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40-69~74 妃のいらつ姫の葬儀

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25. 妃のいらつ姫の葬儀(40-69~74)

ゐそふほさつき(40-69)
すえやかに きさきいらつめ
かみとなる (40-70)


まきむき宮五十二年五月二十八日(末の八日)に中宮(きさき)の播磨おいらつ姫(ヤマトタケの母親)がお亡くなりました。

みをくりのりは(40-70)
あつたのり をほたんやわけ
みけかしぎ ちりひるめしと
もるひらで ぬのをしひめに
いたゞかせ (40-71)


葬儀の典(のり、式典)は熱田典(ヤマトタケの時と同じやり方)で行いました。おほたんやわけ(崇神天皇の子供)はみけを蒸し(かしぎ)て、霊在(ちり)日霊飯(ひるめし)を器(陶器、ひらで)に盛りました。
そして、ぬのし姫(景行天皇のお嬢さん)がこの器(ひらで)を神に捧げました。

ここからは葬儀の行列の様子の説明です。

そふたんやわけ(40-71)
さきかりに つぎは。ひめみこ
すけうちめ をしもあおめら
みそりそふ


祖父の「おおたんやわけ」が行列の先頭(さきがり)に立ちました。次は姫の御子さんが続き、すけ妃、うちめ、おしも、女官たち(あおめら)三十人が添うように続きました。

 つぎ。もともとの(40-71)
やいろはた かみことよそや(40-72)
(かみのとよそや:小笠原写本)
わけそめて きびのいゑとみ
もちならふ たてものくもに
かけはしと かすみにちどり


次は元々の八本の八色で染めた幡に神様の名前四十八(よそや)音(あ・か・は・な・ま・・・・・・・し・ゐ・た・ら・さ・や・わ)を書いています(染めて)
吉備津彦の家臣たちがこの幡を持って並びました。立ち並んだ幡(旗)は天(雲)への架け橋のように思われました。空には霞みに千鳥が鳴いていました。


きび。はりま えとのたけひこ(40-73)
よはぎしを まてにならびて
みはしらは うちみやのとみ
みこしまえ みこはみおすえ


吉備武彦と弟の播磨おと(弟)武彦は世箒(よはきし:世を清める)を持って両手(左右)に並んで行きました。
御(天)柱(霊が行き来する)は中宮の直属の大臣が柩の前を進みました。皇子(景行天皇の)は遺体の後に続きました。

おしかとは うつよひのをみ(40-74)
こしにのる もろ。をくりけり


勅使は太陽を映すことを司る大臣で神輿に乗って参列しました。庶民たち(もろ)も続いてお送りしました。

ジョンレノ・ホツマ
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