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「天照神の誕生」 


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「ほつまつたえ」の文字の例です
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2012/6/12
ホツマ・エッセイ「天照神の誕生」                    
ホツマツタエの2綾に「天照神の誕生」が歌われています。内容が、記紀の内容とはかけ離れているので、納得いかない方がいらっしゃるとは思いますが、私はこのホツマツタエに書かれていることが、より忠実な史実と思っています。
古事記が今から1300年前に書かれたものとされていますが、ホツマツタエの2綾を含む前半部分は、それより更に1300年以上昔に遡った紀元前660年頃に編纂されたものです。

1. 天照神の両親「いさなぎ」と「いさなみ」が出会うまでの背景です。( )は写本の(綾-頁)

1-1. 天神6代の「おもたる神」、「かしこね神」の間には世継皇子が出来ずに代が途絶えてしまいます。(2-18)

1-2. この事態を心配した「たかみむすび5代目」(とよけ神・実名たまきね・ひたかみ国)は、「あめよろず神」の子孫の「あわなぎ」の子どもの「かむろぎ・たかひと」に次の天神に継がそうと自分の娘「いさこ」を嫁がそうと働きかけます。(2-21~25)

1-3. 仲人を立てるが、二人とも状況が理解できずにもの別れになります。最初の仲人が「はやたまのお」と言いました。(2-25)

1-4. その後、二人目の仲人の「ことさかのお」が取り持ち二人は結ばれます。(2-25)

1-5. そして、二人は筑波の「いさ宮」(現筑波神社)に住まわれます。「いさ宮」に因んで「いさなぎ」・「いさなみ」と名乗ることになります。後にこの二人は「ふたはしら」・「ふたかみ」(両神)と呼ばれます。(2-26~27)

1-6. この時の背景として、男神「いさなぎ」の父親の「あわなぎ」は「ね国」(北陸)から「ちたる国」(山陰)を治めていました。「いさなぎ」は金沢の出身です。

1-7. 一方、女神「いさなみ」の父親「たかみむすび」(とよけ神;豊受神)は日高見(仙台、多賀城付近)の出身です。
「やまて宮」とありますが、後に漢字化されたとき、仙台という字が当てはめられたと考えられます。

2 「いさなぎ」と「いさなみ」のお子さん達 (1姫3男)

2-1. 「ふたはしら、ふたかみ」(両神)が結ばれて、最初に生まれた子の名前は「ひるこ」と言い女の子です。
しかし、父親「いさなぎ」は40才、母親「いさなみ」は31才で二人とも天の節目(厄年)に当たっていました。厄年に生まれた子どもが、女の子であれば父親に汚れが宿り、男の子であれば母親に災いを受けることになります。(3-4~5)

2-2. 厄を祓うために、三才にも成らないうちに子供を「いわくす舟」に乗せて川に流します。これは、儀式で、川下(にしとの)では翁「かなさき・住吉の神」が拾い上げて「ひろた」成人するまで育てることになります。(3-5)

「にしとの」(西ノ宮神社、住吉の神が住まわれていた)
「ひろた」(広田神社、幼い「ひるこ姫」を拾い上げた所)

2-3. 「ふたはしら」(「いさなぎ」と「いさなみ」は世継ぎの男の子を生む決意をします。(3-3)

2-4. 二番目に妊娠した子は、「はらめど つきみてす えなやふれうむ」とあり、未熟児のまま胞衣が破れ流産してしまいます。(3-7~8)
2-5. 「ひよるこ」(未熟児)は泡となって流れ去りました。葦舟に乗せて流しました。流した場所が「あ・はち」、吾(あ)恥(はじ)→淡路(島)と思われますが、大阪市東淀川区にも淡路という地名が残っています。(3-8)

「いさなみ」の産屋が5つあるのに、子供は4人と数が合わない理由ですという記述があります。(3-21)

2-7. 日嗣の君になられる皇子を欲しいという願いが遂にかなって「ひのかみ」(日の神)が生まれました。(3-15) 名前を「うほひるぎ」と称えました。(3-16)
「う」・「うほ」=大きい、偉大な、高貴な 「ひる」の「ひ」は太陽(ひ)の御霊を背負ったという意味。

2-8. この皇子が生まれ、国は麗しく威光が隅々まで差し、神威と威光がただ事でないことを知った「いさなぎ」・「いさなみ」は天(高天原)に送りました。(3-16)
別名「くしひる」の子(=奇しき日の霊(る)より生まれた子)とも呼ばれました。

そして、「とよけ」は「わかひと」という実名(いみな)を捧げます。「とよけ」(豊受神)は「いさなみ」の父親、即ちこの「わかひと」後の天照神のお祖父さんに当たります。

2-9. 両神は「つくし」(九州)で二人目の皇子(つきよみの神)を生みます。(3-18)

2-10. 厄のとれた「ひるこ姫」が成長され「わかひるめ」となって宮中に戻ります。
この時点で、「ひるこ姫」「わか姫」「わかひるめ」と3つの名前をもっていることになります。
 「わか」は和歌山県の語源と考えられます。

2-11. 末っ子の「そさのお」が「そさ国」(現南紀)で生まれます。
「そさのお」は、国や民を困らせます。これは、母親の「いさなみ」が自分の「おえ」(くま)によるものと身に受けて、息子の厄を覗くために「くまの宮」を建立しました。(3-19~21)

3. 幾つかの混乱する記述について(天照神が女神にすり替わった要因)

お姉さんが「わか姫」、天照神が「わか仁」と漢字化した時、一文字の違いだけで入れ替わってしまう!?。
またお姉さんが厄払いのために流されたのと、その次の未熟児で死産し流されたのが混同した可能性があります。さらに、ややこしいのが、お姉さんは結婚され「したてる姫」と名を変えて、姉の立場から天照神の妹の立場に退いています。(1-30)

更に伊勢神宮の内宮外宮の役割についての記述が混乱を招いているようです。(36-39~41)
豊受神を祀っている外宮の神の真意は厚く、国民に厳しい父の役割とあり、天照神を祀っている内宮は、母の子供を慈しむような恵む教えとあります。この記述だけを見て、天照神は女神であると間違えてしまったのでしょうか。

また、天照神の12妃のうち「ますひめ・もちこ」と「こますひめ・はやこ」は従兄妹婚で、儒教では野蛮人のすることと見られていました。更に「こますひめ・もちこ」が生んだ3女神「おきつしまひめ」・「えつのしまひめ」・「いちきしまひめ」は「そさのお」との浮気によって出来た子のようです。
これらのことは、記紀に取り入れることは出来ず、天照神を女神にして神話化すれば、うまく納まると思われたのでしょう。ですから、記紀の編纂後「ほつまつたえ」の存在は許されなくなったのが事実だったと思われます。

「ほつまつたえ」の記述を読んで行くと、上記の結論に至りました。   以上

エッセイ・図表・書感



1 豊受神と天照神の誕生と背景を図表にしました。

2 「箱根神(オシホミミ)の背景」天照神+中宮ムカツ姫

3 神武天皇誕生の経緯と背景

4 斎宮(いつきの宮)の誕生の背景

5 古代の日本人が見ていた宇宙感に驚きます!「ミカサフミ」(神戴山書紀・高天原成る綾)に記載されていることが分かり、理解できる範囲で図解して見ました

6 ホツマツタヱ勉強会より13綾を話の展開ごとに区切り、それぞれに小目次をつけてみました。

7 魏志倭人伝の中の卑弥呼をホツマツタヱから読み解く(=4)

8 「タタラ」について  ホツマツタヱ15綾6ページより

9 剣(つるぎ)について、ホツマツタヱの記述より抜粋

10 「乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源をホツマツタヱから



以下(順不同)は順次取り込んでいきます。
(年月up)とあるのは、ホツマツタヱ勉強会の資料としてにまとめた時か、
他の処(本の会など)に投稿した時のものです。



11 「天照神の誕生」(201206up)

12 続 天照神 (201403up)201211up)

13 「因みあう」 14綾(201211up)

14 神社の鈴の生い立ち 34綾?(201805up)
15 「スズ」は「竹」も意味している 8,13綾(201805up)
16 神武天皇のお人柄(201107up)
17 古代の刑罰 7綾、23綾(201101up)
18 気象神社(201202up)
19 古代の日本の馬 19綾(201310up)
20  卑弥呼と邪馬台国 2(201406up)
21 「万歳(才)!」と「ヨロトシ」 (201410up)
22 このはなさくや姫 24綾(201411up)
23 海幸彦・山幸彦の物語 その1 25綾(201504up)
24 海幸彦・山幸彦の物語 その2 25綾(201507up)
25 歌は心を洗うトヨタマ姫とヒコホホデミ 26綾(201506up)
26 古代の舟 27綾(201603up)
27 天皇陛下 生前退位について(201607up)
28 「イセの道」と「スズカの道」とオホナムチが出雲を去った経緯 13綾(201808up)
29 一つ目小僧と「つるぎ」(剣) 23綾(200803up)
30 箱根の語源・同胞(はらから)の語源 24綾(201412up)
31 箱根の語源 その2 箱の意味 6綾(201501up)
32 3つの雲(201609up)
33 「雷を呼ぶ男」とは 24綾(20141213up)
34 書感 古代日本の超技術 志村忠夫著(201303up)
35 書感 富士山噴火の歴史 都司嘉宣著(201312up)
36 書感 古代の朱 松田壽男著(201502up)
37 書感「病から古代を解く」を「大同類聚方」槇佐知子著から(201703up)

28綾 目次 今まで、解読した部分のみ

きみとみ のこしのり のあや

28綾 君臣遺し典の綾

君(天皇)と臣が共に遺し(後世に残す)法典を決めました(天照大神の遺言)

28-1 暦が変わりました (28-1~3)
28-2 暦の起源と年数の数え方について (28-3~8)
28-3 「いさなぎ」と「いさなみ」が結ばれました(28-8~9)
28-4 「いさなぎ」と「いさなみ」に継ぎ子が出来ず(28-9~10)
28-5 元旦の日の出と共に天照神の誕生(28-10~12)

28-6 「胞衣」を「ね」(北)に納める恵那ヶ岳(28-12~14)

28-7 「わかひと」(天照大神)は日高見で「みち」を学ぶ(28-14~15)
28-8 「あまひのみこ」(天照大神)となられる(28-14~15)
28-9 天照大神は子孫が途絶えないように12人のお妃を置く(28-15~16)
28-10 天照大神、「おしひと」、「おもいかね」が関東、仙台、野洲を治め平和に(28-16~18)

28-11 「つきよみ」は遠い国を、「しらやま」は北(北陸)を、住吉の神が「つきすみ」を治めた(28-18~19)
28-12 天照神は「いさわ」で政治をとり、「いせのみち」を教えた(28-19~20)
28-13 うらみ・ねじけを持った「はたれ」が国を乱す(28-20~21)
28-14 「すみよろし」、「かとり」、「かしま」、「いふきぬし」、「かだ」、「たちからを」、「くすひ」の神達は「はたれ」を討った(28-21~22)
28-15 天照神の詔、おしひとの皇子「ほのあかり」に十種の神器と飛鳥宮を(28-22~23)

28-16 弟の「きよひと」は「にはり」で水田開拓し、後に三種の神器を賜わる(8-23~25)
28-17 地神三代「わけいかづち」が誕生する(8-25~26)
28-18 「ににきね」の三つ子の胞衣(えな)を四人の県主に(28-26~27)
28-19 地神四代「うつきね」(ひこほほでみ)は筑紫(九州)で水田開拓をする。(28-28~29)
28-20 地神四代「うつきね」は、本国(守山市みずほの宮)に戻り、「けゐの神」を賜る(28-29~30)

28-21 地神五代「かもひと」(うがやふきあわせず)は滋賀県の多賀の宮へ (28-30~31)
28-22 「うつきね」は「みおやあまきみ」の名前を賜わる(28-31~32)
28-23 伊雑宮に居られた天照神の十二妃も神となる(28-32)
28-24 「せおりつ姫」と天照大神は宮を移し天命を知る(28-32~34)
28-25 「さるた」に天照神は「まない」(あさひ宮)に自分の入る穴を掘らせ、諸神驚く(28-34~36)

28-26 長生きし世に尽くしてきたことを歌に遺す(28-36~37)
28-27 われはかんむり ひとぐさは みみちかきおぞ(28-37~41)
28-28 返しの「のと」(祝詞、のりと)の歌
28-29 「さるたひこ」に遺言(28-43)
28-30 妃(せおりつ姫・むかつ姫)に遺言(28-44)

続く

乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源



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以下は、ホツマツタヱ勉強会で説明させていただいた内容を、ブログ用にレイアウトを変更したものです。

乙訓(おとくに)」、「羽束師(はづかし)」、「向日(むこう)」の語源をホツマツタヱから


 京都市内に、「乙訓」、「羽束師」、「向日」という地名があります。
これらの地名について、古代のある出来事が地名として残されたことが「ホツマツタヱ」の記述の中から読み解けます!元々は「おちくに」、「はづかし」、「むかふ」と呼ばれていたものが、現在の「乙訓」、「羽束師」、「向日」になったと思われます。
 
 これらが語源となったのは、垂仁天皇の時代です。垂仁天皇が11代目の天皇(すべらぎ・イクメイリヒコ)として日嗣を受けて、3度目のお妃を迎い入れたときの出来事です。
 垂仁天皇のお人柄や当時の状況が分かり易くなると思い、最初と2度目のお妃についても多少長くなりますが触れてみました。3度目のお妃を迎えたとき、既に最初のお妃と2度目のお妃は亡くなられていました。 更に、3度目のお妃として迎えた5人姉妹の1人を帰してしまい自殺に追い込んでしまいました。
 
目次
1. 最初のお妃「サホ姫」は、兄の陰謀に唆され、天皇の暗殺を心に決めたが見抜かれる。
2. 二番目のお妃「カバイツキ姫」は、「ヤマト姫ヨシコ」を生み、産後半年で亡くなる。
3. 3番目に「タニハミチウシ」の5人の娘を迎い入れるが、末娘「タケノ姫」だけ帰される。
 3-1 「タニハミチウシ」
 3-2 「向日」(むこう・むかひ・むかふ)
 3-3 「乙訓」(おとくに・おちくに)
 3-4 「羽束師」(はづかし)
4. 「ヒハス姫」(「タニハミチウシ」の長女)は、5人の子供を宿します。
5. 「ヒハス姫」の長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)の功績
 5-1 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は千本の剣を作る
 5-2 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は10の専本職集団の頂点を司る
   そのなかの一つに、「はつかし」を神祀りするが含まれている
6. 次男「ヤマトオシロワケ」(タリヒコ)は後の景行天皇・世継ぎ皇子に

ホツマツタヱ本文のひらがな訳の(36-XX)は、
和仁估安聰釋本の綾(章)とページを示します。


1. 最初のお妃「サホ姫」は、兄の陰謀に唆され、天皇の暗殺を心に決めたが見抜かれ火中に入り焼死。
1-1 垂仁天皇の即位

ときあすゝ むもやそことし (35-1~3)ねやゑはる むつきつあとは
おみえみこ いむなゐそさち としよそふ あまつひつぎを
うけつぎて いくめいりひこ あまきみと かざりをたみに
おがましむ きみうまれつき たゝなおく こゝろほづまに
おごりなく ゆめのしるしに

 時は「あすず暦」の六百八十九年(神武天皇より)、「ほつま暦」の「ねやゑ」の春、新年の一月の「つあと」(一日)です。「おみえ」(中心)の皇子は実名を「いそさち」と言い、年令は四十二歳で皇位を継承して即位され「いくめいりひこ」天皇となられました。後に「垂仁天皇」と名付けられます。
 かざり(三種の神器、装束、宝飾など)を、国民、民衆に拝ませ、支持を受けました。(即位の礼)
 君(垂仁天皇)は生まれつき、実直で、心はいつも清く真で秀でて、驕ることのない優しい性格でした。
 思いが夢に出てきて、それを実行されました。(天皇の夢あわせ)

1-2 「サホ姫」を中宮に
ふとしきさらぎ(35-4~5) さほひめを うちみやにたつ
にいみやこ うつすまきむき たまきみや しはすうむみこ
ほんつわけ あえものいわず


 四十二歳で皇位を継承して即位された二年目の二月「イクメイリヒコ」(垂仁天皇)は、「サホ姫」を中宮(うちみや)にたてました(迎い入れました)。新しい都を纒向(まきむき)の地に移し(遷都)「たまき宮」と名付けました。十二月に「サホ姫」が生んだ皇子は「ホンヅワケ」ですが、唖でした。


1-3 「サホ姫」の兄が天下を盗ろうと迫る
よほなつき つうえはおなえ (35-15~17) さほひこが きさきにとふは
あにとおと いつれあつきぞ きさきつひ あにとこたふに

あつらうる なんぢいろもて つかゆれど いろおとろいて
めぐみさる あにながからん ねがわくは われとなんぢと
みよふまば やすきまくらや たもたんぞ

 たまき宮四年九月(ほつま暦「つうえ」月)一日(「おなえ」の日)のことです。(妃になって2年後)
 「サホヒコ」(サホ姫の兄)が、妃に「妹よ。この兄と「お」(天皇)とどちらが好きか?」と問い糺しました。
妃(さほ姫)は、つい、兄ですと答えてしまいました。
誂えたようだ(思っていた通りになった)。今は汝の色気で天皇に仕えているが、色気は衰えて、天皇の恵みは去り捨てられてしまうだろう。しかし、兄との仲は末永く枯れることはない。
願わくは、我と汝で天下を取れば、枕を高くして安心していつまでも良い夢を見られるぞ。

1-4 「サホ姫」の兄は天皇を殺せと迫る
 きみをしいせよ(35-17~19) わがためと ひぼがたなもて
さづくとき あにがこゝろね いさめおも きかぬをしれば
さほひめの なかごわなゝき ひもかたな せんかたなくも
そでうちに かくしいさめの せみなづき

 天皇を殺せと迫り、紐刀(紐のついた小刀)を強引に授け(手渡し)ました。兄の恐ろしい心の奥底をいさめようとしたが、聞き入れないことを知りました。
 「サホ姫」の心の中(なかご)では、罪の意識にさいなまれ、怖さにふるえながら紐刀をいわれるまま袖の内に隠し持ち続け、自分を責めていた六月(蝉が鳴くように心が高ぶっていた)でした。

せみなづき:瀬見の小川(糺の森:ただすのもり)から来ている説もあるようです

1-5 「サホ姫」の涙で天皇に見抜かれる
はつひすべらぎ(35-19~23) みゆきして くめたかみやに
ひざまくら きさきおもえば このときと なんだながるゝ
きみのかほ きみゆめさめて のたまふは いまわがゆめに
いろおろち くびにまとえて さほのあめ おもてぬらすは
なにのさが

 (たまき宮五年六月の)一日、すべらぎ(垂仁天皇)が「くめ」の高宮に御幸され、「さほ姫」の膝枕で昼寝をされていました。
妃(さほ姫)は、兄の命令を果たすのは今だと思ったとき、涙が止め処もなく流れ出し、君(垂仁天皇)の顔に落ちました。
 君は夢から覚めて、今、私が夢の中で錦色の小蛇(おろち)が、首に纏わりついて「さほ」(麻糸のような細い)雨が降り、私の顔を濡らしたのは、何の前兆だろうか。とおっしゃいました。

1-6 「サホ姫」は全てを白状する
きさきこたえて(35-21~24) かくしゑず ふしまろひつゝ
あからさま きみのめくみも そむきゑず つぐればあにを
ほろぼせり つげざるときは かたむけん おそれかなしみ
ちのなんだ あにがあつらえ こゝなりと きみがひるねの
ひざまくら もしやくるえる ものあらば たまさかにえる
いざおしと おもえばなんだ ふくそでに あぶれてみかほ
うるほせり 

 妃(サホ姫)は、もうこれ以上隠し切れないと、泣き伏して畏まって兄の企てを包み隠さず打ち明けました。
 君(垂仁天皇)の恵にも背くことは出来ないと、告げれば兄を滅ぼすことになり、告げなければ、国を傾ける大事になり、恐ろしくて、悲しくて血の涙を流しました。
 兄の企てた命令をやるには、この時しかないと思ったのが、君が昼寝されている膝枕でした。

 こんな事を考えるのは狂人だと思いましたが、万一の手柄(いざおし)をたてる機会であるかも知れないと思いました。そう思ったら、申し訳なく涙が出てしまい、袖で拭こうとしましたが拭いきれずに溢れて落ちて、君の顔を濡らしてしまいました。

1-7 「サホヒコ」を討ち取りに差し向けるが稲城に入り降参せず
ゆめはかならず(35-24~26) このこたえ おろちはこれと
ひもかたな だせばすべらぎ みことのり ちかがたにある
やつなだを めしてさほひこ うたしむる ときにさほひこ
いなぎなし かたくふせぎて くたりゑず きさきかなしみ
われたとひ よにあるとでも しむかれて なにおもしろと
みこいだき いなぎにいれば


 君のご覧になった夢は間違いなく兄の裏切りのことです。小蛇(おろち)はこれですと紐刀を取り出しました。
 すべらぎ(垂仁天皇)は即座に詔(命令)を発しました。
近県(ちかあがた)にいた将軍「やつなだ」に命令して、「サホヒコ」を討ち取るよう兵を差し向けました。
「サホヒコ」は、稲城(いなぎ)を作り堅固に防ぎ、降参しませんでした。

 妃(さほ姫)は悲しみ、我はたとえこの世に生きていても、心は枯れ死んだも同然です。何の楽しいことがあるものでしょうかと言って、皇子「ほんづわけ」を抱いて稲城に入ってしまいました。

(稲城(いなぎ)とは、屋敷の外側に稲束を積上げ、中から外は見えるが、外からは矢の攻撃を防ぐ簡単な城構え)

1-8 火攻めされた城から、皇子を抱えて出た妃は皇子を置いて再び火中に入る
みことのり きさきとみこを だすべしと あれどいださず
やつなだが ひぜめになせば きさきまづ みこいだかせて
しろをこえ きみにもふさく あにがつみ のがれんために
われいれど ともにつみある ことをしる たとひまかれど
みめくみを わすらでのちの さだめには 

そこで、君(垂仁天皇)は「サホヒコ」に妃と皇子を城から出しなさいと命じました。しかし、命令があっても出しませんでした。
将軍「ヤツナダ」が、火をつけて火攻めにしました。すると、炎の中から、妃が最初に皇子を抱いて城を越えて出てきて、君に申し上げました。
兄の罪を何とかかばう(守る・のがれる)ために、私は中に入りました。しかし、私も兄と同じ罪であることを知りました。
たとえ、私が死んでも、君の御恵みは決して忘れません

1-9 自分の後見に「タニハミチウシ」の娘をと願い、焼け死ぬ。
 たにはちうしの(35-29~30) めをもがな きみがゆるしの
あるときに ほのほをこりて しろくづる もろびとされば
さほひこと きさきもまかる

どうか、私の後見には「タニハチウシ」の娘を妃に召されるようお願いします。君のお許しが出たとき、炎が噴き上げて城は崩れ落ちました。兵卒が皆逃げ散った後に「サホヒコ」と妃は焼け死んでいました。
 後にこの「タニハミチウシ」(タニハチウシ)の娘が妃に召されることになります。

2. 二番目のお妃「カバイツキ姫」は、「ヤマト姫ヨシコ」を生み、産後半月で亡くなる。
2-1 「ツヅキタルネ」の娘「カバイツキ姫」の婚礼
なほふづき はひこもづみの(35-30~31)このつゞき たるねがかばゐ
つきひめを たつきさきとの かくやひめ なるうちめゐか
ことほぎし

たまき宮(垂仁天皇)七年一日、「コモヅミ」の子の「ツヅキタルネ」の娘「カバイツキ姫」を正妃に立て、「カクヤ姫」を内女に立て、五日間の婚礼の祝いをしました。

2-2 「カバイツキ姫」は難産の末「ヤマト姫ヨシコ」を生むが産後半月で亡くなる

たまきみや こほなつきそむ(36-1~3)きさきゆめ やまとおゝくに
かみのして たまへばはらみ つきみちて うまずにやめて
みとせのち なつきそむかに うむみこの なはやまとひめ
あとやみて かなづきふかに はゝまかる

たまき宮(垂仁天皇)九年九月(なつき:ここなづきの略)十六日に、お妃(カバイツキ姫)が夢で「ヤマトオオクニ神」(コトシロヌシ)から、神の垂(しで)を賜わりました。すると、孕みました(懐妊)が、月が満ちても生まず、三年経った九月十六日にやっと生まれました。その子の名前は「ヤマト姫」と名付けました。しかし、母(カバイツキ姫)は、産後病になってしまい、十月二日にお亡くなりになりました。

 この「カバイツキ姫」の生んだ「ヤマト姫ヨシコ」は、後に2代目「天照大神の御杖代・ひのみこ」になります。12代景行天皇の異母兄弟でお姉さんに当たります。
 後にヤマトタケがエミシ征伐に行くとき草薙の剣を譲り受けています。
魏志倭人伝でいう卑弥呼に当たると推定しています。

このとき、「カバイツキ姫」が正妃になったとき、妹の「カクヤ姫」が内妃になっています。しかし子供は授からなかったようです。


3. 3番目に「タニハミチウシ」の5人の娘を迎い入れるが、末娘「タケノ姫」だけ帰される。
そゐとしの きさらぎもちに(36-3~5) めすたには みちのうしのめ
ひはすひめ ぬはたにいりめ まとのひめ あさみにいりめ
たけのひめ はづきはつひに ひはすひめ きさきにたてゝ
いとみたり すけとうちめに たけのひめ ひとりかえせば
はづかしく こしよりまかる おちくにぞ


即位されて十五年経った、たまき宮十五年二月十五日に、お妃(三番目のお妃になります)を召されました。(そ=10、、ゐ=5、もち=15日)
「タニハミチウシ」の娘で、
長女「ヒハス姫」、次女「ヌハタニイリ姫」
三女「マトノ姫」、四女「アサミニイリ姫」
五女「タケノ姫」の五人姉妹が召されました。

 約、半年後の八月一日(はづきはつひ)に、長女の「ヒハス姫」を妃に迎い入れ、妹の三人を「すけ妃」と「うちめ」に迎い入れました。

 しかし、五人目の「タケノ姫」は、呼び寄せられて半年お仕えしたが宮中に入れず、一人だけ国に帰えされることになりました。「タケノ姫」が天皇に気に入られなかったのは、容姿が醜かったためと解釈されています。
 五人姉妹の末娘であるということから、年齢は不詳ですが、長女との年齢差を考えると「タケノ姫」は妃にするのには未熟であったのかも知れません。
 「タケノ姫」一人が、御輿に乗せられて、国に向かって帰ることになりました。しかし、恥ずかしさで胸が一杯になり、今更一人だけ国へ帰ることも出来ないと、途中で御輿から身を投げて自殺してしまいました。 その身を投げた地を、「オチクニ」と言うようになりました。



3-1 「タニハミチウシ」
 「タニハ」は後に漢字化され丹波といわれるようになった思われます。
 「タニハミチウシ」の先祖は「タカミムスビ」にあたり、後世の藤原鎌足に続くとあり、京都市伏見区羽束師志水町にある、羽束師坐高御産日神社 ハヅカシニマスタカミムスヒノ神社という神社名に、「タカミムスビ」とうたっています。
 また、「ヒコイマス」(32-58)と「イマス」(36-18)が同一人物とすれば、「フトヒヒ・ワカヤマトネコヒコ・開化天皇」(32-49)+カスガヲケツ姫(32-57)⇒ヒコイマス・アルヅミ(32-58)⇒タニハミチウシ(35-29,36-3)と続き、開化天皇の子孫にもなります。
「タニハミチウシ」は、食事係(神饌:みけのもり)になりました。(36-18)という記述もあります。

3-2 「向日」(むこう・むかひ・むかふ)
ホツマツタヱの記述には明示されていませんが、前後関係から、「タケノ姫」が国に向かって帰えされる状況を言っていたものと思われます。ここでは、日は帰るべき国のことを示していると思えます。
 
 向日について、古くは山城国乙訓郡に属し、長岡京が設置された。市域からは大極殿跡が発掘されている。長岡京が平安京に移されてのちはその後背地として農業を産業の中心とした。古くから乙訓郡の中心地であり、現在も、郡役所の名残である京都府乙訓総合庁舎や、長岡京市、大山崎町、京都市伏見区の一部を管轄する向日町警察署など、周辺地域を代表する施設が設置されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「ひまわり(向日葵)」の花言葉は「憧れ」「あなただけを見つめる」。
 向日葵と向日にも何か関連があるように思えます!?

◎ 向日(ムコウ)と似通っている地名に、日向(ヒュウガ)という地名が宮崎県にあります。(26-22)
 大上君(天孫ニニキネ・分雷神)は亀舟で鹿児島に向い、曽於国の高千穂の峰に敬意を捧ぎ、「あさま」(富士山)の方から昇る太陽(日の霊)に向かってご来光を祈りましたので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けました。 一方、「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)は、月が沈む方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました(26-22)

3-3 「乙訓」(おとくに・おちくに)
 ホツマツタヱの記述より、「輿より飛び降りて罷る・亡くなる、おちくにぞ」とあり、「タケノ姫」のことを婉曲に、弟国といったと考えられます。 「タケノ姫」は、一番末娘だったので、弟という意味合いで使ったとも取れます。帰されてしまったが、お妃になるということは国を代表していたとも取れます。
 後に漢字が渡来したときは、既に呼び方も、「おとくに」と呼ばれていたのかも知れません。乙訓という漢字が宛がわれたようです。末娘ということが、「乙」や「弟」にも相通じるものを感じます。多少なりとも元の言葉の意味合いが伝わってくる気がします。
 長岡京市に弟国という地名があります。元を糺せば、乙訓も弟国も「タケノ姫」につながるかも知れません。

3-4 「羽束師」(はづかし)
「タケノ姫」の恥ずかしい思いで、身を投げうった地名を「はづかし」と名付けられられました。
 この地に、羽束師と名前の付いた、小学校や川や橋などに現在も生きています。
後世になり漢字が導入され、日本の地名を漢字化するときに、音声から羽束師という漢字を当てはめたものと思われます。漢字に書き換える時点で、数百年以上経っていたため、既に「恥ずかしい」という意味合いは風化していたかも知れません。
 なお、丹後に竹野郡という地名は「タケノ姫」に関連しているかも知れません。

 地名の風化
たとえば、東北地方の日高見ですが、そこを流れる川は北上川と呼ばれています。
漢字化されたとき、この地方は日高見であったにも関わらず、川の名前を漢字に書き換えるとき、「ひたかみ」を「きたかみ」に聞き違えたからと考えられるからです。

 六甲山も武庫川も本来は、「ムカツ姫」から「ムカフ山・川」に風化したと推測されますが、山と川で別々の漢字が当てはめられたと考えられます。

 安芸の国の「安芸」という漢字ですが、元々の意味は木こりが山の木を丸裸にするまで伐採してしまい、仕事がなくなって飽き飽きしているというのが別の綾(章)にあります。

4. 「ヒハス姫」(「タニハミチウシ」の長女)は、5人の子供を宿します。

そやとしさつき(36-5~7) そかきさき うむみこにしき
いりひこの いむなゐそきね ふそまふゆ うむみこやまと
おしろわけ いむなたりひこ つぎにうむ おゝなかひめと
わかぎにの いむなはるひこ

たまき宮十八年五月十日に妃「ヒハス姫」が生んだ皇子は
「ニシキイリヒコ」で真名が「イソキネ」です。
たまき宮二十年の真冬に生んだ皇子は「ヤマトオシロワケ」で、真名が「タリヒコ」(後の十二代景行天皇になる)です。
次に生まれたのが、「オオナカ姫」と
「ワカギニ」で真名が「ハルヒコ」です。
 
5. 「ヒハス姫」の長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)の功績

みそゐほの なづきゐそぎね (37-30~31) たかいしと ちぬのいけほる
めづきほる さきとあとみと もろくにゝ やおのいけみぞ
つくらしむ なりわひふえて たみとめる

たまき宮三十五年の九月に、「イソギネ」(「ニシキイリヒコ」は、河内の高石と茅沼のため池を掘りました。
十月には、「さきいけ:挟城池」と「あとみいけ:迹見池」(先池・後池)を掘りました。多くの国(県)に、八百ものため池を作らせました。稲の収穫が増えて、民の生活が豊かになりました。

5-1 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は千本の剣を作る

みそこほめづき(37-32~31) ゐそぎねは うちみてつくる
ちつるぎを あかはだかとも なをつけて おしさかにおく

 たまき宮三十九年十月に「イソギネ」は、宇治の川上(「うちみ」の「み」は、かみの宮の「み」)で、千本(ち)の剣を作りました。この千本の剣を作った所を日置部といい、日置神社は滋賀県高島郡にあります。
 この剣のことを「あかはだとも」(「あ」は天、「か」は光、善悪の善、「はだか」は、「かまはだとべ」のように天にも届く絶世の美人、「とも」は剣を携える)という名前をつけて、「おしさか」(榛原、昔、神武天皇が苦戦した場所)にこの剣を奉納しました。

5-2 長男「ニシキイリヒコ」(イソギネ)は10の専本職集団の頂点を司る
  「はつかし」の神祀りをする専門職がいた

このときに (37-33~35) ①しとりべ ②たてべ ③おほあなし ④ゆみ
⑤や ⑥はつかし ⑦たまべかみ ⑧あまのおさかべ ⑨ちのへきべ 
⑩たちはかせべの
としなへを あはせたまわる にしきみこ ちつるぎうつす
いそのかみ かみがかすがの いちかわに つげをさめしむ
にしきみこ つかさとなせる

このとき、
① 「しとりべ」(「しとり」は古代布、麻木綿の古代の織物を言い、「べ」は専門職の位を言う)
② 「たてべ」(楯をつくる専門職、木を縫い合わせて楯を作った)
③ 「おおあなし」(すもう神社、つわもの主、兵頭神社)専門職
④ 「ゆみ」(弓つくり部、「ゆげ」と呼んでいた、弓を作る専門職)
⑤ 「や」(矢を作る専門職)
⑥ 「はづかし」(タケノ姫(タニハミチウシの五人娘の末娘)だけ宮中に上がれず帰され恥じて投身自殺)を神祀りした)
タケノ姫を自殺に追い込んだことにより、垂仁天皇の優しい気持ちが祀るという行動に移したことが分かります。ヒハス姫の葬儀から追い枯れ(殉死)の風習をやめ埴輪に替えたことにもつながっているように思えます。
⑦ 「たまべ」(たまを作る専門職)
⑧ 「あまのおさかべ」(天に逆らうもの、刑法を取り扱う専門職)
⑨ 「へきべ」(千本の剣を置いて守る部門、「へく:置く」日置神社:剣大明神
⑩ 「たちはかせべ」(太刀を佩(は)かせる専門職)
以上の十部をあわせて、「にしきみこ」が、これらの専門職集団(べ、部)の頂点を司りました。
「にしきみこ」が、この千本の剣を「おしざか」から「いそのかみ」に移しました。
天の告示があって、「にしみこ」から、春日の「いちかわ」に移しました。春日がこの千本の剣を守る直接の担当になりました。「にしきみこ」は出世して、司になりました。

6. 次男「ヤマトオシロワケ」(タリヒコ)は後の景行天皇・世継ぎ皇子に

みそなほはつひ(37-32) おみえたつ たりひこはそや よつぎみこ

まき宮三十七年元旦に「タリヒコ」は皇太子になられました。「タリヒコ」は十八歳で、世継ぎ皇子になりました。「タリヒコ」は後の景行天皇になります。
以上


ジョンレノ・ホツマ


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① Hotsuma Essay は、私のエッセイや書感などをたまに投稿していますので覗いていただければ幸いです。今は休止しています。

② ノホホンの会 のメンバーの方のエッセイや書感があります。合わせて覗いていただければ幸いです。

③ 村田先生のウクレレレッスンは私の気分転換の時間です。

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高畠精二先生のホツマツタヱのHP

高畠精二先生のホツマツタヱ勉強会が、2012年10月より再開いたしました。
以前の勉強会の様子ですがご覧になれます。

ホツマツタヱ勉強会は、現在15綾を学習中です。食物の話の中で、この後、ココリ姫・西王母・夏の国という名称なども登場します。

次回9月10日(火))になります。8月はお休みです。
 時間は、18:30~20:30です。会場は「なかのZERO」西館3階学習室4です。
東京都中野区中野2-9-7 JR中野駅南口より東に線路沿いに約10分ぐらいです。

参加ご希望の方は直接会場にお越しください。参加費は500円(テキスト代込み)です。
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剣(つるぎ)について、ホツマツタヱの記述より抜粋

令和元年5月1日 宮中で、剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀が行われ、
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」が引き継がれました。
ホツマツタヱの中から剣に関連する個所を幾つか抜き出してみました。

解読・解釈は1つの例です。思い込みによる誤りがあるかも知れませんので、あしからず。

8綾 天照神が山田へ御幸します(小笠原8-29~33)
またはたれ ひすみひたかみ
かぐやまと ふたいわうらに
つくつげの

また、別の「はたれ」が、日隅(ひすみ、青森)、日高見(陸奥)、香久山と二岩浦(二見ヶ浦)に舟が着いたと敵状を知らせてきました。

      くしのはひけは
もろかみは たかまにはかり
みゆきとぞ

諸神達は櫛占いをして、たかま(宮中)で神議し、天照神に御幸を乞い願うことに決めました。

      ねがえばかみの
みゆきなる てくるまのうち
せをりつめ あめのみかげに
あきつめは ひのみかげさす

天照神の御幸が決まり、「てくるま」(八英輦、)の中には中宮「せおりつ姫」が天照神に寄り添っておられました。
 あきつ姫(西のすけ后・はやあつき姫あきこ)は翳(さしは)で日陰になるようにされていました。

いふきぬし くまのくすひと
まてにあり しろくろこまに
もろそひて やまだにいたり

「いふき主」(「つきよみ」の子)と「くまのくすひ」(天照神と内女「とよ姫」との皇子)は、それぞれ白駒(馬)と黒駒(馬)にまたがり両脇をかため、
諸神も添って「やまだ」に到着しました
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たちからお はたれはるなに
とびかゝり ちからあらそひ
おししばる はたれまもみな
とりしばり まえにひきすゑ

 それを見た「たちからお」が「はたれはるな」に飛びかかり格闘の末、押し縛りました。
 残る「はたれ」魔も捕り縛り、天照神のおられる前に引きずり出し、額(ひたい)を地面に当ててひざまずかせました

たれあぐる きみやさかにの まかるたま 
せをりはまふつ やたかがみ 
あきつくさなぎ やえつるぎ


天照神の八英輦(やふさのてくるま)の帳(たれ)が静かに上がり、君(天照神)は八尺瓊勾玉(やさかにのまかるたま)を身につけておられました。
 中宮の「せおりつ姫」は「まふつ」(真経津)の「やたかがみ」を捧げていました。
「あきつ姫」は「くさなぎ」の「やえつるぎ」(八重垣剣)を携えていました。
御幸先は「やまた」県・現三重県大山田村、伊賀地方と推測

9綾-1 ソサノオがイナダ姫を狙っていたオロチを切ると、緒の先からむらくも剣が(小笠原9-4~5)

ひかわのかみの
やゑたには つねにむらくも
たちのほり

「ひかわ」(斐伊川)の上流の八重谷には、常にむら雲立ち上っていました。

そびらにしげる
まつかやの なかにやまたの
おろちゐて ははやかがちの
ひとみけと つゝがせらるゝ
なゝむすめ のこるひとりの
いなだひめ これもはまんと
たらちねは てなであしなで
いたむとき

八重谷の尾根(そびら)に繁っている松や榧(かや、櫟・一位の木)の林に「やまたのおろち」(八岐大蛇・大蛇(はは)や、錦蛇(かがち)が潜み、人身御供(ひとみごくう)に、七人の娘が犠牲になり、残る一人「イナダ姫」も狙われていました。
 「たらちね」(娘の父母)は、手を撫で足を撫で心を悼めて嘆き悲しんでいました。

 そさのみことの
かんとひに あからさまにぞ
こたゑけり ひめをゑんやと
いやといに みなはたれぞと
うらどえは あめのおとゝと
あらはれて ちぎりをむすぶ
いなたひめ ひめはゆげやに
かくしいれ

この痛ましい話を聞き「ソサノオ」命の単刀直入(ぶしつけ)な問いに包み隠さず答えを聞き、「ソサノオ」は、「イナダ姫」を得んと突然の申し入れをしました。
「ソサノオ」は「あめ」(天照神)の弟と身分を明かし、「いなだ姫」と婚約しました。「イナダ姫」をユゲ屋に隠れ入ました。

すさはやつみの
ひめすがた ゆづのつげくし
つらにさし やまのさすきに
やしぼりの さけをかもして
まちたまふ

「ソサノオ」は「やつみ」(八頭身)の姫姿に変装して、「斎つ」(ゆづ・神聖で清浄な)黄楊の木で作った櫛を「つら」(頭の上)に差しました。
 「やまたのおろち」の潜む八重谷の山の「さすき」(さじき・一段と高い所)に、八搾りの醸造した酒を用意し「おろち」を待ち構えました。

 やまたかしら 
おろちきて やふねのさけを
のみゑいて ねむるおろちを
づたにきる はゝがおさきに
つるぎあり ははむらくもの
なにしあふ

「やまたかしら」が現れ、「やふね」(八槽)の酒を飲み干すと「おろち」は眠ってしまいました。
姫姿に変身していた「ソサノオ」をイナダ姫と思い込み、眠ったままの「おろち」を、八束の剣で、ずたずたに斬りました。

 すると「はは」(おろち)の緒の先に、一振りの剣が現われました。これが、「ははむらくも」(羽羽叢雲)の剣の出現です

10綾 「おおなむち」は「くさなぎ」の矛を置いて出雲を去る(小笠原10-17)

とえはことふる
おほなむち そのこのまゝを
ふたかみえ わがこさりにき
われもさる
 
「かしまだち」(出雲征伐)に向かった「たけみかづち」は、「おほなむち」に決断を迫りました。
「おほなむち」は、子供(コトシロヌシ)の言うまま、二神(「たけみかづち」と「ふつぬし」)に全面降伏を伝えました。
 我が子は出雲を去ってしまった。私も去ります。

いまわれさらは
たれかまた あえてなれなん
ものあらし わがくさなぎの
このほこ
に ならしたまえと
いひてさる

今、私が出雲を去るにあたり、誰かまた力ずくで叛(そむ)く者が出てこないとは限らない。
  降伏の証として、我が「くさなぎ」の矛(ほこ)で国をならして(生らす・実らせる・均す)くださいと言って去りました。
 180人を連れた「おおなむち」は、津軽「あかる宮」を賜り、「つかる・うもと」の神となりました。

11綾 天照神の詔をオシヒトに伝える (小笠原11-9~10)

なんちをしひと 
わがかわり つねのよさしも
みたゝしぞ ちゝのはるあき
たみをなで

汝、「おしひと」よ、私に代わって政りごとを「つねのよさし」(全面委任)で行なうには身を糺してください。
 千千(ちぢ、非常に多くの、変化にとんだ)春、秋に民を優しく撫でなさい。一年を通して特に春秋の農作業の大変な時期には民に優しく接しなさい。

このやさかにの
まかりたま
 あがくしひると
もちゆれば なかごますぐに
たもつなり

この「やさかにの勾玉」(八坂瓊曲玉)は、吾が(私の)「くしひる」(竒し霊、霊妙)として用いれば、「なかご」(中心、行動する時の自分の基準軸、信念)を正しくまっすぐに保てます。考えが揺らぐことはありません。

 やたのかがみ
たてにふれ もろとのさがを
かんがみよ

「やたのかがみ」(八咫鏡)は「たて」(左手、左大臣)に「触れ」(持たせなさい)。
諸人の「さが」(善悪)を鏡に映し照らして鑑みなさい。

またやゑがき
つにあづけ あらかみあらば
よくむけて めくみやわせと
みてつから

また、「やえがき」(八重垣剣)は、「つ」(西、右大臣)に預けなさい。
「あらかみ」(荒神、不法者)が現われた時には、念を入れて差し向け、「めくみ」(情け、いつくしみ)を掛けて、和す(やわす、平和にする)ように、「みてづから」(直接自分の手で)下しなさい。

たまふみぐさ
うけたまゑ なおもおもゑよ
たからもの みることわれを
みることく

この三つの神器(勾玉、鏡、剣)を賜います。心して受け賜いなさい。
 この三種の神器を見るときには、「われ」(天照神)を見ると思って政り事を行ない天下を治めなさい。

23綾 剣は右(か)の眼で練り上げる(和仁估安聰釋本23-34~37)

なんぢがやいば 
よくときぞ しかれとまての
いきかれを しらずをしえん
しかときけ

 汝が作った剣の刃は良く鋭利である。しかしながら、左右の眼(まて・両方)に活き枯れを知らないようなので教えましょう。しっかりと聞きなさい。

      たのめははるの
いきるころ たのへおいれて 
ねるつるぎ いきみにちかく
かれうとし もしあやまるや
おそるなり

左(た)の眼は春の生き生きした気力があります。この左目の生気(眼力)を入れ込んで剣を練り上げ(鍛造する)れば、出来上がった剣は、生き身(活気身)に近く、枯れ身に疎いものになります。もし、使い方を誤ると、生き身(活気身)を斬り殺し、恐ろしいことになります。

 かのめはあきの
からすころ かのめをいれて
ねるつるぎ かれめにちかく
いきうとし

 右(か)の眼は秋の枯れていく「気」になります。この右目の眼力を入れ込んで剣を練り上げて(鍛造する)れば、出来上がった剣は、枯れ身に近く、生き身(活気身)に疎いものになります。

      つみあるものを
かれといふ なきはいきなり

ここで、罪ある者を「枯れ」と言います。罪なき者を「生き」と言います

かのつるぎ かれみをこのみ
いきをそる

 右(か)目の眼力で鍛造した剣は、「枯れ身」(罪人・悪)を好み、「生き」(善人)を恐れます。逸れます


      これぞをさむる 
たからもの これうつべしと
のたまえば おそれてもかの 
ものいみし みぎめひとつで
ねるつるぎ やふりあぐれば
みことのり
 
右(か)目の眼力で鍛造した剣こそが、宝物です。左(た)の眼を閉じて、右(か)目だけで剣に仕上げなさいと宣いました。
 鍛冶人は、畏れ多く100日の物忌み(心身を清浄に保つ)をしました。心身清浄で右目だけで剣を練り上げました。
 八振り(八本)の剣が出来上がりました。天照神は、この剣を前に詔りをされました。

 いまこのつるぎ
むべいたる わがみこゝろに
よくかない みよのをさまる 
たからもの なもやえがきの
つるぎ
とぞ  かねりをほめて
たまふなは あまめひとつの
かみ
となる

今、この目の前にある剣は、まさに我が御心に良く叶っており、御世の代を治めるにふさわしい宝物です。この剣の名前を八重垣の剣と名付けます。
 かねり(鍛冶人)を褒めて、天目一箇(あまめひとつ)の神という称え名を賜いました。
 
のちにはたれが
みたるとき かなざきおよび
むまさかみ つるぎたまわり
はたれうち やたみをさむる

後に、「はたれ」が天下を乱したとき、「かなざき」と六将神「ふつぬし・たけみかづち・かだまろ・いふきぬし・たちからを・くまのくすひ、の6人」に、剣を賜わり、「はたれ」を討ち、「はたれ」の八民を治めました。
 残りの一本は天照神が持っていて、後に「くしひこ」に賜うことになります。

23綾 「つ」・「る」・「ぎ」の意味(和仁估安聰釋本23-38~39)

つるぎとは 
剣の「つ」・「る」・「ぎ」とは、

はきのよはひ
あにつきて かれるあのつぞ

「つ」は、木の年齢(よわい)のことです。
「あ」(天)に尽きて(つきて)の、枯れる天(あ)の尽(つ)のことを言います。天命が尽きる「つ」です。

はしばの かわけばもゆる
るぎのほぞ

「る」は、柴(雑木)が、枯れ木になって燃えるように「るぎ」の炎のことです。「る」は木の霊です。

 ぎはきのかれて おもひなし

「ぎ」は、木が枯れて、寿命が尽きて思い残すこと(生への執着)がない状態を言います。

 かれにつるぎと なつくなり
よって、「つるぎ」(剣)と名付けました。

23綾 自分の驕りを守るのが八重垣の剣(和仁估安聰釋本23-39~40)

もしたみおごり 
みのほとも わすれてつひに
つるぎうく うけさせしとて
みのかきよ

もし、民が驕り身の程を忘れて、「つるぎ」(剣)を受けるはめ(死罪)になったときに、受けさせてはならないと判断するのが身を守る垣になります。

      もしもつかさの
おごりにて たみをからせば
つみおゝし

もし、司(国神)に驕りが生じて(自分の勝手で)、民を枯らす(殺す)ことになったら、非常に罪が重いものになります。

      よこべにさらに
あらためて そのたみいかす

 緯糸役の緯部(よこべ)が、「あらためて」(検察して)その民を、取り調べて明らかにします。

とみことみ おごりしのびて
みちまもれ わがみのための
やゑかきはこれ

臣・小臣は、自分自身の驕りを表に出すことなく、こらえて、天成道を守りなさい。
常に天成道を守る心がけが、自分自身を守る垣になり、まさに八重垣の剣とはこのことです。

39綾 エミシ成敗に向かうヤマトタケはヤマト姫から「むらくも剣」を謹み受ける

なかいせの かみにいのりて 
いそのみや やまとひめにも 
いとまこい きみのおゝせに 
あたうちに まかるとあれば

 伊勢神宮に戦勝祈願をした後、伊勢の宮のやまと姫)に挨拶に行きました。ヤマトタケは景行天皇の命によりあだ討ちにまいりますとヤマト姫に報告しました。

やまとひめ にしきふくろと
つるぎもち おみこにいわく 
あめみまこ そめしひみつの 
おんはらひ ひみづのさわり 
はらふべし

 ヤマト姫は、ヤマトタケ」に錦袋(ヒミツの払いの呪文が入っていた錦織の袋)と剣を持ち出して「おみこ」(ヤマトタケ)に話しました。錦袋の中は、昔、あめみまこ(天孫ニニキネ)が記したヒミツ(火・水・土)の祓いです。火の災難、水の災難、土の災難にあったらこれらの障害を払いなさい。
 
      むかしいづもの 
くにひらく むらくもつるぎ
これなるぞ つゝしみうけて 
あだむけよ なおこたりそと 
さづけます 

昔出雲の国を開いたスサノウがやまたのおろちの尻尾から取り出した剣がこれである。謹んで拝領して敵を退治してきなさい。くれぐれも注意を怠らないようにと言って授けました。

39綾 「むらくも剣」は「くさなぎ剣」に

こちふきかわり 
にしけむり あだにおふえば 
くさをなぐ もえくさとびて

あたいくさ やきほろぼせば 
やけづ野や つるぎのなをも 
くさなぎて

 

 敵に辺りの野に火をつけられ、ヤマトタケは欺かれたことを知り、切り火を起こして迎え火を放ち、ヒミツの祓いを三度唱えた。
 ヒミツの祓いをしたら、風向きが東風にかわり西に煙が移りました。
 仇(敵の頭上)に火が覆った。そしてヤマトタケが草を薙ぎ払うと燃え草が飛び行きて賊軍(アダイクサ)を焼き滅ぼしてしまいました。
 以来、ここを焼けた野原(焼津)と言うようになり、むらくもの剣を草薙の剣というようになりました。

40綾 くさなぎの剣を宮簀姫(後の熱田神宮)の館に置く

やまとたけ をばよりたまふ
 くさなぎを ひめのやにおき
 いぶきやま かえさはいせぢ

ヤマトタケが、伯母(ヤマト姫)より賜った、草薙の剣を宮簀姫(ミヤヅヒメ)の家(後の熱田神宮)に置いたまま、伊吹山に登り足を痛め、宮簀姫の家に寄らず、帰路につきました。


次回ホツマツタヱ勉強会(3)のお知らせ
7月9日(火) 時間18:30~20:30
8月はお休みします。
会場:なかのZERO  西館3階学習室4
交通:JR中野駅南口 徒歩10分
参加費:500円 (テキスト代込)
初めて来られる方に
直接会場へお越しください。
5~10分ほど早めに来ていたければありがたく思います。
現在、15綾(章)を学習しています。
テキストは受付でお受け取りください。
2012年10月に始まった今度の勉強会(3)では、学習の原点に戻ります。オシデ文字を皆様がすらすらと読み書きでき、また原典を自分で翻訳できるようにしていきましょう
 講師:髙畠 精二  副講師・企画運営:藤田 昇



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