります。 

19-5 「ヲバシリ」は乗馬の道を得て、「乗り典(極意)」を授かりました(19A-15~16) 
 
 ぢみちいづあれ「19イー8」(19A-15)
のりのりを またくゑるぞと
さつけます こゝに「をばしり」(19A-16) 
みちをゑて


地道(ゆっくり進むこと)も、「いず」(急ぐ駆け足)でも、馬に乗る典(極意)があります。この馬を跨いで存分に乗れるようになりましたので、ここに「乗り典(極意)」を授けられました。
乗りこなす意味に馬の背に跨げるという言い方もしたようです。

日高見の豊受神は乗馬に卓越していたことが分かります。


19-6 「ヲバシリ」は練習を重ね、乗馬の技を習得しました(19A-16~17) 

 ひゝにもゝたび「19イー8」(19A-16) 
のりなるゝ


「ヲバシリ」は、一日に百回以上も繰り返し乗馬の技を習得することが出来ました。

 ちよろとゝのひ「19イー8」(19A-16)  
ねりなれて やゝゆるぢみち「19イー9」
つずのわざ としをかさねて(19A-17)


用意万端整い(万全な準備も終え)、馬に慣れました。
やっと「地道」(普通に歩く基本)を得るところまでこぎつけることができました。「つず・つづ」の技(あらゆる技・つづうらうら)を、何年も練習に練習を重ね習得できました。

「つず」には、射た矢が全て的に当たることの意味もあるようです。すなわち、完璧な技になったという意味も含まれているようです。
また、「ねりなれて」という言葉は漢字に当てはめると「練り慣れて・習れて」になるのでしょうが、後日、練習という音読みになったことがわかります。


19-7 三十九手の荒れ乗りや五十九手の逸乗りを披露しました(19A-17~18) 

ねりなれて あれのりみそこ「19イー9」(19A-17)
はなわさも またなれしみて
いづのりの ゐそこさつめの
たゑわざの のりのりさだむ(19A-18)


練習を積み重ねて、「荒れ乗り」の三十九手(通り)の離れ技(花技)も身につけることができました。
更に、慣れ親しみ、「逸乗り」(厳・いず)乗りの五十九連発もの早詰の妙技(曲芸)を披露しました。

相撲にも四十八手というきまり技があります。馬の乗り技の三十九手とか五十九手とは、どんな妙技であったかは分かりませんが、現在の流鏑馬などに引き継がれているものと思います。

三十九という数は、出雲で出土した銅鐸39体と何か背景に関連があるかも知れないです。


19-8 馬の乗り技を教える役目を「ヨリコ」と詔りがありました(19A-18) 

みことのり のりをしゑどゝ「19イー9」(19A-18) 
なるよりこ


ここで、君(天照神)の詔りがありました。 馬の乗り技を教える役目となる人を「寄子・ヨリコ」と名付けます。

19-9 この馬の乗り技は「イフキトヌシ」や「ソサノオ」など全ての神々に伝わりました(19A-18~19)  

 いふきとぬしや「19イー9」(19A-18)
そさのをと すべやそゐよろ「19イー10」 
みちそやの かみにつたふる(19A-19)
のりわざも


「イフキトヌシ」(天照神の弟・ツキヨミとイヨツ姫の子)や「ソサノオ」(天照神の弟)など、全てヤソイヨロミチソヤ(八十五万三千十八)
もの神々にこの乗り技は伝わりました。

ここの記述からも、当時、既に馬を乗りまわしていたからこそ、全国を駆け巡ることが可能であったことに納得できます。

馬を使っていた事を知らなければ、長距離を移動することは想定外で、あちこちに痕跡を残すことはあり得ないという思い込みがあったようです。
そのため、あちこちに登場した人物は神話の世界の話にされてしまったと思われます


19-10 役人(益人)が乗馬しようと群がったが、払いのけられる(19A-19~20) 
 
 みつればかくる「19イー10」(19A-19) 
よこしまの はやるますびと
むらがるゝ


多くの神が乗馬に集中してくれば、ドサクサにまぎれて乗馬する権利のない者まで、我も我もと乗馬したいと群がりました。

神のみが乗馬の免許取得できたのに、免許を持てない益人も邪悪な考えで我もと夢中になりました。


 なんますこちの「19イー10」  (なろますこちの)(19A-19)
さまたけも やぶるをしてを(19A-20) 
たまわれは ほとよくはらふ


「ナンマス・ナロマス」(七億)「こち」(九千)もの権利もないのに乗馬をしたがる益人に対し、与えられた立場「オシデ」を破るとどうなるかの勅を賜い、払いのけることが出来ました。
役人(益人)には乗馬ができる立場にないことを知らしめました。
ここの記述から、乗馬は誰にでもできるわけではなく、ごく限られた人であったことが分かります。

19-11 荒れ乗り、逸乗り、乗り弓(流鏑馬)の技で、不正を防ぎます(19A-20~21) 
   
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むつのかみ たけものゝべら
あれいつの のりゆみわざに「19イー11」(19A-20) 
よこしまを のぞけはすべて(19A-21)



六ハタレ神(猛ケタモノノベ達)を「あれいず」(生出・神霊なものが現れる・不正を征伐する神の力・荒れ乗り、逸乗り)の、乗り弓(のりゆみ・流鏑馬・やぶさめ)の技でもって、「よこしま」(道から外れたこと・道理から外れたこと)を取り除き、防ぎました。

よそやます ををんたからも
みなすでに ゐをやすくぬる


その結果、全て四十八十万もの御宝も皆気持ちが落ち着き安心して解れました。

「い」(居・居場所) ぬる(解る・ほどける)

後世になって、「のりゆみ」という言葉に、「賭弓」(のりゆみ)という漢字が当てはめられています。
これは、平安朝以降、「のりゆみ」という行事が乗馬とは関係なく弓の競技として賭け事の対象と進化したものと思われます。
そのため、漢字が渡来したときに、「賭」という文字を「のり」と読ませたと思われます。


19-12 「ヲバシリ」は「モノノベ」を賜い、「イヅ」の名も賜い、鹿島神になり、「タケミカヅチ」と名付けられました(19A-21~23) 

のりゆみの いざをしたける「19イー11」(19A-21)
ものゝべを めぐみたまひて(19A-22)
「をばしり」に ゐづのなたまふ


乗り弓に長けた勲し(手柄・功績)を称えて、「モノノベ」の役職を恵み給いました。そして、「ヲバシリ」に「イヅ」(逸・伊豆)の名も給いました。

このかみは とよけのまこの「19イー11」(19A-22)
みかさひこ そのこひさひこ「19イー12」 
かしまかみ(19A-23)


この神は、「トヨケ」の孫の「ミカサヒコ」の子供の「ヒサヒコ」と言い鹿島神になられます。

 いかつちひしぐ「19イー12」(19A-23)
いさおしを たけみかつちと
なつくこれかな

「イカツチ」を拉(ひし)ぐ功し(功績)を称え、「タケミカツチ」と名付けられた理由がここにあります。

19綾イ(A)完



ホツマツタヱ 19綾後半

のりのふみてるたえのあや

乗りの踏み照る妙の綾

19-13 天照神から皇子「オシヒト」に日嗣を譲りました(19B-1~2)

ふそゐすゝ もゝみそゑたの「19ロ-1」(19B-1)
としさなと はるのはつひに「19ロ-2」
よのひつぎ みこおしひとに
ゆつります(19B-2)

二十五すず歴の百三十枝の「さなと」の年になります。新年の初日(元旦)に日嗣がとりおこなわれました。天照神から、皇子の「オシヒト」に天地の全ての神としての役割を譲られました。
今で言えば、平成から令和へと、全ての譲渡がおこなわれていたことになります。

 あめよりいせに「19ロ-2」(19B-2)
おりいます

 天照神は日嗣を息子の「オシヒト」に任せたので、伊勢にお住まいになられました。

19-14 「オオクマド」が蹄の青い白馬を奉りました(19B-2)

 ときにしらすみ(19B-2)つきすみ「19ロ-2」
おゝくまと ひつめあおこま
たてまつる

話が前後しますが、「シラスミ」国(筑紫・九州)の「オオクマド」が、蹄(ひづめ)の青い白馬を奉りました。
青駒(あおこま)と白馬と書いて「あおうま」と言うようです。

「シラスミ」と「ツキスミ」の違いは鏑氏の解読内容で明確になりました。
あえて、「ツキ」を使わなかったのは「ツキヨミ」を思い出させないためであったかなと思いました。しかし、後に「シラスミ」では、理解に苦しみ誰でもが分かる「ツキスミ」に書き換えたのでは思いました。

19-15 「クマド」に御饗を賜いました(19B-2~3)

 かみおもしろく「19ロ-2」(19B-2)
おほすれば くまどにたまふ(19B-3) 
みあえには 

天照神は、この白馬を面白く思われ、「クマド」に、御饗(みあえ・飲食のおもてなし)を賜いました。

19-16 七草には解毒の作用があります(19B-3~4)

みあえには ぬゑあしもちが「19ロ-2」(19B-3)
がさくさも ごげうはこべら「19ロ-3」
いたひらこ すゞなすゞしろ
すせりなづ このなゝくさに(19B-4) 
のぞくなり

この時の七草の御饗(みあえ・飲食のおもてなし)には、「ぬえ・あしもち」という今で言う妖怪が飛びかったときの毒が降りかからないように、がさくさ(疫病)にかからないよう配慮されていました。
「ごぼう・はこべら・いたひらこ・すずな・すずしろ・せり・なずな」の七草によって払い除かれました。
ここの解釈(9-16)について、完訳ホツマツタエ須田麻紗子氏の解釈を参考にさせていただきました。

「ぬえあしもち」「ぬえ」
妖術(ばけわざ)に誑(たぶら)かすものである。
鵺などと書かれる怪鳥、伝説上の妖力をもった怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミ(虎鶫)
また、萎させる意味も持つようです。

「あし」は「あす(褪す・悪す)」、「もち」は「もつ(没つ・歿つ)」の意味も考えられるとのことだそうです。

 さくらばなれば「19ロ-3」(19B-4)
またのもち

桜の花が満開になった庭で、桜餅(又の餅)を楽しみました。

19-17 「タカギ」が黄金色の蹄の黒馬を奉りました(19B-4~5)
 
 こかねひつめの「19ロ-3」(19B-4)
くろこまの たかぎがひけば
たてまつる(19B-5)

黄金の蹄(ひづめ)をもった黒駒(黒馬・駿馬)を「タカギ」が引き連れて奉りました。

「タカギ」(スズカ姫の兄で仙台ヒタカミの神、7代タカミムスビ神)(幼名フリマロで、幼名ワカヒト(後の天照神)と学友であった)

19-18 マナイに馬に乗り御幸し幾度も奉りをされました(19B-5)

 みつぼまなゐに「19ロ-3」(19B-5) 
のりみゆき しばしばまつり
きこしめす これそらくもり「19ロ-4」 
あらざりき

天照神は三つの壺(オキツボ・ケタツボ・ハラミツボ)やマナイ(比沼麻奈為・アサヒ宮・丹後)に、馬に乗って幾度も御幸され、奉りをされました。

これは、空(心・心持ち)が曇ることはなく、明るい世界に導きました。

19-19 「ニニキネ」が後年御幸されたところが「ほつま国」の「ニハリ」になりました(19B-5~6)
 
 としへてのちに「19ロ-4」(19B-5) 
にゝきねの みゆきほづまの(19B-6) 
にはりなる

 年を経てた後に、「ニニキネ」(オシホミミの次男・天照神の孫に当たる)が、御幸されたところが「ほつま国」の「ニハリ」(新治)となりました。

JR水戸線に新治駅もあり、筑波山神社の北側に幾つかの足跡と思われる神社などが点在しているようです。

19-20 乗馬の術を「タカヒコネ」が受け継ぎました(19B-6)
 
 のりのりめせは「19ロ-4」(19B-6)  
「をばしり」が わざをうけたる
たかひこね

「ヲバシリ」が馬に乗られて御幸されましたので、乗馬の術を「タカヒコネ」が受けつぎました。

「タカヒコネ」は、初代大物主「オホナムチ」と「タケコ」(オキツシマヒメ タケコ・3姉妹)の2番目の子供、
兄は2代目大物主クシヒコ・コトシロヌシ(エビス神)、
妹は「タカテル姫」

19-21 「地道」は容易いが、荒れ乗り、逸乗りの技は得難いものです(19B-6~7)

 ぢみちはやすく「19ロ-4」(19B-6)
あれゐつの わざはゑかたき(19B-7)
もゝちたび とゝのへねりて
これをうる「19ロ-5」

「地道」(普通に乗馬して歩くこと)は、易く・簡単にできるようになります。
しかし、「荒れ乗り」や「逸乗り」の技は難しく得難いものです。  
百回、千回と調教の練習を積み重ねて、やっとのことで達成できるものです。

19-22 馬の生まれつきの性格を知らないと乗りこなせません(19B-7)

 まづしるむまの「19ロ-5」(19B-7) 
うまれつき あらましとかん

先ず(最初に)馬の生まれつきの性格を知っておいて、大体のところを理解しておかないと、馬を乗りこなすことはできません。

19-23 「ひたかみ」は一年で馬に乗れるようになりました(19B-8)
  
ひたかみは しゝたくましく「19ロ-5」(19B-8)
ゆるやかで やゝひとゝしに
のりなるゝ ぢみちののちは
あれのりや

「ヒタカミ」は筋肉隆々で、温厚な方です。ほぼ一年で馬を乗りこなせるようになりました。最初に「地道」(普通に乗馬して歩くこと)乗りに十分慣れた後に「荒れ乗り」にも乗りこなせるようになりました。

19-24 筑紫の馬について(19B-8~9)
 
 つくしのむまは「19ロ-5」(19B-8) 
すこやかに ゆるくなるゝも(19B-9) 
としなかば はせいづかけも
なかなれや「19ロ-6」

筑紫の馬は、健やか(体が丈夫で元気)で、激しくないが、年半ばになれば、馳せる・逸乗り・駆けることもかなり慣れてきます。

19-25 越国の馬について(19B-9~10)

 またこしくには「19ロ-6」(19B-9) 
たくましく しゝなかなれに
いそぐゆえ みよつきなれて(19B-10)
いつかけも なれといそぐは
あやしあり

一方、越国の馬は、たくましく筋肉も中肉に早く育つため、「みよつき」(3か月で・御嗣)慣れて、逸駆けも慣れるようにと急ぐあまり不安があります。

19-26 南の馬について(19B-10~11)

 みなみのむまは「19ロ-6」(19B-10) 
ちいさくて としなれはやく
ねがうすく いさおしならす(19B-11)

南の馬は、小さいので早く成長しますが、性格があっさりしており、勇ましさに欠けています。

19-27 馬は種(血統)によるが、育ちで良し悪しが(19B-11~12)

しかしまた つよきよはきも「19ロ-6」(19B-11)
たねにより けいろにわかつ「19ロ-7」 
よしあしも そたちによりて
しなかわる よくのりなれて(19B-12)
これをしる

しかし、一方で強き弱きも種(血統)によって、毛色(性格)が分かれます。良し悪しも育て方によって品(品格)が変わります。よく乗り慣れることで、この違いが分かるようになります。

19-28 稲虫払いに馬を使います(19B-12~13)

 むまもちゆるは「19ロ-7」(19B-12) 
いなむしか ひみづのなせる
わざわひも はやのりなして
のぞくなり(19B-13)

稲穂に群がる稲虫(いなご)を、稲虫払いという秘密の祓いの技を、馬を「速や乗り」(乗りまわす)で追い払います。

この時から、既に馬を生活の一部として使いこなしていたことが分かります。

19-29 法を犯す者を追うとき、片手に刀を持つので轡の綱は「たえ」を使います(19B-13)

 もしのりおかす「19ロ-7」(19B-13)
ものあれば てにはつるぎを
もつゆえに くつわのつなは「19ロ-8」  
あかるたえ きぬはもちひず

もし、法を犯す者を追い駈けるときには、馬に乗って追い駈けます。その時、片手には剣を持ちますから、轡(くつわ)の手綱は、艶のある「たえ」の布(綱紐)を使い、絹は用いません。

ここで、「あかる」は明るい・艶のあるという意味から表面がすべすべした素材のことと思い至りました。あるいは、「あがる」で挙がる・上がる(下から上へ)の意味合いがあるのかも知れません。

また、「たえ」(栲・たえ)とは、カジノキ・藤・麻などからとった繊維などの繊維で織った布の総称のことのようです。

19-30 縮(ちぢみ)布の手綱を腰に挟み込み、越を左右にひねって操ります(19B-14~15)

ちゞみぬの ちゝめるゆうで「19ロ-8」(19B-14)
やたふたつ そのみづつきを
わにゆひて てつきおこしに
はさみおぶ

縮み(ちぢみ)布の縮む(伸縮する)木綿で、「やた」(八尺)長さのものを二本用います。片方を轡(くつわ)の承鞚(みづつき・手綱の両端の金具)を輪に結んで、手つき(手元)の方を腰に挟み込んでおぶる格好にします。

「おぶ」はおんぶに抱っこの負ぶるの意味
また、既にこの時から縮みという織り方の布の名前があったことにも驚きます。

 このふたすぢを「19ロ-8」(19B-14)
 みぎひだり こしのひねりに(19B-15)
つなをひく

この二本の縮み布で作った手綱を、腰を左右にひねって操って意のままに馬を動かします。

19-31 馬の心と息が合えばこのような難しい技もできます(19B-15)
 
 むまのこゝろに「19ロ-8」(19B-15)
 こたえてぞ たえなるわさを「19ロ-9」  
なすたとえ

馬の心に答えてこそ、この絶妙な技(両手を離して腰で手綱を操る)が成せるという例えです。

19-32 馬の鞍の居木には長い短いがあります(19B-15~16)

 あめつちつなぐ「19ロ-9」(19B-15)
なかくにの いきにつきひの(19B-16)
ながみぢか はるあきとなす

天地をつなぐ「なかくし」(中心の串・御柱)のように、馬の鞍の居木(いぎ)にも月日のように長い短いがあって、春であったり秋であったり移り変わるものです。

春分の日と秋分の日が基準となって、それ以外の月日(日照時間)には長い短いがある。地球の回転軸(自転軸)は太陽の周りをまわる公転軸とはずれていたことまで認識していたのでしょうか。

「いぎ・居木」(つなぎ)とは馬具の鞍橋(くらぼね)の部分のこと、前輪(まえわ)と後輪(しずわ)をつなぐために渡した木で、乗り手が尻を据えるところ)

19-33みおや神が腰で手綱を扱うときは「たえ」を使い、足取りを見てから乗ります(19B-16~17)

みをやかみ かくこしつかふ(19B-16) 
あかるたえ わざをおもわゝ
くらしきて ゆきつもとりつ(19B-17) 
むそあゆみ あしどりをみて
のちにのる「19ロ-10」

みおや神はこのように腰を使って(剣を持ったり、矢を射るために手綱は手では引かず、腰に挟み込んで腰を振って操作、手が自由に使える状態にして)、「あかるたえ」(すべすべした表面の布・綱・下記)を用い、技を思い巡らすとき、鞍を馬の上に敷いて、行ったり来たりして、六十歩ほど歩かせて、足取りを観察してから実際に乗って試します。

ここで、「あかる」は明るい・艶のあるという意味から表面がすべすべした素材のことと思い至りました。あるいは、「あがる」で挙がる・上がる(下から上へ)の意味合いがあるのかも知れません。

また、「たえ」(栲・たえ)とは、カジノキ・藤・麻などからとった繊維などの繊維で織った布の総称のことのようです。

19-34 地道(普通の乗馬)の鐙は金物で、差し縄を短く腹帯を緩めます(19B-17~18)
 
 ぢみちのあぶみ「19ロ-10」(19B-17)  
かなつくり かけはをざしの(19B-18) 
つりなわも ゐつきみじかく

地道(ゆっくり普通に歩くとき)の鐙(あぶみ)は金物で作ります。駆け足のときは、「おざし」(あぶみ)という吊り縄も五寸短くします。

「おざし」とは、苧(からむし)麻の一種の川の繊維で布を織り、縄を作ったもののようです。(鏑邦男著を参考)

ぢみちには はるびゆるくて「19ロ-10」(19B-18)
ゐつゆびの とふるほどよし

地道(ゆっくり普通に歩くとき)の腹帯(はるび)は、緩くしめて指が5本通るほどの隙間があるのがよい。

19-35 逸駆けのときは腹帯を緩めず、下滑鞍(しとなめ)や鞅(きづな)を添えます(19B-18~19)

ゐづかけは はるびゆるめず「19ロ-10」(19B-18)
ちとしめて しとなめきつな(19B-19) 
むながひも しほでにそえて

 逸駆け(速く走る)の時は「はるび」(腹帯)を緩めないで、些と(ちと・ほんの少し)きつく締めます。
「しとなめ」(下滑鞍)と「きつな」(絆・鞅)と「むながい」(鞅・胸懸)も、「しほで」(四緒手)に添えます。(付け加えます)

「むながい」(鞅・胸懸・胸繋)とは、鞍橋(くらぼね)を固定するために、馬の胸から鞍前の前輪(まえわ)の四緒手(しおで)にかけて取り回す緒(皮ひも)。

鞅(おう)には、①むながい
        ②はらおび
        ③きずな
の意味があるようです。
当時の言葉がそのまま現在の乗馬用語になっていることを知りました。

19-36 轡(くつわ)の手綱を鞅(きづな)にそえ、轡銜(くつばみ)を輪に結び両端を持ちます(19B-19~20)

くつはつな ひとたけむたの「19ロ-11」(19B-19) 
なかほとを きつなにそえて

轡(くつわ)の手綱は1尺6寸です。その中程を「きづな」(鞅・絆)に添えます(付け加えます)。

くつはみの わにゆふはしを「19ロ-11」(19B-20)
まてにもつ

轡銜(くつばみ・くつわの馬の口に噛ませる金具部分)を輪に結んで、両端をそれぞれ両手(左右の手)に持ちます。

19-37 そうすれば、「あたばしり」(無駄な走り)なき一貫間が得られます(19B-20)

 あたばしりなき「19ロ-11」(19B-20)
ひとぬきま

そうすれば、無駄に走ることのない一貫きの間(8尺の長さ)になります。

お酒には、「あたばしり」(新走り)という言葉が、新酒で酒を絞るとき、力を加えないうちに流れ出てくる最初の酒を言っています。
漫画家で名誉酒匠の高瀬斉氏に確認したことがあります。昔、杉並区の区民企画講座でおやじ塾というのがあり、お酒の講師として招いたときに知りました。
お酒の場合は、最上級のお酒のことを意味していますが、ここでは、漏らさないよう、つまり無駄な動きを馬にさせないように我慢させることを言っているようです。

19-38 「てるたえ」・「あかたえ」について(19B-20~21)

 またてるたえは「19ロ-11」(19B-20)
たけむたの そのみつつきを
まてのわに ゆひてなかもつ「19ロ-11」(19B-21)

また、「てるたえ」(照栲・白い布が直接の意味だが、馬術の一つを言っている)は、丈(長さ)が6尺で、その「みづつき」(承膣・轡の引手部分)を両方の輪に結んでその中央を持ちます。

あかたえと ぬきまをかぬる(19B-21)
てるたゑや「19ロ-12」 

「あかたえ」(轡の綱・馬術の一つ)と「ぬきま」(一貫きの間)を兼ねるのが「てるたえ」になります。


19-39 馬は目鼻立ちより背骨の大きさです(19B-21~22)

 むまのさためは「19ロ-12」(19B-21) 
めはなより おほねえやたの
つゝたちは ゐたゐきのりを(19B-22)

馬の良し悪し(定め)は、目鼻立ちより、背骨まで大きさです。馬が立ち上がった時の背高さは八咫(尺)で、乗馬するとき、引綱は一貫の間の半分の五咫(尺)です。

「いたぬき」の解釈を、轡(くつわ)に付ける引綱を「ひとぬきのま」(一貫の間)の半分の五咫(尺)ではないかと考えました。
馬のことを全く知らない小生には、今一つ実感がわきません。

19-40 馬の寿ぎの典には疑問があります(19B-22~23) 

はつきもち さつきゐつかの「19ロ-12」(19B-22)
ことほぎの のりにかけたは
あやしあり

八月十五日と五月五日の祝賀(寿ぎ)の典(宣告・決まり)に、掛ける(あてがう)には、疑問があります。

 たとえふとくと「19ロ-12」(19B-22) 
やつゐゐの わりあひかがえ(19B-23) 
たまふへし

例えば「ふ」(2歳馬)と「く」(9歳馬)が紛れ込んでいる割合を考える必要があります。さらには、八(8月15日)の祝賀と、五五(5月5日)の祝賀の割合を考えて賜う必要があります。

上記解釈は、私の全くの推測ですが、3歳馬から8歳馬までを正規の乗馬の馬と定めていたのではないでしょうか。馬年令x3が人間の年令に相当するという計算もあるようです。

19-41 御孫も馬術をものにされました(19B-23~24)

 こゝにみまごの「19ロ-12」(19B-23) 
ぢみちのり のりなれねりて「19ロ-13」  
あれのりも ひつみつきへて
つひにゑて またゐづのりを(19B-24)
としかさね わざゑたまえは

このようにして、御孫(天孫ニニキネ)も、地道(ゆっくり普通に歩く速さ)から始めて、今では乗り慣れ練れて、「荒れ乗り」も毎日練習を積み重ね、月を経て、ついに馬術を自分のものにされました。
更に、何年も年を重ねて「逸乗り」の技を得られました。

「荒れ乗り」は、三十九手(通り)の離れ技(花技)。
「逸乗り」(厳・いず)乗りは、五十九連発もの早詰の妙技(曲芸)。
という説明がありましたが、どう違うのかは、今の私には分かりません。しかし、ここで、逸乗りの方がはるかに高度なテクニックであることは理解できました。

19-42 「タカヒコネ」は二荒れの「オシデ」を賜い、子孫も馬の君となりました(19B-24~25)

みことのり ゐづのをしてを「19ロ-13」(19B-24)
たまひけり たかひこねには
ふたあれの をしてたまえは(19B-25)
こもまこも むまのきみなり

詔りがありました。逸乗りの「オシテ」を賜いました。

「タカヒコネ」には、「フタアレ」(二荒)の「オシテ」を賜いました。そして、「タカヒコネ」の子も孫も馬の君となられました。

19-43 馬の薬草には人参など7種類あります(19B-25~26)

くすりには ひとみこまひざ「19ロ-14」(19B-25) 
うはなくず つちひとゑばは
まめはごぞ(19B-26) 

馬に与える薬(薬草)には、
人参(ひとみ)、
「こまひざ」(いのこずち)、
卯の花、
葛、
「つちひとくさ」(そくず・スカズラ科ニワトコ属の多年草)、
えばわ、
まめわごぞ
の7つになります。

人参のことを当時は「ひとみ」と言っていたものが、漢字到来で「ひと」を「人」、「み」を「三→参」から、訓読みで人参と書かれていたものが、時代と共に音読みになって「にんじん」と呼ばれるようになったことが分かります。

19-44 「イツヲバシリ」と「タカヒコネ」は二荒神となり、乗り弓(流鏑馬)を習うときになりました(19B-26)

 ゐつをばしりと「19ロ-14」(19B-26)
たかひこね ふたあれかみと
きさらしゑ まつるのりゆみ
ならふころかな

「イツヲバシリ」と「タカヒコネ」は「フタアレカミ」(二荒山神)となられました。2月の午の日(「ウマ」・「しえ」)の日に、乗り馬弓(流鏑馬)を祭ることが始まりました。そして、それ以外の役職者が乗馬を習う時代になりました。










「しえ」について
さしえ:庚午かのえうま、
ねしえ:壬午みずのえうま、
きしえ:甲午きのえうま、
つしえ:丙午ひのえうま、
おしえ:戊午つちのえうま

乗馬のなかでも、荒れ乗りという難しい極意をこの二人が習得したことで、二荒れ神という名前を賜わったことが分かります。
今でも、二荒山神社の隣の日光東照宮に白馬がまつられていることに関連を感じます。

「イツヲバシリ」は、「モノノベ」の名を賜い、「イヅ」の名も賜い、鹿島神になり、「タケミカヅチ」と名付けられたとあります。
19綾-12、19綾-13参照。

「タカヒコネ」は、
「ソサノオ」の子供①「クシキネ」と
「コマスヒメハヤコ」(天照神の内妃)の子供②「オキツシマヒメ タケコ」との子供になります。

19綾完
2021/10/30
2021/10/31一部追記変更
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25鈴サナト

好太王碑を西暦391年として、25鈴サナトは、シホノリヒコ任那教師から遡り、紀元前773年となります。アマテルが、前860年生まれなで、数えで88歳の時となります。
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