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40-12~13~25ヤマトタケ野褒野(のぼの)に着いた時は重症

5 ヤマトタケ野褒野(のぼの)に着いた時は重症(40-12~13)

いささかに なくさみゆけど(40-12)
あしいたみ みゑにまがれは
みゑむらぞ つゑつきざかも
やゝこえて のほのにいたみ
おもければ(40-13)


このように、慰みを作って進んでいったが、足が更に痛み二重の足も三重に曲がるほどの痛みだったので、此処を三重村と言います。杖をついて歩いた杖衛坂(つえつき)も過ぎ野褒野(のぼの)に着いたときは重症でした。

6. とりこ5人を鹿島命の添え人に(40-13)

 とりこ。ゐたりを(40-13)
うぢにやり かしま。みことの
そえびとぞ


日高見から連れてきていた、捕虜の五人を釈放して、宇治に送り、大鹿島命(初代伊勢神宮)の添え人にしました。

7. 吉備武彦はヤマトタケの手紙を持って都路へ(40-13)
 
きびたけひこは(40-13)
みやこぢえ のぼせ。もふさく


吉備武彦は都路(景行天皇のまきむき宮)へ参上してヤマトタケからの手紙を手渡しました。このとき迄、吉備武彦はヤマトタケに同行していたことがわかります。

8. ヤマトタケ病に倒れた無念さを手紙に(40-14~16)

そのふみに はなひこもふす(40-14)
とみむかし みことをうけて
ぼづまうち あめのめぐみと
いづにより あらふるかみも
まつろえば ふつくおさめて(40-15)


景行天皇に宛てたその手紙の内容は「はなひこ(ヤマトタケの生まれたときの名前)は申し上げます。昔、君(父上:景行天皇のこと)の詔(みことのり)を受けて東夷征討(あづまうち)に行きました。天の恵みとご加護を受けて、逆らう神も服従させ、全て収めて参りました。

いまこゝに かえればいのち(40-15)
ゆふづくひ こいねがわくは
いつのひか みことあえさん


今、ここに帰ってきました。しかし、私の命は夕暮れの落日で余命幾ばくもありません。乞い願わくは、いつの日か自ら父上にお目にかかりたいです。

のにふして たれとかたらん(40-16)
をしむらく まみゑぬことよ
あめの。のりかな


野(戦場)に伏して(病に倒れ)、心から語り合える人もないまま、お目にかかることもできずに死んでいくのが無念です。天命でしょうか。

9. 武将たちに はなふり(賃金)を分ける(40-17)

ふみとめて きみ。いわく。われ(40-16)
きつをむけ ことなれはみを(40-17)
ほろぼせる かれらやすます
ひもなきと なつかはぎして
はなふりを みなわけたまひ


ここで、ヤマトタケは父上への手紙を書くのを一旦やめて、こう言われました。
私は東(き)西(つ)の平定(むけ)に成功(成就:ことなれ)しましたが、わが身を滅ぼしてしまいました。彼ら従者たちを一日も休ませることもありませんでしたので、ナツカハギに命じて軍資金の花降り(砂金、銀)を皆に分け与えてください。

10. ヤマトタケ辞世の歌を読み神となる(40-18~21)

うたよめは あつたのかみと(40-18)
はやなると ゆあみはをかえ
さにむかひ ひとみ。いなむの
うたはこれぞと


歌を詠みました。「熱田の神と早なると」とのたまい、斎浴(ゆあみ=みそぎ)を済ませ衣(は)を新しく着替えて、南(さ)に向かって正座しました。
「人間(人身:ひとみ*)、死に臨んでの辞世の歌はこれなり」
*ひとみ:ひとみ草(朝鮮人参)、はらみ草として不老長寿の薬草として大陸に伝わったと思われ、徐福伝説へとつながったと思われます。

あつたのり 
いなむとき きつのしかぢと(40-19)
たらちねに つかえ。みてねど
さこくしろ かみの。やてより
みちうけて むまれ。たのしむ(40-20)
(うまれたのしむ:小笠原写本)


熱田宣(のり)辞(いな)む時(死に臨んで)、東(き)西(つ)の鹿路(けもの路、勅使(さおしか)の役割との掛け言葉)と父母(たらちね)に仕え満てねど(十分でなかったが)天上の精奇城(さごくしろ:48神の天国の宮)の八神(と・お・か・み・え・ひ・た・め)から八相(やて)の導き(みち)を受けて人生(むまれ)も楽しく送りました。

かえさにも いざなひ。ちどる(40-20)
かけはしを のぼり。かすみの
たのしみを くもゐにまつと
ひとにこたえん(40-21)


天国に召される時(昇天:かえさ)も、神の誘いのまま、心地よく千鳥足で天の御(み)柱(かけはし)を登り、霞の彼方に楽しみを求めて雲居に待つ(先に行って待っています)と人々に答えます。

もゝうたひ ながら。めをとぢ(40-21)
かみとなる 


何度も何度も(もも:百)繰り返して歌いながら、目を閉じて神となりました。

なすことなくて(40-21)
いとなみす うたはおはりえ


側近の者はなすすべ(こと)がなく、葬送の営みをしました。ヤマトタケが歌ったこの歌は尾張の宮簀姫へ届けられました。

11. 景行天皇は嘆き悲む(40-22~25)

きび。のぼり ふみさゝたれば(40-22)
すべらぎは ゐもやすからず
あぢあらず ひめもすなげき


吉備武彦は上京して、遺し文を奉げたところ、すべらぎ(景行天皇)は心(ゐ)が高まり、食事はのどが通らず(何を食べても味がなく)、終日嘆いてばかりおられました。

のたまわく むかしくまそが(40-22)
そむきしも まだあげまきに(40-23)
むけえたり まてにはべりて
たすけしに ほづまをうたす
ひとなきを しのびてあだに
いらしめば (40-24)


そして、おっしゃるには、昔、熊襲が反乱を起こしたときはまだヤマトタケは揚巻(総角姿)だったのに報えることが出来た。
本来なら、私の近くにいて補佐させたかったのに、ほづま(東夷)を討たす人が他にいなかったから、堪えに堪えて空しく(あだに)遠征させてしまった。

あけくれ。かえる(40-24)
ひをまつに こわそもなんの
わざわひぞ ゆぐりもなくて
あからめす たれと。みわざを
おさめんや(40-25)


明けても暮れても帰って来る日を待っていたのに、これは一体何たる禍いだ。
親子の縁(ゆかり)を温める間もなく天国に召されてしまった。誰に私の成務を継がせれば良いのだ。


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